ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ROMA/ローマ」

「ROMA/ローマ」観ました。
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『ゼロ・グラヴィティ』等。メキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン監督作品。

2019年度米アカデミー賞にて注目、話題となったNetflix公開作品。

 

「う~ん。どうする?入る?Netflix…でも普段殆どテレビを見なくなった当方としたら、月額おいくらか知らないけれど勿体ないとしか言えないし…。」

(今しがた調べてみたら、Netflixの月額プランは幾つかあって。でも正味1000~1500円台位なんですね。沢山番組を見るのならばお得。)

まあいつかはどこかの映画館が上映してくれるかな。そう思っていた矢先。「イオンシネマにて上映決定。」これは!と、公開初日の朝っぱらから近くのイオンシネマまで行ってきました。

当方の住む田園都市(田舎)から当該イオンモールまで、自転車でも電車・バスを乗り継いでも同じく30~40分。万が一間に合わなかったなんて失敗を避ける為、交通機関利用を選択。まあまあ満員なバスに揺られながら「どうしようこれが皆『ROMA/ローマ』目当ての客やったら。」とヤキモキしましたが。

イオンモール到着。バスから我先に降りる人たちが、流れるように吸い込まれていった『職員用出入口』。

「そうやな。まだ開店前やもんな。」呟いて。のんびり歩いてイオンシネマに到着。チケット買って座席に着いてみたら。「観客20人も居ない…。」

土曜日の朝9時台、郊外にある(車が無かったら不便な)ショッピングモールに入っている映画館。客の入りはこんなものなのかもしれませんが。

「あんなに『Netflixじゃなくて映画館で観たい!』と言ってた人たちは一体何処に居るんだ??結局はNetflixで観ているって事?」疑問で一杯になった当方。

 

…という所で。当方の『ROMA/ローマ』公開初日初回レポートは終了にしたいと思いますが。

 

「映像作品を楽しむ手段は数多あるし、選択できる時代が来ている事は間違いない。けれど…当方はこの作品を映画館で観られて良かった。出会いが映画館で良かった。」

 

1970年代のメキシコ。首都メキシコ・シティ近郊の町、コロニァ・ローマが舞台。

そこに住む、白人の中産階級の家族と先住民の使用人。彼らの一年を描いた作品。

医師のアントニオと妻ソフィア。祖母と子供達4人の計7人家族と、家族に使える使用人二人。そのうちの一人、クレアの視点がメイン。

 

「これ。あれですわ。『三丁目の夕日』(西岸良平原作)。」

ALWAYSの方じゃなくて。当方が子供の頃、テレビで放送していたアニメのやつ。独特な造形キャラクター達が織りなす小話。いい話もあれば、切なく終わる話、ズンとする話もあった。時系列はバラバラ。キャラクターに可愛さや格好よさも無かったし、子供受けするアニメでは無くて…結構すぐに終わってしまった。けれどもし今の当方が見たら、絶対号泣する。そんな作品。

「このアニメに共通するテーマ。それはノスタルジア。」(あくまで私見です)

 

子供の頃。夕日が見えたら、何だかお腹がムズムズして、叫びそうになった。それは「今日が終わる」という焦り。何故そう思っていたのか。歳を重ねた当方にはもう思い出せないけれど。

 

話が脱線しまくっていますが。この『ROMA/ローマ』を観ていて感じたのも、そういうノスタルジア。しかも何故か…当方はあの一番小さな子供が気になって。(あくまで私見です)「あの末っ子こそがキュアロン監督だろう。」

 

キュアロン監督が「これは私的な作品だ。」どこかしら自身の記憶に基づいていると語っていたのを読みました。同じように、自宅に自分を育ててくれた使用人が居たと。

 

小さな少年だった監督が。大人になって、そして円熟していく過程で。「こういう風景があった。」「それはこういう事だったんじゃないか。」と視点を変え、膨らませていった。そうやって生まれた作品なんじゃないか。そう思った当方。(あくまで私見です)

 

家族と使用人の物語。まったりと進行しますので。正直中盤まではぼんやりしてしまった瞬間もありましたが。

医師であるアントニオが単身赴任。けれどどうやらそれは嘘で。浮気の予感に気分が荒むソフィア。使用人仲間に紹介されて、初めて恋人が出来た。浮かれるけれど、妊娠を告げた途端、関係を絶たれてしまったクレア。

初めに提示された人間関係。家族構成。それらがうねり、揉まれて。もみくちゃになった挙句…新しく生まれ変わる。

 

物語の幕開け。画面いっぱいに映しだされた、水の映像。それはチョロチョロと地面を伝い。地面を水掃除するためのものだと分かる。そうやって穏やかに始まった水の登場。けれどそれは次第に窓を打つ雨となり、最後には子供達とクレアを飲み込まんばかりの荒波へと変化する。

光もそう。洗濯をするクレアの周りを子供達が遊ぶシーンなんかはまぶしい程に白いトーンなのに。怒涛の展開を見せていく病院でのシーンなんかは黒が多い。

「何故モノクロ作品なんだ。」「これがカラーだったら。」当方は専門家ではなく、平凡なイチ観客なんで。偉そうな解釈は出来ませんが。

「恐らく…カラーだったら陳腐になってしまうんじゃないかと。敢えてモノクロにすることで、心理描写がトーンで表せる。却って光を感じられる。音が生きてくる。目に見えるものの情報をシンプルにすることで、脳内にある己の記憶も引き出されて…懐かしいと感じるのではないか。」

 

「男ってアホな生き物よのう!」

豪勢な車に乗って。ウンコを踏みながらギリギリ収まるように駐車するアントニオ。なのに、彼が不在の時、代わりにソフィアが運転し、盛大にぶつけてボロボロにする。「あんな車、要らないわ。」

「なんだあの棒野郎!」クレアの彼氏。何一つ良い所なんて見つけられなかったアイツ。もう散々言われているでしょうが。「棒を振り回す前に、お前の棒をしまえ!」

(はっきりネタバレしますが。イオンシネマ、モザイク掛けませんでしたよ)

 

これはある中産家族と使用人を描いた作品。彼等の一年。それは始めこそゆっくりと。しかしその流れは加速し、怒涛の波が押し寄せ。そしてまた凪いでいく。

 

「映像作品を楽しむ手段は数多あるし、選択できる時代が来ている事は間違いない。けれど…当方はこの作品を映画館で観られて良かった。出会いが映画館で良かった。」(もし、手元で自力操作出来る環境でこの作品を観たら…正直ここまでぶっ通しで集中して観れなかった気がします。)

 

色んなご意見が存在する事は承知。けれど当方は大画面と音響設備のある映画館で。この作品の初見が出来た事を感謝しています。