映画部活動報告「聖の青春」
「聖の青春」観ました。
1998年に29歳の若さで他界した、実在の将棋棋士「村山聖」の将棋人生を描いた小説。の映画化。
村山聖役を松山ケンイチ。そしてライバルの羽生善治を東出昌大が演じた。
「将棋か…全く存じ上げませんなあ」
日曜日。NHKでうっかり遭遇する将棋番組。3秒もしない内にチャンネルを変える当方。ルールを知らなさすぎて。
「正直、将棋の駒ではドミノ倒ししかした事がありません」
そんながっかり当方が。NHKでやっていた「村山聖特集」を目にして。そのストイックさに驚いて。思わず観に行きました。
当方は将棋トウヘンボクで。(羽生善治が将棋界のレジェンドである事は一応知ってはいましたが)ましてや、特別松ケンファンでもない。一体どうなる事かと思いましたが。
結論から言うと素直に楽しめましたし、真面目に作られた作品だなと思いました。
因みに、当方の座席隣りには将棋ファンの方(おそらく)が居られまして。
劇中身を乗り出して。時折「おお~」と息だけの声。そして溜息…に「何?!何が起きているのか‼」と焦った当方。
「松ケンって太りやすいんやろうな~」
デスノートのLをリアルタイムで知っている当方としたら、あれから瞬く間に丸っこくなっていった松ケン。
どんな役でも出来る力を持ち。でもその朴訥とした外見からか、ほんわかキャラかイロモノ俳優になりつつあった松ケン。
(あの、全編青森弁という「字幕付けろや!」という映画はなかなかのインパクトでした。まああれは…脳みそでハンカチ落としとかもありましたし…って脱線)
「いや。今回に関しては太りきれていない。松ケンは太りやすい訳じゃ無かったんやなあ」
村山氏の実際の画像を見る限り、松ケンがいかに「太る努力」をしたのか、その大変さ。でありながら「ネフローゼなどの泌尿器科疾患患者の独特な風貌(浮腫)」を「ただ太る」事では再現できないのだとしみじみ思いました。
やっぱり、役柄によってはムラのあるとしか言いようのない彼が。「自身も将棋好きであり、研究を重ねた」と発言していたのも成る程。今作はばしっと決めていました。
当方の(あくまでもテレビで浅~くですが)見たことのある羽生善治。(褒めています)確かに似ている。
村山聖。
広島で生まれ。小児期にネフローゼと診断され。入院し、院内学校で過ごした学童期に将棋と出会う。めきめきと頭角を現し、14、5歳で単身大阪に上京。森先生に弟子入りする。
「この森先生との日々が、原作ファンの大好きな所なんやろうな~」
後から色々資料を読むと…本当に村山氏は良い師匠に出会えたんやなあと思いました。親御さんも、病気を持つわが子がまだまだ子供の時に巣立つのは不安で仕方無い。でも、その相手が森先生であったのはほっとしたんやろうなと。
「関西将棋会館…そしてこの街並み…馴染みがありすぎる。」
おいおいこれあそこやないかと。急に穏やかさを失う当方。大阪環状線内回りの。京橋から梅田に向かう、その景色。
「1990年後半当時とは大阪駅の出で立ちが全く違うんやけどな…」そして「こんな標準語を喋る古本屋があるか」「皆一体どこの言葉を喋っている」言語問題に若干モヤモヤし。まあそれはご愛嬌。
そんな村山氏の大阪時代。強くなるために。もう一つ上京。東京。
同世代でぐんぐん伸びて。もしかしたら手が届かない所までいってしまいそうな羽生善治。その人と。将棋を指したい。勝ちたい。兎に角同じ土俵に昇りつめたい。
そして実現する、羽生善治との一戦。
「しっかし。あの雪の旅館での将棋戦。実際の一戦を再現したという驚異もさながら。あの夢みたいな美しさ」
羽生善治の負ける時のエレガントさ。しびれる当方。
…ちょっとその後の酒場での会話にはやりすぎかなと感じてしまった当方でしたが。
(後ね…どこまで真実かは知りませんが。あの…女性に関してはプロの方を試していいんじゃないかと思ってしまった汚れちまった当方。だってあんな事、羽生氏だって言われてもどうしようもないですよ…)
「太く短く生きた人」
当方が。映画を通した村山聖氏を観て、思った事。
腎臓の機能が落ちていて。すなわち、体から出る排出物の排出が上手く出来ない、毒素が溜っていく。それは不可逆性のモノで、奇跡はあり得ない。進行は遅らせる事は出来る。でもその為には、かなり生活をセーブして、慎重に己を管理しないといけない。でも。
自分はそうやって生きたくない。病にびくびくしたくない。やりたい事を思いっきりやりきって、やりたい事だけに集中したい。
やりたい事だけに集中したい。そう思う事はあっても。一体どれだけの人がそれを実行出来るというのか。
「大阪時代は森先生が居た。森先生は将棋だけではなく、恐らく心身に渡って面倒を見てくれたんやろう。でも…単身東京に向かった後。彼の健康管理はどうなっていたんやろう…」
完全に勝手な推測ですが。あんまり好ましい感じじゃなかったんじゃないかと邪推する当方。
「膀胱癌。ネフローゼとは関係無いけれど…せめて…せめて同じ泌尿器科なんやし…定期的に受診して、早く見つかっていたら…あの当時から初期なら内視鏡で取れたんちゃうか。」たらればですが。
ただでさえ腎機能が悪く。片方の腎臓はほぼ死んでいる。手術をしないと余命3か月。なのに。
「全身麻酔をしたら頭がボケる」
麻酔科学会が思わず総立ちになる偏見。「全身麻酔をせずに膀胱とその周りの組織を取るなんて不可能だよ」外来での泌尿器科医師と同じ早さで同じ言葉を(脳内で)返す当方。そんなの、江戸時代位の拷問やぞと。
20代後半の男性。本人の首に紐を付けて。無理やりにでも手術を受けさせたい。だって。再発のリスクがあろうとも、そもそも手術をしなけれは死んでしまうもの。なのに。しんどくても。例え体がままならなくとも、目の前の将棋の事しか考えていない。
ああもどかしい。切ない。やりきれない。でも本人はそう思っていない。
結局「頭がボケる」状況が起きて、やっと手術を受けたんやなあと思いましたが。
ちょっとここらへんからの描写が…正直、急速にはしょりだすんですよね。始めから中盤にかけて時間を掛けすぎているんでしょうか。駆け足。そして。
最後の羽生善治との対戦。
29歳で生涯を終えるという事。勿論短すぎるし、彼にもっと生きて欲しかったと思う人は沢山居る。生きていれば。どんな姿であったとしても、生きているという事には意味がある。でも。
将棋に。たった一つ打ち込めるものが将棋で。それを見つけて。徹底的に向き合えた。そんな人生。
歳を取る事なんて。老いる事なんて考えない。今向き合うモノは将棋。
そして、将棋が打てなくなる時は命の終わり。
「カッコええやないか。そんな人生。」
そんな村山聖氏の生き方に多くの人が魅せられ。だから今でも色あせない。
まさか地味としか思っていなかった将棋の世界がそんなにドラマチックやなんてな。
とある映画を観た後。少し足を伸ばし。「関西将棋会館」と、その周りを散歩した当方。