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ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」

「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」観ました。

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1991年に公開されたエドワード・ヤン監督作品。

1961年。台北で実際に起きた、未成年の少年による殺人事件。それをモチーフとした、驚異の3時間56分。伝説の映画。

4Kレストア・デジタルリマスター版として。25年振りに映画館スクリーンに蘇る。

数年前。エドワード・ヤン監督の「恐怖分子」をたまたま映画館で観て。「何だ何だ。この風を纏った映像は。こんなのがカメラで撮れるのか」と驚愕し。余りの瑞々しさに痺れた当方。

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今回「4時間トイレ休憩無し。ノンストップ」と高いハードルがありましたが。それを上回る期待値に押され。当方の住む地方での初日初回に観に行ってきました。

「万全のコンディションで臨まなければならない」

なのに。前日職場仲間に唐突に誘われた花見。酒の前に無力過ぎた当方の、悲しい狂った宴。
(恐らく翌日の映画チケットを映画館に取りに行こうとした…のか?)当方の居住地とは真逆の方角の電車に乗車。入眠。起きたら他県。最終電車な為、帰宅不可能。
ある意味観光地な駅に降り立った為、泊まれる所は観光ホテル。そんな思わぬ小旅行をしてしまった。そんな朝。

「だが当方は。牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件を観に行きたい。行かねばならぬ」

グダグダのコンディション。眠いし、二日酔いで気持ち悪いし。自己嫌悪で気分も最底辺。
快速電車を使っても一時間以上掛かって。やっと馴染みの映画館にたどり着き。「残席3席」という奇跡のチケットを入手した時。もう倒れんばかりでした。

そんな「当方は愚か者です」という見えないプラカードを首から下げて。鑑賞した当方でしたが。


「何故皆様、すんなりこれを受け入れて飲み込んだみたいに言えるんやろう」

二日酔いを差し引いても、初見ではしんどい。これはしんどすぎる作品。なのに。
鑑賞後の口コミ等を幾つか見かけましたが。概ね手放し絶賛の声なんですね。信じられん。映画を嗜む紳士淑女の皆さまはよほど柔らかい感受性をお持ちなのか。当方が馬鹿なのか。

何というか。「何だかとんでもないものを体験した」という衝撃。

1960年代の台北という時代背景。日本に統治されていた台湾と、そこに入り込んでいった中国からの外省人。その一見共存しているようで横たわる冷たくて硬質な関係性。貧富と階級。安定しない生活と治安。不安定な大人達に、実はしっかりと影響を受けている子供達。
夜間学校。不良グループ同士の対立。抗争。そこで揺れる主人公の少年。そして恋。

主人公の14歳の少年。少年が軸なはずなのに。少年を取りまく要素が多い。人も背景も感情も。そして画面の殆どが暗い。

二日酔いで。寧ろ脱水に傾いていた当方の体。依って「鑑賞中の尿意」の心配はありませんでしたが。如何せん、気を抜いたら眠りに落ちてしまう。案の定、思わず意識が飛んだ時が…正直何回かありました。

「ああもう。誰が何をしている所?今は何が起きている所?」

見失って。何だか泣きそうな気持ちになった時が時々ありました。(特に前半)ですが。

中盤以降。色んな所から差し出された提示がとんでもない歯車となって。最後に怒涛の結論を弾き出した時。色んな感情が決壊して押し流された当方。

話の序盤。学校の隣にある、映画スタジオから懐中電灯を盗んだ少年。
それを後生大事に携帯して。肌身離さず。
夜間学校の学生。不良グループとの関わり。自宅のプライベートスペース(押入れ)ある夜の決起集会。

暗闇の中。少年を。そしてその仲間を。恋する少女を。出来事を。照らし出したのはその懐中電灯。

「暗闇というのが、少年そのものを暗示していたとしたら。暗闇の全貌を観客は必死に懐中電灯の明かりで見ようとした。見えない。もどかしい。でもやっと慣れてきた頃に。懐中電灯をスタジオに返した。その後…闇が光に覆われた時。少年(暗闇)の世界は。そしてその象徴であった少女は。崩壊する」

話がまた行ったり来たりしますが。

映画が始まった時。少年と父親が、街の中を自転車で走る。そのどこまでもどこまでも柔らかい光。そして、話が進むにつれて暗く、闇に覆われていく画面。そして。あんなに人工的な屋台の明かりに煌煌と照らし出されてしまった少年の凶行。もうそれ以降暗闇は無い。最後に少年の家族たちで終わる、その落ち着いた光。そのバランス。

演技経験が殆どなかった少年少女達の。計算の無い演技。危なっかしくて。生々しくて。変にリアル。
あの吹奏楽の演奏の合間の。絶妙な音量と間で交わされる告白。うっかり聞き逃がしてしまったりもしたけれど。実はメモしたかった位の名言の数々。
少年の友達。エルヴィス・プレスリーエピソードに全当方が泣くラスト。

「あの少女。絶妙なファム・ファタール
万人受けする器量では無い。ましてや不良グループのトップ、ハニーの彼女だとか。「私を皆が奪い合う」とか。そんな風には見えないのに。でも…何だか惹かれてしまう。恐らくあの少女はハニー以外の誰のものにもならないから。あの少女がそう決めているから。

「恐怖分子の彼女もそう。手に入りそうで、結局するっと手からすり抜けていく…」



映画を観る時。提示される出来事や背景や人物を。出来る限り追っていきたい。見落としたくない。きちんと着地して欲しい。どこかでそう思っていたんだなと、自身について思った当方。

だから。情報量が莫大すぎて。それが消化出来なくて。映画を鑑賞している途中は一時、絶望と焦燥感で一杯になった。けれど。

「一人の人間を語るとき。その人間はどれだけの情報量に満ちているのか。そしてその全てに帳尻が合って、全て説明しなければいけないのか。しかもたった数時間で」

時代。国。情勢。民族。地域。そんな大きな所から。家族と生活背景。経済状況。教育。兄弟。友人。そうやって個の背景は狭まっていく。そして年齢。思考。性。恋。エトセトラエトセトラ。

一人の人間を取り巻く要因。それは無限大。

お話を作るとき。誰かに見せる時。どうしてもその話にフィットした要因をチョイスして主張する。それが多くの映画の見せ方。でもそこには倣わない。この映画は倣わない。

「だから。この映画は一回観ただけでは完結しない」

大きな流れは飲み込めた。でも。後からふっと過って。嵌るピースがある。散りばめられたあの少年を構成していた世界。それはたった1回、4時間の時間ではすんなり受け止めきれない。やっぱりこちらはまだ暗闇の中に居る。

「ただこれ。相当コンディションを整えていかないと…」

そこで。首から下げていた「当方は愚か者です」のプラカードに気付いて。苦い気持ちで一杯になる当方。

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