ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢」

「シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢」観ました。
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フランス版ウォーターボーイズ(ボーイ⁉)。

おのおのの問題を抱え。ぱっとしない日常を送ってきた8人のおじさんたち。

地元公営プールが主催する『男子シンクロナイズド・スイミング』。そこで知り合った彼らに芽生えた友情、連帯感。ノリで申し込んだ世界選手権。フランス代表としての威信をかけて、幾多のトラブルに見舞われながらもトレーニングに励んだ日々。そしてその戦いの結果は。

スウェーデンに実在する男子シンクロナイズド・スイミングチームをモデルにした作品。

 

うつ病を患い、会社を退職。家で引きこもりがちの生活を送っていたベルトラン。妻は理解ある態度で接してくれるけれど。子供達からは軽蔑され、義姉夫婦からはちょいちょい嫌味を言われ。現状を打破したいと思っていたある日。地元公営プールで『男子シンクロナイズド・スイミング メンバー募集』の広告を目にする。

突き動かされるように向かった練習場所。そこでのアットフォームな雰囲気に惹かれ、即チームに入ったベルトラン。

怒りん坊。現実に向き合えない会社経営者。驚異の老け顔。夢追いミュージシャン等々。一人残らず濃いメンバー。

仕事・家庭・将来…社会でやっていくには皆何かしらの問題や悩みを抱えているけれど。シンクロチームでは力を抜いていられる。時々けんかもするけれど、概ね皆仲良し。ゆるゆるな練習をして。皆でサウナで汗を流して。その後飲みに行ったりして。

そんな仲良しおじさんたち。ノリで『男子シンクロ世界大会』に申し込んだけれど。

「自分たちのレベル分かってんのか!いい笑いものになるだけだぞ!」メンバーの一人がそう吠えた事から、大会の過去動画を確認する面々。けれど時すでに遅し。

まさかの『フランス代表』として参加する事になったボンクラチームの行く末は。

 

「ああ。やっぱり『ウォーターボーイズ』系のお話って面白いなあ~。」
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2001年公開。主演妻夫木聡矢口史靖監督作品。冴えない男子高校生たちが男子シンクロチームを立ち上げ、練習し、文化祭で披露する。もう…言わずと知れた2000年代青春映画の金字塔。以降テレビシリーズなんかも続きましたが。実際に映画館で鑑賞し、大いに沸き立った点でどうしても初代を押す当方。(蛇足ですが。当方的2000年代ベスト青春映画は『ピンポン』です)

 

国際水泳連盟は2014年に『男女ミックスデュエット』を新種目として導入する事を正式発表。2015年世界選手権が最初の実施大会となった。また2017年には『シンクロ・ナイズドスイミング』から『アーティスティックスイミング』に種目名を変更。(この感想文ではシンクロ・ナイズドスイミング。又はシンクロで表記させていただきます)

音楽に乗せて、技の完成度や表現力を競う競技はかつて『女性のもの』という印象があったけれど。

華やかでたおやか。女性が持つ、そういう柔らかさとはまた違う。力強くエネルギッシュな印象を持つ男子シンクロ。(当方比)

男達が一糸乱れぬアクロバティックな演技を披露すれば…それはそれで圧巻ではありますが。当方がこれまで目にしてきた男子シンクロというのは「ちょっとおふざけも入れる」「これまで女子シンクロで見てきたやつ、やってみました」というコミカルな要素も入っていた…気がする。

 

『THEシンクロ』と言わんばかりの技の数々。スケキヨポーズ(正式名称を知らないので…すみません。何しか、あの水面から足だけVの字に出すやつ)からの足技。リフト。ジャンプ。フォーメーションを組んで水面をぐるぐる回る。それらを音楽に合わせどこまで動きを合わせられるか。そこに柔らかさはないけれど…男子は兎に角パワフル。水面から飛び出す高さ。動きの力強さ。

 

「地元の趣味サークルから世界大会に出場するレベルまでって。それ…相当な練習を経て身も心もシュッとしたおじさんへ変貌やん。」ところがところが。全然。少なくとも見た目に関しては全く変わらない。

 

ポスターでも「⁈」と思わず二度見するレベル。気持ちいい位揃いも揃ってメタボ体型、一切のくびれもない彼ら。(監督からダイエット禁止令が出ていたらしい)地元プールで、演技とも呼べないお粗末な出し物をしていた時ならまだしも…例え短期間でも水泳の練習をしたら引き締まりそうなもんやのに。

 

「まあ。乗りかかった船やし。俺たち俺たちらしくやろうぜ。」世界大会にエントリーした後ものらりくらりしていたのに。

男子シンクロチームを指導していた女性コーチの不調~からのコーチ交代。「お前たちのやっている事は遊びだ!」鬼コーチのスパルタ指導に地獄を見るおじさんたち。

けれどそれがチームのターニングポイント。怒鳴られ、へとへとになるまで追い込まれ。けれど分かり合えば、チームとしての結束はより深まっていく。

 

『誰も悪い人などいない』という世界線。精神を病み無職。倒産寸前の会社社長。愛されたいのに…なかなか上手くいかない家族関係。夢を未だ追う事は恰好悪いのか。メンバー各々が抱える事情。それが一々世知辛くて…もがいている姿は無様ではあるけれど。一刀両断にはそう切り捨てられない。だって人間だもの。

シンクロパートとメンバーたちの事情。その配分が絶妙。そして鬱々とした展開は続かない。彼らが抱える問題は決してライトではないけれど、どこかで希望の光が見えてくるんじゃないかと思わせる。

 

『地元プールの趣味サークル。ボンクラメンバーが紆余曲折あって、そして迎えた世界大会』ここまでの流れは何処かしら既視感に満ち溢れていたけれど…気持ち良く観ていた当方。となると…ここからは文句が出てしまうのですが。

