ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ルック・オブ・サイレンス」

「ルック・オブ・サイレンス」観ました。


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ジョシュア・オッペンハイマー監督作品。

1960年代にインドネシアで起きた、100万人超とも言われた大量虐殺を題材に。

前作の「アクト・オブ・キリング」が加害者側から。そして今作は被害者からの目線で捉えた。

ただ、これどこまで台本的要素も混ぜて中和させているのかは分かりませんが…。(殆んど無さそうですが)
基本的には本人顔出しのドキュメンタリーなんですよね。恐ろしい。

当方は、このインドネシアの過去も、この国の当時と現在の思想や倫理観も、勉強不足で…正直、こうやって描かれる側面しか分からないです。

今現在、インドネシア全土がこういう認識なのか、片田舎での話なのか。

なので、非常にあやふやな事を書いていく事になりそうで不安なのですが。

田舎の村で眼鏡屋を営むアディ。年老いた両親、妻子と住む彼。

しかし彼の兄は、かつてこの村人に「共産主義者」として虐殺された。

今回の映画のテーマは一つ。

「あなたは、何故私の兄を殺したのですか?」

まさかのアディが、彼の兄を殺した御近所さん達に聞いて回る。怖い。怖すぎる。

アディが被害者であると知らない者も多く。

共産主義者はスワッピングするから。下品なんだよ!」

「神様を敬っていないから。」

「あいつを殺した時の事、覚えてるぜえ~。」とワイワイと語りながら、殺人現場でピースと笑顔で写真撮影。

「父が共産主義者を殺した事を、誇りに思っている。」そして殺した相手の血を飲んでいたと語る父親。

彼等に共通しているのは「正しい事をした」という、清々しい姿。

絶句。

そしてアディが被害者サイドであると知った途端。

ある者は憤り。今さら蒸し返すなと叫び。絶交を言い渡し。

「父は認知症なの。言ってる事が分からない事もよくあるの。アディ。私たちは、家族みたいなものじゃないの。またいつでも遊びに来て。」

加害者達の、まず語りだす「自分の過去の功績」も、後から取る態度も。

彼等を見るアディの、静かな目。

「思い出せ。語れ。」

相手は取り乱し、騒ごうとも、終始態度が変わらないアディ。でも。


「何故人を殺してはいけないのですか?」

この超シンプルな質問に、一体誰が「万人が納得出来る回答」が出来るのでしょう?

恐らくは、宗教や、倫理観や、生理的な不快感等が上がるのでしょうが。

そんなもの、いとも簡単にひっくり返るし、万人の共通認識では無い。

善悪も固定では無い。

ただ、漠然とした「自分がされて嫌な事は、他人も嫌だろう。」の極限である、「命の強制終了」は、恐らく人類がプリインストールされているタブー項目で。

そこに「こういう理由があったら殺してもOK」という理屈を付けたからこそ、正義へと気持ちを切り替えられるわけで。

そして「貴方の正義の理由を聞かせて」と聞くアディ。

アディは、どこかで、自分が納得がいく答えが聞けるかと思ったのかもしれない。

でも、互いの思いは交錯するばかりで。

と言うか、いまだにパワーバランスは加害者の側にあるのか…。

インドネシア全土が、いまだに「共産主義者は悪。末代までろくな仕事にも就けないよ」と教育し、広報しているのでは…。

前作の「アクト・オブ・キリング」でのホラーエンドロール。

今回もまた、あのエンドロール部分はあって。

「アディ…。顔出しで、こんなにタブーに突っ込んだ作品に出て。消されないだろうな!?」

とにかく、それが心配になる作品でした。