映画部活動報告「スリー・ビルボード」
「スリー・ビルボード」観ました。
2018年米アカデミー作品賞その他ノミネート作品。
アメリカ。ミズリー州。
「こんな道を通るの、道に迷った奴か田舎者だけだぜ」そんなド田舎の道沿い。そこに。とある3枚の広告看板が張り出される。
『レイプされ死亡』『未だ犯人が捕まらない』『どういう事なの?ウィロビー保安官』
広告主のミルドレッド。
夫と離婚して女手一つで娘と息子を育ててきた。なのに。ある夜起きた悲劇。娘がレイプされた上、焼死体で発見。それから7か月。
未だ見つからない犯人。ミルドレッドの怒りは次第に「あいつら…仕事してるのか?」地元警察に向けられ。
看板に実名を挙げられたウィロビー署長。
けれど。彼は決して怠惰な人物では無かった。寧ろ実直で人格者。二人の小さな娘の良き父親。彼を慕う者は多く。
「確かに娘アンジェラの件は同情する。けれど署長が悪いなんてとんでもないよ」
加えて署長はすい臓がんの終末期。ミルドレッドはなんて事をするんだ。
署長の部下。ディクソン。
差別主義者で傲慢な警察官。署長をリスペクトしている。
そんな彼は勿論、ミルドレッドも、警察の前に会社を構える件の広告会社も憎くて。
そんな三者を軸に。繰り広げられる群像劇。
「当方は今。とんでもない作品に触れている。」「これはえらいもんを観た」
とんだ怪作。震え。
余りにも完璧な作品を前に。おろおろするばかり。纏まりの無い駄文を打つしかありませんが。
「人には多面性がある」そんな当たり前の事を。こんなにしっかりと。納得のいく描写。悲しくて。でもおかしくて。優しくて。
『怒りの人』ミルドレッド。作業着みたいなツナギファッションと頭にはバンダナ。化粧っ気も無くて。誰にでもずけずけとした物言い。
THE強い肝っ玉母さん。けれど。話が進むにつれて。ともすれば崩れてしまいそうな自我を必死に『怒り』というガソリンを注入する事で立て直して。見え隠れする、彼女の弱さ。迷い。
娘のあり得ない姿。勿論その事件に彼女が何か加担した訳じゃ無いけれど。娘との最後の会話。どうしてあんな言い方をした。悔やんでも悔やみきれなくて。その後悔を、もっと大きな感情で覆いたくて。それは…怒り。
『良い人』ウィロビー署長。好人物。そして善き夫であり、父親。仕事に対しても忠実で部下たちにも慕われ。
「だからこそやりにくいんよな…」溜息の当方。『怒りの人』ミルドレッドにとって、「7か月も経っているのに犯人を捕まえられない、無能な警察組織のトップ」として憎みたいのに…相手が悪すぎる。
「娘さんの事については全力を尽くしている」「そんな事を言いに来るぐらいなら、仕事しなさいよ」「後…何て言うか。あの看板は…俺は実は…ガン患者なんだ」「それが何よ。街の皆が知っているわよ」話の前半。そうやってミルドレッドはにべもなく署長の訪問を突っぱねるけれど。
実際目の前で不意に署長の症状の悪化を見せられて。うろたえるミルドレッド。
憎むべき相手は強くあって欲しい。相手は圧倒的な悪。だからこそ自分の正当性を自分の心に言い聞かせられるのに…どうしても署長は悪では無い。その分の悪さ。
(ネタバレ回避の為、詳細は書きませんが。当方は署長を全面肯定はしません。ああいう判断をした思考は理解しますが…彼に愛する妻子が居るのなら尚更…卑怯だと思います)
『嫌な奴』にっくき下っ端警察官ディクソン。
だらしない勤務態度。他人を見下した態度。
本当に憎たらしい…そう思っていましたが。
家に帰れば年老いた母親と二人。おそらく同性愛者で、その事で彼自身も嫌な思いをしてきている。
スクリーンに映っただけで嫌な気分になったディクソンが。後半には全く違う側面を見せる。本当に…凡庸な言い方ですが「人を見た目で判断してはいけない」。
兎に角当方がこの作品を通して感じた事。「狭い田舎の人間関係よ…」
ミルドレッドもウィロビー署長もディクソンも。その他登場人物達。おそらくこの田舎街で産まれ。育ち。そして今。皆が互いを子供の頃から知っている。
だから。皆がどこか街に於ける、固定されたキャラクターを演じている。私ははっきりとモノを言う肝っ玉母さん。俺は良い人の警察署長。俺は皆からの鼻つまみ者。
分かりやすいキャラクター。街の皆も各々互いの性格を把握している。安定の街劇場。…けれど。
「人ってそんな簡単には分類されないぜ」
物語の中盤。ガラッと流れを変える事態。街劇場の視点は大きくずれて…キャラクター達の表情は全く違って見えてくる。
「怒りは怒りを来す」
ミルドレッドの元夫、チャーリーの今の彼女。19歳。
若くて。ミルドレッドは始め何かと馬鹿にしていたけれど。この言葉を聞いてミルドレッドはチャーリーに告げる。「彼女を大切にするのよ」。
物語の前半。話を牽引したのは怒りの感情。その発端はミルドレッドの発した看板広告。そこから波及した負のスパイラル。怒りの感情を絶やすまいと必死になればなるほど。一体元は何の感情であったのかも分からなくなって。。
それがあの事件があって。怒りが爆発しきった後。訪れたのは『赦し』。
「怒りは怒りを来す」ならば赦しだって。
あのオレンジジュースの優しさ。あの優しさに涙が溢れた当方。
勿論娘を無残に奪った奴は憎い。けれど。7か月経って、街の皆から娘が忘れられていく…あの3枚の広告看板の本当の意味。大元はそこに対するミルドレッドのメッセージだったのではないか。
「あの娘を忘れないで。」
だからあの鹿は会いにきてくれたのだと。
当方はそう思います。
「ああここで。ここで終わって…」という所でベストの形で幕引き。この最高さと余韻。
「そうやね。あいつうさぎちゃんの代金、払ってないからね」なんて。
2018年度米アカデミーどころか。当方の映画人生に留めるレベルの作品を観ました。