 

「世界大会の競技シーン。はしょりすぎ。もうちょっと具体的な演技が見たかったかなあ~。」

世界大会ともなると幾つものチームが存在して。それら全部に振り付けを付けたら大変な事になる。分かってはいるんですが。

「~国の選手登場!」→わ~(歓声)。→プールサイドで揃ってポーズ、又は何かの技を披露。→電光掲示板に表示される得点と順位。

その繰り返しはちょっと…結局どういうレベルの大会なのかが想像が付かない。

そして『フランス代表』の演技と順位。

 

「いやいやいや。確かに彼らがよく頑張ったっていうのは伝わるけれど…その結果はちょっと~。」苦笑いしてしまった当方。しかもドミノ倒しさながら。何故かおじさんたちの問題にも軒並解決の糸口が…。

 

「進研ゼミの漫画じゃあるまいし。そこまで全てが好転するのは流石にご都合主義じゃないのか。」

思わず突っ込んでしまう。そんな結末ではありましたが。

 

誰も悪い人などいない世界線で。冴えないボンクラおじさんたちが頑張って何かを成し遂げる。少なくとも、ウォーターボーイズ好きならば楽しめる。

明るい気持ちで観られる作品。万人受けするので安心して薦められそうです。

 

映画部活動報告「三人の夫」

「三人の夫」観ました。

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香港の巨匠、フルーツ・チャン監督作品。

『ドリアン・ドリアン』『ハリウッド★ホンコン』に次ぐ「娼婦三部作」の最終章。

香港に伝わる人魚伝説を背景に。とある漁港の停泊船で客を取る女と夫たちの生活を『海』『陸』『空』のパートに分けて描いた作品。

 

「私は、求められ続け 求め続けるー」

 

底なしの性欲を持つロイ(クロエ・マーヤン)。漁港で停泊する船で、数多の男達と金を取りまぐわう日々。しかしその斡旋をしているのは、歳老いた漁師。ロイの夫。

ロイに魅せられ、夢中になった青年=眼鏡(チャン・チャームマン)は多額の持参金をかき集めて漁師を説得。その頃にはロイにはもう一人、父であり夫である年寄りが存在していると分かったけれど。無事ロイと結婚する事に成功。

「もう船には戻らない。」ロイは自分だけのもの。陸に上がり、始まった新婚生活。

けれど。眼鏡一人ではロイを満たすことは出来ず…結局二人で船に戻る決心をする。

ロイと三人の夫。一人の女を中心とする、奇妙で歪な生活。彼らの行きつく先とは。

 

当方の映画感想文に於いて、男女の気持ちを代弁すると二人言えば。

当方の心に住む男女キャラクター『昭と和(あきらとかず)』の二人に語って頂きたいと…。

 

昭:早い早い。前回の登場から殆どブランク空いていませんけれど?

和:エロと言えば昭さんやからじゃないですかあ~。

昭:不本意過ぎる。大体エロっぽい内容で俺たちが召喚されている時って、いつだって俺は『智のステージ』で紳士的に進めようとしているのにお前がおかしな方向に誘導するんやろうが!

和:はいはい笑止笑止。とっとと話進めましょうや。

昭:腹立つう~。

 

和:まあ。売春船…つまりは『廓船』が舞台で。そこに住む性欲モンスターロイと。彼女に魅せられ、そして制御出来ずに共に溺れていく三人の男たち。というお話で。

昭:廓船ねえ。『泥の河』では美しい加賀まりこやったけれど。ロイはもう…。

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 和:エロかった?

昭:エロっていうか…なんかリアルやなあと思った。いかにも自堕落で。ロイ役のクロエ・マーヤンって今回18キロ体重を増やして撮影に挑んだ。ってあったけれど。本当に…。途中何度か水槽で泳ぐ~リュウキン?っていうやつ?あの赤くてずんぐりした、丸っこくてヒレがひらひらした金魚そっくりやと思ったな。

和:ああいう肉感的な女性って男受けするんじゃないの?

昭:男受けって…俺とお前は結局同じ人間の心から派生しているからなあ。俺自身はああいう柔らかくて、触ったらどこまでも沈みそうな体より、多少弾力性がある方が好きなの。

和:それは確かに。ただ、ああいう兎に角白くて柔らかな女性って…餅っぽいというか。魅力的よな。でもロイはただ男達を受け入れるだけじゃない。ガンガンに満ち溢れる性欲で男達の欲望を満たしてくれる。精力絶倫。感度良好。

 

昭:エロ云々では埒があかないので。『東晋時代から伝わる半人半魚(人魚)伝説』について…平たく言うと中国の人魚伝説についてを調べようとしたんやけれど。

和:無理やった。そもそも巨大海洋生物恐怖症にとって、得体の知れないそこそこ大きな魚を調べる事自体がもう鳥肌振戦モノ。迂闊に画像なんか見てしまったら…絶対夢に出てくる。

昭:なので。『一見人間っぽい見た目をしている魚。常に濡れていないと生きておれず、陸に上がると乾いて死ぬ生物』として認識。

和:まあ。そういう認識にロイを当て嵌めたら、結構ぴったり嵌ったんよな。彼女は汚れた海に漂う美しい魚。…でも結局は人魚ってモンスターやん。ぬらぬらと泳ぐその美しさに男たちは吸い寄せられるけれど…獰猛な本能、己の欲望を満たすべく近づいた男たちに食らい付いていく。一度ロイに魅せられたが最後離れられないし離せない。ロイを独り占めしようと陸に連れて行ってみても。結局彼女は陸では暮らせない。また海に戻るロイと眼鏡。

 

昭:ロイが殆どコミュニケーションを取れない、というのも人魚っぽいと思ったな。あれは…アンデルセンやけれど。人魚姫は足を手に入れる代わりに声を失う。人間の形を手に入れているロイも、殆ど言葉を話せない。

