ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「あさがくるまえに」

あさがくるまえに」観ました。


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フランス映画。

夜明け前。まだ寝ている恋人をベットに残し。友人たちと車で海へ。サーフィンを楽しんだ帰り道に遭遇した事故。そのまま帰らぬ人となってしまった17歳の少年。

病院から連絡を受け、駆けつける両親。そこで告げられる『脳死』の判定と臓器移植、所謂ドナー(提供者)になる事の勧め。

憤り、混乱する家族に説明する医師。「申し訳ないが時間は限られている」そして「決して『モノ』扱いはしないと保障する」と。

場面は変わって。ある女性音楽家。二人の息子を持つ彼女。現在は重度の心臓病の為、音楽活動はおろか日常生活もままならない。

命を受け渡す。そのバトンを。そして引き継ぐ者の姿を描いた作品。

 

カテル・キレヴェレ監督。女性で37歳?!またとんでもない逸材がでたものよ!」驚く当方。

 

今思うと何故この作品を観ようと思ったのか。当方が事前に持っていた情報は「脳死判定からのドナーになる選択を強いられた家族の話」映画館で何となく手に取ったチラシのみ。(それもきちんと読んではおらず)ほぼ真っ白な状態。

まあ正直、今映画を観たい!という気持ちと上映時間が上手く合ったから。…でしたが。

 

「『朝のリレー』(谷川俊太郎)だ」

ぼくらは朝をリレーするのだ 

 

確かに脳死判定を受けた家族の話ではある。でも。受け取る側の登録者を。そして彼らを繋ぐ医療者を。この三者を描いた作品だとは思いませんでした。

 

「また海の。波の画の使い方が上手い」

始め。海でサーフィンをしていた少年達の。楽しそうなのに…途中から何だか不吉な波。そして帰宅する車が事故に遭う時の。あの波に飲み込まれるシーン。

 

17歳で命を終えるという事。その残念さは言葉では言い尽くせないけれど。でもそこに唯一の希望を持たせるとしたら。「彼がどこかで誰の一部となって生きていく事」

 

日本でこの題材で作品を作ったら。間違いなくこの少年と家族、恋人に焦点を当てまくって。もうそれだけで一本出来上がってしまう。それもお涙頂戴エピソード満載にして。

でも違う。この作品でも少年と彼女のエピソードは語られたけれど…恋する二人の高揚感に満ちたエピソード。

 

この、各パートの登場人物のエピソードの切り取り方。見せ方が丁度良いなあと思った当方。つまりは「何でもないような事が 幸せだったと思う」そういう日常の一コマ。

 

登録者の音楽家女性。どうやら夫は居らず。家族は一緒に住む長男と、離れた場所に住む次男

重度の心筋症故に末期の心不全状態。少しの運動でも息が切れて。階段の昇降も出来ない状態。

愛する息子達と恋人。大切にしたい。でも。蝕まれて、尽きてしまいそうな体。

何となく。主治医に勧められて心臓移植の登録者リストに登録した。けれど、若くも無い自分が登録した事、『移植が出来る』=『誰かの死』という構造に戸惑いを隠せない。でも。

 

ある夜。舞い込む『移植するドナーが見つかった』と言う知らせ。

 

「心臓移植?!これそういう話なの!」と思わず映画館の椅子を座りなおした当方。

そこからは興味津々の目で観てしまいましたが。

 

「思ったよりも、まともな医療監修が入ったようだ…」

 

凄い水圧の低い手洗いの水。あ。こんなカニューレ達もちゃんとそれらしい所に入ってる。と言うか何科の生物から取ったのか、それとも作ったのかは分からんけれどちゃんと心臓っぽい。(にしても流石17歳。綺麗な心臓)。人工心肺?血では無いにしてもそれ一回回すのに凄くお金が掛かったやろうに…。ちゃんと大動脈を遮断解除したら不整脈が起きている!等々。

 

俄然楽しくなる当方。いや~えてしてこういうシーンってチープになりがちなんで。

後日。心臓移植の手術について知っている人に聞きまくる当方。「意外と手術時間は短いんですよ」「主要な血管を吻合するだけなんで」「ドナーの臓器が今どこを通過しているとかの連絡を常にタイムリーに受け取りながら、こちらも手術が進行するんです」成程成程。

(でも。一晩でドナーから心臓を貰って、それを朝が来るまでに移植終了は流石にお話しの世界かな~とは思いましたが)

 

少年の両親に医者が言った「決してモノ扱いはしません」

ある臓器だけは取らないでと言った家族。話の焦点を散漫にさせない為にも「心臓移植」にポイントは絞られていましたが。

「恐らく、その他の臓器も誰かの体の一部になったのだろう」

そう思わせた、少年の体にメスを入れた時にちらっと移った腹部あたり。ましてや健康な17歳。肝臓だって。腎臓だって。その臓器を必死で待つ人達が居る。

でも。最後の。『心臓』が少年の体を離れる時。少年に本当の死が訪れる。そこで止めた、両親に移植を勧めた医者の行為。

 

「まだだ」「最後に彼に聞かせたいものがある」

 

ポスターやチラシに使われたシーン。此処で一気に涙腺が崩壊した当方。

 

確かに。少年は臓器を皆にプレゼントする「モノ」では無い。

家族が居た。恋人が居た。友達が居た。少年には未知数の可能性があった。

 

夜明け前。恋人に挨拶もせずに。そのまま別れてしまった少年。

少年を想う人達からの、最後のメッセージ。

 

まあ…これは確かに医療者として最大の誠意の見せ方かなと当方は思いましたけれど。

 

いつもどこかで朝がはじまっている

それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ

(『朝のリレー』谷川俊太郎

 

『命を受け渡す』ともすれば幾らでも重たく出来た話を。何だか爽やかな目覚めの様に描いた。貴重な作品でした。

 

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