ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「人生タクシー」

「人生タクシー」観ました。
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イラン。ジャファル・パナヒ監督の、フェイクドキュメンタリー映画

イランの首都テヘラン。流しのタクシーを走らせるのはパナヒ監督。

女性教師といわくありげな男性。交通事故に遭った夫とその妻。海賊版レンタルDVD業者。金魚鉢を持った老姉妹。おしゃまな姪っ子。人権保護弁護士の女性。

監督のタクシーに乗り合わせた人々。彼等を通して監督が描くものは。

 

反政府的活動者であると見なされ、2010年からイラン政府より20年映画を撮ることを禁止されている(所謂『映画監督禁止令』⁈)パナヒ監督。

それでも。「これは映画ではない」(2011年)など。何かとこじつけて「映画っぽい何か」を撮っては海外の映画祭にて評価され。でも本国で彼の作品は大々的には扱われない。

ニコニコと穏やかなパナヒ監督。一見不思議でおかしな乗客たちを、車内の固定カメラで淡々と隠し撮っているいるように見せ掛けて…でも実はしっかりとイランという国の色んな問題に差し込んでいる。見掛けはほんわかしたおっちゃん。でもその実態は…静かに怒りの炎を燃やしている、戦う人。

「これ。全然ドキュメンタリーじゃないな」もう初めから。フェイクドキュメンタリーであると分かる『おかしすぎる人たち』

 

当方が鑑賞した回は、映画評論家ミルクマン斎藤氏のトークがあり。(ミルクマン斉藤氏のファンである当方は当日映画館で知って大感動。氏のかつて大阪で毎月開催されていた映画イベント、年末に映画部長とよく行きました。最近の京都イベントは遠くて…一回しか行けていませんが)

「なるほどな」と。なかなか映画本編ではしっくりこなかったこと等に触れて頂いて、大変ためになりました。

そんなミルクマン斎藤氏のトークから、一部抜粋すると。

「あのタクシーに乗っていた人たちは、全員パナヒ監督の知り合い」「あの姪っ子は本当にパナヒ監督の姪っ子」.なるほどなるほど。

 

コミカルな人間模様。でもそう見せて。彼らの語る会話の「ん?」という引っ掛かり。

車上荒らしをする奴なんて死刑にしろ」「そうやってすぐに死刑って言うの、良くないわ」「そんな綺麗事。あんた何者だ」「教師よ」「やっぱりな。あんたらはそうやって世間知らずで生きていけばいいよ」(言い回しうろ覚え。以降もこんな感じです)

海賊版レンタルの何が悪い。そうやって俺がこの国に面白い映画を持ってきてやったんだ」

まずはそんなジャブを打って。でも、終始そんなメッセージ性の強いテーマばかりではない。

「夫が交通事故に遭ったと大泣きする妻」そして「俺が死んだら妻に遺産相続がきちんとなされない。今から遺言を言いたい…だからスマートフォンで動画撮って」何この下り。病院まで送った後も、「あの映像間違いなく頂戴ね」と何回も電話してくる妻。面白すぎる。傑作。

「何時までに某広場までに行って。この金魚を放って、新しい金魚を手に入れないといけないから」金魚鉢を持ってタクシーに乗り込む老姉妹。そんなミッション事体も意味不明な上に、彼女達の持っている金魚鉢が『THE金魚鉢』漫画みたいな丸っこい、ガラス製蓋の無い奴。案の定急ブレーキで金魚鉢は大破。

 

そんな息抜き案件でメリハリもつけながら。

パナヒ監督は、言いたい事が沢山あるようで。

 

そしてその最たる所を語ったのが「おしゃまな姪っ子小学生」と「人権保護弁護士の女性」


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「学校の課題で『上映出来る映画』を撮ってるんだ」そう言って。デジカメでタクシーでの出来事や、監督や、タクシーから見える世界を覗く彼女。

「口が達者やなあ~」兎に角喋る喋る。恐らくは「監督が言えない事」を。

 

表現の自由」「映画監督禁止令」「1979年イスラム革命

当方はイランという国や歴史、思想。を語るベースを持っていません。一応ちらっとは調べたりもしましたが…付け焼刃の知識で語るのも…そもそも「知ったかぶりは恥ずかしい」と思っていますので。もうはっきりと「よく知らないのですが」と言い切ってしまいます。その上で。

 

「やっぱり、いかなる人であれ。如何なる思想であれ。表現する自由はある」

 

難しい討論は出来ません。危険な発言、差別的な言葉、偏見。誰かを傷つけてしまう言葉。それらを言い出したらきりがありません。ですが。

 

「それでもやっぱり、人の口に戸は立てられない。個人が何かを感じるという事。考える事。それを口に出してしまう事。それは自然の摂理で、押さえられない」

 

「自分の思いを表現したい」と切望する表現者を押さえつけてしまう国家。どうなのかなあと…。

 

「後ね。映画って結局は観る側が選ぶものやし。超個人的な世界ですから」

 

如何なる映画であっても。それを「観る」のも「どう感じるのか」も受け手の自由。

どんなに面白いとされる映画であっても嵌らない作品もあるし、またその逆もある。

だから「これは危ない映画だ」と国家が杞憂しなくても…それが「危ない映画なのか」は個人が決める。そして「危ない映画」は別に「反体制映画」とは限らない。

 

「だって。たった一年の中で。一体数多の映画が産まれているというのか」

 

星の数ほど産まれる映画の中で。乱暴な言い方をすると「どんな映画が産まれたってかまわない。寧ろ面白い」と当方は思うんですが。選択肢は幾らでも欲しいから。

(と言いながら。結局は「映画っぽい何か」をしっかり撮って、自国では無くとも海外に発信し続けているパナヒ監督を。「今の所一応野放しにしている」イランは…良く言えば大らかなのかなあ(当方のボキャブラリー不足)とも思いましたが)

 

くどくど書きすぎて、主旨が分かりにくくなってきましたので。ここいらで閉めたいと思いますが。


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「映画は素晴らしいわ。映画を愛する貴方に。このカメラの向こうに居る貴方に」

人権保護弁護士女性は、カメラ越しに美しいバラを観ている当方達に差し出し。

 

「余りにも無知で申し訳ありませんが…早くあなた方が自由に表現出来る様になりますように」

 

赤いバラを受け取って。そう返事した当方。