ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」観ました。
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1903~1970年。カナダでは知る人ぞ知る、女性画家モード・ルイス。

素朴で天真爛漫な作風の彼女の生涯。

若年性リウマチに侵され。共に人生を歩んだ夫エベレットとのなれそめ。そして二人の日々。

 

「『シェイプ・オブ・ウォーター』で主演女優賞ノミネート?むしろこっちだろ」そんな声を聞いて。

「いや。いいんやけれどさあ…題名、どうにかならんかったかね?」そんな事も思いながら。公開から少し経った日に。観に行く事が出来ました。

 

サリー・ホーキンス。先述した『シェイプ・オブ・ウォーター』ですっかり有名になりましたが。
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「正直、美形な女優さんでは無い。けれど脇役に居て、しっかりその存在を知らしめる。そして段々可愛く見えてくる、チャーミング(便利な言葉)女優」

 

日本人では安藤玉枝さんだと。そう勝手に想定している当方。

この手のチャーミング女優は引き出しが数多あり。決して目立ったり小奇麗なポジションには立たないけれど、エロから底辺から知性派から純度の高いキャラクターから。正にカメレオン的に表情を変える。

 

ブルージャスミン』でのケイト・ブランシェットの妹役。そして『GODZILLA』。

GODZILLA…流石GODね…」思わず鑑賞後一緒に居た映画部長に「そういう意味でしたっけ?」と確認。「いや。ゴリラとクジラやで」と即答の部長。

 

脱線が過ぎましたが。兎に角チャーミング女優サリー・ホーキンスの真骨頂。そういう作品でした。

 

両親はもう居らず。たった一人の兄は借金で首が回らず。嫌味な叔母と二人暮らし。

このままでは居場所が無いと。雑貨屋での『家政婦募集』のメモを頼りに男やもめエベレットの家に住み込みで働く事になったモード。

 

「また。その無骨な男やもめがイーサン・ホーク‼」


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『Mr.無骨』として勝手に当方が認識する、イーサン・ホーク。今回もまた。『孤児院で少年時代を過ごし。今は魚売り、クズ鉄売り。その他孤児院の手伝いでてんてこまいの男やもめ:エベレット』。不器用で無骨。言葉足らずの男を。好演していました。

 

そんな二人の手練れ役者。それだけでもう。殆ど勝った(何に?)も同然。後はもう…お話さえしっかりしていれば。身を委ねるだけ。

 

エベレットの家に転がり込んだモード。けれど初めは全くうまくいかなかった。

「どうしたらいいのか指示してよ」どこかお客さん的な態度もあったモードと、「お前は一日中遊んで怠けていたのか」「言われなくてもやれ!お前は使用人だろうが!」と猛々しいエベレット。二言目には「やる気が無いなら帰れ!」。

 

初めて会った時。「歩き方が変だ。何か障害が?」とエベレットに聞かれたモード。「歩き方が変なだけよ」決して作中では病名を明かさなかったモード。

そして(お前は手が掛かるという表現はしていましたが)「病気だから」と家政婦時代に特別扱いしなかったエベレット。

 

当方は『モード・ルイス』という人物については詳しくありませんが。サリー・ホーキンスが演じるモードを見て「筋・神経系の疾患を持っている人物なんだな」と直ぐに思いました。

如何せん、経験した訳では無いので上っ面な発言になりますが…筋・神経疾患は今すぐ死に至る病では無いにしろ、不可逆的に加速する、十分にADLもQOLも脅かされる病であるという認識はあります。

あの叔母。そして作中エベレットが言っていたように。「お前は手が掛かる」。

そういうシーンは作中殆どありませんでしたが。

例えば。自力で歩行して自立してる様に見えても、健康な人から見たら緩慢で危なっかしい。そしてサポートが必要な事もある。

そうして『自分をサポートしてくれる』相手に。どこか引け目を持ってしまう。申し訳ない、そういう思考が。往々にして身体的マイノリティーな人たちにはある様に…当方は思っていたのですが。

 

「貴方には私が必要でしょう?」

 

初めこそ。無骨で。下手したら手が飛んでくるエベレットに言葉を失ったけれど。

「まだ一度も給料を貰っていないわよ!」食ってかかって。

「蕪のスープなんか食わねえ」とはねつけられれば、鶏を絞めてスープを作る。その逞しさ。(当方の祖父母は鹿児島県の人で。鶏を絞める所を見た事がありますが…大変やったと思いましよ)

「いやいやいや。それは流石に…」という「二階のベットは広いから一緒に寝る」という二人。案の定…けれど「これ以上進むなら結婚して」

 

『家政婦』という立場で来たものの。そして「何だか体が不自由…」という気になる点があっても。モードは決してエベレットに対してへりくだったりしなかった。

初めは恐る恐る。けれど。彼女はエベレットに対し主張するべき所はして。決して「私は家政婦だから」とか「身体障害者だから」という態度では無かった。

あくまでも私達は対等。当たり前だけれど…当たり前に思えない人はいくらでも居るのに。

 

「もう長く一緒なんだから。貴方には私が必要でしょう?」

 

また…無骨なはずのエベレットが。家中が絵具でファンシーにペイントされていくのに。初めから殆ど拒否していない。(当方なら、たとえ持ち家でも家に絵を描かれたら怒りますけれどね。どちらかと言うとシンプル派なんで)

 

二人の結婚式。
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「俺たちは一組の靴下だ」その下りが愛おしくて。

 

あくまでも史実ベースなんで。そこからの流れに対して「そうですか…」とやんわり見ていくしかない当方。

シンプルな夫婦の形。虚飾など無く。贅沢なんて必要ない。裕福とはどういうことか。

電気も通っていない、そんな小さな小屋での生活。けれど二人はそれ以上のものは望まなかった。ただ…ハエが入らないように網戸を貼る。そいう事が幸せで。私たちは二人で一つ。最高の伴侶に出会えた。貴方と居たら楽しい。それで十分。
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筋・神経系疾患の患者に多い終末。「ねえ。貴方犬が好きじゃない。また犬を飼ったら?」

出会った頃。「お前は犬より下だ」そう吠えていたエベレットに。命が尽きそうな時にほほ笑みながら言うモード。「いや…もう犬はいいよ」そう答えるエベレットにボロボロ泣く当方。

 

下手にお涙一杯のエンディングにしなかったのも好感。なのに…ラストシーンでもう何回目か分からない感情のビックウェーブに飲み込まれて。タオルを口に押し当てた当方。

 

アカデミー賞等の大きな賞レースで日の目を見なくても。地味でもしっかりした作品は数多ある。

 

今まさに大きな作品公開目白押しの中で。埋もれて欲しくない良作を観る事が出来ました。
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