和:そんな幻想的には受け止めきれないな。

昭:おっと。

 

和:少し前に公開された『岬の兄妹』。今回観ていてあれが凄く脳内を過ったんよな。『身体傷害のある兄が、発達障害のある妹に売春をさせる』物語。

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 昭:おお…。

和:ロイを幻想的なキャラクターに落とし込むなんて。手放しにファンタジーに振り切れない。だって…ロイの異常な性欲って病気やって作中で診断されてたやん。加えてあの精神の不安定さ。理性がコントロール出来なくて爆発する感じ。何て言うか…普通じゃない。でも夫たちは病気なら治療するという思考にはならない。そもそも三人も居て、誰も生活の基盤を築けない。揃いも揃ってロイのヒモ。彼らを食べさせているのはロイ。恥ずかしくないの?

昭:うわ正論。でも夫たちはそんなロイに翻弄されたいんやもんなあ~。マトモになんてなって欲しくない。何だかんだエロの恩恵にもあやかりたいし。

和:アホかっちゅうねん!あいつら三人も居って何してんの!「性欲が爆発した発作の時はアレを入れようぜ!」って。そういう所やぞ。何しとんねん!

昭:怒るなよ~。だって俺たちそんなロイが好きなんやもん。同じ穴のムジナやもん。

和:そういう愚かさがあの廓船の連中のどうしようもない所やねん!貧しさや生きていく為に実の妹を売った『岬の兄妹』のやりきれない胸の悪さとは違う!

昭:まあまあまあ。…一応補足しますが。この下り、両者を比較する事でどちらかの作品を貶めるといった意図はありませんよ。悪しからず。

 

和:性欲モンスターの人魚と、彼女に魅せられてしまった三人の夫。けれど結局どこにも彼らの安住の地は見出せなくて。広い広い海を漂うばかり。

昭:物語の初め。淡く色づいていた画面も。終いには色を失う。その中で。ロイが纏う赤い服とその出で立ちが正に金魚。ひらひらした…人魚。

和:これは泥船やと思うけれど。いつかは海に沈むよ。

 

幻想的な作風でありながら、風刺的なメタファーを感じる。けれど。決してはっきりこうだとは語られない。下手したらただただ猥雑な作品だとも取られかねない。(当方的にはエロくはなくて…そこには気が取られなかった。)恐らくどうにでも解釈の幅は広がるけれど、それは観ている側でどうぞ。こちらから正回答は出しません。そんな印象を受けた作品。巨匠の余裕か。

 

ただ。巨大海洋生物恐怖症の当方としては。どんなに破滅まっしぐらの魅力的な世界が待っていようとも。まず海に近づく事も…ましてや船の上で交わる事など不可能。それだけは確か。

 

大きな魚は怖い。ロイもしかり。ただただ不気味で、魅せられて堕ちていく夫たちは滑稽で憐れ。人魚は怖い。

 

「これは泥船やと思うけれど。いつかは海に沈むよ。」

映画部活動報告「トイ・ストーリー4」

トイ・ストーリー4」観ました。
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「あなたはまだー本当の『トイ・ストーリー』を知らない。」

 

1995年トイ・ストーリー公開に始まり。1999年トイ・ストーリー2、2010年トイ・ストーリー3公開。伝説の三部作。

アンディ少年が大人になるまで。『実は人間の見えない所では動けるけるオモチャたち』の物語。誰よりもアンディの寵愛を受けたカウボーイ人形ウッディを主人公に。スペースレンジャーのバズ等お馴染みの仲間達と共に駆け抜けた日々。けれど。

アンディが自立し実家を出るのをきっかけに、皆で新しい持ち主少女ボニーの元へと引き取られていった。

 

「1995年。約25年もの歴史を持つシリーズモノ…。」正直、当方は今作までの三部作を映画館で観た事はありませんでした。それどころか初代と2に至っては殆どうろ覚え程度。でしたが。

ある時。ふとテレビの何曜日かのロードショーで見た『トイ・ストーリー3』。その衝撃たるや。

テレビはながら見をしてしまう。しかもCMでバンバンぶった切ってくるし…とネガティブな印象しかなかったのに。それでもテレビの前から離れられず。案の定最後には号泣。

「こういう話やったのか。」さようならアンディ、と幕を下ろした…そう思っていたのに。

 

「続編?あれほど完璧に終わった作品が?!」となると観ないわけにはいかないと。公開初日に映画館にて鑑賞してきました。

 

今作については賛否両論。此処までバッサリ二手に分かれるんだなとも思いましたが…分からなくはない。

当方ですか?「オモチャたちの行く末をしっかり描き切った作品ではあるけれど、トイ・ストーリーのキャラクター達で再現しなくても…」という賛否どちらつかずの感想。というのはやはり、当方がこのシリーズに対してライトな層だから。けれど。痛いくらいにこの流れは理解できる。

 

トイ・ストーリー4に対し「こんなの無いって!」と憤っている人達。それはこれまでの三部作に思い入れが強く、そして『アンディとウッディ』の目線に居る人達。

沢山持っているオモチャの中で一番大好きなウッディ。他のオモチャが気になるときがあっても、ウッディは別枠。殿堂入りオモチャ。

そして。アンディからの特別扱いを意識しながらも、決して奢った態度を取らなかったウッディ。「俺たちはいつだってアンディの味方だ。」「俺たちがアンディの為に出来る事は~。」持ち主至上主義。そして仲間を大切に。それをモットーに、オモチャ仲間たちのリーダーとして皆を率いてきた。それがウッディ。

 

