ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ハウス・ジャック・ビルト」

「ハウス・ジャック・ビルト」観ました。
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「『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ニンフォマニアック』等手掛けた鬼才、ラース・フォン・トリアー監督作品。」「2018年第71回カンヌ国際映画祭で途中退出者続出!」「醜悪で魅力的!」

 

「随分煽ってくるなあ~。まあ、トリアー監督やし…長時間に渡る、狂った主人公のだらだら自分語り。何一つ共感出来ない内容故に観ている側はフラストレーションを募らせていって。最終的には主人公がドツボに嵌る。そういう話なんちゃうの~。」

はい正解。まさにそういう作品。

 

1970~1980年代のアメリカ、ワシントン州

建築家希望の技師ジャック(マット・ディロン)。とある出来事をきっかけに。「これはアートだ。」と次々と殺人を犯していくようになる。そんな彼が『ジャックの家』を完成させるまでの12年を、5つのエピソードから描いていく。

 

ジャックを形容するならば、『シリアルキラー』『サイコパス』。

己の犯罪に対する罪悪感なんて微塵も無し。殺人を繰り返し、その死体を細工する。そしてそれを写真に収める。個人で借りている業務用冷凍庫に死体を(雑に)保管する。

初めこそ『強迫性神経障害』で『潔癖症』である事を主張していたけれど。途中からはもう、ただただルーティンワークのごとく殺人を犯していたとしか思えなかったジャック。潔癖症エピソードもうやむや。

 

初めて殺人を犯すきっかけとなった第一の女(ユマ・サーマン)。

「危ねえええ。何でこんな言い方するんだ。こんなの殺されてもおかしくないよ。」

雪道。故障した車の持ち主の女。たまたま車で通りがかったジャックを捕まえて。近くにある金物工場まで送ってもらい、これまた壊れていた、修理に使うジャッキを修理してもらう。(何故車そのものを治せる所に行かないんだ。いくら1970年代とは言え、自動車修理が出来る店があるでしょうが…という当方のツッコミ)けれど。結局上手くいかず。右往左往。

ぶっきらぼうではあるけれど。あくまで親切だったジャックに対し、礼を言うどころか「いかにも殺人犯が乗りそうな車ね。」「もしあなたが犯罪者だったら~。」としつこく絡んでくる女。鬱陶しい。

「ジャックはただドライブをしていたのか?用事とか無かったの?」と疑いたくなる位、長時間その女に振り回され。やれ工場まで送れだの、引き返せだの、もう一回どこかまで送れだの。図々しい。しかもその態度は限りなく不快。

「殺されて良い人間なんて居ない。けれどこいつは腹立たしい。当方なら…殺しはしないけれど、うっかり殴ってしまいそうだ。」(多分…この女を置き去りにするな。そして離れた場所から修理業者に連絡する。)

案の定、殺害。

 

それをきっかけに。見知らぬ独居女性宅に押しかけ強盗よろしく侵入。殺害。後はもう手当たり次第。

 

「カンヌで100人以上が席を立った…やっぱりあの子供の所なんかなあ。」

「決して弱い相手を狙っていた訳じゃない」ジャックはそんな戯言を言ってましたが。大体のターゲットは結局女性。その中でも「これはあかん。」と思わせた『二人の子供を持つ母親』。

休日のピクニック。幼い子供に猟銃の扱いを教えるジャック。「良い再婚相手になるわ」と言わんばかりの表情を浮かべた母親が映し出された…次には、子供を猟銃で撃つジャック。しかもその死体を細工。何だかもう笑うに笑えない…悪趣味すぎて。

 

かつての恋人(巨乳)の切り取った乳、その皮で作った小銭入れ…という代物には乾いた笑いが出ましたけれど。

 

個人的には、『幼少期のジャック少年が、小鳥の足を剪定鋏でパチンと切ってから、水面に小鳥を投げつけたシーン』が生理的に受け付けなかった…もし当方が席を立つとしたらそこだったと思いましたが。

 

冒頭。12年間散々殺人を重ねてきたジャックが、暗闇の中で突如出会った、謎の人物バージ(ブルーノ・ガンツ)。自身の事を話せというバージに、これまで重ねてきた犯罪を語るジャック。という呈で物語は進行。

バージはアートだ哲学だ逸話だとジャックの行動に意味合いを付けようとしている風にも取れましたが…正直観ている側からしたら何の共感も得られず。だって、ジャック全然悪びれていないから。一連の行為に主義主張なんて無い。ただただ己の生理的欲求に素直に従っていただけ。

 

マザー・グースにも詩にも詳しくないので。

この話が『ジャックが経てた家』というマザー・グースの歌になぞらえているとか(積み立て歌。一つの出来事があって、次にこういう事が起きて、と膨らんでいく歌だと。…この元々の歌自体も気持ち悪い印象)。

バージ=『神曲』のウェルギリウス(罪人を地獄へ誘っていく人物)であるとか。何だかもう…ああそうでしたかとしか言えない当方。

「だって。だってそうやってインテリぶって作っている割に、結局エピソード同士の繋がりとか、決着の付け方とかが雑やねんもん。」「結局ジャックの建てた家ってやつもさあ。」「あんた、アートアートっていうけれど。アートって何だね。(北の国から菅原文太風)。」

 

「考えるな!感じろ!」「トリアー監督作品に緻密さとか野暮な事を言うんじゃない。」そうなんですけれど。

「だけど 気になる(マーマレード・ボーイの主題歌)」何だかんだ毎回文句を言いながらも結局観てしまう所からも…トリアー監督作品嫌いじゃないんですけれど(今回も公開初日鑑賞)。

 

もごもごと歯切れが悪い当方。「この作品を嫌い…では無い。勿論好きでもない。ただ…何だか観終わった後清々しい気持ちになった。何故だ…。」

 

おそらく。これまで何度も犯してきた犯罪を、一点の曇りもなく語りきったジャックへの観ている側が感じていたフラストレーションと、そこにきっちり落とし前を付けたラスト。そして抜群にフィットした音楽で締めた。その面白さだったのかと。今現在、そう思う当方。

 

「ああもう気持ち悪い。」サイコホラー?いやいや、これは非常に悪趣味なコメディ映画。

下手したら当方のセンスが問われますので万人にはお薦めしませんが…広い心と忍耐力のある人には観て欲しい。そして苦笑いしながら語り合いたい。そんな作品。

 

じゃあ一緒に観に行きませんかと言われたら?当方は一度で充分です。