ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ガンズ・アキンボ」

「ガンズ・アキンボ」観ました。
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ネットのコメント欄に過激なコメントを書き込む、所謂「クソリプ」で日ごろの鬱憤を晴らしていたゲーム会社に勤めるプログラマー、マイルズ(ダニエル・ラドクリフ)。

ある日。殺し合いを生配信する危険なサイト『スキズム』に書き込みをしたことで、配信者たちに襲撃され…目が覚めたら両手が拳銃に固定されていた!

「元に戻して欲しければ『スキズム』最凶の殺し屋ニックス(サマラ・ウィーヴィング)を24時間以内に殺してこい。」

殺しなんてとんでもない。なのに…未練たらたらの元彼女、ノヴァ(ナターシャ・リュ―・ボルディッゾ)が配信者たちに人質として拉致されてしまった。

四面楚歌。一切の逃げ場のない中。果たしてマイルズは二丁拳銃(アキンボ)を武器に窮地を脱し、ノヴァを救う事が出来るのか?!

 

 「近年のラドクリフは面白い。」

誰もがお馴染み『ハリーポッター』シリーズ。主人公ハリーポッターダニエル・ラドクリフとして子役時代を過ごしたラドクリフ

第一巻『賢者の石』を読んだ義理で一応シリーズ本全巻読了。「何曜日のロードショー」でテレビ鑑賞ながらも映画化作品も全て観た。全然嵌っていなかったけれど、かといって文句を言うほどでもない。当方にとってハリポタシリーズはそういう可もなく不可もないコンテンツでしたが。

 

「ところが。近年のラドクリフはすこぶる面白い。選ぶ作品が概ね尖っている。」

思いついたところで言うと、「突然頭から角が生えたり、牢獄から木製の鍵で脱獄を図ったり。」

そして…「死体になったり」。

2017年日本公開の『スイス・アーミー・マン』。無人島に漂着した青年と便利過ぎる死体との友情?を描いた作品。あまりにも当方の心に刺さり過ぎて、劇場公開中に映画館に3回足を運んだ挙句Blu-rayも当然購入。その年の『ワタナベアカデミー賞作品賞』に選んだ…それぐらい大好きな作品で、当方のラドクリフに対する株は天井突破。

以降。「ラドクリフが出る」と知れば俄然と興味を持ってしまうのですが。

 

「ああもう兎に角主人公マイルズが情けない。」
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ゲーム会社のプログラマー。うだつが上がらず、ネットサーフィンに明け暮れ色んなサイトに炎上スレスレのクソリプを飛ばす日々。そんなマイルズが見つけた、ヤバすぎる闇サイト『スキズム』。

 

「結局皆が見たいのはこういうヤツだろう?」そう言って視聴者を煽る。

犯罪者。サイコパス。兎に角倫理観のタガが外れた連中を集めてリアルに戦わせ、片方が死んだらゲームオーバー。それを生配信でお届けする。

 

酒を片手に。『スキズム』にもいつものノリでクソリプを飛ばしまくっていたら…おっかない連中が自宅に乗り込んできた。

あっけなく気絶し目を覚ますと…両手は銃に固定されていて。しかも『スキズム』史上無敵の女殺し屋ニックスを24時間以内に殺せと命令された。

 

ただのネット弁慶で犯罪歴なんて当然なし。そんな一市民マイルズに突然降りかかった殺人のミッション。

断るという選択肢は皆無。両手はしっかりとボルトで銃に固定されている。自分の姿はドローンで撮影され終始配信されており、数多の閲覧者に監視されている。

しかも。ふとしたきっかけから、久しぶりに会う事になっていた元恋人ノヴァ。あわよくば復縁…も期待できた甘い甘い雰囲気から一転。『スキズム』を運営するイカれた連中に拉致、「いう事を聞かないと彼女の命はないぞ」と人質に取られてしまった。

 

「やるしかない」「でも怖い」「逃げたい」「もう嫌」

へっぴり腰。戦いたくなんてないのに。対決が決まった途端、目の前に現れてはしつこく命を狙ってくるニックス。

逃げ回るけれど、ニックスも配信者たちもマイルズを追ってくる。

 

「全身の力を抜いてただ身を委ねればいい作品。」

 

「人は何故人と人が争う姿に興奮するのか。」「犯罪が犯罪を生み続けるというロールケーキ現象。」「幼い頃のトラウマから生まれた哀しき殺人鬼。」なんて要素もあるにはあるんですが…何一つ深堀しない。「そんなしんみりした話はどこか別の誰かがやってくれるわ!しゃらくせえ!」と言わんばかりのドライな展開。

人の命が驚くほど軽い世界線で。次々と殺されていく登場人物達。「どうして?嫌味なだけで…」「席が近いだけで」理不尽?知ったこっちゃない。

 

兎に角無双の殺人犯、ニックス。
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映画における女子=ヒロインのポジションなんて目もくれず。清々しいまでに銃をぶっ放し、男たち(の股間)を蹴り上げる。

そんなニックスの生い立ち。「何故彼女が殺人犯になったのか~」が語られるシーンなんかもあるにはあるのですが…そこから想像出来た感動展開を直後にあっさり砕いてしまう。何しろ人の命が軽いもので。

 

まあ…正直「何やこれ」の連続でお話は転がり続けるし、突っ込むとキリがない。

けれどそんなのは最早無粋。ひたすら情けなくも愛おしいマイルズの荒唐無稽な成長ストーリーだと思って身を委ねるしかない。

 

「そもそも。両手をがっつりボルトで固定されるって。マイルズは痛みを感じないのかね?」「痛みと神経損傷で銃なんて扱えないと思うぞ!」「抗生剤投与と傷口を清潔に保たないと!破傷風になるって!」そんなまともな突っ込みをしていては、物語に全く集中出来なくなってしまう。