そんなウッディが。持ち主がボニーという少女に代わった事で寂れたオモチャになってしまう。

遊び相手に選ばれない。他のオモチャたちがボニーに選ばれていく中で、ぽつんと取り残されるウッディ。まずその描写が辛い。

「お前!アンディから譲り受けたんだろうが!ウッディを大切にしろよ!」

 

「でもなあ。アンディは少年やけれど。ボニーは女の子やし…カウボーイ人形って。」

 

持ち主から大切にされないなんて。そんなウッディ見たくない。寂しい。こんなはずじゃ無かった。トイ・ストーリーは子供に愛されている前提のオモチャたちの生き生きとした冒険物語じゃ無かったのか。

 

「じゃあ。新しい持ち主ボニーにもとびきり気に入られて。新天地で前より増えた仲間達とのすったもんだ。そういう新シリーズやったとしたら?どう思う?」意地悪な質問をする当方。「それはないって。」

 

俺たちは子供の為にある。いつだって友達。けれどウッディがそう思ったところで、どんな子供からも愛されるとは限らない。ましてやヴィンテージ人形。古臭いオモチャ。

 

しかも今、ボニーは先割れスプーンにアイスの棒やらをカスタムした自作のフィギア『フォーキー』が一番のお気にいり。喉から手が出る程の寵愛を受けているくせに「僕はオモチャじゃない。」「僕はごみだ。」とボニーから逃げ出そうとするフォーキーを追いかけまわし、ボニーの元に連れ戻そうとするウッディ。

ボニー一家が休日を利用して訪れた移動遊園地。そこへ向かう道中でもあわよくばと逃げ出したフォーキーを連れ戻す羽目になったウッディ。一晩掛けてなんとか仲良くなった二人の前に現れたアンティークショップ。

そこに居た、愛された事のないアンティーク人形ギャビー・ギャビーと不気味な仲間達。加えて個性的なオモチャたち。そしてかつての想い人ボー・ポープとの再会。

 

「貴方は一体、これから誰の為に生きていくの?」

 

役目を終えたオモチャは一体誰の為に生きていくのか。子供に寄り添っていたい。でも子供側が自分をもう求めていなかったら?

 

そこまで辛辣な問題をウッディに突きつけた事が余りにも辛くて。流石のライト層な当方も観ていて胸が痛かった。そしてその状況でも「あくまでも子供と仲間たちとの世界に居たい」とじたばたもがいている姿が輪を掛けて痛々しい。フォーキーをボニーの元に連れ戻す行動も『ただ自己満足の為に仲間を危険をさらす利己的な行為』となってしまう。何をしても空回り。もうウッディの時代が去っている。

 

かつてのシリーズで。ちらっとしか描かれなかった陶器の人形、ボー・ピープ。どうやらウッディとはほのかな恋仲だった彼女との再会。これが八方ふさがりだったウッディの突破口になる。

 

おしとやかだった印象を覆し。逞しく…逞しくならざるを得なかったボー・ピープ。「子供ってそういうものよ。」いつかはオモチャで遊ばなくなる。ずっと友達では居られない。持ち主が転々とし、件のアンティークショップで閉じ込められて過ごした日々。けれど彼女は変わった。「世界は広い。」「私は私の為に生きていく。」

(あのアンティークショップ。光が…美しかった。)

 

「そう。子供ってシビアな生き物なんよな。」

昨日まで大好きだったモノから興味を無くす。乱暴に扱う。大切にしていたモノをあっけなく無くす。忘れてしまう。

ボニーを勝手だなと憤れない。だって。覚えがある。当方も…子供の時大切にしていたオモチャたちがどうなったのかよく覚えていない。(多分、知り合いに貰われていった)

ウッディを観ていて胸が痛むのは…腹立たしいと感じるボニーがかつての当方に重なるから。どこまでも無意識。嘘が無く…残酷。

 

「でもね。子供ってそういうものよ。」

ごめんなさい。ごめんなさい。かつてのオモチャたちにそう言いたくなるけれど、もうどれだけの時が経っているというのか。いまさら胸を痛めても会う事すら出来ない。

 

これまで、あくまでも子供に寄り添う事を信条としてきたウッディの、最後の決断は確かに切ない…何だか見捨てられたようで。でも…先に勝手にお別れしたのは、果たしてどちらだったのか。苦しい。

 

こんな気持ちになるなんて。かつて愛されたオモチャは最後にどういう選択をするのか。秀逸なストーリー。

けれどもやはり「オモチャたちの行く末をしっかり描き切った作品ではあるけれど、トイ・ストーリーのキャラクター達で再現しなくても…」と賛否は決めかねる当方。

 

寂しくて。寂しいけれど。この選択は不可避。もしかするとどんなオモチャにも等しくこの時は訪れるのかもしれない。ならば応援するしかない。

ともあれ。ウッディが一人でない事に希望を抱きつつ。

もうこれ以上の続編は結構。限りなく美しい世界で仲間達と元気で居て欲しい。居るはず。彼等なら。

 

便りはもういりません。

映画部活動報告「COLD WAR あの歌、2つの心」

「COLD WAR あの歌、2つの心」観ました。
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冷戦下のポーランド。歌手志望のズーラとピアニストヴィクトル。

国営の音楽舞踏団のお抱えピアニストと養成所に入団希望として訪れた少女。

瞬く間に恋に落ちる二人。しかし、政府から監視されていたヴィクトルはとある公演の最中パリに亡命する。

数年後。パリで再会する二人。じきに同棲を始めるが、ある日突然ポーランドに帰ってしまったズーラ。後を追うが、ヴィクトルはポーランドを捨てた身で。

運命の二人が繰り返す、別れと再会の日々。激動の時代を生きた15年の歳月。忘れられなかった名曲『2つの心』。

 

という男女の機微を。当方の心に住む男女キャラクター『昭と和(あきらとかず)』に語ってもらいたいと思います。

 

和:いやあ、これ。上質なメロドラマでしたね!以上!

