映画部活動報告「ローリング」
「ローリング」観ました。
冨永昌敬監督作品。
水戸。
高校の体育教師であった男。その彼女。そして男の教え子であった男。
かつて体育教師であった男。「学年女子全員の着替えている様を盗撮し。それが露見し、教職を追われた」という過去。東京にも居場所がなく、戻った水戸。
そこで再会した、男のかつての教え子達。
そしてまた浮上する「盗撮動画問題」
そこには、「とある同級生の、とんでもない姿」が収められていて。
関西は公開が遅くてですね。話を知ってから気になって、気になって。満を持しての公開作品でした。
「自分自身を含め、近親者に絶対に犯して欲しくない犯罪。性犯罪。」(何だって嫌ですがね)色犯罪ほどみっともなくて、恥ずかしい物は無いです。
そして何故か現実に教師のロリコン性犯罪の多い事。
「確かに、彼等はその後どうなっていくんやろう。」
教師がエロで堕ちる。それは、聖職者が堕ちるに等しくて。
まあでも、この作品に於ける、権藤先生の清々しいまでのクズっぷり。
彼にも良い所があるのかな?と思いきや。
…もう振り切り方が半端ない。
大体、何があったとして、普通はそんな場所には帰れないし、誰とも顔を合わせられませんよ。
結局、かつての教え子達とつるみ。
また、教え子達も恐るべき底辺コミュニティーなんですね。
地元が大好きで。地元の仲間でつるんで。大した職に就かず。ぶらぶらと徘徊する仲間多し。
そして、遂にその着替え動画を皆で見て。そしてそれで金を得ようとする。
好評の声が多いみたいなんですがね。当方は、どうしてもこの作品のモノローグが煩くて。
「権藤先生の喋り、要らん。」
その大半が(当方にとっては)バラエティーに於ける、過剰な字幕っぽくて。
つまりは、言わなくても分かる。分かるから黙っておいてと。こちらに想像の余地を与えろと。
後。映像から溢れる権藤先生のクズ感と、ナルシスト全開のモノローグという乖離。
まさに「あんた今は教師じゃないじゃん。」
やたら「教師の私」がどうこうと語ってくるんですがね。教師らしさなんて微塵もないんですよ。ちょっと誰かにいい顔したと思ったら、直ぐに他の者に付け込んだり。泣きついたり。
大体、少しでも反省の念とかがあるなら、何故その動画を処分していない。見せてしまう。(管理の甘さ)開き直る。それで次の手を考える。
しませんよ。そんな事。
まあ、その煩い自分語りが「勘違いしている、かつて教師であっただけの奴」を現しているのだとしたら。なかなかですが。
唯一、マトモそうに見えた教え子。しかし、こいつもなかなか一筋縄ではありませんよ。
他人の彼女を、気に入ったからとわりと強引に手に入れて。
そもそも本当にマトモなら、こんな仲間とはつるみませんよ。
つまりは、「底辺の中での理性者」というスタンスが良いんでしょうね。何か八方美人で、信用しかねますけれど。
こいつ…。何だかんだどこに行っても、こうした彼女が出来そう。
そして、フラフラする彼女。
お見事でした。
リアルに居そうです。こういう、男受けが良くて、常に男の側に居て。自分の意見などあやふやで。結局、強い男に引っ張られるのが好きな女。女友達は皆無やけれど、男が居るから寂しくない。そして、実際可愛いんですよ。
何だかんだ。ラブラブな時間が過ぎたら主体性が無い彼女に彼氏がイラついて、喧嘩して。下手したらDVまがいの展開になったり。
長続きしないんですよね…。まあでも彼女は可愛いから…。
この写真の二人のラブな時間。「リアルっぽい」と言われていましたが。
当方は、それよりも、その寸前の男の、女に対する行為の謎さがひっかかりました。
なので最後「ああ!成る程あれが!」となったわけですが。(でも、あれは気付いた者の口コミで広がればいいんですよね…。モノローグが蛇足…。)
権藤先生を再び急転直下に陥れた背景。それが皮肉にも真実の愛であった事に唸る当方。(て言うか。どれだけの金が動く世界でアンタ…。世間知らずか。云々。とは思いますが)
でもそれもまた、地元が救ってくれる。
何か…。狭い…。
田舎過ぎはしないが、都会でも無い。地方都市。閉塞的な世界。人間関係の狭さ。ボンクラの集まり。でもそれが心地よい仲間。大概な事件が起きているのに、何でかほのぼのとしたおとぼけ感。
歳を取って、その仲間の誰かがやっているスナックや居酒屋で「ほら、あの時の…。」ってやりながら酒を酌み交わしそうな。
なかなか巧妙な地方映画でした。
(写真は舞台挨拶にて)