ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「シシリアン・ゴースト・ストーリー」

シシリアン・ゴースト・ストーリー」観ました。
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1993年。イタリアで実際に起きた誘拐事件を基にした作品。

 

「ある日。13歳の少年ジュゼッペが失踪した。けれど何故か大人達は皆口をつぐみ、ジュゼッペを探そうとしない。」「一体ジュゼッペはどこに行ったのか。」

 

予告編もあまりきちんと観ていなくて。実際の事件も詳しくは知らない。けれど何となく気になって。本編を観に行ってきました。

 

「いやぁ~これ。何と言っていいのか…。」

実際に起きた事件の顛末を知った今、ひたすら胸が痛いしやるせない。とにかく被害者であるジュゼッペが不憫でいたたまれなくて。辛くなります。

 

実在した凶悪事件を基にした映画。最近では『ゲティ家の身代金』や少し前なら『冷たい熱帯魚』。更には『女子高生コンクリート殺人事件』なんかを当方は思い出すんですが。

 

死傷者の有無。その事件に関わった人達、特に被害者本人やその家族の痛み。それらを思うと手放しに「面白かった」云々とは、なかなか言いにくいという気持ちがあります。(その映画作品が、実際の事件に対してどういう切り口でどう見せるのかにも依るとは思いますが)…ありますが。

 

この作品が作られた意図。

監督のコメントを余す事無く読んだ!という訳では無いので。あくまでも当方の勝手な推測ですが。

「この事件を風化させてはいけない。そういったイタリア国民への警鐘であると同時に。これはおそらく…被害者であるジュゼッペへのメッセージ。」

 

そもそもたった13歳の少年が何故誘拐されたのか。その後2年以上も監禁されたのか。それはひとえに彼が『マフィアの子供だった』から。

 

ジュゼッペの父親が警察に仲間の情報提供をした。その事が新聞にも掲載された。父親の身柄は警察に保護され、組織は父親に手出しが出来ない。「アイツを黙らせろ!」

となると…危害が及ぶのは父親の家族。

 

誰にでも導き出せる『ジュゼッペ誘拐事件』の真相。けれど。大人たちは揃って口をつぐんだ。

 

「とは言え。現実では水面下ではマフィアと地元警察との攻防が…とかがあって欲しいけれど。でもこの作品は決して『見えない所で誰かが動いていた話』じゃなくて『見える所で皆がどういう動きをしたか』を描いた作品やった。」

 

13歳の少年ジュゼッペが突然失踪した。

ジュゼッペの父親はマフィアであり、現在組織と深刻なトラブルに陥っている。組織からしたら父親は裏切者。可哀想に。ジュゼッペは父親のせいで組織に囚われた。けれど仕方ない。ジュゼッペはマフィアの子供。いつこんな事があってもおかしくなかった。おっかない。ジュゼッペ自身は気立ての良い素直な少年だけれど。所詮マフィアの子供。関わりたくなかったし、関わらなくて正解だった。

ジュゼッペは殺されたのかな?生きちゃいないだろうな。可哀想に。一体ジュゼッペが何をしたっていうんだ。ただあの家に生まれたってだけでこんな目に合うなんて。

 

「ねえ。ジュゼッペは何処に行ったの?」

 

おそらく。街の皆が。下手したらジュゼッペの家族ですら、ジュゼッペの生死を決めつけ。諦めていたと推測する当方。けれど。その中で唯一諦めずにジュゼッペを求め続けた少女。

 

この作品はあくまでも『ジュゼッペの同級生、ルナ』の視点で描かれる。

現実世界ではこの少女は存在しなかったけれど。ルナをメインとすることで、実在したジュゼッペに対して「君を皆が見捨てた訳では無い」「君を愛し、求め、君と生きていたいと思った人が居た」というメッセージを送ったのだと。そういう作品だと思う当方。

 

13歳の少年少女。放課後、森で戯れる二人。誰にも見られない、邪魔されない。二人だけの時間。なのに。獰猛な野犬に追い回され。息もだえだえに逃げ回る二人。

気恥ずかしくて口には出せないけれど。互いに寄せる好意は最早確信。胸が高鳴って。初めて交わすキスは崩れそうな程幸せだった。

これからもずっと一緒。親は色々言うけれど。二人で居れば幸せ。そんな絶頂の日。ルナはジュゼッペを奪われた。野犬以上に獰猛な何者かに。

 

何故。何故皆ジュゼッペが居ない事をおかしいと思わないの。ジュゼッペに何かがあったと思わないの。どうして。ジュゼッペの存在そのものを無かった事にするの。

 

「ねえ。ジュゼッペは何処に行ったの?」

 

黙れ。もう止めてくれ。ルナは賢い子のはずよ。分かるだろう?そう言って皆ははぐらかす。けれど。ルナは絶対に納得しない。ジュゼッペは何処?私の恋人は。

 

多感な思春期。その中で絶頂を迎えていた恋心。それを突然奪われ。けれど子供であるルナには、ジュゼッペの具体的な捜索の手立ても、彼女を支える大人も居ない。

次第に精神の均衡を崩す中。けれど。果たしてルナが見るものは狂気なのか。

 

誘拐され。監禁状態。もう二度と出られないんだろうなと思い始めたジュゼッペの。誰にも見られたくない、ルナからの手紙。大切な恋人からの手紙。

 

互いを想う。そんな二人の魂は水を介して触れ合う。その気持ちが交差する世界は夢かうつつか。

 

何だかとてもポエミーな文章になってきてふわふわしてきましたので。そろそろ強引に着地しますが。

 

兎に角終始美しい作品。けれどそこには常に哀しみと苦しさが付きまとう。凶悪な事件を挟んだ少年少女の狂気。互いを求めて。けれど自由は得られなくて。絶望しか無い。

 

最後。『実際ジュゼッペはどうなったのか』が字幕で流れた時。心の中をズンと冷えたものが突き抜けて。溜息が止まらなかった当方。

 

そこから流れたルナの表情。そして海辺のシーンに。

「これは救いなのか。はたまた夢か。」

前者であって欲しい。それがジュゼッペの、最後にルナを水の夢から押し出した結果。そいう解釈だ。そう思うのに。

未だ定まらない当方です。