ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「12か月の未来図」

「12か月の未来図」観ました。
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フランス。伝統ある名門高校で国語の教鞭を取るベテラン教師フランソワ。

生真面目で堅物。皮肉っぽい口調から、生徒たちにとってはとっつきにくい雰囲気のエリート教師。

そんな彼が、知り合った女性にふと語ってしまった『フランスの学力低下問題について』。

「パリ郊外はレベルが低い。学習困難地域にこそ、ベテランの教員を送るべきだ。」まさかその相手が教育関係者とは露知らず。その発言が注目され。フランソワは一年間、パリ郊外にある中学校に赴任する羽目になった。そこに居たのは移民・貧困・学力低下などの問題を抱えた子供達。

 

「エリート教師が学習困難地域の子供達と過ごす一年…。問題児だらけの崩壊寸前なクラス。始めはギクシャクとした関係だったけれど。いくつかの事件を経て、互いに築き上げられていく信頼関係。「そうか。彼はこんな顔をして笑うんだな。」「苦しい時はきちんと言うんだぞ。」そうやって穏やかで弛緩した日々がやっと訪れたと思ったら…まさかの大事件がクラスの皆を襲う!けれど一致団結し窮地を脱出。最後には纏まって終焉を迎える…そして贈る言葉!」

「どこの金八先生だよ!」そんな盤石のストーリーをどうしても脳内で描いてしまって。公開から暫く二の足を踏んでしまっていましたが。

 

「いやいや。これは胸が熱い。」「正直何となく観たけれど。もうけものだった。観て絶対に損はしない。凄く心に残っている。」先に作品を鑑賞した人たちの、軒並み称賛の声。声。堪らなく気になって。

 

「ああ。これは本当に良い作品に出会えた。」鑑賞後シンプルにそう思えた映画。

 

正直、お話の流れとしてはほぼ先述した『脳内金八先生ストーリー』ではあるんですが。

 

フランソワの人間性が…何と言うか嘘が無かった。父親は大作家で裕福な家庭育ち。かつて自身もこのエリート学校で学び、現在はそこで教鞭を取る。

父親やスノッブな相手に語る口癖は「ここは伝統校だが、昔と比べて学力も生徒の質もレベルがどんどん下がっている。」けれど。

フランソワはただの嫌味な国語教師では無かった。

 

ただの上流階級の視野狭窄エリートなら、今ここで相手にしている高校生を見て「その前の段階の子供が変われば~。」とか思うもんなんですかね?

まあ。だとしてもフランソワが語った『学習困難云々の持論』の意味は元々は違ったんじゃないかと思った当方。

まさかそれが『スラム街と言っても過言では無いような地域に住む移民の子供達』と解釈されるなんて想像もしなかっただろう。当方の勝手な先入観ですが。

まあ。父親のパーティで知り合った女性に、何となくそういう話をしてしまった。その結果、自分自身が実践せざるを得なくなった。

断れなかった。もう…その時点でなんだかフランソワの可愛さ…が見えてくる。

 

元々は熱意を持った教師。子供が嫌いな訳じゃ無い。生真面目だけど、全く融通の利かない人間じゃない。けれど。

 

「ああ。フランソワは『できない子供の気持ち』が理解できないんやな…。」

 

突然の自分語り。当方は学生時代終始、すこぶる勉強のできなかった生徒だったんですが。

国語のみ人より少しましでしたが。後は軒並み駄目。特に算数~数学に関しては絶望的。高校時代の担任教師(数学教師)には終いには「まあ、お前の人生に数学は要らんのやろうから…。」とため息交じりに言われたくらいのていらく。でしたが。

「おい。お前次のテストでは頑張れよ。今回のテスト、2点やったやろ。」

冬。休憩時間。教室のストーブを皆と囲んで暖を取っていた当方に、通りすがりで突然そう話しかけてきた件の担任教師。凍り付く一同(ストーブの前なのにな)。へらへら笑いながらも内心泣きそうになった高校生自分の当方…を思い出した、フランソワのテスト答案の返却の仕方。(本当に傷付くんやぞああいうの)

 

パリ郊外の中学校でも。フランソワは始め自分の授業スタイルを変えなかった。教科書を読み、板書させ、問題を出し添削する。

伝統高校には、ある一定レベルを通過した生徒達が集まっている。教科書を理解出来ないのは生徒の努力が足りないから。(国語なんてセンスの有無で相当左右されると思うけれどな)だから出来ない生徒はこてんぱんにこき下ろす。

