映画部活動報告「ハッピーアワー」
「ハッピーアワー」観ました。
37歳。4人の女達。
バツイチで看護師のあかり。中学生の息子を持つ桜子。編集者の夫を持ち、自身はイベント企画運営をこなす扶美。学者の夫を持つ専業主婦の純。
「桜子と純は中学からの友達で、私達は30過ぎてから友達になった。」
何だかんだしょっちゅう会う仲良し4人組。
既婚者3人。彼女達が各々抱える配偶者や家族の問題。あかりの、時には虚勢を張りながらの、仕事をしたり1人で生きていく辛さ。
1人の家庭生活の破綻を発端に、今まで見せなくて済んでいた筈の自分を見せ、また見る羽目になっていく彼女達。
「女の友情」
表面的ではない、本当のそれをつくっていくとは?
5時間17分。3部構成。
当方は、滝口監督作品は初めての鑑賞。
目を疑う上映時間でしたが、前評判とお話の設定からどうしても気になって観に行きました。
冒頭の六甲ケーブル。そして山頂での会話。
「棒読み。独特の間合い。大丈夫か?」
不安が過る当方。
第一部が始まって、出てくる皆が揃ってそういう感じ。「これはカットできるやろう」「ワークショップの模様まるまま?」という各シーンの長さ。
でも。今思い返せば無駄なシーンは無かったと振り返る当方。
「話が雪だるま式に転がる」という言葉がありますが。
「この作品は、その雪が降る所から描いているんだな。」と思う当方。
始めに感じていた違和感はワークショップ後打ち上げのくだりあたりから姿を消し。第二部、第三部前明転の時には「…はっ。今完全にこの世界に居た」と思う次第。完全に癖になっている。
…どういう切り込みでいくべきなんでしょうかね。兎に角、内容は十二分に映画内で語られてたので…。
当方は、当方の居住地域の初日公開で観れました。
なので、幸運にも監督と女優さん達の舞台挨拶があったのですが。
(当方のシャッターセンスの無さ…。)
4人の女優さんが揃っては居なかったのですが。
彼女達の話す姿を見て、つくづく「ある意味当て書きと言うか…。どの役を入れ替えたとしても、成立しなかったんだな」と思いました。
あかり。一見横柄で、自分の納得出来ない事ははっきり言う。
「ああ…。この人はうるさいだけで仕事が出来ない看護師だ。」
仕事を見せるシーンがそんなに多い訳ではありませんがね。
出来ない後輩に「あんたもおっきいミスをしたら変わるで。私はちゃんと守ってやるから。」と言うくだり。
確かにそんな事を言う人は居る。言いたい事も分かる。でも…あんたの仕事は人間相手だろうが。あんたの言うおっきいミスで痛い目に合うのは患者になるんやぞと。
当方はこのフレーズを言う輩にはリアル界でもキレるので、本当にムカムカしました。
そして、後半のインスリン事件。
あのインシデントの問題点は「うっかり間違えた」では無く、後輩の「先輩が間違う訳はないから言わなかった」という点。
自分の威圧感から後輩が萎縮し、言えない環境を作っていた。これは後輩は責められない。
そして映画では二人しか描いていませんが。
あの病棟にどれだけの人数のスタッフが居るのかは知りませんが。
「おっかないベテラン看護師」にモノが言えない若手看護師が恐らく沢山居るチーム構成の中で、このミスは本当に重大なんですよ。
とは言っても、彼女がチームの中でいわゆる「必要悪」であるのも確か。
医療。という典型的なチーム集団に於て、皆が互いにとってやり易く当たり障り無くやってはいけなくて。お友達で仲良しでやるにはシビアな命という対象。
厳しく言う人も居れば、優しくフォローする人も居る。おろおろする新人も居れば、見て見ぬふりな者も居るし、熱くなったり、疲れた者も居る。
新人やそれに近い人が「この人の言ってる本質」を見抜く事はやっぱり難しい。優しい声を掛ける人物はその時々必要。でも、必死にキレてくる人物の、口調や言葉の荒らさでは無い「言いたい事」を知るのはずっと後で。
そういう役割をしている彼女の辛さはしみじみ伝わりましたがね。でも…そういう人は得てして自分の辛さを垂れ流してくるので…「疲れた…。一人はしんどい。優しくされたい。結局男に抱き締められたい。安心したい。…うちも女やし。」みたいな…。
嫌いなんだよ!当方はそういう女々しいドMは!(基本的にこの手の女性は完全なM)悔し涙を堪えながらのM転化しかワクワクしないんだよ!(失言)
「あかり。そうやって自分の物差しでしか計らん人間に、本当に大切な事は言わんよ。(意訳)」
桜子。可愛いくてたおやかなビジュアルと、終始困った表情。でも、彼女の放つ言葉の辛辣さ。
後半、舐めた事を言う若い女子も叩き切っていましたが。
こういう、いかにも「きついことを言わなさそう」な人物が放つ言葉って、結構来るんですよね。
同級生の彼氏と結婚。息子を授かり、今は中学生。専業主婦。女子界でもかなりの勝ち組の彼女の苦悩。
「親は思った程大人じゃないんよ。子供が思った程子供じゃないみたいに」
本当にそう。本当にそう。
当方は何者の親でもありませんが。
叩く膝が痛くなる位の真実。
大人は大人では無い。
彼女は一見、全てを包み込む役割。でも違う。
彼女の優しさは、黙って飲み込む事ではない。そうやって近寄ってくる者に姿を映し、思い知らせる鏡。
でも、その鏡だって己の姿は誰にも映さない。
一気に陳腐になりますが。やっぱり母親の貫禄なのか。
「肝が据わっているんよなあ。」
芙美。インテリジェンスの高い夫婦。子供という煩わしさも無い。大人でドライな夫婦関係。
互いを尊重し、過剰に干渉しない。
自分をどう見せるか。自分達をどうプレゼンテーションするかは自分で決める。…なのに。
高すぎる自意識を崩壊させる「嫉妬」。しかも自分より一回りも下の朴訥とした小娘に。
何の肉体的なアプローチも見せないそいつに、夫に。口を出した途端崩れるであろう自分。
でも、彼女は結局どこまでいっても常識的な人間で。
不愉快さも、気まずさも感情的には処理しようとしない。その持って回った対応は、時に短絡的な人間には理解出来ないし、腹を見せていないと吠えられるけれど。
ところで。彼女の企画運営するイベント。あれは大丈夫なんですかね?