寧ろ。「そっか~。両手の自由が利かないとトイレも大変やなあ。」「スマホを操作するのも服を着るのも一苦労。」力の掛け方を間違えば銃をぶっ放してしまう。それは怖い。慣れるにつれ、かなり動けるようになっていましたが。そんな不自由な動作を一生懸命やろうとするマイルズの姿に笑ってしまう。(当方が特に苦笑いしたのは、あの謎肉棒を食べさせられていた時でしたね。隣に落ちていたアレから何となく想像する「何の…肉なの、それ?」という下品さ。堪らん)そういうドタバタを楽しむ作品。

 

二大ヒロイン。殺人犯ニックスと元彼女のノヴァ。どちらにも華を?持たせながら、それでも安易にマイルズと惚れた腫れたの展開はにもっていかなかったのには好感が持てた当方。

 

まあ。そもそもの鑑賞理由が「ラドクリフを観たいから」なんで。目的は達成している。「こんな演技も出来るんやなあ~」という引き出しをただただ愛でる。

物語は荒唐無稽でちょっとアレなくらい人が沢山死ぬけれど…そこは薄目で思考停止するしかない。頭を空っぽにして楽しむ。それが一番。

上映時間98分という絶妙な時間配分がまた。ちょうどいい感じの作品。

 

「近年のラドクリフは面白い。」本当にねえ…今後も楽しみです。

映画部活動報告「あの頃。」

「あの頃。」観ました。
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「“推し"に出会って“仲間"ができた」

漫画家。ベーシスト。『神聖かまってちゃん』などのマネジメント担当の経歴を持つ剣樹人の自伝的エッセイ『あの頃。男子かしまし物語』の映画化。

主演、松坂桃李。脚本は俊英・富永昌敬。監督今泉力哉

 

2004年大阪。大学院進学に失敗。バイトに明け暮れながら所属するバンドでベースを弾いていた劔(松坂桃李)。しかしバンドの雰囲気は最悪で、練習する気にもならず塞ぎ込む日々。

そんな劔を心配し、友人の佐伯から「パチンコで勝ったからやる。これ見て元気だしや」ともらったDVD。

冷え切った弁当を片手にふと再生したそのDVDから流れたのは、松浦亜弥の『♡桃色片思い♡』だった。

 

「あわわわわ。これは。これはあかん。」

何となく気になったから。特に前情報もなく「何か良いらしい」というだけで映画館に観に行った当方が一気に引きずり込まれたシーン。

完全に死んだ表情を見せていた劔が。「この弁当冷えてるんやろうな~」といういかにも、突き刺した割りばしを持ち上げたらご飯が全部持ち上がりそうな…そんな「とりあえず栄養だけはそこそことれます弁当」を味気なく食べだしていた劔が。2000年代前半のデジタル放送専用の粗いテレビから流れる松浦亜弥のパフォーマンスに、思わず箸を止めて顔を上げ…終いにはティッシュで顔中を拭いながら涙を流す。

 

松浦亜弥

後付けで調べて、劔氏と当方が全く同世代だったと知り。「そういう時代やったよなあ~」と感慨深くなった当方。

1990年代中~後半に中高生。小室哲也プロデュースの音楽が流行り。かたや小沢健二などのいわゆる原宿系。ザ・イエロー・モンキーやエレファント・カシマシなどのロック。テレビでの音楽番組もほぼ毎日何かしら流れていて。音楽が身近だった十代。

そして。二十代目前に『ASAYAN』というオーディションテレビ番組から生まれた、つんく♂プロデュースのグループ『モーニング娘。』。

飛ぶ鳥を落とす勢いで一気に人気グループになった彼女達。大人数で、短いフレーズを持ちまわりながらノリノリなダンスで踊る彼女達をテレビで見ない日は無かった。

数多生まれたつんく♂プロデュース、所謂『ハロー!プロジェクト』のグループたち。正直歌唱力云々より面白エンターテインメントパフォーマンス集団(あくまで当方の主観)。時にはメンバーをシャッフルして生まれた派生グループなんかもあった中で、異色の「正統派ソロアイドル」として登場した松浦亜弥

(まあ…これ以上のハロプロ知識はありませんので。「何期の誰それが」「あの時のあの歌は」など、当方はそれらを語る持ち札を一切持ち合わせておりません。あしからず)

 

デビュー当時15歳だった松浦亜弥が歌った『♡桃色片思い♡』。

圧倒的歌唱力とキュートな佇まい。15歳とは思えないほどの堂々とした歌いっぷりに「凄いな」と感動した記憶。確かに当方にもある。

(今でも彼女のPVを見ると「色褪せないな~」と感心してしまう)

 

人生の中で指折りにどん底な時。顔を上げる力をくれた。立ち上がる気力が湧いた。そうなると…嵌らざるを得ない。

DVD鑑賞後。自転車に飛び乗って向かったCDショップ。そこで出会った店員ナカウチ(芹澤興人)に誘われ、ライブハウス『白鯨』での「ハロプロあべの支部」のイベントに参加した劔。そのイベントが楽し過ぎて、堪らず終演後彼らに感想の声掛けをしたところから仲間に迎えられた。

リーダー格のロビ(山中崇)。オタグッズをDIYする西野(若葉竜也)。いじられキャラのイトウ(コカドケンタロウ)。そしてネット弁慶でいいとこなしのコズミン(仲野太賀)。

癖のある面々。けれど皆に共通するのは「ハロプロが大好き」なこと。イトウの家に皆で入り浸り。ハロプロ談義にビデオ鑑賞。一緒にライブハウスでイベント開催。

全員成人済男性なのに。遅まきの青春爆裂。

 