昭:早い早い。結論が早い。…お前…情緒とかどこにやった。

和:そんなもんは2世代前(昭和)に置いてきました。男女の機微?何それ食べられるやつ?

昭:団子じゃないよ。っていうかこんなしょうもない会話をするのも嫌やって。真面目にやってくれ。

和:だってさあ。正直な所、くっ付いたり離れたりを繰り返す、ど~うしても離れられない男女ってやつでしょう?しかも周りに迷惑かけまくる系の。

昭:オヨヨ~。ちょっと、今回だけのルール作っていいかな。会話が難しいと判断した時はオヨヨ~で代用させてくれ。

和:勿論時代背景ありきって事は分かってるよ。冷戦下のポーランドという窮屈な環境。音楽舞踏団で知り合った二人。所謂先生と生徒。

昭:とはいえ。別に現代のアイドルグループみたく恋愛禁止な訳じゃないし、そこは問題じゃない。オーディションで初めて見た時から、ズーラに一目ぼれ状態だったヴィクトル。彼女の入団を猛プッシュ。そしてあっという間に恋人同士の二人。

和:おおっぴらに付き合っている訳じゃないけれど。皆から隠れてキャッキャうふふといちゃつく二人…と見せかけて、実は政府にヴィクトルの素行を報告していたズーラ。

昭:結局真偽のほどはよく分からんかったけれど。ズーラには父親を刺したとかの容疑があって保護観察状態。だからスパイ行為を要請されても断る事が出来なかったと。

和:音楽舞踏団も、時代の流れの中で民族音楽やダンスだけではなく、次第に戦闘意欲が湧くような軍歌、政治家をたたえる歌なんかをしなくてはいけなくなった。最早政府のプロバガンダ。そこに不快感を露わにしていたヴィクトルは政府からマークされるようになってしまった。

昭:スパイ行為をしていたズーラに怒りも覚えたけれど。このままでは自分のやりたい音楽が出来ない。そう思ってポーランドを去る決心をしたヴィクトル。けれど、一緒に行こうと声を掛けたズーラは、結局一緒には来なかった。

 

和:ズーラがもう。ファムファタールっていうべきなんでしょうけれど…気が強くて我儘。黙って言いなりになんてならない。レア・セドウみたいなビジュアル…つまりは可愛い。それで今言ったような性格。しかも父親に傷害を起こすなどのミステリアスで危険な雰囲気もある。そしてエロい。

昭:そうだよ!こういう女性は無敵。男の心なんて野に咲く花のごとくむしり取られてしまうんだよ!男性無敵艦隊

和:オヨヨ~。男はホンマにあかんたれ。結局魔性の女に絡めとられてしまうんよな。

昭:そしてまた亡命先のパリで再会。

 

和:あれは…絶対ヴィクトルと再会する事を狙ってパリに行ったんやと思うけれど。

昭:そうやんな。そうとしか思えんかった。百歩譲ったとしても、結婚してパリに…ってなった時、ヴィクトルの存在が過ったはず。いつでも探しているよ。どっかに君の姿を。こんなとこにいるはずもないのに。

和:不貞もいい所やけれどな。だってズーラ結婚しているんやもん。やのに夫の存在感の無さ。

昭:ヴィクトルにも恋人が居たんやけれどな。でも結局二人の腐れ縁は断ち切れず。パリで共に暮らし始める。

和:二人のパートナーに対するサイドストーリーの無さ!バッサリ退場。これ、少女漫画やったら1作品出来るよ。

 

昭:まあ。この点に限らず。この作品って15年の月日を描いている割には88分という驚異の時間で仕上げているからさ。全く話に無駄が無いの。先述したポーランドの音楽舞踏団時代も、あっという間に二人は恋仲やし。このパリ編でもさっさと二人で新生活。でもこのシンプルで繋ぐ技法で進行するからこそ、間延びもしない。でも己の脳内引き出しで大体補てん出来るから、観ている側は不自由はしない。このテンポが絶妙。

和:後はやっぱり…ズーラの歌声。音楽舞踏団時代から何度も繰り返される『2つの心』という歌。それが皆で合唱していた時の民族調とパリに来た時のジャズテイスト。同じ曲が時を重ねるにつれて曲調も変わり。こちらの感じ方も違ってくる。面白い。

 

昭:新天地花の都パリで。二人でなら新しい音楽を作る事が出来る。そう思ってレコードも出したのに。結局その製作過程でギクシャクしたまま二人はまた決別。

和:ヴィクトルの元彼女が絡んでいる歌なんて気持ち良く歌えないわよ!そして私は当てつけで他の男と寝てやったわよ!…ってもう!メンヘラビッチもいいところやん!

昭:俺たちはそんなことでファムファタールを見捨てない。例え彼女が逃げ出したとしてもな!俺は追いかける!

和:それで亡命したはずの祖国に戻っちゃあ、そりゃあ捕まるわ。オヨヨ~。

 

昭:順を追ってネタバレするのもアレなんで…ふんわり風呂敷を畳んでいこうかな。

和:追いつ追われつ。片方が逃げれば片方が追う。どうしても諦められない。忘れられない人。確かに激動の時代ではあったけれど…正直、平和な時代であったとしてもこの二人はすったもんだ揉めながらもまた元の鞘に戻る男女。そんな気がしたな。

昭:まあまあ。でもそうやって離れていても、ずっと音楽は辞めなかったやん。同じ曲を、時を重ねながら変化させていく二人。己の置かれた環境は変化していくけれど、それでも忘れない。また寄り添っていく二人。

和:二人の巻き添えくった、一時的なパートナーたちからしたらいい迷惑なお騒がせ男女ではあるけれど。だって最後なんてさあ!

