ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ハッピーエンドの選び方」

「ハッピーエンドの選び方」観ました。


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 イスラエル。老人ホームに夫婦で入居している主人公。手先の器用な彼は「電動の内服週刊カレンダー」を妻に作ったり。いわゆるカラクリ細工工作を得意にしている。

穏やかに暮らしていた二人。

しかし、友人夫婦の妻に「夫が末期ガンで痛みも辛い。楽にしてあげたい。」と頼まれる。

反対する妻を押し切り、遂に作られてしまった「安楽死装置」しかもスイッチを押すのは死んでしまう本人。

 秘密裏に遂行された「安楽死」しかし、それを聞きつけて依頼してくる人々…。

最近、介護疲れからの安楽死が報じられる頻度の高さ。それは殺人ではあるけれど、やりきれない気持ちで一杯になるもので。

老いていく事。病んでしまう事。そこから奪われる、活動性。日常生活。尊厳。打ちのめされる無能感。でも。

だからと言って、安楽死を選ぶというのはどうか…。

安楽死については、思想や宗教からも統一された考えは無くて。だからこそ承認されている国とされていない国があって。正解なんて無い。

この映画に於いて「スイッチを押すのはあくまでも自分」というのは重要なポイント。

何故なら、他人が押すのは殺人になってしまうから。(こんな装置を作って使う事は十分に殺人幇助だけどな)それに…寝覚めが悪いですよね。自分が大切な人の命を終わらせたなんて。

ただなあ。

やるなら家で勝手にやってくれよと。

病院でやっていたりするんですがね。それは不愉快でしか無いんですよ。

始め。詰所に怒鳴り込む友人の妻。「オムツを替えなさいよ!」(「一時間前にも見ましたよ」)「新しいオムツを出して!あんたの母親から貰っているわけじゃないじゃないの‼」主治医に吠える友人の妻。「辛そうだから、いっそ殺してあげて‼」(「そんなの無理だ」という主治医に)「あんたが困った時、お金も貸したじゃないの!この恩知らず‼」

病院のブラックリストに乗るぞ。そんなに言うなら、連れて帰りなさいよ。

医療従事者の基本心理はあくまでも「患者を救う事」「寄り添い、ベストな治療や援助を行う事」であり「殺す事」では無いんですよ。

自分も出来ない人殺しを、医療従事者にさせようとする。現場を病院にする。なんて不敬。

やるなら家でやってくれ。

因みに、今年の10月から日本では「医療機関に於ける不審、突然死はもれなく警察に届ける」義務が決定したんですよ。余談ですが。

安楽死装置を作り、ハッピーエンドを作ってきた仲間達。そのぎこちなくて、何だか微笑ましい関係性。でも、安楽死を繰り返す事で崩れ出す関係性。

妻の、急速に悪化していく病気。

始め安楽死を断固反対していた彼女が、己の置かれた状況と重ねた安楽死を見つめて出した、その答え。

「本当にいいのか?それで…。」すっきりしない当方。

「もし、自分が病気になったりどうにもならない状況になったら?」

自分の事なら「その時は殺して下さい」と多くの人が言える。でも、大切な人なら?

大切な人がそういう状況なら「殺して下さい」とは言えない。「受け止めて、どうにか一緒に生きていきたい」と考えるはず。

そして大切な人が「その時は殺して下さい」と言ったとしたら?スマートには受け入れられないですよね。

ただこれはあくまでも机上の空論で、大抵こんな事は健康な時にさらっと語られる位なんですがね。

人生の引き際を自分で決める。その正当性は分かるけれど。でも、そうやって目の前で実行されるのはどう受け止めるのか。

受け入れられるものなのか。

人って、結局一人では生きていないからなあ。

ほんわかとした雰囲気で終始描かれる世界観。でも、そのテーマの底の無い深さ。

うーんとうなりながら。映画は終わっても全く釈然としない気持ちを抱えながら、今でも落としどころを見つけられない当方です。