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ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」観ました。

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「妻が死んだ。これっぽっちも泣けなかった。」
昨年日本公開された「永い言い訳」と同じテーマを扱ったアメリカの作品。

30代のエリートサラリーマンの主人公。美しい妻と二人暮らし。子供はなし。二人の間はマンネリ化してはいるけれど、特に不仲ではない。
ある日。二人の乗った車が事故に遭い。妻は死亡。一人残された主人公…なのに。

「妻が死んでも涙が出ない。妻を想っていたはずなのに。自分は一体妻を愛していたのか」

自身に戸惑い。そんな時。義父からの「心の修理も車の修理も同じ。まずは隅々まで分解して、そして組み立てるんだ(当方意訳)」という言葉に。
身の回りのあらゆるものを解体し始める主人公。しかしそれは「再び組み立てる」事は出来ない、最早破壊行動で。

そうやって物理的に。そして思い出も自身の気持ちも破壊した時。主人公の元に残るものは。

ナイトクローラー」で不気味なギョロ目を演じたジェイク・ギレンホールが。すっかり矛先を変えて。でもやっぱりどこか異常性を持った主人公を好演した。

これねえ。非常に評判が良いんですね。「名作」「共感できる」「しみじみと心に染みわたる」云々。
兎に角、作中に起きている物騒な出来事も。繊細すぎる心情の移り変わりも。柔らかく、柔らかく丁寧に描くんですよ。

つまり…何を言いたいのかと言うと「睡眠不足で。尚且つ食事を取った直後に鑑賞してしまうと、下手したらまったりしすぎて寝る」危ない作品。

寝入ったりはしませんでしたが…正直まったりしてしまった場所もあった事を、初めにお詫びします。絶対に浅い観方しかしていないと。

言い訳は以上なんですが。

絶賛の声が巻き起こる中、どうしてももやもやとしてしまう当方。何故なら、当方は正に「失ったモノを思ってすぐ泣く」「おいおい泣く」という性質があるからですよ。元々から涙もろいし。

この主人公からした義父、義母。そして周りの人間たち。その分かりやすい悲嘆。涙。そして彼らの連帯感。

主人公の、「そこに交われない自分が居る」という違和感。疎外感。それ、決して批判も非難もしません。当方は。ですが。

「そうやってすぐ泣いて。抱き合って痛みを共有しようとする人間だって、決して物事をすぐに受け入れている訳では無い」
プロトタイプを侮っているんじゃないよと。憤る当方。

アメリカの精神科医。『エリザベス・キュブラー・ロス』
彼女の超有名な1969年発表の著書『死ぬ瞬間』そこで語られる「死の受容モデル」所謂、死を告げられた者が辿る5段階の流れ。ざっくりと言うと。
『否認と孤立』なんで自分がこんな事に!もう自分は世界から取り残された。ひとりぼっち。
『怒り』ちくしょう!なんでこんな事になった! 
『取引き』何かをしたらこの現状から逃れられるんじゃないか 
抑うつ』あかん…抗われん
そして『受容』
これは主に「死を告げられた者」が対象とされましたが。「死を告げられたものを持つ家族にも当てはまる」と言われる死の受容モデルなんですね。

どちらかというとこの作品に於ける義父や義母に近い当方。でも。愛する娘を失って、直ぐに抱きしめ合って泣いていたとして。あっさり『受容』まで行きついている訳では無い。ただ…そう見られやすいというだけで。

始め。所謂「妻を失った夫のあるべき姿」を主人公は非常に意識している。つまり、「愛するものを失った時の、人のあるべき姿」というフォーマットを固定しすぎているから混乱するのだと当方は思いました。

エリートサラリーマン。毎日同じ電車に乗って通勤して。会社はそつなく仕事をこなし。素敵な家に帰れば、美人の妻が居て。そんな日常の中から妻が退場した。その時、自分の立ち居振る舞いはこうするベきだと。フォーマットは承知。でも…そんなシステマチックに人の心は付いていかない。

じゃあ自分はどうすればいい?この作り上げた今の自分から。どこまでが本心なのか?そしてどこまでが作り上げた虚像なのか?
どこを削り落とせば、自分の本当の姿が現れる?どれが飾っていた生活?心は?本当の自分は?本当にやりたい事は?

義父の語った「修理するためには分解しろ」でも主人公のやっているのは分解では無く解体。最早組み立て不能。身近なものから住処まで。観ていた当方が震える位に、色んなものを破壊していましたが。

「モノを壊すというのは正にメタファーなんよな。どれなら直せるとか直せないじゃない。こうやって余分なモノを破壊していった時に、主人公には何が残るのか。それが主人公なりの受容につながっていく」

妻を失ったことで突然露わになった今の自分。感情が沸かない。何でこんな事になっている。妻を愛していなかったのか。俺は人でなしか。そして破壊。己を削ぎ落とす日々。そして徐々に落ち着いていく、その先に見えるもの。

また。そんな不安定な主人公の傍に居たシングルマザーとその息子。絶妙な親子。
薬物が手放せない。男に常に依存しているシングルマザー。でもそんな彼女と主人公は男女の仲にはならない、あくまでも心の友というスタンスの好ましさ。
「ゲイなんじゃないか」と悩む、引きこもり寸前の息子。(またそんな彼に対するアドバイスが…正直な感じで偽善感が全くない)

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ただひたすら削ぎ落としていく日々で。この親子は柔らかく導いてくれる。
決して主人公が全てを破壊しつくて、無くなってしまわないように。

「雨の日は君に会えない、晴れた日は君を想う」

当方はなかなか素敵な邦題だと思いましたがね。

シンプルな自分になった時。大仰じゃなくていいんだと。「妻と居た日々」それを思い出して。ただそれでいい。他愛もないエピソードの、そのキラキラした感じ。ふっと頬を緩めてしまう、懐かしい…でも絶対に二度とそんな日は戻らない。妻はもう戻らない。

誰かを想うという事。悲しみをどう感じるのかという事。誰とどう共有するのか。共有出来ないのか。誰とも感じ方を比較をする必要は無くて。そして誰の感じ方も否定する意味なんか無くて。

悲しい事、辛い事はいつの間にか時間が解決するけれど…その時間には個人差がある。

ただ。その過程をないがしろにしてはいけない。「自分はこうやって乗り越えるタイプ」と決めつけて、端折ってはいけない。

亡くなった妻を。そしてかつての自分を。丁寧に丁寧に弔って…主人公は前を向いたという解釈で。当方は閉めたいと思います。

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