ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「シンデレラ」

「シンデレラ」観ました。


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言わずと知れた、超有名な話をディズニーが実写映画化。

当方の心の中の昭和男女キャラ。

昭「あれは、王子さまも受け身やしな。ある日ばったり出会った女の子に恋して。権力でパーティー開催して、権力で靴から人探しして。自力で努力してないからな。」
和「継母に虐められる下りは可哀想やけれど。結局魔法でお膳立てして貰って、幸せが転がり込んでくる、都合の良い話なんよな。」

そんなアンチな姿勢の当方が、何故これを観に行ったのか。

映画好きあるある。「一日2本立てとかでスケジュールを組みたい時に、これしか当てはまらないという、観たいリストからは若干ずれている作品がある。」

あんまりケチを付けるものではありませんね。

兎に角、ビール片手に観に行ったわけです。

近年、スタンダードナンバーをちょっと角度を変えてお届けしていたディズニー実写映画。その口かと思っていたら。

有名作品を超王道で。

余りの豪速球で、当方は避けられませんでしたよ。

身も心も美しいエラ。愛する母親を亡くすも、父親と仲良く暮らしていた。

「勇気と優しさを失わない」をモットーに気高く生きていたエラ。
父親が再婚し、美しいが意地悪な継母と、二人の姉が屋敷にやってくる。

ある日、父親が遠い国で死亡。それからは、継母と姉に虐められ、使用人同然に扱われる。

和「ケイト!ケイトじゃないの!お久しぶり!相変わらず、お元気そうね!」

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継母はケイト・ブランシェットなんですよ。ブルージャスミン以来。綺麗でスタイリッシュな外見と、泥臭い内面。今回も健在。もう、ファンシー過ぎた画面が一気に締まる。安心する当方。

明らかに誰でも知っているので、長々とストーリーを追いませんが。

「勇気と優しさを失わない」のエラ。

小公女セーラ

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昭和の日曜の夜やっていた「ハウス名作劇場」の「主人公セーラ」も同じような事を言ってました。

「いつも気高い気持ちを忘れない」(肝心な所なのにうろ覚え)

正しい主人公が、裕福な親を失った途端に窮地に追い込まれる。しかし、そこでも主人公の尊厳は失われない。加速する悪役。苦境に耐える主人公。そんな主人公を見ている誰かは居て、仲間が出来る。ある日、より大きな後ろ楯が現れ、主人公は幸せな世界へと飛び立っていく。

一緒の流れのサクセスストーリー。

エラしかり、思い出したセーラしかり。えらい娘なはずなのに、何でかもやもやしてしまう当方の闇。

「結局、彼女達は無意識のうちに、上から目線で他人に接している。」というスタンス。

歪んだ人間には、正しさというものが時にはとんだ暴力やったりするんですよ。

悪役を可哀想だと思い、「可哀想な貴方の言うことを聞いてあげる。怒ったり、やり返したりなんて考えない。そんな浅ましい事、私はしない。」と相手と同じステージには降りない。

悪役がやたら加速した行動をとる所以は、意外とそんな主人公のスタンスに腹が立っている面もあるのではないかと。

彼女達は一見虐げられているようだけれど、実はただやられっぱなしという訳では無い。

それが、彼女が最後に放つ「許す」という言葉の正体。…勝手な持論ですが。

硝子の靴。シンデレラしか合わないって、どんな特殊な足なんだと思っていましたけれど。…まあ、小足なんですね。

硝子かあ…。絶対に履けない。走れない。荷重が掛かっただけで割れそう。だって、街中でどれだけ硝子加工の液晶が割れたスマートフォンを見掛けるか。

後ね。歌っても良いんじゃないの?作中で。ディズニーなんやから。

ケチケチ言ってましたが。あの、魔法が解けていく様は中々の迫力でした。


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