 

けれど。この中学校の子供達は違う。学力の差はバラバラ。しかも全体的に低い。何故なら子供達は『できない』に慣れてしまって、意欲を失ってしまっていたから。

 

「できない。分からない。」「ああまたできなかった。駄目だな。」「どうせまた分からない、できないよ。」「他の人は分かるんだろう。でも自分は何を言ってるのかも分からない。」「自分は駄目な奴だ。」

 

学習のみならず。移民問題。差別。貧困。生活面に於いても『成功体験』に乏しいと思われる子供達。学校が合わないのならば辞める。勉強なんかよりやらなければいけない事はあるんだ。

 

「ならば。貧しい者は学ばなくてもいいのか。そもそも勉強とはなんだ。」

 

散々『否成功体験』を重ねて学習意欲を失っている今目の前に居る子供達にとって、一体何が適切な教材なのか。

国語教師。学年に沿って習得せよという指導要綱は存在する。けれど、それは今手にしている教科書からは学べない。名作から一部切り取った文章から意味合いや文法を学ぶ授業はここの子供達には適していない。

子供達が興味を持てるもの。これまでどんな文章も読んだ事がなかったのに。一体どうなっていくのかワクワクして。そうやってもどかしくページをめくる。本来国語とは先人達が残した文章から学ぶ教科だ。

本だ。本が持つ楽しさを教える。それが自分が選んだ仕事だ。

 

治安の良い場所で何の心配もない経済状況で育った。水準の高い教育を受け、吸収した。それだって何も悪くない。けれどそれが当たり前だった。一方的だったフランソワの視点。

スラム街寸前の町に住む貧困層の子供達を前にした時。身構え、舐められない様に押さえつけた。「こいつも一緒だ。」そういう教師の態度に慣れきっていた子供達は初め、フランソワに心を開かなかった。けれど。

 

フランソワが『ここの子供達がどういう状況に置かれているのか。』を理解した時。子供達の表情とクラスの雰囲気が明らかに変わった。そして『興味が持てる授業』が始まった。

 

(もう一つ自分語り。高校の国語で習った『こころ/夏目漱石』。あれ、教科書では下の一部しか掲載されていないんですが。当方の通った高校の教師は下の部分全てを印刷しそれで授業をしていました。元々の原作を直ぐ様全て読みましたが。あの授業は本当に楽しかった。)

 

そもそもは熱意を持った教師。子供が嫌いな訳じゃ無い。生真面目だけど、全く融通の利かない人間じゃない。彼もまた、人付き合いに於いて不器用故にとっつきにくいと決めつけられやすいだけで。茶目っ気もある。ちょっと惚れっぽい。人間味が…嘘じゃない。

 

同僚教師たちとの関わりも興味深い。「あいつらの半分はクズだ。」と言い放つ数学教師。何度も心を折られながらも、何とか子供達との関わり方を模索する若い女性教師。彼女の相談に乗るにつれ、段々良い感じになっていくフランソワが…憎めくて。

 

「フランスって遠足でヴェルサイユ宮殿とか行くの!」という眼福もありましたが。

そこでまさかの大事件。「何してんだお前!」からの「問題を起こした子供は辞めさせればいいんですか!」と必死に奔走したフランソワに胸が熱くなり。(また良いシーンで過剰な盛り上げ音楽なんかを使わなかったのも好感が持てる。)

 

最後のシーン。「そうか。一年が経ったんだな。」そう思いながら。「これから必死に勉強する。」あの子供が語った目的が余りにも素晴らしくて胸が熱くなった当方。

「きっとその過程で沢山得る事がある。楽しくなるぞ。」

かけがえのない人と出会った。そう子供が思ってくれたなんて。何て教師冥利に尽きるんやろう。

 

確かに盤石のストーリー。けれど決して飛躍しない丁寧な作り。しっかりと問題を定義し一応の解釈を見せる。とは言えお堅い雰囲気は一切無くて。カッコよくいかない、何だかコミカルな部分もある。それは何だか…フランソワの人間性そのもの。嘘が無い。

 

「ああ。これは本当に良い作品に出会えた。」シンプルにそう思えた映画。胸が満ち足りた気分で一杯。先人達に続き諸手を挙げての称賛です。