「白鯨?なんばの?」

今回とことん脱線していますが。当方のライフワークに『ネットラジオ聴取』というものがありまして。

通勤時間がそれなりに長く。そして元々ラジオが生活に根付いていた当方が移動手段で聞き始めた数々のポッドキャスト番組。

その中には、素人でありながらもライブハウスでイベントをする番組があって。最近はイベント開催自体がご無沙汰になっていますが…なんば味園ビルにある『なんば紅鶴』というライブハウスに通った時期がかつてあった。(『なんば白鯨』は同じ味園ビルの中にある)なので…何となく想像出来る。小さいライブハウスでぎゅうぎゅうに詰めて座って、演者の他愛もない談義やコント、映像を笑いながら見ていた。あの空気感。

 

劔が加入した事で加速した『ハロプロあべの支部』。それは『恋愛研究会。』と名を変え、時にはバンド活動をしながらもイベントを続けていた。

 

劔氏の自伝的エッセイがベースでほぼ忠実になぞっているらしいので…内容については「ああもうアホやなあ~」「こんな事してたんやなあ~」

所謂いい年した大人がキャッキャしてじゃれ合って。思わず笑ってしまう。

 

「でも。確かにこういう時がずっと続くわけがないよな。」

 

永遠にアイドルが全てでは居られない。生きていくためにはやらなくてはいけない事がある。守るべきものが変わる。大切なものの優先順位が変わっていく。

 

先に上京したナカウチに誘われて、大阪から東京に居を移した劔。ライブハウスで働き始め、ベースとしての腕が認められ始めた。

「俺のせいで劔君を変えちゃったんじゃないか(言い回しうろ覚え)。」そうナカウチが言った時「俺は今が一番人生で楽しいです。」と返した劔に「ああ。卒業したんだな…」と何となく寂しさと安堵を感じた当方。

 

だらだらネタバレしていくのもアレなんで。ふんわり畳んでいきたいと思いますが。

この個性豊かな『恋愛研究会。』のメンバーの中でも特に強烈に描かれていたのがコズミン。

ネット弁慶。小心者の癖に大口を叩き、セコくてなにかとみっともなくて…愛おしい。

どうしようもないクズに見えるのに、落ち込んでいる仲間の元に駆け付けておかしな味のシチューを作る。ええ奴やないか。

「憎まれっ子世にはばかる」の筈やのになあ…。

 

「あの頃は…」ふと懐かしくそう口にする。アホな連中で集まって、一緒にアホな事をした。各々好きなアイドルが居て、いくらでも語り合えた。お互い金も無かったし恰好付けた場所にも行けなかった。でもいっつも笑っていた。今でも思い出すだけで笑ってしまう。

思い出は美しく浄化される。よくよく振り返ると腹が立った事も怒りや憎んだ事もあったけれど…不思議と初めに浮かぶのは楽しくてキラキラしていた日々。それって。

 

「胸がキュルルン」松浦亜弥の歌声が脳内に響いたところで。〆たいと思いますが。

 

最後に。先日後輩男子(28歳)にふとこの映画の話をしてしまった後。「えっと松浦亜弥分かりません」と言われ「おい!」と声を荒げてしまった当方。

まさかとは思いますが…万が一見た事が無かったら。お手元のデバイスで一度検索をして松浦亜弥のPVを鑑賞する事を強くお勧めします。(泣く程感銘を受けるかどうかは当方は責任持てません)。

映画部活動報告「藁にもすがる獣たち」

「藁にもすがる獣たち」観ました。
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「ロッカーに忘れられたバック。その中に入っていた10億ウォンの大金。それが全ての始まりだった。」

 

原作は曽利圭介による同名小説。舞台を日本から韓国に移し。大金に翻弄される人物達を『犯罪都市』などの製作陣が豪華キャストにて映画化した。

 

失踪した恋人の借金に苦しめられる出入国審査官のテヨン(チョン・ウソン)。株式投資の失敗から家庭が崩壊。夫からのDVから逃れたいミラン(シン・ヒョンビン)。家業を廃業させてしまい、現在はアルバイトで生計を立てるジュンマン(ぺ・ソンウ)。

交わる事のない三人のはずだった。けれど…そのバックに入っている大金が、彼らの運命を狂わせていく。

 

「うまい事出来てるなあ~。」

 

正直原作未読。劇場で流れていた予告編が気になって観に行った程度でしたが。想像以上にロジカルで気持ちが良かった作品。

 

ある朝。アルバイト先のホテルの浴室ロッカーで忘れ物のバックを回収したジュンマン。遺失物預かり所で、ふとその高級ブランドのボストンバックを開いたら…その中にはぎっしりと札束が詰め込まれていた。

国内外へ出発するターミナル港。そこで出入国審査官として働くテヨン。一見普通の公務員に見えるテヨンだが。先日失踪した恋人ヨンヒ(チョン・ドヨン)が残した多額の借金を執拗に取り立てに来る金融業者に追い立てられ、資金繰りのあてがないものかと四苦八苦していた。

株式投資に失敗。夫婦生活は破たんし、ホステスとして働きだしたミラン。夫からのDVが止まらず身も心もボロボロになっていた時…自分を救いだしてくれそうな青年と出会った。

 

物語の主軸となる三人。各々崖っぷちのどん底な状態。そんな状態から抜け出せるだけの大金は一体どこからどう現れたのか。そして大金を手にしたことで彼らはどうなったのか。

 

始めこそ。「よーいドン」で三人のストーリーが提示されるけれど。『第一章~』という小説風に見出しで区切られてサクサク展開していくとすぐに「時系列が違う」と気づく仕様になっている。彼らが交差しているのは『10億ウォンの入ったバックを手にした』という点だけ。