昭:オヨヨ~オヨヨ~!やめろ!二人が幸せに舞台から降りれたら良いの!…そしてどうやら最後に『両親に捧ぐ』とテロップを出した所を見るとパヴェウ・パヴリコフスキ監督のご両親に関係ありそうやし。そうなると何も言えないよ。

和:それな。まあ。兎に角終始上質なメロドラマやったなあと。以上かな。

 

離れてもまた引き寄せられる。そんな男女の運命。それを絶妙なセンスと構成でコンパクトに纏められた作品。モノクロ映像も相まって。非常にハイセンスで落ち着いた大人な雰囲気。そんあ上質なメロドラマを観た(言い方がアレですが。褒めているんですよ)。

出来ればお酒を舐めながら誰かと。そういう鑑賞をしたかった。観終わった後、一人で映画館を後にしている当方が辛い。そんな作品でした。オヨヨ~。

映画部活動報告「無双の鉄拳」

「無双の鉄拳」観ました。
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「一度キレたら誰にも止められない。かつて闇の世界で『雄牛』と呼ばれた男。」「愛する妻を奪われた。拳一つで取り戻す。」「死にたい奴から、かかって来い。」

 

ハリウッドから「アジアのドウェイン・ジョンソンだ。」とラブコールを受けたという韓国人俳優マ・ドンソク。

その強面なビジュアル。アジア人とは思えない体躯…なのに、表情や仕草はなんだか愛らしい。ラブリーと掛けて『マブリー』と呼ばれる彼。

「恐ろしい目に合わされると思って、必死に逃げてきたら。実は落とした白い貝殻の小さなイヤリングを渡そうとしていた。そんな森のくまさん的キャラクター。」「けれどいざ戦わせたら…パワーでねじ伏せる系。」「マブリー大好き!」

 

血中マブリー濃度を保つべく。そして香ばしい数々の煽り文句に煽られて。ふらふらと吸い寄せられた当方。

 

主人公のドンチョル。かつて闇の世界で恐れられた彼は現在愛する妻ジスと二人暮らし。魚の卸売市場で働く彼は、普段は周囲に腰が低く穏やか。情に厚く面倒見が良いから彼を兄貴と慕う舎弟も居る。

けれど、商売に関しては騙されやすい性格で。ちょっとでも儲かりそうな話を聞いてしまえばすぐに投資してしまう。その為いつだって家庭の経済状況は火の車。破産寸前。

ジスの誕生日の夜。レストランで起きた夫婦喧嘩。怒って一人自宅に帰ったジスを追って慌てて帰宅したドンチョル。しかし、そこにジスの姿は無く。

荒らされた部屋に呆然と立ち尽くすドンチョルの携帯電話に掛かってきた、何者からの電話。「ジスを誘拐した。」。翌日の「金を払うからジスの事は忘れろ。」そして実際に手元に届けられた大金。

警察に届けた。けれど一向に捜査は進んでいる気配が無い。

「こうなったら俺がジスを探し出す。この手で取り戻す。」

かつて雄牛と呼ばれた男の覚醒。怒りに震えたドクチョルは独自に動き出す。

 

安定のマブリーキャラクター。普段は周囲に対しヘラヘラと取り繕って気弱な対応。けれどキレたらもう…猪突猛進。大暴れ。武器なんて使わない。体当たりでぶつかり。相手に掴みかかり、跳ね飛ばし、ねじ伏せ。兎に角拳で叩きのめす。

 

革ジャン?というか合皮?のジャンパー、中は黒いシャツ。ぴっちりしたパンツ。マブリー格闘スタイルのユニフォームも勿論お馴染み。

しかも今回の「かつて闇の世界で名を馳せた」というのも、別にどこかにの組織に属していた訳じゃなくて。いうならば「ただただ腕っぷしが強い奴がいた。」という道場破り的ストロングスタイル(我ながら意味不明)。

 

「おお。車のガラスを拳で割ったぞ!」「あんな大きな男を抱き抱えて…まさかの天井にぶつけて突き破るなんて!そんな倒し方って!」すげええの波に飲み込まれてしまう。その快感。(余談ですが。あのマブリーの出で立ちを見て。それでも向かっていく相手達にこそ勇気を感じる当方。だって…普通は戦意喪失しますよ。)

 

ジスを誘拐した相手。それは恐るべき人身売買組織。

「最近韓国内外の富裕層の間で韓国人女性が人気だ。だから金銭的に問題のある女性をパートナー(夫や家族)から高額で買い取って、整形した後売り飛ばす。」「何だかんだ言って。金を返して女性を取り戻したいと言った男はいなかったぜ。」

その組織のトップ、ギテ。

ギテの子分が語った、「アイツは何でも金で買えると思っているんだ。」

血も涙もないサイコパス。けれど商品である女性には傷をつけるなと、人質の女性に暴力を振るった子分を半殺しにしたりする。(最終的にはギテの奴、滅茶苦茶ジスに暴力振るってましたけれど。)

オールバックで紫色のスーツ、ってどこのジョジョだよというファッションセンス。妙に律儀。そしてどこまでも憎たらしい、なかなか骨のある悪役。確かにこういう奴がラスボスじゃないと。

 

人身売買の闇組織VSかつて名をはせた孤独なアウトロー。どこまでもシリアスなノアール作品にだって出来そうなもんですが。決してそうはさせない。それがマブリー映画。

 

ドンチョルの舎弟チュンシク。そしてジムの行方を調べる為に利用した興信所社長のコム。主にこの二人が果たしていたコメディー要員。愛すべきおバカさん。

二人の掛け合いのコミカルさ。そしてドンチョル自身も決してシリアス一辺倒では無いので、話が停滞しない。サクサク進む。

そして。人質となったジス。監禁された廃病院での大立ち回りといい、決してめそめそして小さくなってやり過ごしてはいなかった。まあでも。韓国映画の女性って基本大人しくやられたりしませんね。そして元々の性格も気が強い。

