ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ジュリアン」

「ジュリアン」観ました。
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「フランスでは三日に一人、女性がDV(配偶者や恋人など親密な関係にある、又はそういった関係であった者から受ける暴力)で亡くなっている。」

 

人権問題では、少なくとも日本よりは先進国である印象のフランス。けれどそういったDV問題はかの国でも後を絶たず。

この作品は、そんなDV問題をテーマにある家族の姿を描いた物語。

 

11歳のジュリアン。両親は離婚し、姉と一緒に母親ミリアムに引き取られた。けれど。離婚調停の結果、自分だけが両親の共同親権となってしまった。

「僕はあの男と一緒に居たくない」両親と各々の弁護士を前に、調停の席で提出したテープ音声もむなしく。あの男=父親アントワーヌと隔週終末を過ごさなければならなくなったジュリアン。

どんよりと沈んだ表情で、アントワーヌと週末を過ごすジュリアン。

アントワーヌは復縁したい一心でミリアムと会う手段を模索するが、ミリアムは頑なに会おうとはしない。次第にフラストレーションが募り、ジュリアンに対し暴力的になっていくアントワーヌ。

しかし、このアントワーヌの暴力こそが家族が崩壊した原因であり…。

ミリアムを守る為、自分たちの安心して暮らせる日々を守る為。必死で口を閉ざすジュリアン。けれど。

一触即発が弾けた時。家族は最悪の展開を迎える。

 

悲しいかな。暴力は常ににこの世に存在していて。

 

昼休憩で付けているテレビのニュースでもよく見る、「~ちゃんを殺害したのは父親の~容疑者。これは躾けだと供述しており…。」「共犯の母親は、自分も暴力を受けていて。怖くて何も言えなかったと…。」ああ嫌だ嫌だ。どうしてこんな事が起きてしまう。

誰の親でもない当方が何を知ったような、と言われればもう黙るしかありません。聞いた事のある、「思わず我が子を殴りそうになってしまいそうな時がある。」分からなくはない。当方も人様を殴った事はありませんが、他人に対して後ろから飛び蹴り食らわせたくなる程腹が立つ事は時々あります。やらないけれど。やらないけれど。

 

つまりはこの『やらないけれど』のハードルを超えない事が大切で。どんなに腹立たしい事があっても、暴力を振るった時点で非は完全にこちらに回ってしまう。あくまでも紳士的に、落ち着いて話合いをしなければ、物事は解決には向かわない。ひょっとしたら間違っているのはこちらなのかもしれないし。

『落ち着いて』と言うのも難しいけれど重要で。激高した状態に任せて放った言葉は大抵支離滅裂だし、その己のテンションでますます感情が高ぶってしまう。

加えて男性の恫喝した声も、女性のキイキイ張り上げる声もまた十分な暴力。そんな輩、相手にする気力も奪われてしまう。

「元々は他人なんやし。価値観が違うのは当たり前なんやから。そこで激高したり、自分の意見を力ずくで押し付けたり。そんな事を繰り返したら、そりゃあ貴方は独りぼっちになってしまうよ。」溜息を付く当方。(誰?何だこのキャラクター…。)

 

「分かっている!分かっているんだ!だから俺は変わったんだ!だから会って話がしたいんだ!」

 

かつて家族にDVを働いていた父親、アントワーヌ。離婚して家族は皆自分の元から離れて行った。けれど。俺が家族を愛していた事は間違いない。ただやり方が間違っていただけ。だから俺はやり方を変える。俺がそう思えるなんて。ほら、俺は変わった。

会いたい。会って話をしたら。そうしたら分かってくれる。だって俺たちは家族じゃないか。

 

悲しいかな。その家族がもう終了してしまった事、しかもその原因はアントワーヌ自身だという事。アントワーヌ不在の新しい家族の形態に皆進んでいて、誰も復活を望んでいない事。子供達に「顔も見たくない」と思われている事。それら現実を全く直視出来ていない。その痛ましさ。

 

この作品はタイトル通り、11歳の長男ジュリアンが主人公で彼の視点で描かれた世界。

完全に『家族と繋がる為のダシ』に使われ。変わった変わったと言いながらも結局は何ら変わって等いないアントワーヌ。両親が離婚し、恐怖から開放されたはずなのに、自分だけがまた暴力に怯えて過ごす事になった。確かに彼は不憫。

 

「お母さん。夫が怖い、けれど会ったら許してしまいそうで、押し切られそうで。だから合わないようにしているのは分かるけれど。ジュリアンの為を思ったらもうちょっと貴方動いてもええんちゃうの?」

 

フランスのDVに対する、行政の方針や保護団体の有無。全く存じ上げませんが…人権問題で先進国なんじゃなかったっけ?こういうDV 被害者を守る制度無いの?

最後「うわ。」という最悪の展開。あそこまでいく前に。どこかに相談窓口無いの?

自宅を『警察官立ち寄り所』ってやつに出来ないの?

お母さん…言いたくないけれど…貴方は立ち上がって家族を守らないといけないんじゃないの?

 

「そして。フランスにはアントワーヌをフォローする手立ては無いのか?」

 

終始ヒリヒリした状態といたたまれなさに包まれるこの作品の中で。当方が特に痛ましいと思ったのは『DV加害者のアントワーヌ』。

自分が悪かったと思っている。変わりたい。けれど。そう伝えたい相手の心はすっかり冷えていて。でも信じたくない。だってかつては誰よりも心が通じていた。話せばわかるはず。

諦められない。けれど皮肉にもその気持ちが、結局消えていない暴力性に加速を付けてしまう。

 

「家族が離れていって。実の両親からも見放されたアントワーヌは一体これからどうなるんやろう…。」彼こそ専門家の長期カウンセリングが必要やと思うのにな。溜息。

 

後…余談ですがどうしても。お姉ちゃんの描写。中途半端過ぎた。

 

最後。ああいう幕引きの仕方は「やっと外部に開かれた扉=家族という閉鎖空間で起きていた事が明るみになった」というメッセージだと勝手ながら感じましたが。

 

あの家族各々の立ち位置から上がる悲鳴。一体誰にどういう手助けが必要で、どうすれは家族皆が幸せになれる?平和な気持ちで過ごせる?

 

「それはやっぱり行政や保護団体、カウンセリングの介入なんちゃうかなあ。」やっと外に開かれた、ボロボロになったあの家族の姿。「これで終わった。」そうは思わない。

扉越しにあの家族を見た当方には、その選択しか考えられないです。