そもそもこの大金はどうして生まれた。そしてどう使われようとした。

 

三人は交差しかしないけれど。彼らを繋ぐ役割を担う人物がいる。

どこまでもふてぶてしく世を渡り、そして過去を清算して新しく生まれ変わろうとした女、ヨンヒ(チョン・ドヨン)。

彼女こそ「殺しても死なない女だ」と揶揄されたテヨンの彼女であり、かつてはどん底に落ちていた主婦ミランに手を差し伸べた救世主。けれどその正体は…弱肉強食のヒエラルキーにおいて頂点であろうとした猛者。結局は諦めずにジュンマンの元までバックを奪いにやって来た。

 

とは言え。窮地に立たされているとはいえど、決して三人もまた純粋な弱者ではない。

 

金融業者の脅迫的な取り立てに命の危険を感じるテヨン。しかしどうやら彼は普段出入国監査官という立場を利用してちょいちょい悪さを働いており…今回の窮地も元知り合いの密入国の手助けをネタに強請って金を都合しようと画策するほどには小悪党。(最近良い人キャラもあったけれど…やっぱりチョン・ドヨンにはセコイ小悪党なんかを定期的に演って欲しいと思う当方。)

ホステスに身を落とし。夫からのDVにひたすら耐えているミランも。客として知り合ったやんちゃな若者に夫の殺害動機を仕向ける策士。

そして。一番純朴そうに見えたジュンマンすらも。結局雇用主への憤懣が爆発した挙句にバックをネコババするくらいには…純朴ではない。

 

結局。目先の金に翻弄されて人生が狂う位ならば「大金を手にしたら誰も信じるな」「この世は弱肉強食だ。一番強い奴が勝つ」と堂々と人様の金を狙ってくるヨンヒとどこまでもしつこい金融業者のドゥマン(チョン・マンシク)の方がいっそ気持ちがいい。

 

「とは言え、こんないわくつきの大金はなあ~。誰も幸せになってないやん。」

 

このバックを手にした途端、破滅していく面々。我こそが強者だと金を奪おうとも、即座にその座は奪われる。それこそ「金は天下の回りもの」。

 

余りにも細部にまで「ああ…これがこう」というロジックが嵌るので…上辺をなぞる程度の感想文しか書けない。これはこのままあっさり終わるしかないなと幕を閉じる算段ですが。

 

「交差点で100円拾ったよ。今すぐこれ交番届けよう。いつだって俺は正直さ。」そういう走れ正直者こそが後々(韓国も拾得物は一定期間を経たら自分のモノになる…のか?)後腐れなくこの金を手に出来ただろうに…各々事情はあったけれど。

「後、自分が金銭的に困窮している事を他人の金で解決しようとしたら上手くいかんよ。」至極真っ当な言葉が浮かんだ時点で。平凡だけれど。当方は彼らとは交わらない。

 

『藁をもすがる』役に立たなくても、頼りたいほど切羽詰まっているという溺れている人の状況から由来したことわざ。

海辺の町で。誰もが溺れそうになりながらも欲にかられた。我こそは強者だといきがっても結局は同じ。沈んでいくばかり。

 

ロジカルでどこかコミカルでもあるノワール作品。流石韓国映画ならではの落としどころ。思いがけず面白かった作品。

映画部活動報告「ノンストップ」

「ノンストップ」観ました。
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「韓国史上初のハイジャックアクション超大作!」

 

揚げパン屋を営む妻ミヨン(オム・ジョンファ)としがないパソコン修理工の夫ソクファン(パク・ソンウン)。一人娘のナリと慎ましくも幸せに暮らしていた3人家族。

ある日。ソクファンが景品で当てたハワイ旅行。初めこそ「うちにはそんなお金はない!」と諦めていたが。

「海外旅行に行ってみたい」そんなナリの夢を叶えるべく遂に決心した家族旅行。

お揃いのアロハシャツに身を包み。浮かれ気分最高潮で乗り込んだ旅客機には、まさかの北朝鮮のテロリスト集団が乗り合わせていた。

 

「『消された女』のイ・チョルハ監督?」

この感想文を書くにあたって。改めて手元資料を見直し驚きが隠せなかった当方。

あの「韓国の事情は知らんけれど精神科界隈に謝れ!」という終盤『ゲット・アウト』風展開を見せるアレか!ガラッと作風変えてきたな~。

watanabeseijin.hatenablog.com

 

韓国のエンタメ事情にもトンと疎い当方。今作の主人公ミヨンを演じたオム・ジョンファが本国で人気の歌手でありエンターティナーである事を当然知る由もありませんでしたが。ですが感じた。「この人は人気者だな」というオーラ。兎に角明るい。

 

「そもそもさあ!」

15分おきくらいには声を上げてしましそうな超展開の連続。

「ほんま自分ら北朝鮮イジるの好きやなあ~」「航空会社の金属探知機どうなってんの。どうして機内に銃が持ち込めるんだ」「ボーイング777は夜行バスレベルしか人数が収容できないの」「あっさりと入れたコックピット」「切り替え早いな乗客と乗務員の皆さん」エトセトラ、エトセトラ。

 

こと「上空1万メートルの上空で繰り広げられるアクション!」には気圧で体調が容易く左右される当方には「いやいやいや~」の連続…でしたが。そんな下らないチャチャはどうだっていいんですよ。そういうの、野暮なんで。

 

というのも。序盤の揚げパンを揚げる映像が…あんなに美味そうに撮れるなんて…これは間違いない。

(当方が確信した瞬間)

 

