ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

志乃ちゃんは自分の名前が言えない」観ました。
f:id:watanabeseijin:20180806211650j:image

押見修造の同名漫画の映画化。

主人公の大島志乃。志乃の高校入学の朝から物語は始まる。

身支度をしながら何度も「初めまして。大島志乃です。」と自己紹介の練習を繰り返す志乃。と言うのも、彼女は吃音症で人前では殆ど言葉が出てこないから。

必死の練習の甲斐もなく。痛々しく始まった高校生活。

一人で過ごしていた志乃は、ある事からクラスメイトの加代と友達になる。

音楽が大好きでミュージシャンになりたい加代。ギターを弾きこなす加代は実は相当な音痴で。

「あんた。歌なら歌えんの。」カラオケボックスで無理やり志乃に歌わせた『翼をください』。その澄んだ歌声に惹かれた加代は、志乃にバンドを組まないかと誘う。

互いにコンプレックスを抱えながらも。二人は秋の文化祭でのバンド演奏に向け、猛特訓を始めるが。

 

「これ。めっちゃ傑作やないか…。」

 

青春モノ、不器用ながらも一生懸命に頑張る作品群にめっぽう弱いのもありますが。何だか気になって。仕事とか仕事とか仕事とか夏バテとか。映画部活動事体のブランクもあって。ちょっと公開から経ってしまいましたが。やっと観に行く事が出来ました。

 

この作品を観て直ぐに、当方の知り合いの教育者に映画の感想をぶちまけたり、現在の学校現場に於ける吃音症の生徒への対応について聞いたのですが。

「難しいなあ。結局周りの理解が一番大切なんよな。吃音の子って…知的な障害があるとかじゃないから当然一般のクラスに居るんやけれど。下手したらからかわれたりするし。結構大人になってから出る場合もあるし。」「また、家族とか特定の人とかとは普通に喋れたりするんよな。だからホンマに理解者が必要やねん。」「緊張したらどもったり、上手く話せない事なんて誰でもあるんやけれど。」「精神的に追い詰められたりするんよな。」

 

当方がこの作品を観て。先ずは出てきた大人に対して言いたい。役立たずと。

 

「先生よ!あんた…あかんで。」

志乃の担任教師。どうしてフォローしてやれない。

恐らく地元中学から寄せ集めた感じの地元高校。内申書で吃音の事とか絶対申し送られているやろう。そして実際にあんな辛そうな自己紹介なら、途中でやんわり助けてやれよ。どういう言葉が正解なのかは分からないけれど。

そして後から個別に呼び出して「緊張しているのかな?」「リラーックス。」って両肩叩くって。(先述の教育者と当方の「あかんあかんそれあかん。」コール)

 

「そしてお母さん。」

たまたまなのか。それとも漫画原作には触れられているのか。父親と他の兄弟姉妹の有無が一切語られませんでしたので。(それは他の登場人物も同様)一体志乃がどういう家庭環境で、いつから吃音があって、親子はどう対処してきたのかは推測しか出来ませんでしたが。

確かに、あそこまで言葉が出てこなくて苦しむ我が子を見るのは辛い。どんなことでもしてやりたい。またその事で苦しんでいる。そういう親心は理解出来ますけれど。あの選択肢はあかん。あかんあかんそれあかん。

 

主人公の志乃と心を通わす加代。

「正直あんまり押見作品をしっかり読んだ事が無いんやけれど。結構えげつない言い回しをする作家さんという印象がある。」

「喋れないんならメモに書きな。」初めぶっきらぼうな加代に対し。意外とグイグイ寄っていった志乃。「ギター弾けるの?凄い。」「聞かせて。」そこで判明した加代の音痴。思わず笑ってしまって。逆鱗に触れて絶交されたけれど。

「加代ちゃんは私を笑わなかったのにごめん。」風が強い夕日の中。言葉が中々出ない志乃が大声で絞り出すように言ったその言葉に、汚れちまった当方、号泣。

そして志乃の独特な歌声。それを聞いた加代の表情にまた泣く当方。

 

またこの二人のチョイスする曲が渋い。(教室に96年どうのこうのというポスターもあったので、90年代設定だとは思いましたが)

あの素晴らしい愛をもう一度』1971年:北山修作詞/加藤和彦作曲

 

非常に歌いやすい、分かりやすい。そして当方も何かと引用しがちな歌詞。

 

あの時 同じ花を見て 美しいといった二人の 

心と心が 今はもうかよわない

あの素晴らしい愛をもう一度

あの素晴らしい愛をもう一度

 

三番まであるんですが。どこまで行っても二人の心と心は二度と通わないんですね。命を掛けると誓って、思い出重ねて、でも今は荒野に独りぼっち。(歌詞組み立て引用)

「~ってこの歌のチョイスセンス及びこの世界観!正にこの二人!」

 

互いにコンプレックスを抱えて。けれど分かり合える親友が出来た。楽しくて。こんな自分だけれど、認めてくれる。自信をくれる。彼女と一緒なら。此処から這い上がれる。上を向ける。二人なら。二人でなら。

 

「秋の文化祭に向けて、夏の猛特訓をしよう。」

そのひと夏の描写の眩しさに。汚れちまった当方は目を細めるばかり。

けれど。

 

路上で練習している所をクラスメイトの菊池に見られてしまった。クラスで浮いている無神経なお調子者男子。入学式直後の自己紹介。あの忌まわしい記憶。言葉を必死に出そうとした志乃を茶化した菊池に。

しかも「俺も混ぜてくれよ。」としつこく付いてくる。しがみついて離れない。

 

空気が読めない菊池もまた、人間関係に悩んでいて。だから自分の居場所が出来たと必死。また凍り付く志乃を尻目に、結構音楽の趣味が合致し、盛り上がる加代と菊池。

 

「そしてどんどん心を閉ざしていく志乃。」

 

順を追ってネタバレする事になってしまいますので。ここいらから風呂敷を畳んでいきますが。

 

「この作品の良かった所は、ここからの流れを予定調和には済ませなかった所だ。」

 

志乃と加代と菊池のわだかまりは解消され。三人で秋の文化祭で演奏とか。下手したら志乃の吃音症の状態が変わるとか。そういう『いかにもご都合主義』な収束を見せなかった。

 

みっともない。恥ずかしい。他人と比べて自分は劣っている。何かしらのコンプレックスは多かれ少なかれ誰にだってある。特に十代の多感な時なんてそんな事ばっかり考えている。でもそれを乗り越えたり、落としどころを付ける時間には個人差がある。

 

志乃と加代と菊池。三人高校入学で知り合った。三者三様の悩みがあって。分かり合える時だってあった。そうして触れ合う事で前を向けた者も居る。やっと居場所を見つけた者も居る。けれどそれは。三人が一緒のペースとは限らない。

 

何故私は喋れない?何故言葉が出ない?自分にだって分からない。恥ずかしい。恥ずかしい?一体誰が?誰に対して?そんな混沌とした思いをどうすれば言葉に出来るのか分からなくて。でも伝えたくて。どうしても伝えたくて。

 

自分の歌で思いを伝えた加代と。地団駄踏みながら。一生懸命の自己紹介をした志乃に。タオルを口に押し当てて泣いた当方。

 

あの最後の三人の姿に。それが自然やなあと思いながらも。それでもいつか穏やかに交われたらと。

正に最後。『あの素晴らしい愛をもう一度』が脳内に流れた作品でした。