 

という。本当に『愛する妻を奪われた、人外な威力を持つ男が相手組織から妻を奪い返す』というシンプルな話なんで。「まさかあの人が!」とか「どうしてこんな事になっちまうんだよおおおおお。」とかも無し。

悪役は悪役で。そこには一点の曇りもない。同情の余地など無い、清々しいまでに倒すべき相手。

(人身売買なんて…人の命は金では買えないぞ。とかの真剣なテーマは正直感じませんでした。)

そして味方は警察も含め、ポンコツさが可愛らしいメンバー。けれど大元である主人公の圧倒的パワーがあるからわちゃしながら群れていればよい。

大筋としては目新しい事は無い…という。なので安心してマブリーアクションを観ていたらいい作品なんですよ。(けなしていません。)

そして結末とその後の彼らも含め。「ご都合主義感は否めないけれど。良かったね。お幸せに。」と笑顔になれたりもするのですが。

 

「これはこれで良いんやけれど…完全に悪に染まりきったマブリーを見たい。又は一片の笑いも存在しないノアールマブリー作品。」

彼の出演作を幾つか観ていく内に、次第に生まれてきた思い。いつか見たい。そんなダークなマブリーを。

 

兎も角。人気俳優であるマブリー作品はこれからもコンスタントに公開されていくようなので。血中マブリー濃度を保つためにも、今後も見届けていきたい。そしていつか出会いたい。そう思う当方です。

映画部活動報告「いちごの唄」

「いちごの唄」観ました。
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岡田恵和監督+峯田和伸コラボ作品。

 

「7月7日。愛し合う二人が、一年でたった一日逢瀬が許される。そんな日に僕たちは再会した。」

 

田舎町に住む中学生。コウタと信二、そしてあーちゃんこと天野千日。

三人に起きた他愛もない、けれど取返しの付かない出来事。埋められない傷。

数年後。再会した事で明かされた、信二とあーちゃんの絆。

果たして。一度死んでしまった心はどうやって生きていけばいいのか。

 

最近、個人的にあまり触れなくなってしまった『邦画』というジャンル。

ちょっとでも気を抜けば幾らでも公開される映画作品に於いて。『邦画』『オリジナル脚本』という作品の少なさ。若手監督はなおの事。故に、少しでも「あ。これは。」と見掛ければ積極的に観ていきたい。そう思って。鑑賞しましたが。

 

「ああ。なんかこれ…。」

はっきり言うと「銀杏BOYファンとか。そういう人たちには受け入れられるのだろうけれど…。」「甘い。甘ちゃんすぎる。」「そういう甘さを好む人たちが居るには居るのだろう。」

おでこにこぶしを当てながら、非常に歯切れの悪い言い回しをする当方…だって。だってツッコミどころが多すぎて。

 

「何て言うか…演技指導?なのか。主人公コウタを筆頭に、全体的に皆『舞台演技』過ぎる。」

主人公笹川コウタを演じた古館雄太郎。本職の俳優ではないと見ましたが…それにしても演技がアレ過ぎる。

「えっ?コウタって何かあるの?」そんな邪推までしてしまった、コウタの演技のわざとらしさ。そして彼の両親と弟の、コウタに対する気の使い方。(そりゃあまあ、中学生という多感な時期に起きたあの事件を以って精神的に不安定な部分を持った…ってありそうですけれど。そんなんじゃなさそうなんですよね。コウタはただただ天真爛漫なだけ。)

 

「こんな大御所俳優までもが…過剰な演技をしている中で、あくまでも自然に役を全うしようとしている。」当方がそう思ったのが、ヒロインの天野千日を演じた石橋静河と主人公コウタと同じアパートに住むアケミこと岸井ゆきの

 

幾ら何でも不親切なんで。ざっくりあらすじを書いていきますが。

 

田舎の中学生だったコウタ。ある日。通学路の坂道をブレーキを掛けずに自転車で掛け降りる同級生信二と出会う。信二の翻弄さに惹かれるコウタ。急速に距離の縮まる二人。

しかし。七夕の日。二人が慕っていた同級生の女子、あーちゃんを守って命を落とした信二。

数年後。東京で暮らしていたコウタは、偶然七夕の日にあーちゃんと再会する。

 

東京っていう砂漠は、突然アスファルトの上で思ってもみない相手と引きあわせるもんなんですね。ってそんな奇跡もさながら。一体どういう時間の使い方なのか。「先ず近くのラーメン屋に入ってボロクソ言ってからどこかに繰り出す。というルーチンワーク。」(このコメディパートもそこそこ寒いコント仕様。)どうやらひたすら喋りながらそこいらを歩き回るという安価なお散歩デートを繰り広げ。「じゃあまた来年。この時間、この場所で。」というローコストかつ不確かな次回公約で解散。

 

「うわああ。よくこんな気の長い約束で精神を保てるな。」

 

電話を携帯する世界線で。こんな不安定な口約束によく一年も待てるな…そう思う当方は汚れた大人なのか。

 

あーちゃんとの逢瀬を心待ちにする一年の中で。否応なく大人にならざるを得なかった案件。

「いやいやいや。童貞喪失のパターンの中で一番いいやつやないか。それは…アケミさんのスペックの高さ故やけれど。」

それとは別に。大地震が発生、心の拠り所を失った女子学生に音楽を渡した事。

 

一年に一回。かつての同級生コウタと会う事で、自身の深い傷を癒してきたあーちゃんこと千日。

「ずっと変わらないね。」何年の月日を経ても尚。どこか中学生の面影を残していたコウタに。安心しながら。けれどコウタの「変わらない」優しさを見逃す事が出来なかった。

一緒に居たら落ち着く。だってコウタは私に憧れを抱いているから。

「あーちゃんは素敵。」そういう好意の気持ち良さ。けれど。

何回かの逢瀬で。次第にごまかせなくなってくる。「どうして?」

「どうして私にそんな感情を抱いているの?」「私はそんな人間じゃない。」

私はつまんない人間なのよ。私は愛される価値なんてないのよ。そう思うと遂に耐えられなくなった。「もう。会うのを辞めよう。」

 

けれど。突然千日に幕を下ろされたコウタはたまったもんじゃない。

あーちゃんは天使。あーちゃんを命を掛けて守った親友を知っているコウタにとって、あーちゃんが誰かにないがしろにされる現状なんて想像もつかない。

 

ねえ。あーちゃん。もっともっと。あの時の話をしない?

