映画部活動報告「忘れないと誓ったぼくがいた」
「忘れないと誓ったぼくがいた」観ました。
高校三年生のタカシ。ごくごく平凡な彼の高校最後の夏休みの話。
坂道でぶつかった少女。何だかおかしな彼女。
その後も、何度か出会う彼女。どうしても気になって名前を聞いて。ためらいながらも教えてくれた名前は「織部あずさ」。
同じ学校で、隣のクラスでありながら、全く分からない。タカシの友達も誰も知らない。
そして、彼女自身から明かされる「皆私を忘れてしまうの」という事実。
あの予告編の透明感。劇場で見掛けた時から気になって気になって。
なのに、始めから中盤「あららら~。」と思う程の、主役二人のたどたどしい演技。正直、どうかと思いましたけれども。
中盤からの疾走。怒濤の巻き返し。
まあ…。「男子高校生が自分のスマートフォンやパソコンにこんなに無頓着な訳が無い。」「いくらなんでも…。」という点はありましたけれども。
早見あかりの、「大好き」いう気持ちが溢れたカメラ越しの表情。眩しい。村上虹郎のぎこちなさも、キャラクターに同化してくる。
「誰からも忘れられる」という、相当に厳しいレギュレーション。
どうしても「何故か?」「解決策は?」となる所を、ひたすらその点にのみ焦点を当てた。
それは、「切ない」というより、ひたすら「辛い」。
何故タケシはあずさを覚えていられるのか。
ミッキーカーチスの「例え相手を忘れたとしても、二人の時間は消えない」
これは、分かりやすい救いの言葉ではありますが。
「これを旦那さんに。」
と、お揃いの折り紙をくれたお婆さんは、自身の混乱した世界の中でもあずさとタケシを覚えていてくれたではないかと。
世界から忘却される孤独。
あずさが、それでも生きていけるのは何故なんでしょうね?
誰かが自分を大切に思っていて欲しい。忘れないで欲しい。
でもそれが、イチ男子高校生なのだとしたら…何て細い細い糸なのか。
あずさはどうやって生きていくのか…。
傷付いて、泣いて叫ぶ少年。そしてその経験は、彼の人生の重なる波に紛れ、忘れていく。ただ、振り返っても甘酸っぱい印象だけの記憶で。
それは、物語としては美しいけれど。
消えるものを思うと、胸が苦しいです。