ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「先生と迷い猫」

「先生と迷い猫」観ました。

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野良の三毛猫と、彼女を見守る市井の人々の姿を描く。

 当方は、完全な猫派でしてね。

犬には一切興味が無いんですが。

劇場に蔓延する「猫大好き!」オーラ。下手したら、猫だけを延々2時間流したとしても、我々は弛緩した表情をしながら観れるような気がしてなりません。

 はっきり言って、この作品は猫派。又はイッセー尾形の大ファンとかでも無い限り、何の琴線にも触れないかもしれません。

「これは…。かつて猫と暮らし、そして別れたものならば分かる話やな。」

イッセー尾形扮する、元小学校の校長先生。皆から「先生」と呼ばれる彼。

妻に先立たれ、男やもめ。生真面目で規則正しい毎日を送り。

彼を「先生」と呼んでくれる人は沢山居るのに、なかなかテリトリーに踏み込ませない先生。

そんな先生が、段々と心中を語り始め。

三毛猫を、各々好きな名前で呼んで気にする町内の人達。

美容師。駄菓子屋で餌をあげる女性。バス停で語りかける女子高生。

地域猫か…。その存在に気づくのは、「家の猫」を失ってからなんよな。」

「家の猫」は何より可愛い。誰もがそう。でも、その最愛の猫を失ったら?失うダメージを知ってしまったら?

「ペットロスには、新しいペットを迎えるのが一番」そんな事を言いますがね。

出来ない者も居るんですよ。

「生き物は絶対に死ぬ。」当たり前の事が、耐えられない位に辛くて。もう二度と笑えないんじゃないかという気持ち。一緒に過ごした時に、何も悔いは無いのに。ただただ会えない事が寂しくて。

「残された者は、何とか気持ちに帳尻を合わせようとするんだよ。」(うろ覚え)

徹底的に打ちのめされた気持ちを、どうにかする…。結局、時間しか解決しないんですよ。(しかも、緩和させるだけ)

「家の猫」を失って初めて気づく、地域猫。当方もそれから初めて知りました。

と言っても、彼らを迎えるのは怖い。知ってしまったから。お別れの耐えられなさを。

でも。もっと大切な事も分かっているんですよ。

「猫がくれる時間。月日の暖かさ。楽しさ。柔らかさ。」お別れのインパクトが強いだけで、後は猫との暮らしに悪いことなんて何も無い。

だから、何だかんだ関わりたくて、餌をやったり、触ったりしてしまうんですよね。(当方は、気持ちが崩壊しそうで猫を抱く事は出来ませんが…。)

でもそれが、野良猫を増やしていたりする問題だというのも分かります。世の中猫好きばかりではありませんし。

ちょっと当方の話をしすぎましたがね。

終盤。

内田百間(漢字変換が出来ない当方のデバイス…。)の「ノラや」の展開に転び。

大の大人が大声を上げて猫を探す様。(しかも夜も)そういうご近所迷惑な行動は、また嫌猫派に嫌われるぞ。と思う当方。

でも。確かに、猫ってふらっと居なくなって帰ってこない時があるんですよ。そして、過る「猫は死に様を見せない」のフレーズ。…そんな薄情じゃ無いのに。焦るんですね。

ちょっと先生の崩壊ぶりが極端かなあとは思いますが。

ただ淡々と観ていた当方を、突然に打ちのめしたラスト。何故だか涙がぼろぼろ出る当方。余りにも先生の言う事が分かりすぎて。

これは、当方の母親が観たいと言いまして。二人で観たんですがね。

終わってから、「猫が居る内に、分ける癖がついて綺麗に食べられなくなった魚」定食を食べながら。母が一言。

「きっと、先生があの三毛猫と一緒になるよ」

結局ずっと「家の猫が一番」な二人でしみじみとした映画でした。