ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「メッセージ」

「メッセージ」観ました。
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「ある日それは突然現れた。世界のうち12の場所に。12の巨大なばかうけが」

 

ばかうけには見えませんよ」真顔の当方。そんなおふざけは金輪際いいとして。

 

アメリカ。言語学者のルイーズ。大学講師でもある彼女。ある日突然現れた未確認飛行物体に世界中が大混乱。そんな中「貴方は優秀な言語学者らしいな」とアメリカ軍から対策本部に招聘される。そこに一緒に搬送された数学者イアン。

 

「って言われても…」これまでの仕事の対象はあくまでも地球人。例え人種が違えども、何とか意思疎通は図れたし、それが言語的コミュニケーションのきっかけになった。しかし相手は宇宙人。一体どんな風にコミュニケーションが取れるというのか。

 

「貴方は何をしにここ(地球)に来たんですか?」

 

それを聞き出すため。その会話をするために。あの手この手で意思疎通を取ろうとするルイーズ。

「一体どうやって時空を越えて来たんだ」数学者イアンはそこに興味津々。

 

果たして。宇宙人は何故。どうやって。そしてどういう目的で地球に来たのか。

 

デッド・チャン著。1998年発表の短編小説「あなたの人生の物語」を基にして。

 

「凄く『星新一感』のあるSF作品…」多感な中高生の頃。兎に角星新一を読み漁った当方がポツリ。テーマはシンプルで。でも非常に計算しつくされている、コンパクトな世界観。

 

この作品は途中までは「ほうほう」と素直に話に付いていくのですが。如何せん、後半どういう時間軸で話が展開されていたのかが明かされた途端「おおお」と衝撃を受けて…そうなるともう切なさで一杯になってしまう…。

 

この映画感想文は、超個人的な備忘録駄文なんですが…ですが…いっぱしに一応ネタバレは極力避けたいといういう思いもありますので…歯切れ悪く、ネタバレ展開は回避。

 

「当方は『この作品に於ける、ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神について」に集中して書いていきたいと思います。

(初めに断っておきますが。このフレーズからおりこうさんぽい印象を受けたとしたら…大間違いですよ。当方はただの酔いどれですからね)

 

「『ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神』複数の人が相互に影響し合う状況の中で、ある1人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないこと。またはその状況を言う」Wikipedia先生は相変わらずとっつきにくい言葉で人を煙に巻いてきますが。

元々はゲーム用語。難しい事は当方は言えませんし、もし間違っていたとしても「お前違うぞ!」という声はどうか飲み込んで胸に収めて頂いて。

 

「あの…この手が有効ですわ」

複数人で同じ相手に戦いを挑む様なゲームがあったとして。相手の弱点を誰かが見つける。そしてそれを戦う仲間全員で共有し、相手に挑む。

それが必ずしも勝つとは限らない。仲間全員で総倒れする事もある。でも。そうやって全員で運命共同体になる事。それが『ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神』

(当方の苦しい解釈)

 

この作品の中で。ふっと現れるこのフレーズ。それ自体は「あれ?このフレーズが分かる相手って」と観ている者の心に過らせるワードとして、一見扱われているのですが。

 

話の中盤以降。「何故。世界の12か所もの場所に、この未確認飛行物体は現れたのか」その対象となってしまった諸外国。その連携の危うさにやきもきしながらも。結局世界は「ノン・ゼロ・サム・ゲーム」を強いられているのだと思いを馳せる展開。

 

ならば。一体12カ所は一体どういった運命共同体なのか。一緒にこの事象にどう立ち向かうべきなのか。そもそも「立ち向かう」案件なのか。誰に?何に対して?

 

そういった、スケールの大きな世界観と対になるのが、イチ言語学者であるルイーズという女性の人物像。その背景。

宇宙人とコンタクトを取る最中。何度も記憶がフラッシュバック。どうやら彼女には一人娘が居たらしい。

夫と別れ。一人で娘を育てきた。甘くて楽しい日々。時は流れ。生意気で反抗してくる娘。悲しすぎる、病に倒れた娘。そして…永遠に失った娘。

 

どうして?どうしてこんな記憶が付きまとう。今は目の前の事に集中したいのに。なのに胸を締め付ける。愛してやまなかった、たった一人の娘。

 

「時系列の崩壊」この話に駒を進めたが最後、絶対にネタバレ地獄に陥りますので。何とか回避。ここいらで当方の大風呂敷を畳み始めますが。

 

先程の『ノン・ゼロ・サム・ゲーム』ゲーム用語なら尚更。(当方は全くゲームに疎いのですが)「そんなゲームはほとんどない」のが現状。

「誰かが勝つ時、必ず誰かが負ける」全員が一緒の運命共同体なんて滅多にない。

 

ルイーズがここに呼ばれて。宇宙人がルイーズを、事態を動かすキーパーソンだと認識した時。

ルイーズはそのゲームの駒になった。言語学者であるルイーズが宇宙人と共鳴し、彼らのメッセージを伝える能力を持った時。彼女は世界が運命共同体になる為の駒になった。でも。

その能力を得た事で。宇宙人と共鳴し、同じ能力を得た事で、ルイーズ個人は『ノン・ゼロ・サム・ゲーム』から外された。

 

何故なら、彼女は運命共同体を成立させる為の「メッセンジャー」になったから。

 

ある意味救われた地球。運命共同体になった時。ルイーズだけがそこから弾き出された。後はもう…怒涛の切なさスパイラル。

 

「何だかとっても悲しくなっちゃう映画やったわあ」映画部長のお言葉。全くですよ。

まあ。どうしてもうがった見方をしがちなんで。「流石に言語を理解し始める流れ。ちょっと唐突じゃないかな」「エイミー・アダムスの年齢不詳さにも流石に限界が」「中国よりヤバそうな国ありそうやし…中国にはもうちょっと日本もお話し出来そうですよ」なんて茶々を入れてしまいましたが。

難しいようですんなり入ってくる。兎に角切なくてやるせなくて。でもそれだけじゃない。あの神楽みたいな音楽と振動。スケール。

 

「ベタですが。映画館で観るべき作品かなあと」ばかうけ片手に。手が汚れそうですが。大き目のスクリーンでやっている間に鑑賞する事をお薦めする作品でした。