映画部活動報告「黄金のアデーレ 名画の帰還」
「黄金のアデーレ 名画の帰還」観ました。
多くの映画好きが薦め、年間ベストにランクインしまくっているこの作品。
気になっていたのに、日々の些末なゴタゴタ故に観逃し…と落胆していた所のシネ・リーブルの救済措置。即座に観に行きました。(結構な人が居ました)
1990年台も終盤。80代のアメリカ在住女性がオーストリア政府を訴えた。
「オーストリアのモナリザ」とも言われていた「黄金のアデーレ」を、本来の所有者である女性に返還せよという内容。
彼女に付いていたのは、駆け出しの弁護士。
そんな、無謀とも言えた実在の返還騒動の映画化。
クリムトの「黄金のアデーレ」(アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像)
ああ。これ。知ってる。という超有名な絵画の、その背景を当方は恥ずかしながら今回初めて知りました。
オーストリアで幸せに暮らしていた一族。砂糖会社を経営する叔父夫婦。一緒に暮らしていた、父。母。姉妹。
かなり裕福で、芸術にも造詣が深く。金銭的にも精神的にも豊かな生活。
しかし、第二次世界大戦は「ユダヤ人である」彼らから全てをもぎ取っていく。
離れ離れになる家族。奪われた財産。自由。…そして、捨てざるを得なかった祖国。
オーストリアが「美術品返還運動」を始めた事で、彼女は愛すべき叔母を描いた絵画を返還して欲しいと願いでる。
80代の彼女と、駆け出し弁護士の奮闘。二度とその地を踏みたくないと拒んでいたオーストリアに行く事で、フラッシュバックする、暖かい思い出と辛い出来事。
祖国の変わり行く絶望を見ることなく逝った、美しい叔母。
でも。彼女の残した遺言は、思いもかけない足枷となって。
ところで。若い時の女性も、当方にとってはドストライクな可愛さでした。
可愛すぎる…。
幼少期は「もっと笑いなさい」と言われていた彼女。成長し、愛する伴侶を得た彼女の輝き。そして現在の彼女。
苦しい時も、理不尽な対応にも、毅然として強い。そしてチャーミング。
ちょっとした軽口を叩きながら。
流石の名画をオーストリアもおいそれとは返還せず。確かに…。それも分からなくもない。
でも、どんな名画であろうと「かつてナチスによって奪われた盗品」となると、個人に返還せざるを得ない。
「オーストリアが好きだから。だからこの絵画を彼女に返して欲しい」と、協力してくれたオーストリアの記者。
かつて、おぞましい時代があった。人が何故こんな思考を持ち、こんな行動をしたのか。
今は「いけないことだ」というタブーが先行し、何故という邂逅をする機会は少ない。「あれは昔の過ちだ。今は同じ事など起きない。昔の者の過ちを何時まで引きずるのか。忘れろ。」
悲しいですね。忘れろなんて、よく言うよ。
「貴方は臆病ね。そんな事じゃ、生きていけないわよ。」
幼い時、叔母に言われた言葉。
基本的には前向きな彼女。でも、心が折れたり、諦めようとした時もあった。
彼女を強く後押ししたのは、初めは頼りなかった弁護士。
名画だと。お金になるからと何となく引き受けた仕事。でも、オーストリア行きは彼の気持ちを変えた。
かつての祖国。そこで奪われた祖父母。家族。
やるせない出来事があった。その記憶は消せない。でも。
祖国を嫌いにはなりたくない。
奪われた絵画、という分かりやすい対象について争われた裁判。
でも本当に奪われたものは、どんな手を尽くしても戻らない。
「祖国を、家族を捨てる」という決断をせざるを得なかった。
でも、家族はきちんと送り出してくれた。
もう、これ以降はずっと涙目の当方。
最後は口にタオルを当てて泣く当方。
今もうっすら涙目の当方。
親って…。何て哀しくて強いんやろう。
あの最後のシーンは、確かに数多の映画ファンを泣かせたであろう美しさでした。