ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「リリーのすべて」

「リリーのすべて」観ました。


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世界で初めて性転換手術を受け。性移行した実在の人物、リリー・エルベとその妻ゲルダを描いた作品。

リリーをエディ・レッドメイン。ゲルダをアリシア・ヴィキャンデルが演じ。アリシア・ヴィキャンデルはアカデミー助演女優賞を受賞。

トム・フーパー監督とエディ・レッドメインレミゼペアか」

当方はレミゼエディ・レッドメインが演じた「マリウス」に対し「革命は高等遊民の遊びか‼」と否定的でして。…でも、一見女子受け満点のエディ・レッドメインの力強い役者魂は、昨年の「博士と彼女のセオリー」で充分に伝わりましたがね。

そんなオスカー俳優の次回作。という体もありました。実際、男優さんが性同一性障害を持った女性の役をするのはかなり難易度が高いと思うし。実際に体を張りまくっていたと思うし。普通見せないパーツも見せていたし。

でも。

そのインパクトを支えたのは、やっぱり妻役のアリシア・ヴィキャンデル。

「妻」と表すより「パートナー」とするべきなのか。

ある意味、自我に気付き、そこを矯正するのは超個人的作業と言える。

でも。愛する相手が、その相手自身を否定し変わろうとする時。果たしてパートナーはこんなに寛容になれるものなのか。

「あの時。あの時を取り戻せたら。無かった事に出来たら。」

些末な事から、本当にそう思う事まで。

人生にはやっぱり誰にでもそういう事は幾つかあって。

美術学校で恋に落ち、結婚した二人。互いに少し売れていたり、売れていなかったりの画家で。

ある日。モデル不在だった妻は、夫に女性モデルを依頼した。きっかけはたったそれだけ。


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それが。女装趣味を開花してしまったと。二人だけの遊びだとまだ遊べた二人の。甘く見れた妻の。

でも、その取り返しの付かない掛け違い。

「違う。自分は本当は女性だ。」

夫の気づいてしまったアイデンティティー。もう後退の許されない変化。

例えば。酔っ払った流れで同性と出来ること。それは…当方で言うと、せいぜいチューとハグまで。それ以上はやっぱり誰とでもは無理。(正直、好き嫌いはありますよ。そして素面の時は異性だろうが流れで誰とでもは無理)

精神的には「好きになったら、性別は関係ない」と理解している。だからどんなカップルのあり方も、今まで偏見で見た事はありませんでした。(実際、リアルな同性カップルに対し、失礼極まりない発言をした友人にキレた事もありました)

でも。当方に、そんな人物はリアルには現れていない。
だから…当方には、己がする同性とのチューやハグ以上のスキンシップは現在想像出来ない…。頭では理解出来ていても。

一番近くで今を共有し。セックスレスとまではいかなくとも、まま満ち足りたスキンシップをし。子供がどうとかではなく、二人でずっと生きていけると思っていた相手。

それが。相手は自己を否定し、新しく生きていく事を選択する。

それは、今愛している伴侶を、その肉体を持つ者自体が殺す事で。
否定される、自分の愛している者。それは…ひいては自分たちの日々も否定されてしまう。

互いにヘテロセクシャルを有する二人は、その肉体で交わる事は出来ない。

「とにかく今。手を握って。肩を抱いて。抱き締めて。触って。…黙ってただ横に居て。」

ヘテロセクシャルの「とにかく今。異性に慰められたい」という気持ち。それは、エロい意味だけではない。

自分以外の誰かが。一人で落ちそうな暗闇から救ってくれそうな気がする。一人ではないと抱き締めて、触れ合って。そういうすがりたい気持ちに向く時がある。

その相手がヘテロなのか、ホモなのか、性差を越えた個体に向くのか。本当は、ただそれだけの違い。ただそれだけ。でも。

かつて夫婦は寄り添えた。でも、自我に目覚めた夫は、性的には向き合る相手ではない。

かつて二人の間で交わされたあれこれも。今ではレイプになりかねない。

何故なら、夫の今の体は、夫の持つ性ではないから。

「これは、性差を越えたソウルメイト物語云々」という感想を見ましたがね。

僭越ながら。当方が思うのは。

「果てしない自己犠牲を伴った、深い愛。」

かつての夫が、女性であると目覚め。一進一退を見せながらも性移行を進めた。そこに戸惑いながらも理解を示し。

後押ししたのは、間違いなく「夫婦」であった、かっこたる二人の時期があったから。それは決してまやかしではないから。

二人が出合い、男女として育んだ愛。それありき。

「その流れをソウルメイトだと言うんだよ」という声が聞こえそうですが。

「私は、貴方の愛には値しないわ」(リリー)

早くから泣いていた当方が、ぐっと強く泣いた言葉。

そうなんですよ。リリーは、結局自分の道をぐいぐい進んだ。「私は女だ」「女の姿を取り戻したい」「女として幸せになりたい」

そこに、同じく「女として幸せになりたい」と思っていながら。たまには文句を言いながらも結局は後押ししたゲルダ。


一緒には幸せにはなれない。

だから。かつて愛した。そして今でも愛している人が一番輝ける手段を考える。そこに行ったその人は、自分ではないものを見て、愛するのかもしれない。


でも、自由で輝く貴方が好きだから。


その、報われない愛。絶望。

まあ、ゲルダにも都合の良いプーチンが居るっちゃ居るんですがね。

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夫の初恋の人。成人した今はヘテロセクシャルで。妻を支える…一応映画では精神的に。

まあ。リリーもゲルダも史実の人物でありますので。映画鑑賞後ちょっと調べてしまった当方。
…映画のお話上、綺麗に納めたんだなと思ったりもしましたが。


「自由に。飛ばせてあげて」


あの時。夫にだけではなく。恐らく自分自身にも言ったのだろうと思う当方。

エンドロールで役名が「リリー」で出た時。色んな意味でまた泣きました。

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