映画部活動報告「トイレのピエタ」
「トイレのピエタ」観ました。
夏。
28歳。周りからかつて「才能がある」と言われながらも、現在は絵を描く事を辞めてバイト清掃員をしている無気力な主人公。
ふとした不調をきっかけに、発覚した末期のスキルス胃癌。
女子高生。
溢れんばかりの若さと生命力を持つ彼女の、虐げられている環境。もっとのびのびとしたい。見たいものも、飛び出したい所も沢山あるのに、収まっている世界の狭さ。苦しさ。故に終始イライラして当たり散らしている彼女。
本来出会わない二人が交差する時。
最後の夏が始まり、終わる。
RADWIMPSというバンドも、野田洋次郎氏も、当方は全く知らないんですよ。
まあ、あの女子高生がクックドゥの女の子やとは、見たときに分かりましたけれども。
ミュージシャンが主演する映画。良くも悪くも転びやすいとは思いますが。
今回は、ぴったりはまっていました。
無気力な主人公。達者な役者さんなら、逆に上手くやれなかったんじゃないかという佇まい。
下手したら無表情、棒読みともとられかねないリアル感。(褒めているんですよ。)
毎日を生きている実感だって無かった主人公が、まさかの死を受け入れられる訳は無くて。
でも、体はどんどん終息に向かっていっていて。
終始イライラしている女子高生。あの勝手さ、言葉の荒らさ、汚さ。
こんな子、相手が普通の状態で出会ったとしたら。誰もが彼女を好きにはなれない。
でも、ゆらゆらと消えそうになっている主人公には、この強引な生命力の押し付けは最後の燃え上がる炎になって。
「一緒に死のうか」「死ぬの?」「死んじゃえ!」「死ね!」「死んでんじゃねえよ!」
「死ぬ」という言葉のリアルさが、重みが、そもそもの二人にとっては全く違うんですよ。
あの二人の時間がべったりでも無いのが、ギリギリの関係性を保てた要因かなあと。
あくまでも28歳の青年が主人公であって、彼の夏をベースにしていた訳で。
両親。元カノ。職場。
病院での、リリー・フランキーとの関わり。小児患児と、その親。
それらを説教臭く描いた訳では無くて。
そこにあの女子高生は関わらない。でも、それは当たり前。
あの女子高生も辛いんですけれどね。でも、彼女の状況は映画を観ている側だけが知っていて。作中の誰にも伝えられていない。そして、誰にも言えないからこその彼女の荒れ方なんやろうなあと思い。
28歳。やっぱり若すぎるし、死が身近になってしまったからこそ見えた世界のいとおしさ。
最後の夏。最後は美しく儚く散る花火。
そんなものを見せられたら、泣いてわめいても、飲み込むしか無い。
結局、自分の事を具体的には全く語らなかったあの女子高生は、とぼとぼ歩いてこれからどうなるのかと。
終わった後ももやもやと考えていました。