ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ブラック・クランズマン」

「ブラック・クランズマン」観ました。
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アメリカ。同名実話小説の映画化。スパイク・リー監督作品。

 

1979年。アメリコロラド州。黒人初の警察官として採用されたロン(ジョン・デヴィット・ワシントン)。希望を胸に飛び込んだ仕事。しかし配属された資料課では黒人であることから、同僚達より不当な扱いを散々受ける。腐るロン。

上司に掛け合い、潜入捜査課に異動になったロンは、新聞広告欄に白人至上主義:KKKクー・クラックス・クラン)の会員募集広告を見つける。

思い付きでKKKに電話。そこで白人に成りすまし、黒人差別発言を連発。組織に気に入られたロンはKKK加入にこぎつけるが、黒人である彼は組織に出向く事は出来ない。

そこで、『電話で白人のフリをしている黒人の代わりに白人としてKKKに会う要員』として同僚のフィリップが抜擢。

電話ではロン。実際に会うのはフィリップ。かくして二人の潜入捜査が始まった。

 

スパイク・リー監督の怒り、現在のアメリカに対する警鐘、叫び。それらが迸る、非常に力強い作品。

 

この作品の根底にあるテーマは『差別』。(あくまでも私見です。合っていると思いますが。)

非常に繊細で、万人が納得する答えの出ない問題に、きちんと向き合った。監督の姿勢を見せた。そう思った当方。

 

1979年当時のアメリカ。たった40年前。奴隷制度なんてとっくに廃止されている。人類皆兄弟。人の上に人を作らず。人の下にも人を作らない…そんな時代のはずなのに…。白人と黒人の間の溝は埋まらず。「アメリカは終わった。」「何故猿と一緒に居ないといけない?野蛮な下等と。」「あいつらを追い出して。白人の、白人による、白人の為のアメリカを取り戻して。」そういう思考を持つ白人たちと、「俺たちは虐げられた。」「あいつらは血も涙もない豚だ。」「俺たちに人権は無かった。そして今も無いのと同じ。」「立ち上がれ。俺たちは白人と戦うべきだ。」そう決意を固めていく黒人たち。

 

「何故肌の色でそんなに…元々のルーツに依る思想の違いだって、まずは話をしたらええやん。それで合わないんやったらそこで初めて離れたらええんとちゃうの?あくまでも人間は中身やろう。」

そう思ってしまう当方は恐らく甘ちゃんで世間知らず。「お前に何が分かるのか!多民族国家出身じゃない癖に!」(厳密に言えばもう他民族じゃない国なんて存在しませんが)もしそう言われたら、黙ってすごすごと踵を返すしかありません。ですが。

本当に、当方の基本理念はこの通り。「一個人と対峙する時。特に初対面に於いて見た目でフィルターを掛けるな。個人を形成する背景が数多ある中で、最も分かり易くて本人が変えられない部分で判断するな。」

まあ。当方も人の子なんで。初対面から「な~んか嫌やな~この人」と思う事は往々にしてありますが。

 

話がズレたので戻しますが。

「立ち上がれ!白人との戦争は目の前だ!」「ブラック・パワー!」そう言って集う黒人大学生達の決起集会に、潜入課の指令で参加したロン。けれどそこで活動家クワメ・トゥーレ(コリー・ホーキンズ)のスピーチ(圧巻)を聞いて感銘を受け、思わず一緒にシュプレヒコールを上げるロン。会の主催者パトリスとも親交を深め。

 

つまり、地元警察としては「危ない事をするんじゃ無いだろうな~」と黒人活動グループをマークしていた。その潜入に黒人であるロンはうってつけ。そう思っていたけれど。

KKKが出していた新聞広告をロンが見つけたのがきっかけで。同時に白人至上主義団体までマークしなければいけなくなった。ロンがそのトリガーを押したけれど、彼には潜入出来ない。なのでフィリップに白羽の矢が立った。

 

どちらかと言うとKKKの滑稽さが細かく描かれているけれど。この黒人活動集団も「やられたからやり返せ!」がスローガン。どちらも自分のテリトリーにしか目がいってない様に見える。そして憎むべき相手はいつまで経っても変わっていない、話す必要なんて無い。だってあいつらはああいう奴だから。の聞き耳持たないスタンス。

 

(ばっさりネタバレします)

この作品に於いて、重要だったのが『フィリップ=ユダヤ人』設定。

 

肌の色は白く、ユダヤ人だなんて自己申告でもしない限り思われない。普段の生活にも支障はない。けれど。KKKに潜入するならば絶対にばれてはいけない。『白人至上主義』は黒人排除だけではない。ユダヤ人も(そして恐らくアジア人だって)含まれる。

 

「おれはアメリカ人だ。」「普段ユダヤ人だという事を意識した事は無かった。」けれど。KKKに潜入し、相棒であるロンの誇りある姿に次第に自己のアイデンティティを見つめていくフィリップ。「俺はユダヤ人だけれど、伝統や儀式など何も知らない。」「少しは興味を持つべきだったな。」

 

電話越しで調子のよい事ばかり言うロン。(本当に…声も喋り方も全然違うのによくKKKは別人だと思わないもんだと。頭の回転も違うし。実際に接触しているフィリップのスペックが高い(=銃さばきとか)からですか?総合して優秀な人材だと?)

KKKのトップ、デ-ヴィット・デュークの目にも止まり、気に入られ。一気に幹部候補生までのし上がる。そしてロンの洗礼の日が最終決戦。

 

流石にこれ以上細かくネタバレはしませんが。この、KKKの馬鹿げたどんちゃん騒ぎと、同時に描かれた黒人集会。会合の内容については全く方向性は違いましたが…やはり当方にはどちらも『自分たちの於かれた場所を確認して、相手を貶める会』にしか見えず。(黒人男性のエピソードは大変痛ましかったですが。)

けれど、一方が一方を攻撃開始した所でやっと、二人の『警官として』の任務が遂行される。

 

スパイク・リー監督が伝えたかった事。それはあやふやにせず、最後にしっかり映し出されますので。「これは過去の出来事では無い。」「現在進行形だ。」というメッセージはしっかりと受け止めた当方。

(ですが、正直、作品の余韻も雰囲気もごっそり持って行くこの演出について当方は否定的です。)

 

黒人は虐げられた?白人は非道?そういう単純なフォーマットの話ではない。「かつてそういう時代があった。それは決して互いに忘れてはいけない。けれどそこで思考停止して相手を否定し続け、受け入れないでいること=相手を差別していることになる。」「何のための他民族国家だ。此処は俺たち皆のアメリカじゃないか。互いに対立しあっている場合か。」

 

そういう話であったと。そしてそれをスパイク・リー監督が撮ったということ。そしてこんなに込み入った重たい内容を、あくまでもエンターテイメントとして作り上げたこと。全てひっくるめて、これは凄いものを観たなと。打たれている当方です。