ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「64 ロクヨン 前編」

「64 ロクヨン 前編」観ました。

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昭和天皇崩御にて、たった7日で幕を閉じた昭和64年。
とある漬け物工場社長の娘。7歳の少女が誘拐され。そして無惨にも遺体で発見された。
未解決事件。

そして14年後。

当時関わった警察関係者達。そして被害者の父親

時は流れ。違う環境に居ながらも、皆何処かで64に心を残していた。

目の前で起きる出来事たち。
そして、のっそりと姿を見せる、64の影…。

硬派なお話大好きな当方の妹。昨年は「ソロモンの偽証」を一緒に観に行ったんですが。

「硬派な邦画枠来た。行くか」

そう打ち合わせながら。互いの些末な用事から、なかなか都合が付かず。遂に後編が公開。
誰のせいだと醜い争いを夕飯で繰り広げるなか、母親の「何それ。お父さん観たやつやん」という興味。

翌日。満を持して。母親の運転する車に乗せて貰う当方と妹。近くのシネコンへ。
家族で鑑賞。そして。

「後編も一気観したい‼」

母親と当方の満場一致の盛り上がりを「しんどいから」とぶったぎる妹。殺意。…結局、後編までのベンチタイムが20分も無く。還暦超えの母親の体調を思い、一気観は断念しました。

まあ、そんな内輪話は良いとして。

原作未読なんで。どこまで話に沿ったのかは分かりませんが。

「前後編としての風呂敷は広げきれたと思う。」

三谷幸喜作品とはまた違う意味での、オール主役級キャスト。演技合戦の泥試合。
誰もにスポットを当てなければならず。軽く流せず。でもキャストの多さ故にさくさく流さないと話は停滞するし。

伏線だらけ。ぼんやりもうとうともご法度。

軽~い気持ちで行ったら、取り残される。そんな前編。

刑事部から公報に移動となった主人公。

報道と上手くやりたいのに、現在は実名報道云々で揉め。

家に帰ると、一人娘は引きこもり。無理矢理引きずり出すと、主人公を憎み家出。音信不通。

何処に行っても、誰からも追い詰められ。上手くいかず。

「辛い…。これは辛い…。」

当方なら心を強く持てない。

そんな中。蒸し返される64事件。

永瀬正敏の役者魂よ。妻子に先立たれた男やもめの侘しさ。絶望。…と見せかけて、結局は消えていない。諦めていない。静かで消えない青い炎。

前編では、64関連のストーリーの他に「知る権利」「開かれた警察」「報道の自由」という表のテーマと「報道の自由という名の傲慢さ」「隠ぺい」「誰の視点で物事を伝えるのか」「倫理」という裏テーマがあるのかなと思いました。

というのも。

「知る権利」という言葉には、当方はいつも傲慢さと「答えを個人が選ぶ権利」という言葉を当ててしまうから…。

上手く言える気がしませんがね。

「こんな悪いことがありました!」「ひどーい。許せなーい。」

勿論、社会通年、道義的、倫理的にアウトな事柄はある。でも、そのジャッジはあくまでも最終的には個人に任されているはずで。それがイチ報道やゴシップに主導権を握られている事がどれだけあるか。

それが、過剰に誰かを傷つけた過去を我々は数多と見てきたのに。

「ならば報道はあくまでも中立な立場で、淡々と伝えて欲しい。伝える側の過剰な思い入れは、結構伝わるものだから。」

警察も思惑があった。だから実名報道には踏み切らなかった。でも「名前を教えろよ!」と怒号を浴びせる報道陣も、最早違う次元に居る。「悪いことをしたのはこいつだ!」吊し上げは一体誰の為?

そして、置いてきぼりを食らう被害者。

だからこそ、最後の膨らんだ所で「こういう人生を送った人が居た」という報道をという所にグッと来た当方。

法を犯した者が居る。彼等は勿論きちんと裁かれるべきで。
でも、それを裁くのはメディアでは無い。

被害者や。時には加害者も。誰もが生きた、又は生きていた人間で。皆生活や営みがあった。

事件は在り来たりでも、誰一人在り来たりな人生なんて送っていない。

警察の公報と、メディア報道。立場は違えども、結局は向かうべき方向は同じはず。一体誰の為に、何をどう伝えるのか。片寄らず。あくまでも中立で。

前編のテーマがこじんまりと落ち着いた中。

「上手い引っ張りやなあ~。」

64模倣事件の発生。そこで一旦幕を下ろす前半。

前後編を作るやり方としては、中々のやり手。

妹に後編鑑賞をぶったぎられた、当方と母親。不穏な雰囲気のランチを頂きながら。

「明後日は休み」「明後日は泊り勤務明け」「そこで観る」「感想を語り合おう」「妹?」「知らん」

互いに手帳片手に誓い合い。妹そっちのけで燃えたランチでした。