ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ザ・スクエア 思いやりの聖域 」

ザ・スクエア 思いやりの聖域」観ました。
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第70回カンヌ国際映画祭パルムドール作品。

『フレンチアルプスで起きたこと』の記憶も新しい、リューベン・オストルンド監督作品のスウェーデン映画。

 

とある有名美術館。そこのキュレーター(責任者)クリスティアン

順風満帆の人生であった彼が。思いもよらない所からボロボロと足元をすくわれていく。その様を描いた作品。

 

今回は、当方の心に住む男女ペア、昭(あきら)と和(かず)に感想を述べて頂きたいと思います。

 

和)いや~。厭味ったらしい映画やったわあ~。ぞくぞくした!

昭)ぞくぞく…というかぞっとしたよ!ホンマに…。全く。こんな「インテリ!自爆しろ!」みたいな作品にパルムドール贈っちゃうヨーロッパ人のイケズさよ。

和)リューベン・オストルンド監督。前作の『フレンチアルプスで起きたこと』でもそうやったけれど。男のプライドをズタズタにさせるとピカ一やね。
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昭)家族のスキー旅行で訪れたフレンチアルプス。そこでランチの時に起きた雪崩。とっさに妻子を放って逃げてしまった夫。その後どんなに取り繕ってももう溝は埋められなくて…って。あれも一見コミカルやけれど、いたたまれなかったよ!

 

和)(無視)今作の主人公、クリスティアン。2017年4月日本公開された『メットガラ ドレスを纏った美術館』ってドキュメント映画、あったじゃないですか。あの時出ていたキュレーター、アンドリュー。
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彼を思い出して仕方無かった(うっとり)…あのインテリお洒落眼鏡キュレーター。正直、脳内で何回自動置き換え装置が発動したか。

昭)うわきた。『眼鏡インテリ殺人鬼』インテリで一見スノッブな眼鏡に赤子の手を捻るがごとく心を持って行かれる女子。常套句は「一番好きな眼鏡男子は『ピンポンのスマイル(ARATA)』です」

 

和)(無視)離婚して今は独身。お洒落でシンプル、ハイソなマンションで一人暮らし。職業は有名美術館のキュレーターという…地位も名誉も金銭的にも満ち足りた生活。決まった恋人は居なくても、時々近寄って来る女性をつまみ食いして。

昭)羨ましいことよのう!

和)羨ましいことよのう…でもそんな高みに居た彼が。どんどん引きずり下ろされていくんですよ。そこに全方位救いなんて無し。

 

昭)このペースでいったら核心に触れる気がしないから進めて良いかな。タイトルにもなっているインスタレーションザ・スクエア』がやっぱり、この作品の全てを象徴していたと思ったな。

和)馬鹿!早漏!お前に情緒なんて無し!外堀から埋めていく感じ、真綿で首絞めの面白さの分からん奴!

昭)下品な言葉使い。傷付くわあ~。

和)「ザ・スクエアは思いやりの聖地です」「世の中をより良くするための展示作品」「この枠内では誰もが平等で、助け合うのが基本です」クリスティアンはそう言ってインスタレーションを説明するけれど。所詮自分が世間に発信しているのは絵空事。現実はそんな綺麗ごとでは済まない。それをクリスティアン自らが体現してしまう。果たして人間は「正義か」「悪か」。「本音」か「建前」か。

昭)世間にはインテリでスノッブな人間に見せて。けれどその実、スマートフォンが盗まれたらGPSで検索して該当アパート全戸に「お前の盗んだスマホを返せ」という脅迫状を投函する。女性記者と寝て、やり逃げしようとする。あまつさえ、展示作品の非常事態に対しても…。

和)分からなくはないけれど。全てが『スマート』とはかけ離れていた。しかも、それらを余す事無く拾い上げてクリスティアンの窮地へと追い込んでいくあたり。監督の意地悪さ炸裂。

昭)けれど…クリスティアンの落ち度とは言いにくかった『展示作品予告CM』。

和)監督責任なんやろうけれど。あれ嫌やったわああ~。『炎上商法上等!』ってホンマ品が無いし…あのCM人間性のモラルが問われるし。美術館とかの文化機関は絶対やってはいけない内容。「とはいえ表現の自由という観点からは~」なんて作中では言ってましたけれど!笑止!そもそもインスタレーションの作者から訴えられる案件!

昭)そして『猿人間』。

和)あの出し物、クリスティアンのGOが出ての事やったんですか?あの猿人間と打ち合わせとかしてなかったんですか?あれ、元々は何をしたかったんですか?

昭)何にしろ。会場の緊張感が半端なかった。気まずい…俺ならあの場に居た事自体を人生から抹消したくなるよ。

 

和)『ザ・スクエア』の精神。平等で思いやりに溢れた場所。此処では人々は助け合う。それは果たして美術館の中のただの正方形の中にしかないのか。

昭)地位と名誉。社会と自分。そして倫理観。それらを天秤にかけた時。果たして『ザ・スクエア』は自身のどこに存在するのか。そもそも存在するのか。見せかけで無い。本当の『ザ・スクエア』は。

和)最終。自身の『ザ・スクエア』に踏み込んでいくクリスティアンの、満身創痍な姿。

けれど。インスタレーションでは無い。クリスティアンが本当の『ザ・スクエア』に真剣に向き合うにはどれだけの犠牲を払って裸にならなければならなかったのか。

 

昭)ただ。そこに至るまでの道は余りにも多かったし長かった様な気がしたけれどね。

 

映画館のエントランス。作品のポスターや記事が展示されているスペースで。設置されていた『思いやりの聖域』。

「このスペースに財布と携帯電話を置いて、作品をご鑑賞下さい。ただし、当館は責任は持ちません」(言い回しうろ覚え)

 

「怖ええええ。」やっぱり当方には聖域は踏み込めないと実感。

そして。実際にそこに貴重品が置かれた時の映画館側の緊張感を思うと、心底震えた当方。