映画部活動報告「 太陽がいっぱい」
「午前十時の映画祭 太陽がいっぱい」観ました。
1960年公開。フランス・イタリア合作。パトリシア・ハイスミスの同名小説の映画化。当時24歳のアラン・ドロン主演。『禁じられた遊び』ルネ・クレマン監督。
言わずと知れた名作。とは言えうろ覚えだった当方。
「1960年の名作をデジタルリマスターした高画質で。スクリーンで観られる贅沢よ!」
GWのお楽しみとばかりに。息せき切って観に行った当方。そして。「ギブミー!ブランケット!」鑑賞後胸を押さえてのたうち回る当方。
「何この滴るアラン・ドロンよ」「太陽がいっぱい!」「太陽がいっぱい!」呆ける当方…這う這うの体ですが。これでは話が進みませんので。拙い感想文をシュッとしたためて…今日は早く夢の国に墜ちたいと思います。
大金持ちのドラ息子フィリップ(モーリス・ロネ)。その腰ぎんちゃく、トム(アラン・ドロン)。そしてフィリップの婚約者マルジュ(マリー・ラフォレ)。概ねその三人の話。
フィリップの家族から「アメリカに連れ戻してこい」と報酬をちらつかされ指令を受けた貧しいトム。しかしのらりくりとかわすフィリップ。結局帰らない、気ままなフィリップ。金は入らない、しかしどこにも行く当てのないトムはフィリップから離れられず。
そんなトムを一見友人扱いしながらも、結局馬鹿にしているフィリップ。「上品ぶるのは下品な奴のすることだ」ふざけた挙句の行きずりの女性とは一緒に遊ぶけれど。自分の本気の彼女、マルジェとラブラブな時にはトムを遠ざける。フラストレーションが積のるトム。
そして遂にその時がやってきた。
フィリップの船で。マルジェとトムの三人の船旅。けれど。
結局はフィリップとマルジェのラブラブ旅行。当てられ。一度はふざけたフィリップに依って漂流しかけ。日焼けによる大やけどで死ぬところだったトム。
「俺を殺したいんだろう?」そんなフィリップの挑発も相まって。
マルジェと喧嘩をするように仕組んで、思い通りマルジェは途中下船。晴れてフィリップと二人になった所でフィリップを殺害するトム。
そうしてトムの快進撃が始まる。
「おお…防犯カメラと指紋捜査の無い、大らかな時代よ…」
思わずそう震えてしまったくらいの…よく言えば大胆な。はっきり言えば雑なトムの行動。
つまりは「フィリップに成りすまし全財産をむしり取ってから、尚且つフィリップの彼女マルジェも頂く」というトムのミッション・イン・ポッシブル。そして自爆劇。
しかもその切り札は『フィリップの直筆サインを模写出来る』それだけ。
パスポートもただ自身の写真と張り替えただけ。「どうしよう…喧嘩してからフィリップと連絡が取れないの」と気落ちするマルジュにはタイプした手紙を配送。手紙の最後にはフィリップの(模写した)サインがあるから大丈夫。
銀行はサインとパスポートさえあれば金を下ろしてくれる。
しかも。途中フィリップの家族と鉢合わせになるピンチにも。そしてフィリップの友人が滞在先のホテルに襲撃してきても。何とかかわす、アラン・ドロン無双。
まさかの危険を幾多もひらりマントでやり過ごして。何もかも手に入れる。フィリップの恋人、マルジェすらも。
「幸せだ。太陽がいっぱいだ」そこからの。
「こういう話やったのかあああああ」もんどりうつ当方。
「さよなら。さよなら」さよならおじさん、淀川長治先生が「これはゲイ・セクシャルの話だ」と言った。その逸話。
浅瀬に住む当方が何を言うことも。ましてや1960年の作品に。そう思うと気が引けますが。
ただ。真っすぐに思った事を書きます。
金持ちの息子、フィリップの甘さ。恐らく20代の彼の。当時の社会背景なんて知ったこっちゃないですが。
恐らく自分はこうやって遊んで暮らしていても許される。暫くは。お金があるから。
けれど自分には可愛い彼女が居る。愛している。彼女は自分を求めているし、自分も彼女を逃したくない。彼女はいずれ生涯の伴侶になる。けれど。
自由でいたい。まだ自由でいたい。
そんな時。いやがおうにも目に入る、自分の腰ぎんちゃく。貧乏人トム。
どうせプライドなんて無い。金の為には何でもするトム。ポリシーなんてない。いいよなあいつ。あいつは自由だぞ…でもあいつの自由なんて、金次第。
そうやって侍らせる。一緒に遊ぶのは構わない。けれど。大切にしているマルジュと親密な時はトムは邪魔。(フィリップとマルジェがいちゃついている時。隣室でフィリップの洋服を着て一人遊びしていたトムを見つけて叱るフィリップ、鞭片手でしたよ)
けれど。トムに自意識が無い訳が無い。
フィリップとは友達。一緒につるんで楽しい友達。そう言い切りたいけれど。
哀しいかな、トムは自覚している。この友情がフラットな関係ではない事を。
「上品ぶるのは下品な奴のする事だ」「お前のナイフの持ち方、違うぞ」フィリップと対等だと錯覚すると、すかさずマウントを取って来る。「お前は俺の腰ぎんちゃくだぞ」自覚させられる。その積み重ね。静かに重なるフラストレーション。
そして。フィリップ自身からの「俺を殺したいと思っっているだろう」。「これがおれのサインだ」。
それはつまり。ピーターパン症候群を有するフィリップからトムへの委託殺人。(フィリップからしたら冗談半分)
トムはそれを大真面目に遂行したのだと。
極端な話、そう解釈した当方。
じゃないと。終始トムがフィリップに固辞した理由が分からない。だって。正直「二人で船旅を続行していたら海に落ちました」でも良いじゃないですか。二人きりの空間で。他人は殺人すら立証できないのに。後のお金絡みさえ何とか上手くやれば。
けれど。あくまでもフィリップが生きている呈で。ちまちま金を下ろしたり。マルジュに手紙書いたり。そうやってゆっくりフィリップを殺していく。
トムは馬鹿ではない。なのに。
「俺が憎いんだろう?」そう言ってニヤニヤ笑ってくるフィリップに。馬鹿にするなと刃を向ける。けれど自身の足元に横たわるフィリップを大海原に捨てられないトム。
愛憎。そういう言葉で片づけて良いのか。兎に角フィリップがやるべき後片付けをしてから、自身の幸せを手に入れようとするトム。。けれどその時間は余りにも短すぎて。
「確かにフィリップが好きやったんやろうな。でもそれは…当方はあくまでも同性同士の友情にとどまった様に見えた」
身分の違い。そこから生まれる愛憎。けれど。『お前のやりたかった人生』を自身と照らし合わせながらなぞる。そんな弔い。出来るかと。
1960年の古さと、古びれなさよ。ひとまずはそれをスクリーンで拝めた有難さと。胸の痛みを抑えながら。のたうち回る当方です。