「家族で初めての海外旅行。最高潮に盛り上がっていた旅客機で遭遇した北朝鮮のテロリスト集団!」「しかし彼らのお目当ては母親のミヨン!」「実は彼女は昔、北朝鮮のスパイだった」「足を洗い、一般人として暮らしていたミヨンだったのに…一体彼らの目的とは何なのか!」

ほとんどの文章の末尾にビックリマーク。終始ハイテンション。

「かつて超精鋭部隊に属していたモクレンことミヨン。いまでこそ主婦に落ち着いていたが…やはりその戦闘能力は衰えてはいなかった。」

 

ミヨンがまた無双。キレッキレのアクションでテロリスト集団をぶちのめしてく。

始めのアロハシャツダサダサコーディネートから客室乗務員コスプレへお着換え。(私的な事情ですが…飛行機の客室乗務員コスプレって当方の心のやらかい所をギュンギュン締め付けてくるんですよね。余談ついでに、そういう意味で最高なのはブリトニースピアーズのToxic。)

果てはジャージでアクションかましていましたが。

 

この作品では、乗客や客室乗務員たちも軒並みキャラクターが立っていて。

やたらと警戒し意味ありげな行動を取る若い女性。高圧的な態度をとる議員。ハワイで出産予定の女性とその義理の母親。飛行機が怖いスーツの男性。

スパイやパニックモノを見過ぎてミッションインなんとか気分に浸り過ぎな男性乗務員や現場を取り仕切る真矢真紀風リーダー乗務員。皆がいい感じに絡み合って、和気あいあいとした雰囲気で終始盛り上げる。飽きる暇がない。そして。

 

ミヨンの夫、ソクファン。

しっかり者の妻の尻に敷かれる良き夫。そんな彼の真の姿とは~。

一応宣伝媒体では正体を明かしていなかったようなので。当方もふんわりした扱いでいこうと思うんですが。まあ、ただのしがないパソコン修理屋では無かったんですわ。実は相当なパソコンスキルを持ち合わせる元エージェント。けれど…あくまでも頭脳派。

 

お互いベタぼれのラブラブ夫婦なのに、本当の姿は隠して暮らしていた。けれどその素性を確認した後は…心技一体。タッグを組んでテロリストに立ち向かう。

 

「何故北朝鮮のテロリスト集団が引退した元女スパイに執着するのか」そのお答えには「ハッ!へそで茶が沸くわ!」と、これまで脳裏をかすめた事もなかった人体の不思議現象を想像してしまった当方。加えて『昨日の敵は今日の味方』展開にもその後の『峰岸徹の謀反(絶対に観た人にしか伝わらない)』にも「片腹痛いわ!」と当方の中に眠っていた殿が覚醒するほどの…茶番感はありましたが。それはそれでご愛敬。ご都合主義上等。だってこういう無理やりな脚本は、楽しいから。

 

ちょいちょい誤解招く表現をしてしまいましたが。兎に角終始全身の力を抜いて楽しめる作品。悲しくしてやりきれなくなるようなシーンは一切無く、兎に角カラッとした仕上がり。あ…まさに揚げパンのように(震え声)。

 

ところで。終始マスクの中でニヤニヤと締まりのない表情をしていた当方が思わず声に出して笑ってしまった瞬間。ソクファンの「このナッツは美味い。これがナッツリターン騒動のやつですかね?」

 

ストーリーは一見破天荒。けれど主人公夫婦を始め、出てくるキャラクター達が皆明るく楽しく愛おしい。テンポもだれずに飽きる暇がない。しかもすっきり100分。

揚げパンとオロナミンC片手に鑑賞したい(劇場では無理だけれど)。また飛行機に乗って旅行に行きたい。そんな気分になる。テンションの上がる作品。万人にお勧めしても大丈夫そうです。

映画部活動報告「すばらしき世界」

「すばらしき世界」観ました。
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『ゆれる』『ディア・ドクター』などの代表作を持つ西川美和監督。これまでオリジナル脚本で撮り続けてきた彼女が、初めて原作ものに挑んだ作品。原作は直木賞作家、佐々木隆三のノンフィクション小説『身分帳』。

 

「今度ばかりはカタギぞ」

北海道。旭川刑務所を13年ぶりに出所した三上(役所広司)。今回は殺人の罪で服役した彼は、人生の大半を刑務所で過ごしてきた。

九州福岡出身。幼い時に母親に捨てられ養護施設で育った。ヤクザの世界に足を突っ込み社会のレールから外れた。そんな彼が「母親に再会したい」とテレビ局に送った『身分帳』。

興味を持ったプロデューサーの吉澤(長澤まさみ)と、彼女に声を掛けられた津乃田(仲野太賀)。

製作会社を辞め、小説家を夢見て細々と暮らしていた津乃田。身元引受人である弁護士、庄司(橋爪功)を頼って東京で暮らし始めた三上に接触、取材を始めるが。

 

主人公三上。元ヤクザで何回も犯罪を犯し、果ては殺人の前科持ち。けれど。その長きに渡った刑務所生活から、規則正しい生活習慣や細やかな裁縫技術などを持つ。

早く自立したい。まっとうな人間になりたい。人の世話になりたくない。

気持ちがはやるけれど…現実では持病もあり、仕事に就けず生活保護を受けるしかない。

出所直後からしばらくは真面目に暮らしていくんだと気負っていたが。次第にイラつき…荒々しい性格が見え隠れし始める。

 

「この世界は地獄か、あるいは。」

 

人や出来事、ひいてはこの世界も。全てにおいて物事には多面性があり、直ぐに決めつけてはいけないな…そうしみじみ感じた当方。

 

