ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「愚行録」

「愚行録」観ました。

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貴井徳郎の同名小説を石川慶監督で映画化。

エリートサラリーマン。美人妻。一人娘。理想的な田向一家を襲った、一家殺人事件。犯人は未だ捕まらず、事件は迷宮入り。
事件から一年。雑誌記者田中は再び事件を調べ始める。聞き込みに向かったのは、田向と同じ会社に勤める田向の同期。妻友希恵の大学時代の同級生。友希恵の大学時代の彼氏。田向の大学時代の彼女。
彼らからの話によって浮かび上がる「理想の夫婦」の違った人間性。その闇。

「胸糞悪い…」非常にどんよりとする作品。

人って、こんなにも悪意に満ちているのか。どいつもこいつも嫌な話しか持ってこない。

初めの。田向と同期の渡辺の語った「新人OL山本さん」のエピソードで。「田向最低。そして渡辺もだ」と、彼らの人間性に見切りを付けた当方。
大体、男の語る「俺あいつと酔ってやっちゃったんだけどさ~」には鉄拳制裁を食らわせたい気持ちで一杯になる当方。気分が悪過ぎるし、しかもこいつらに至ってはおそらく「山本さん、エロいで~。すぐヤれる。でも面倒くさい」「マジで?俺もやりたいな~」のノリで。新人の山本さんの恋心をいとも容易くコントロール。田向から渡辺に気持ちを動かして、ちゃっかり頂いて。
二人で口裏合わせて、いかにも「俺らが山本さんに手玉に取られた」という体裁を繕って。そして最悪な事に、もう随分昔のそんな話を、若かった時の苦い過ちでは無くて武勇伝みたいに語る渡辺。

「お前たちは万死に値する」険しい顔でつぶやく当方。

以降も。「夏原さん(友希恵の旧姓)は綺麗で気さくで皆から一目置かれていましたけれど。でも彼女は誰も救わないし、欲しいものを手に入れる為には人を陥れるんですよ。(はっきり言って性格悪いんですよ)」「田向さんはすがすがしい位に利己的で傲慢でした」エトセトラ。エトセトラ。

「誰からも愛されない、田向夫妻。恐ろしい…」誰も良い風に言わない。普通、死んだ人をそんな風に言うもんかね?分別のある大人が。
また。そういう嫌な話をさも被害者面して語る相手達の表情の醜さ。臼田あさ美市川由衣のお見事感。どちらもこれまで見たことが無かったキャラクターを生き生きと演じておられました。

「そんなことしたら、畳の上じゃ死ねへんで!」当方の妹が、ニュースなんかを見ていてよく言う言葉なんですが。

「まあ…そういう過去というか。自分本位故に周りを蹴落として傷付けたりしてきたことのツケが回ってきたという事なのか…因果応報という」

(余談ですが。妹の寿命が尽きる時。もし当方が存命であった場合は、彼女の体の下に畳を敷いてあげる約束をしています)

そして、彼らにインタビューする、雑誌記者の田中。

「何でもう誰もが興味を失った事件を追うんだ」「まあそう言うな。あいつは今違う事で頭を切り替えたいんだ」田中に文句を言う同僚に、上司が諭すように。
田中の妹光子が自分の娘に対する幼児虐待で逮捕されたという現状。何回も接見し。弁護士と話をし。
田中と光子もかつて虐待されていた事と、光子の不安定さから精神鑑定を受ける事になった光子。

一見、そんな自身の現状から目を逸らせる目的で仕事に没頭しているように見える田中。しかし、彼がこの事件に拘るその本当の訳は。田中の抱える現実と、終わったはずの事件。その二つが交差する時。

まあ…正直、田中兄妹に関しては想定内過ぎて特に驚く事は無かったです。
満島ひかり演じる光子。満島ひかりはすっかり演技派女優。流石の熱演でしたが…何か…何か(小声)光子はちょっと違う感じがする。
夏帆…かな」脳内で夏帆に置き換えてみたら。結構インパクトありますよ。
一から十まで「まあそうなるんでしょうな」の連続。ですが。

「その結び付けは強引すぎる」
何故そこに光子が絡む。無茶すぎる。そしてあの兄妹には指紋が無いのか。日本の警察は無能か。
大風呂敷の畳み方が雑すぎて…おいおいと引いてしまう当方。

結局人間の嫌な所を散々見せられて。救いも無く。どんよりとするばかり。誰も幸せにならない。

ところで。この作品において特記するべきは「映像の美しさ」

石川監督がポーランドにかつて留学されていて。この作品の撮影監督がポーランドの方なんですね。硬質な雰囲気というか。青のトーンが強いというか。雨のシーンの水滴なんか、兎に角綺麗で美しい。全体的にクールで落ち着いていて、日本映画特有の湿度が高い感じがしない。

まあでも。話は相当にどんよりしますが。

「確かに『愚行禄』の看板に偽りなし」でも。

彼らだって、誰かからは愛されていた。
人は見方によって幾らでも多面性に溢れるけれど。妻に。夫に。娘に。妹に。兄に。愛して愛された経験だってある。嫌われ者や人でなしも。誰かにとっては大切な人なのかもしれない。

他人を悪く言う時、己の顔も気持ちも醜いものに変わる。それは嫌だから。当方は嫌だから。誰も救われないし。

何事に於いても。誰に対しても。ただ否定するのではなく。どこか一つでも良い所を見つけようと。何故かそんな事を思った作品でした。