内容もしかり。打ち上げはもれなく毎回決裂。しかもまだ乾杯位で、何も食べていない。なのに誰かが椅子を蹴って(例え)退出。…あれ。やられたら残された者がどれだけしらけるか。そして誰がお金を建て替えると思っているのか。あんなの、メインゲストが良い気しないよ。
純。
4人と元々個々の知り合いで、彼女達を引き合わせた。そういう、お節介な一面がある。人生はいつもこれから。
「こういう一見地味なテイストで波乱万丈さを招く自由人が居るんよなあ。」
彼女の置かれた環境からすると、決して「自由」ではないけれども。
仲良くなった友達を笑顔で見守りながら、自身の窮地は知らせずにそっと退場。
誰も見えない所で、当事者にはピンと来ない大切な言葉を去り際につぶやく。
例えば、素材の違う紙を繋げるホッチキス。でも、ホッチキスって紙を繋げたり束ねる力はあるけれど…プラスチックか金属で紙ではないし、物理的にモノが違う。つまりは束ねられるものと、そのアイテムは絶対に一緒にはなれない。そういう役目。
仕事であり、友情であり、家族であり、配偶者であり。
彼女達が立場を変えながら言うのは「言葉や態度で示して」「気持ちを表して」「私はこう感じる」
でも「長い付き合いの中で、言わなくても分かる事がある」「こんな事言いたくない」「どこまで言うかは私が決める」
そして「分かって欲しい」という望み。
映画で描かれ雄弁な彼女達に対し、男たちの悲しさ。
あの不器用すぎるお役所夫の最後に泣きそうになる当方。
だって、彼らだって彼女達と同じだから。
「初めてそんな事を言われた」と傷つく彼ら。
決して彼らは(自身の中では)愛しているという気持ちに手を抜いた訳ではない。「言わなくても分かるだろう」と思い「一生懸命(例えば仕事を)頑張れば分かってくれる」と文字通り頑張っていた。それが家族を守るという事であり、引いては愛情を示す事だから。
なのにパートナーから繰り出される突然の三下り半。
彼らの立場にしたら、女達の欲求だって「その言葉。そっくりそのままお返しするぜ!」としか言いようがなくて。
結局…何なんですかね。
だらだら書きましたが、全然纏まらず。
表面上では上手くいっていた友情。夫婦。家族。仕事。
その足元をすくったワークショップのテーマが「重力」。皮肉。
グラグラとしながらも、ゆっくり無心になってふっと重力がなくなる瞬間。そしてぴたっと止まる。人から見たら歪な体勢であっても。
そうやって立つ自分を見つけた時。支えたものと要らないもの。
あのだらついたワークショップが、後から思うとどんどん重要であったと思えてくる。
ただね。
リアルに考えた時。「37歳。女性。既婚、未婚。キャリアウーマン。専業主婦。子供が居る、居ない。」この4人が密に会って、(しかも30歳過ぎてからの出会いもあり)互いの事を言い合いながらも付き合いを絶たないって…奇跡ですよ。本当に。
「仕事が。旦那が。親が。子供が。」色んな事を理由に女達は都合を合わせられないし、マウントを取りたがる故に互いを冷静に見れない。誰だって「自分が女の人生としてベストだ」と言いたい。(歳を取らないと同性相手に「女は」は外さないですよ」)
だから。この4人の関係だけでも幸せだと思いますよ。当方は。
そして「ハッピーアワー」というタイトル。
「ハッピーだったのは、観ていた側だ。」
あんなに長い間。簡単に答えは出ない色んな事を、散々魅せてくれた。…ひょっとしたら足りないくらい。
観る者を選んでしまうであろうその映画の。観た者として、観た仲間を捕まえてずっと話していたい。
観る者によって観方が絶対に違うそれを延々語りたい。だってそこには自身の半生から裏付けられた根拠があるから。
絶対そう思うはずの。
だからこそ、機会と体力があれば是非とも観てほしい映画でした。