曲がった事が大嫌いで我慢が出来ない。それは三上の魅力であるけれど、最大の欠点でもある。なぜなら…その衝動に依って何度も人を傷つけ、挙句殺めてもいるから。

これまでの人生で何回も刑務所に入り、獄中でもたびたびトラブルを起こしてきた。

「こんなことで人が死ぬか」

 

ヤクザの世界に戻らなければ。出所したら何とか生活出来ると思っていた。なのに…元ヤクザがカタギの世界で生きていくことの生きづらさよ。

「反社の方に生活保護は出ません(なんて言い草だ)。」弁護士の庄司と生活保護の申請に向かった先で。ケースワーカーの井口(北村有起哉)ににべもなくそう言われた。

スーパーマーケットで。何もしていないのに「万引きしたでしょう。貴方の事はねえ、聞いているんですよ。町内会長ですから。」と店長の松本(六角精児)にバックヤードに連れていかれた。

結局。その発言や行動の負い目や誤解が解けた後、彼らは三上の支えとなったけれど。

 

何度でも何度でも、三上の足元をあわよくば掬ってこようとする出来事たち。

何とかまともに暮らしたいのに。何でこんな目に…次第に苛立ち粗暴になっていく三上に、思わず脳内で浮かんだことわざ。

『急いては事を仕損じる』(何事も焦ってやると失敗しがちだから、急ぐ時ほど落ち着いて行動せよ)

 

そもそも、身分帳(刑務所にある、収容者の経歴や入所時の態度などが書かれた書類)と生き別れた母親に会いたいという手紙をテレビ局に送ったのは三上なんですよね?

そういう「自分の人生にスポットを当ててもらいたい」という三上の欲と「面白そうじゃない」というテレビ製作者の興味が互いにかち合った。

結局「これはお茶の間に耐えない」という三上の暴力行為に、ビビッてしまった津乃田と興味を失った吉澤。(長澤まさみ…実はめっちゃチョイ役)。

それまではハンディカメラ片手に三上を追っていた津乃田。けれど、テレビ取材という枠を取っ払った後…本当に三上という人物を知りたくなった。

 

元ヤクザで犯罪者。生真面目。短気。カッとなったら大声を上げる…でもそれは何故?

何度も刑務所に出入りした。もう流石にまともに暮らしたい。けれど…まともって一体なんだ。

 

「みんないい加減に生きているものよ(言い回しうろ覚え)」

身元引受人の弁護士、庄司の妻敦子(梶芽衣子)が後半三上に掛けた言葉に頷いた当方。

善か悪か。そんなにきっぱり人は割り切れない。確かに犯罪は許されないけれど…それを犯した人間が全てを否定されるいわれはないはず。

こういういけない所もあるけれど、この人にはこんなに良い所もある。誰だってそう。

生きにくいのは三上だけじゃない。皆多かれ少なかれ辛いことはある。

 

「お前は臆病者だ」「見て見ぬふりをしているだけだ」苛立った三上がいつだか津乃田に怒鳴った言葉。けれど彼は「逃げちゃいけないんですか」と立ち向かった。

 

荒ぶる三上の狂暴さに、皆怖気ついたり怯んだけれど。それでも言いにくいこと事をきちんと言ってくれた松本や、根気強く仕事を探してくれた井口。そして堕ちかけた三上を引き上げた津乃田の存在。その関係性はコツコツ積み上げた賜物ではないか。

そういう根気強さが三上に必要なものではないか。

 

「苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけど僕らはくじけない 泣くのは嫌だ 笑っちゃおう 進め」(唐突なひょっこりひょうたん島のテーマソング。)

 

皆苦しい事ややり切れない思いを抱えて生きている。悔しい思いや泣きたくなる出来事だってある。理不尽だと憤る事も…けれど悪い事ばかりじゃない。

「外の世界は空が広いと言います(言い回しうろ覚え)」刑務所から出たら終わりじゃなかった。何とも生きづらいこの世界は、思っていたよりも混沌としていて…美しい。

 

嵐の日に。花束を贈られた三上が感じた世界とは。

それがこの作品のタイトルであるはずだと。

そう当方は思っています。

映画部活動報告「クラッシュ」

「クラッシュ」観ました。


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SF作家J・G ・バラードに依る同名小説をカナダの鬼才、デイヴィッド・クローネンバーグ監督が映画化した作品。交通事故で性的興奮を覚える人たちを描いた問題作。

1996年に劇場公開。そのインモラルな性描写は、当時のカンヌ国際映画祭でも賛否両論の嵐となった。

今回、長らく消失していたと思われていた35㎜オリジナルネガがカナダで発見されたのを機に、約3か月の月日を掛けて修復。クローネンバーグバーグ監督の最終承認を経て再上映に至った。

 

昭:はいどうも。我々は当方の心に住む男女キャラクター『昭と和(あきらとかず)』です。

和:嫌々感否めないな~元気出していこう!

昭:そりゃそうやろう。当方の奴…こういうR18案件には漏れなく俺たちを召喚して…。俺はもっと知的なキャラとしてアカデミックな会話を楽しみたいのに。

和:まあまあ。ところで昭さんは他人に言いにくいフェチズムってありますか?

