映画部活動報告「メアリーの総て」
「メアリーの総て」観ました。
1818年に発表された英国ゴシック文学『フランケンシュタイン』。
200年を経てなお愛される、哀しき怪物を産み出したのは18歳の女性だった。
『フランケンシュタイン』の作者、メアリー・シェリー。彼女の人生の内、少女時代から激動の恋、別れ。そして名作が産まれるまで。
メアリー役をエル・ファニング。『少女は自転車にのって』のハイファ・アル=マンスール監督が描いた。
「何だかんだ言って、当方はエル・ファニングが好きなんですわ。」
フランケンシュタインの原作…何となく知ってはいるけれど未読。ましてや作者が女性、しかも18歳の若さ。この作品を観るまで全く知りませんでした。
兎に角エル・ファニングが観たい。定期的に彼女を愛でて血中濃度を一定にしておきたい。(我ながら気持ち悪い言い回し)そう思って、ふらっと観に行った塩梅でしたが。
「ううう~ん。流れをなぞり過ぎてのっぺりとした作品になっちゃってるなあ~。」
サウジアラビア出身のハイファ監督。前作の『少女は自転車にのって』はサウジアラビア女性の立場や苦悩、そして希望の持てるラストと非常に考えさせられ唸った、印象的な作品でした。
映画作品を語るとき、余り監督の性別「男だから」「女だから」は考えたくないと思っているふしが当方にはあるのですが…それでもやっぱりこの見解を持たざるを得ない。
「メアリー・シェリーの人生を女性視点(一人称)で描こうとした作品。」
けれど。ハイファ監督らしさ、みたいなモノとこの題材がバシッと嵌まらなかった…そんな印象。
この作品を観るまでメアリー・シェリーという女性を知らなかった当方が偉そうに言うのはあれですが…メアリーが幾多の試練に耐えに耐え、男なんてあてにならないという決断に至り。そしてこの作品は産まれた。という浪花節と、ハイファ監督が持つ、困難な状態にある女性が打ちのめされながらも希望を探すという作風が…似ている様で微妙に被らない。
「第三者視点ではどう見えるんだ、これは。」訝しく呟く当方。
メアリー。どちらも作家の両親の元に産まれ。しかし母親は産後の調子が良くなく他界。そもそも父親には家族があり、両親は不倫状態であった。しかし私生児にしない様、メアリーは父親の家庭に組み込まれた。
本屋を営む実家。父親と継母妹弟と貧しいながらも暮らす日々。家族の中で浮いているメアリーの憩いの場は、母親が眠る墓地。
そこで一人、怪奇小説を読み耽り、文章をしたためていた少女時代。
義母との折り合いが悪く、父親の知り合いの所で過ごした日々。そこで出会った詩人のパーシー・シェリー。
又も家族の元に戻った後、再会したパーシーとの燃え上がる恋。けれど彼は妻帯者で。
それでも互いへの気持ちが止められなかった二人は駆け落ち。そして授かった子供。
幸せな日々もつかの間。失ってしまった命。
失意と絶望の中。メアリーの中で息ずいていった物語ー。
拙い文章をつらつら書きましたが。まあこの通りの流れを121分に渡って追っていくんですよ。緩急無く淡々と。
「可憐で聡明なメアリーは…」みたいな文言、トレイラーやチラシでも散々観ましたが…当方は『早熟な女の子』という印象。(そりゃあエル・ファニングなんやから可憐ではありますよ)
19世紀というご時勢とはいえ。16、17の女の子が妻帯者と恋に落ちて(またパーシーも若い!)駆け落ち。妊娠、出産、死別を経て18歳て。人生早回し過ぎる。
大体、本屋の実家。義母の事イケずなおばちゃん扱いしてましたがね。そりゃあ自分の産んだ子供よりずっと美しい娘が居て、しかもそいつは自分には全く懐かなくて、屁理屈ばっかり言って、挙句店番も手伝いもせずに外をほっつき回っていたら…そりゃあ嫌味も言いたくなりますよ。働かざる者食うべからずやのに。衣食住を確保してやっているだけでも上等やないかと。で案の定、夫の弟子と駆け落ちって。
また、メアリーと人生を歩んで行く事になるパーシーのあかんたれ感。
人と人が恋に落ちる。それはどうしようも無い事なんやろうけれど…既婚者である事を隠し、そしてバレたらバレたで開き直り。周りから否定されれば燃え上がって駆け落ち。結果家族から絶縁された。そうすると一転、借金まみれ。よく分からない事で一山当ててはまた転落。借金取りに追われ、落ちぶれて酒をあおって。大体、二人の子供が死んだのも豪雨の中借金取りから逃げたからですからね。なにそれ。
「駄目駄目!何でメアリーこの男が好きなん?」絶叫するおばちゃん当方。「はよ別れてまい!こんな男とずるずる居ったら腐ってまうで!」
本当にねえ~。パーシー&メアリーカップル、全然感情移入出来ないんですよ。
駆け落ちする時に付いてきた、メアリーの妹のつてで詩人のバイロン卿の屋敷に転がり込む二人。またこのバイロン卿という人物が気持ち悪い。
バイセクシャルで手癖が悪い。そしてエキセントリック。そういう人物像なんでしょうけれど。何だか悪意すら感じる、生理的に無理な気持ち悪さ。
その屋敷で行われた『ディオダディ荘の怪奇談義』。後に『フランケンシュタイン』『吸血鬼』を産み出すきっかけとなったそれ。そういうのをしっかり深めたら良いのに。そこもフラットに流れてしまう。
バイロン卿の屋敷から出て。怒涛の創作意欲に憑かれたメアリーが一気に執筆した『フランケンシュタイン』。なのに。「女性で、しかも若い女性が書く作風じゃない。」「これは貴方が書いたんですか?(パーシーじゃなくて?)。」と門前払いを食らい、憤るメアリー。結局匿名扱いでの出版。
「これこそハイファ監督が得意とする視点じゃないか!」と思うのに…これもまた何となく「でも世に出したらヒットしたから。」「第二版からはメアリーの名前が付きました。」でおざなりに収束。おいおいおい。置いてきぼりを食らってぽかんとする当方。
そしてパーシー。最終一体何が彼をそうさせたのかさっぱり分からないけれど、一言で要約すると「今までごめんね」で済ませ。そしてそれを受け入れるメアリー。
分からん。恋愛の機微が理解出来ない当方にはこの二人の神経は全く分からん。(後半、メアリーのパーシーに対する感情は…史実と違っても、盛ってでも何かしら描くべきやったと思う当方)
「ああもう全然しっくりしない!不完全燃焼過ぎる!」
一人の女性、しかも実在した人物の半生を描くにあたって。チョイスするエピソード満載だったんでしょうけれど。結局それらを強弱付けずに並べてしまっては…最早フラストレーションすら感じてしまう。
「ただ。エル・ファニング血中濃度を上げるという目的では達成したと言える。何しろ彼女出ずっぱりやからな。」
エル・ファニングの美しさ。美術や衣装、絵面の綺麗さは 確かに目の保養になった。という事は。
「これはあれですわ。『オサレなバーで無音で流れていたら気持ち良い映像作品。」
ところで。最後テロップで語られた、メアリーに纏わる男性陣の余りの短命さに「‼」と震えた当方。