ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「運命は踊る」

運命は踊る」観ました。
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イスラエル

どう見ても富裕層。ミハエル・ダフナ夫妻にある日もたらされた訃報。それは軍人である息子、ヨナタンの死。

妻ダフナは失神。気丈に振舞おうと必死ながらも、動揺が隠せない夫ミハエル。

ヨナタンの死体にも会えぬまま。着々と機械的に進む、ヨナタンのお別れの儀式への段取り。苛立ちと不信感が募るミハエル。そんな時。改めて軍の役人が夫婦の元へやって来る。

「戦死したのは同名兵士でした。息子さんは生きています。」

 

『人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う。』~ラ・フォンティーヌ。

 

この掴みは予告編で観ていた当方。息子の戦死が誤報?そこからどう話が転ぶのか。

そう思って。何となく観に行った作品でしたが。

 

「三部構成の。三部はもう…何故だか涙が出て。何やろう。当方の心のやらかい所を締め付け続けたとしか。」タオルで顔を抑えた当方。

 

第一部。ほぼ父ミハエルのアップで語られる。舞台はミハエルとダフナが住む家。

唐突にもたらされた、息子の死。硬質な役人が不意に現れそれを告げた。

全く受け入れられない。ピンと来ない。だってそんな言葉一つで。せめて何か見せろ。息子の死体は?息子が生きた証は?なのに何故皆すんなり受け入れる?

玄関を開けたらそこに役人が立っていた。それだけで全てを察した妻。どうして?

連絡をしたら飛んできてくれた兄。有難いけれど…何故そんなにテキパキとやるべきことをこなしてくれる?役人たちは何故葬儀の段取りに慣れている?

精神的に不安定な母親ですら。ヨナタンの死を理解した。何故?まだ俺の頭には落ちてきていないのに。

どうして皆ヨナタンの死を理解できる?受け入れられる?そして事務的にコトを進められる?俺は。俺は一体どのタイミングで誰と泣けばいい?

そんな時。訃報を告げた時と同じ面持ちで現れた役人。彼等の言葉。「人違いでした。」

ふざけるなと暴れるミハエルと、覚醒し喜びを露わにするダフナ。激高した後「ヨマタンを今すぐ返せ。」と役人達に要求するミハエル。そこで第一部終了。

 

第二部。とある検問所に駐在するヨナタンと。一緒に過ごす若き仲間達の様子が描かれる。

 

第一部はほぼ予告編で観ていた内容でしたし、第二部がヨナタン編だというのも想像の範疇。『非戦闘地域の検問所に配置されたヨナタン』そのまったりしたようで非日常の世界。

だだっ広い荒野にポツンと置かれた検問所。その脇にある、傾いたコンテナで寝泊まりする数名の兵士達。テクテク歩くラクダに遮断棒を上げ通してあげて。

時には人も通過する。彼らが提示する身分証明書と、実際の風貌が一致するのか。それをじっくり判断してから通行許可を出す。この作業には時間が掛かる。だから時にはお金持ちのご婦人に雨に打たれながら待ってもらわなければいけない。

 

「俺たちは一体何と戦っているんだろう?」

 

非戦闘地域。こんな僻地で。兵士とは名ばかりの仕事。誰を誰から守っている?何の為に?

ホロコーストを生き延びた祖母の。父親の。自分に繋がる話。

そんな話を仲間に思わず語った夜。けれど。

 

雨の夜。皆が苛立ち。疲れていた。そんな時にやって来た、一台の車。そして取り返しのつかない出来事。

こんな僻地で。ここは非戦闘地域だと。何も起きないはずだと。そう思っていたのに。

 

第三部。再び家族の家。

『フォックストロット』。当方は邦題の『運命は踊る』も、邦題にしては珍しくセンスが良いと思いましたが。このステップがこの作品に本国で付けられた題名。

「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ。」ダンスの中でもシンプルで基本的なステップ。四角に動いて、結局同じところに戻ってくる。

「運命が一体どう回るのか」がここでは「同じところに戻ってくる」という事ならば。

そして「同じところ」とは何処なのかが提示された第三部。「ああ。此処を起点にしてしまうのか。」とタオルを握ってしまった当方。

ヨナタンが死んだ」そんな誤報にどこまでも踊らされた。その家族の顛末。

 

ここからは…「どうしたん?疲れてんの?」そう言って誰かに肩を抱いて欲しい。当方にとっては、そんなギブミーブランケット。ギブミーブランケット案件。

ネタバレしないようにしようとすると…もうこれ以上具体的な事は書けないんですが。何だかもう堪らなくて。何故か涙が止まらなくなった当方。

「畜生!誰かのせいに出来るのならばしたいよ。」「弱い事は責められる事じゃない。」「一見冷めてしまったと思っても。二人で過ごした年月から二人にしか分からん事があって。その強みで二人はこれからも生きていくんやろうな。」

そして。夫婦の元に帰ってきたヨナタンの妹、アルマの表情とその姿に。もう止められなくなった当方の涙腺。

「ハッピーバースデー、ヨナタン。」

 

四角に動いて、また同じところに戻る。一見同じところに着地した話。けれど。

掴み所が無かった、インテリ家族。その家族の歴史。背景。繋がり。日常の中に非日常が潜むイスラエルという国。戦争なんて関係ない。いつ誰にだって起こりうる『死ぬ』という不条理さ。緊張感の中に同居するほのぼの感。

 

ぐるっと一周回る時。見える景色は肉付けされて少しづつ変わる。

 

第一部のミハエルの母親達が踊るシーン。第二部のヨナタンが踊るシーン。そして第三部の夫婦が踊るシーン。同じステップなのに。全く違う。

 

鑑賞後。話を反芻してはぐるぐる回って。一周どころでは済まない。そんな当方です。