昭:やめろ!俺を社会的に殺す気か!…あっても口に出すもんか。

和:そんな人には言えない特殊性癖。でもそれを共有できる仲間が居たら…最高やん。そういう「俺たち変態仲間」でキャッキャ。そんな話。

 

昭:主人公のジェームズ。映画プロデューサーの彼は、美しい妻キャサリンパイロット?航空関係のお仕事従事)が居ながらも互いにフリーセックス状態。しかもその様子を報告し合う日々。

和:モテない昭さんには妬ましいばかりの美男美女ハイスペック夫婦な訳ですけれども。

昭:どこの行間から俺の何を見つけたのか。一々相手はしないからな。

 

和:ある日。自動車で対面衝突事故を起こしたジェームズ。相手の男性ドライバーは死亡し、助手席に座っていたドライバーの妻ヘレンはジェームズと同じ病院に搬送された。

昭:全身打撲と足を骨折したものの、病院内を歩行出来るまでに回復したジェームズは、事故の相手ヘレンとばったり遭遇する。夫を失ったのに、何故か平然としているヘレンと、彼女の後をついて歩くヴォーンという奇妙な男。ヴォーンから事故の写真を見せられ、俄然彼らに興味が湧くジェームズ。

 

和:事故のことを思い出すと何だかムラムラする…退院後再会したジェームズとヘレンは速攻盛り上がりセックス!そしてヘレンに依って導かれた。ようこそ!マニアック・サークル『クラッシュ・マニア』の世界へ。

昭:『交通事故の体験で性的興奮を覚える仲間の集い。クラッシュ・マニア』ってこれ…俺、理解出来んわ。

和:『当方の心に住む男女キャラクター、昭と和』。同じ人間の心から派生しているんやから。たとえ男女の役割分担があろうとも根っこは同じ。勿論こんなフェチズム、私も理解出来んよ。

昭:つくづく思ったけれどさあ。当方は怪我とか病気に萌える気質が一切無いんやなって再確認した。

 

和:夜な夜な仲間で集い。有名俳優の死に繋がった交通事故を再現するショー(スタントマンを使って実際に車同士を衝突させるという危険なショー)を見るなど。クラッシュ・マニアの活動にどっぷり浸かっていくジェームズ。

昭:事故で負傷した傷跡や麻痺、装具などにエロを感じる人たち。衝突実験ビデオ(車メーカーが出している、車の中に人形を置いて衝突の衝撃でどうなるのかを見せるビデオ)鑑賞会でエクスタシーを感じる面々。

和:THEビデオテープ、という粗い画像なのに…「今の所!もう一度巻き戻して!」と息を乱しながらリモコンを握るルーシー。

昭:1㎜も共感出来ない性癖。こんなエロビデオ上映会があってなるものか。

 

和:クラッシュ・マニアを纏める、謎の男ヴォーン。誰よりも人体と車体の壊れていく様に興奮し、その現象をより求める…『ナイトクローラー』の時のジェイク・ギレンホールさながらに目を見開き、不気味な表情で車を走らせ、追いかけてくる。

昭:ジェイク・ギレンホールに謝れ。

 

和:「7人居た観客のうち2人が途中で出ていった」そんな書き込みも見かけた今作。逆にそのコメントを見た事で鑑賞意欲が沸いたけれど…賛否両論の理由、分かるよ。

昭:全編の内8割以上がセックスシーン。けれども、観ていてエロさもワクワク感も感じない。

和:ジェームズとキャサリンはフリーセックス夫婦だし、クラッシュ・マニアの面々も同様。しかも性にとことんオープンな彼らは異性同性の垣根もモラルもない。兎に角盛り上がる衝動はセックスで解決。

昭:まだクラッシュ・マニアの面々は分かるよ。彼らにとって性衝動開放のスイッチは交通事故関連って決まっているから。まあそれがフェチズムって奴なんでしょうけれど。でもあの夫婦はな~。元々色んなアブノーマルセックスでも楽しめる私たち、という上から(?)目線な夫婦生活に、件のフェチズム集団をスパイスとして取り入れた、というとっかかりが否めなかった。特に妻キャサリン

和:あなたももうすぐヴォーンとセックスをするのかしら。一体彼はどんな風なのかしら(実際のセリフは赤裸々で超下世話)。

昭:下品極まりない!目の前のセックスに集中しろよ。

和:何というパワーワード。(小声)ちょっと落ち着いて。アカデミックな会話どこに行った。まあ…結局ジェームズもいつの間にかどっぷりそのフェチズム沼から出られなくなってしまうし、キャサリンも高見の見物ではいられなくなってしまったんやけれど。

 

昭:交通事故。己が運転している乗り物が制御不能となる瞬間に感じるスリル。そして衝突。硬質な金属がもろくも変形していく様。そして傷つく体…うーんやっぱり何もそこにエクスタシーを感じない。共感出来ないな。

和:その恐怖も痛みも。それ以外には変換されないし体感したくない。ただ…それにエロを感じて集う人達が居るならそれはそれで結構。ただし。他人を巻き込まないで欲しい。

昭:本当にそれ。個人的な賛否両論の否は「いかなる性癖だろうが自由だけれども人様に迷惑を掛けるな!」ということやったな。

和:ペーパードライバーだけれど。想像しただけで震える危険運転の数々。シートベルト無し。あおり運転。割り込み上等。ガンガン車体をぶつけてくる。こんなのが目の前に現れたらパニックに陥って勝手に事故る。そんな当方の車を見てエクスタシーを感じられたら…。

昭:同じフェチズムを持つ仲間同士で、どこか遠くでやってくれ。別にアンタ達の性癖をどうこう言わないから。

 

和:原作者J・G・バラードもクローネンバーグ監督もそんな感想着地は望んでいなかったやろうな~。

昭:いやいや。こちとら分別の付くええ年した大人なんで。「特殊性癖結構。でもそれは迷惑にならない所でこっそりと!」と肝に銘じたよ。変態はあくまでも水面下でソロ活動!

