映画部活動報告「心と体と」
「心と体と」観ました。
静謐。雪が音もなく降る森。そこにある池のほとりに佇む、オスとメスの鹿。
寄り添い。水を飲み、草を噛み、共に駆ける。
そんな夢を共有していた。そう知って惹かれ合う男女。
ハンガリー映画。イルディコー・エニェディ監督作品。
「いやもうこれ。完全にノーマークでしたけれど!『なんか良い…』っていう声に押されて観に行ったら…何これ?ホンマに『なんか良い…』としか言いようが‼」
語彙力が無くて…全然この作品の事を説明出来る気がしません。「もう‼ええから!観に行って!」としか。
牛肉食品処理工場が舞台。そこの財務部長エンドレ。管理職であり、実際の精肉現場には殆ど立ち入らない。かつては妻子も居たけれど、離婚して男やもめ。見た目にも枯れ切っている。片手が不自由。
部長室の窓から工場を見下ろしていて、ふと目に入った女性。マーリア。
産休に入ったスタッフの代理として採用された、品質検査官。
透き通るように美しい彼女。硬質な雰囲気を纏う彼女は、無表情で厳格。仕事は確実だけれど融通は一切きかず、とりつくしまもない。当然、直ぐ様職場で浮いてしまったマーリア。
そんなマーリアを気に掛けて、食堂で声を掛けてみたりもしたけれど。噛み合わず。
ある日。工場に保管されていた牛の交尾促進薬が紛失。警察沙汰になり、全職員が精神分析医のカウンセリングを受ける事となった。
そのカウンセリングから、エンドレとマーリアは同じ夢を毎夜共有していたと知る。
『雪の森で交流する、つがいの鹿』
夢の話をきっかけに急接近。次第にそれは好意へと発展するが。
夢の中では自然で居られるのに。現実ではすんなりとはいかなくて…。
『生真面目な人』
マーリアを一言で言うと、そうとしか言いようが無い。『こじらせ女子』なんてぬるいぬるい。
驚異的な記憶力を持ち。職場ではコンプライアンス重視。品質検査官として優秀ではあるけれど、その融通の利かなさは他の従業員にとって息苦しさしかない。けれど。
マーリアは決してお高くとまって他者を見下している訳では無い。ただ驚異的に不器用なだけで。
万人と関わりたい訳では無い。愛想良く振舞って仲間を作りたいなんて微塵も思わない。そんな自分に疑問も無かったし、一人でも何とも思っていなかった。なのに。
毎夜夢に現れる、そして一緒に居る事で心が満たされる。そんなつがいの鹿。
まさかそれを共有していた人が。こんなに近くに居たなんて。
初めて誰かを欲した。けれどどうしたらいいのか分からなくて。
「また。枯れた切ったエンドレが久しぶりに恋をしたのに。恋の仕方、忘れた訳じゃ無かったのに。生真面目なマーリアのペースに絡まって。彼もまたどうしていいのか分からなくなってしまう」
普通。互いに憎からず思っている男女が一緒に居て。相手の気持ちなんて何となく伝わるし、そうなると自然に寄り添いたい。ややこしい確認とかは飛ばしたい。だって大体分かるじゃないのと。大人ならそう思うじゃないですか。
なのに。工場に新しく入ったチャラ男に嫉妬して「これ、私の携帯番号だ」とマーリアにメモを渡しても「携帯電話を持っていません」と真顔で返事され。「ちょっと思い違いをしていたみたいだ」と顔を歪める(内心「バカバカバカ!俺!」ってなるやつ)…なのにマーリア。実は本当に携帯電話を所持していない。
「一緒に寝ませんか」「目覚めて直ぐに夢の話が出来る」そういって自宅にマーリアを呼んだのに。そしてマーリアは来たのに。結局カードゲームをする羽目になる。
何故。何故夢の中では、視線を交わしただけで互いの想いが伝わるのに。
何もかもやるせなくて震えるエンドレの背後から。そっとその肩に手を置きたい。ただただ無言で一緒に居てやりたい。そう思った当方。
(エンドレ役のゲーザ・モルチャー二。本業はドラマトゥルクや編集者等で全くの演技未経験だったなんて!脱帽!)
「でも。マーリアだってエンドレに惹かれている。ただ…彼女のペースっていうものを辛抱強く待ってやらんといかんのやな。」
「成人専用のカウンセラーを紹介するって」マーリアの、おそらく小児期からのカウンセラー。マーリアから恋の相談を受け。「専門じゃないから全然分からん」と困惑するけれど。お構いなしに何度も相談をしに訪問してくるマーリアに「取りあえず携帯電話を買ったら」とアドバイス。
「この気持ちをどうしたら良いのか分からないから、AVを見たりしている」という真顔のマーリアにも「何それ駄目。音楽とか聴いたりしたら?」と結果的確なアドバイスを提示。そして次第に情緒を深めていくマーリア。
このカウンセラーしかり。この作品は、サブキャラクター陣も非常に良かったですね。エンドレの同僚、「この工場の大半の男は俺の妻と寝ているんだ!」奔放な妻の尻に敷かれっぱなしの人事部長。
新しく入ってきたチャラ男。結局「人を見かけで判断するな」というごもっともな教訓を残した彼。(パンフレットで知ったんですが。実生活ではマーリア役のアレクサンドラ・ベルボーイと彼がパートナーなんですね)
実は恋のエキスパート。掃除のおばちゃん。
「何その質問」というエロい精神分析医。堪らん。
そして。つがいの鹿。
「鹿に演技は強要出来ないだろうから。ひたすら二頭の鹿を撮り続けたんやろうけれど…(といっても一週間)けれど実際スクリーンに映し出された時の雄弁さ。何も語っていないのに‼鹿たちがこちらに語り掛けてくる」何この鹿映画。
兎に角美しい、鹿のシーン。
そして食肉加工工場という、生死の生々しさがシステムチックに昇華される現場。
登場人物の生真面目故のおかしさ、哀しさ、愛おしさ。
最後の最後。あのセリフとマーリアの表情で締めた時。
「あああ~一から十まで全部好き…好きやわあああ~なんか良い。なんか良いこの作品」
体中の空気を抜きつくす。そんな深いため息と共に。映画館の座席に沈んだ当方。