ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「アリスのままで」

「アリスのままで」観ました。


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ジュリアン・ムーア主演。米アカデミー賞主演女優賞受賞作品。

50歳のアリス。言語学者として活動。医者の夫とは良好な関係。
長女は法科大を出て、幸せな結婚をし、妊活中。
長男は医大生。
唯一気になるのは、演劇をしている次女。
アリスとしては、次女にも大学を出て、安定した生活をしてほしいのに…。

そんな彼女が、物忘れ等が気になって病院を受診。

まさかの、若年性アルツハイマー病と診断される。

Jムーアの最近の怪演ぷり。「キャリーでのイカれた母親」「マップ・トゥ・ザ・スターズの落ち目の女優」等、微妙なはずの脇役をいきいきと演じ、若手主演女優達を食い潰してきた姿は記憶に新しく。

そんなノリノリの大御所が、非常に繊細な姿を見せていました。脱帽。

元々がインテリジェンスの高いアリス。

「癌だったら良かったのよ!こんなの、恥ずかしくて言えないわ!」

絶対に言ってはいけない言葉。
でも…分かります。

言葉を生業にしてきた彼女が、言葉を捕まえられない。

以前は出来た事が出来なくなっていく、その喪失感。

そして、その先を考えたら…。真っ暗な闇に落ちそうな恐怖。

否認。怒り。取引。抑うつ。そして受容。(キュブラー・ロス)正にその段階を踏むアリス。

ただ、その最終段階は、果たして安定なのか。


アリスの母親と姉は、アリスが10台の時に事故で亡くなっていて。

作中、キーワードとして出て来る「鰈」

それは、儚く短命な美しいものとして語られていて。

混濁したアリスの世界では、それは美しく甘い、ふわふわとしたもので。海辺を走る、母親と姉。

でもそこに到着するには、随分と色んなものを失わなければいけない。

暴力的な力で、自らの劣化を断ち切る事は出来る。
作中でも、そんな場面はありましたが。

でも、それは「前段階の自分」が望む幕引きの美意識とは違って。


この作品に於いて、家族との関わりというのはもうひとつのキーポイントなはずで。

の割りには、リアルな踏み込みが足らなかったなあとは思わざるを得ない。

…でも、この作品に介護の現実を入れたら、収拾が付かないですよ。


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ペコロスの母に会いに行く」ばりの?…そしたら、話が変わってしまいますよ。(当方にとって、ペコロスの母に会いに行くは大号泣の名作)

当方の主観ですが。

恐らく、この作品は「リアルの世界に居たアリスが、何もかも捨てたら、彼女の夢の中へ行きつく」というアリス主体で描いているんですよ。

リアルの世界に居る者からしたら、それは…哀れで、切なくて。置いていかれると思ったらやりきれなくて。

リアルの世界に意識があった時のアリスも、じたばたともがいていたけれど。

どこか虚ろでふわふわしたアリスは、正に蝶々。

ハイスペックな家族。彼等の対応も、援助も、間違ってはいない。責めてはいけない。

そして、関係性が変化していく次女も、彼女が最終的に取った行動も、どちらとも言えない。

何故なら、アリスの意識は蝶々の様にふわふわしていても、肉体は存在しているから。

映画は終わっても、あのアリスの家族の世界は終わらないから。

まだまだ、答えなんて出ないんですよ。

そして、介護って、恐らく誰にも正解答は出せないんですよ。

選択肢は多いのに。

誰の立場に立っても、答えはおいそれとは出ず。

ただ。多くの言葉を失った彼女が「愛」を理解している事に。

弱々しくも、やっぱり闘う彼女を見たような気がしました。