 

和:(小声)そういう(たとえ特殊性癖が)あっても口に出すもんか。という所がこのハイスペック夫婦との決定的な違いなんよな…モテない訳だよ…。

映画部活動報告「KCIA 南山の部長たち」

KCIA 南山の部長たち」観ました。
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1979年10月26日。当時の韓国大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺された。

1961年。軍事クーデターで政権を握り、以降18年もの間トップに君臨したパク大統領。「独裁者」と批判される反面、絶大な人気も誇っていた彼を殺害したのは、自らの側近であった中央情報部部長(KCIA)、キム・ジェギュだった。

韓国本土のみならず。世界中が衝撃を受けたニュース。一体何が起きていたのか。

 

「あくまでも史実に基づいたフィクションです」という前振り。キム・ジュギュをキム・ギュピョンと。KCIA元部長キム・ヒョウンウクをパク・ヨンガクと名前変更。

主人公のキム部長をイ・ビョンホンが演じた。

 

『大統領直属の機関として絶大な権力を振るった韓国中央情報部。通称【KCIA】。組織を束ねる者は、その庁舎の所在地から通称"南山の部長”と呼ばれ恐れられた。』(作品チラシより抜粋)

冒頭。「KCIAとは」という、淡々とした組織紹介。それは「敬愛する閣下の為ならば、不届きな連中は根こそぎ粛清する次第です!」と言わんばかりの硬質な精神をもつ組織。

不敬な発言や行動をする者ならば、例えそれが民間人であろうと拷問、殺害もありえたという。

 

なのに。まさかの元KCIA部長パクがアメリカに亡命。アメリカ下院議会聴聞会で韓国大統領の腐敗を告発した。さらには暴露本となる回顧録も執筆中であるという。

逆鱗に触れたパク大統領から、パク元部長への接触を命じられたキム現部長。

かつて朋友だったパク元部長。回顧録回収のために接触したキム部長。しかし、それは己の運命を変える歯車が回り出すきっかけだった。

 

暗殺事件が起きた1979年10月26日。その約40日前からを描いていくこの作品。

1961年。軍事クーデターで共に戦い、政権樹立から関わっていたパク元部長とキム部長。

クーデターを経て大統領に就任したパク大統領。「国のために」と懸命に戦った。けれど。18年の歳月を経てた今、かつてのカリスマはじわじわと腐食されていた。

 

「己が忠義を尽くすべきは、果たして何なのか。」

 

先日交わした、映画部部長との感想メールのやり取り。

イ・ビョンホンは今こそ格好いい」

 

パク大統領の側近でありながら。結果彼を殺害するに至ったキム部長。

かつては共に国の為に闘い。「この国を良い国にするんだ」と虎視奮闘した、そのカリスマ性にほれ込み尽くした相手を己の手で殺める。

けれど。それは決して「国のため」という大義名分のみには収まらない。そう思った当方。

寵愛を受けていた立場が崩れ始めた。代わって、欲を知ってしまった閣下に取り入ろうとするサンチュン警護室長。彼のやり方はスマートさとは正反対。やたら人を恫喝し野蛮で横柄な態度で接してくる。腹立たしい。なのに今では彼の方が閣下のお気に入り。

閣下にはもっと冷静であって欲しい。長期政権で次第に国民は不満を抱えはじめ、各地ではちらほらと不穏な動きも出始めている。デモや暴動を暴力で抑える事は出来ない。同盟国アメリカの態度も硬化している。今は毅然としたカリスマ性を発揮すべき時なのに。

 

アメリカに亡命したパク元部長。「もう閣下は終わりだ」と悟っていた彼は、遠い異国から政府に揺さぶりをかけようとした。

謀反を起こしてしまったパク元部長は、当然無事では居れなかったけれど…結局彼の起こしたアクションはキム部長の背中を押すきっかけとなり、そしてキム部長も同じ運命を辿る。新しい時代へ切り替えるためには、トップだけではなく自分たちも泡にならなければならない…結局彼らは運命共同体だったのだなと思った当方。

(パク元部長もキム部長も共に最後、片方の靴をなくしたというシーンが印象的だった)

 

終始暗い画像。ノワール作品さながらの雰囲気。「これは閣下を討つしかない」と至るまでの、フラストレーションの嵐。それに耐えに耐えるイ・ビョンホンの苦しい表情に見惚れる時間に酔った当方(褒めています)。こんなに押し殺した演技をする役者だとは。

 

付け焼刃な知識故。何を知ったかぶりがと言われるのは承知ですが。当方が受けたのは「おそらくもういつ崩れ落ちてもおかしくなかった」ように見えた、終末期のパク政権にかつての仲間たち(キム部長と、ひいてはパク元部長)が引導を渡した。という印象。

敬愛していた閣下。これ以上みっともないところを見たくないし、他の誰かに見られたくもない。今ならまだカリスマ性を保つ事が出来る。

 

この一言で表すと陳腐ではありますが。ブロマンス的な要素も感じた作品。友情、尊敬、裏切り、憎しみ…愛情。国のトップを殺害したというセンセーショナルな事件。確かに当時国内情勢は混乱していたけれど、これを「国家安泰のため」と語るには個人的な感情も付随していて、シンプルには割り切れない。

ただ。「閣下を討つこと=国家安泰のため」であることも「これが国に忠義を尽くすということだ」ということも間違いはない。

「あの頃はよかった」閣下とキム部長がたどたどしい日本語で交わした会話が切ない。

 

「何やねん韓国映画。恐ろしいな」約40年前に起きた出来事を、そうそうたる俳優陣を揃えて、重苦しくも手に汗握るエンターテイメント作品に仕上げてくる。

近年、この頃あった出来事を映画化し公開する流れが来ているのか?それらがどれもしっかり仕上がった大作であることからも、約40年前の韓国がどういう状況だったのか知るきっかけとなり、非常に勉強になる。今後も注目していきたい。そう思っています。