ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「人生フルーツ」

「人生フルーツ」観ました。

f:id:watanabeseijin:20170117165042j:plain

愛知県春日井市高蔵寺ニュータウンの一隅にある雑木林に囲まれた平屋。そこに住む、ある夫婦のドキュメンタリー。

津端修一さん90歳。妻の英子さん87歳。かつて日本住宅公団のエースであった建築家の修一さん。日本にある幾つもの団地や集合住宅等の都市計画に携わり。高蔵寺ニュータウンも「街と自然が共存する」というコンセプトで計画。でも。

おりしも高度経済成長を見せていた1960年代。そんなのんびりとしたコンセプトは実現せず。結局出来たのは「どこが自分の家か見分けが付かない」様な、画一的な団地達。かつてあった木々は切られ。ただ無機質な街が出来てしまった。

修一さんは一線から離れ。その街に土地を買い。自宅を建て。家族と共に、木や野菜、果物の木を植えた。そして50年。

雑木林に囲まれた。その終の棲家で。コツコツと丁寧に暮らしてきた、その夫婦の姿を描いた。そんな作品。

「これは。究極のスローライフ。そして理想のシニアライフだ」

四季折々。庭で取れる野菜や果物。それらの世話をして。大切に頂いて。慎ましく暮らす二人。もう「自称スノッブ」な連中垂涎の憧れ素敵ライフ。でも。

これは、ただの年寄り二人のほのぼの可愛いお話しでは無い。

(まあ…ある意味、スノッブを突き詰めて毎日積み上げた最終形態とは言えますが)


丁度当方が映画鑑賞する前日の「プロフェッショナル仕事の流儀」でも「住宅をリノベーションする」建築家が、近年都市の再生事業にも携わっている事を取り上げていました。
そこでは、当方も良く知っている近くの街が取り上げられていて。つまりは「高度経済成長。ベビーブーム。そんなイケイケな時代にどんどん生み出された集合住宅や団地の老朽化。空き家問題。都市に人口が流れていく中で、どうやって地方の空洞化を解決していくのか」みたいな案件。
そこで件の建築家は「その土地の元々持つ歴史や、地形。それを踏まえた上で街を作らないといけない」という事を言っていて。

恰好良いデザイナーズマンション。はやりの古民家。建売住宅。勿論数多のニーズと価値観がありますし、どれも否定されるいわれは無い。ただ。

「100年後も住みたい家なのか」家は本来使い捨てではない。
その街で生きていく。家は外でどんなにつらい事があっても帰ったらほっとする場所。
大切な、きらきらした場所であるはずで。


恐らく。修一さんは「高蔵寺」という場所で。自然に囲まれて暮らす家族達を思い描いていた。でも。出来上がった街は、自分の思い描いたモノでは無かった。

だから。自分でそこに住んで。木を植えた。近くの学校なども巻き込んで、山にもどんぐりを植えた。そしてそのどんぐりは今大きくなって山を育てている。

一見穏やかに見える、その人の信念と執念。

(下世話な意見ですが…それって、周りに住む「高蔵寺ニュータウンに惹かれて住んだ人達」にはどう映っていたんですかね?)

また妻の英子さんの「寄り添うってこういう事だな」という姿。

「修一さん」「英子さん」と、幾つになっても互いをそう呼び合って。
造り酒屋の一人娘であった英子さんは「夫にはきちんとしたものを食べさせて、きちんとしたものを着せる。夫がきちんとしているという事は、引いては自分もそうなる」という実家での教え通りに行動している。
結婚当初の貧乏な時代も。修一さんにそうは思わせず。奔走し。
歳を取った今でも、地味かもしれないけれど身なりはこざっぱりと整えて。(結構お洒落)
食べ物には気を使い。殆どが手作り。おやつにはケーキを焼いて。その「昨今SNSで上げてくる、女子力自慢の見栄えの良い食べ物」では無い「素朴なお婆ちゃんのケーキ」でもその味は絶対に無敵なはずで。「修一さんが好きだから」と料理にじゃがいもをよく使う。でも「私が唯一嫌いなのはじゃがいも」とあまり食べない。
朝は絶対ご飯という修一さんの朝ごはんを作るけれど。一緒に食べる自分は絶対にパン。

相手を尊敬し、その信条を大切にする。支える。
でも、自分の意見を押し殺さない。曲げられないものは無理に曲げない。

同じ方向を向いて。気持ちや思いが交わる事が多い。だから一緒に居て楽しくて。一緒に居る。でも。
全てが全部、同じ方向を向いている訳が無い。だけどそういうものだと、どこかであっさりと折り合いをつけて。

「彼女は僕の大切なガールフレンドだから」

まあ。どこまでをスクリーンの前に座る我々に見せるのかは、彼らの自由ですので。ただぼんやりと受け止めて推測しているだけなんですが。

結婚して半世紀以上。スクリーンの前では穏やかな二人の。絶対に簡単な言葉では言い尽くせない色々。それらを越えて今、一見穏やかな姿を見せている。

そして。年齢的に、やっぱりこういう時間は永遠ではないという現実。


津端夫妻の姪っ子。恐らく年齢的には現在もう立派な社会人なのであろう彼女。その姪っ子が幼かった頃に「シルバニアファミリーの家が欲しい」とねだられて。
「プラスチックの家なんて駄目だ」と姪っ子の意見を聞きながら作ったという「シルバニアファミリーの家」その余りの立派さ。丁寧に作られたその大きな家を見た時。何故かどっと涙が出た当方。「これは一生ものやないか」

こんなに。モノや人を大切にして。そんなお爺ちゃん、お婆ちゃんのありがたみが愛おしくて。でもそれを痛いくらいに感じる時。その人は居なくて。


人生の幕引き。誰もがどうなるかなんて分からない。でも、これは…羨ましい。幸せなんじゃないか。


「人生は、長く生きると美しくなる」素晴らしい。

修一さんの。90歳で仕事として関わった九州の精神科施設。いつか機会があれば見てみたいと思いました。