あの時だって。そして今だって十分素敵なあなたと。これまでとこれからの話をしよう。

哀しい出来事を忘れる事なんて出来ないけれど。それに押しつぶされてはいけないんだ。

もう幸せになっていいんだ。一緒に前を向いて生きて行かないか。

 

~という、当方最大級のポエミー要素を動員。そういう話だと思っているのですが。

(現在自家中毒で瀕死状態です)

 

「そもそもさあ。車道をブレーキ無しで降下って。で畑にダイブって。いつ事故にあってもおかしく無い。同情出来ない。」(実際事故に遭ったのは違う要因でしたが)

「同じ地域に越してきて、流石に誰にも気づかないっていうのは無いよ。」

「トラウマ克服に、同じ道路を降下する下り。いくら何でもいい年した大人がさあ。車道使ってって。あかんやろ。」

「ほんま。名だたる脇役俳優達が出ているんやけれどなあ。なんか…勿体ない。」

「…良い事言おうとし過ぎているんかなあ。」

おいおいおかしくないか。口を開いてしまえばあれこれ言いたい事は止められないけれど。

 

「ただ。一つだけ言える。当方は石橋静河さんが好きなんだということ。」

決して綺麗だけでは納まらないのに…彼女の透明感。堪らない。

 

アンバランスな邦画作品。正直ベタ過ぎて乗れない所もあるけれど。それでも憎めない。嫌いじゃない。不格好で…愛おしい。

 

兎も角。これから二人はもっと会える。新しい時を紡ぐ。それが続きますように。あれこれ言う前に、そう思ってそっと後押ししたい作品でした。

 

 

 

映画部活動報告「Girl /ガール」

「Girl /ガール」観ました。
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15歳のララ。バレリーナ志望。

しかし現実には、彼女の夢の実現は非常に厳しい。なぜなら、彼女の体は男性だから。

確固たる意志と努力。ララの持つ魅力、才能、センス。

理解ある家族、信頼できる医療チームの支えもあって。難関のバレエ学校への入学を果たした。日々(文字通り)血のにじむような練習に没頭するララ。けれど。

クラスメイトからの心無い悪意。そして意思では制御出来ない体の事情。

上手くいかない。この体のせいで。このままではもうバレエが出来なくなる。

初舞台のチャンスを前に。次第に己を追い詰めていくララ。

そして彼女が出した選択とは。

 

第71回カンヌ国際映画祭『カメラドール(新人監督賞)』受賞。ルーカス・ドン監督(ベルギー)作品。

「18歳の時、バレリーナになりたいと奮闘するトランスジェンダーの少女の記事を読んで。彼女を題材にした映画を撮るんだ、という思いからこの作品を作った。」

ララのモデルとなったベルギーのダンサー、ノラ・モンスクール。

彼女から語られたエピソードの数々から構成された物語。そして主人公ララを、映画初出演の現役トップダンサー、ビクトール・ポルスター(当時14歳)が演じた。

 

トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)を演じたのがシスジェンダー(生まれた時に診断された身体的性別と自分の性が一致し、それに従って生きる人)の役者。」

心も体も男性であるビクトールが。どうしてこんなに繊細な表情を見せる事が出来た?女性らしい仕草。己の体の変化に対する嫌悪感。このままでは何もかも駄目になってしまう。今が大切な時なのに。そう焦るララの心情を、どうして彼がこんなに見事に表現出来たのか。

 

「ビクトールが正に思春期のダンサーだったから。じゃないですか?」そう答える当方。

 

トランスジェンダーが主人公の物語ではありますが。その前に。

第二次成長期に於ける、心身の変化に翻弄される思春期の主人公。

この世代が確固たる夢を持っていて、実際実現可能な環境に身を置けている。それだけでも凄いですけれど。けれどそれは棚から落ちてきた牡丹餅では無い。本人がとてつもない努力をしたから。

もっと。もっと高見に行きたい。自分の望む景色を見たい。その為ならばどんな努力だってする。

 

そういうストイックさ。実際に名門バレエスクールに通う現役のダンサーなら。ビクトールにはその気持ちは絶対に分かるはず。

ビクトールが演じたのは思春期のダンサー。成長期に於ける、葛藤。もがく姿。

そこに肉付けされた『ララ』という少女。彼女のセクシャルティ。メンタル。

ララのバレリーナになりたいという夢。それを阻む原因が己の体。性別の壁。

そういうララの心情を理解出来るから。…真に迫った演技が出来た。そういう事じゃないかと。

 

「なんてエレガントな女性なんだ。」

監督が。そしてビクトールが演出した『ララ』という少女。

15歳とは思えない。大人っぽくて落ち着いている。芯が強い。あからさまな悪意を向けられても。自身の中では吹き荒れているのであろう感情も。決して他人にぶつけたりしない。

母親の存在について、はっきり言及されていませんでしたが。兎も角今は運転手の父親と幼い弟との三人暮らし。

弟を学校に送り迎え。父親と一緒に食事の準備をし。「しっかりしなきゃ。」そんなセリフはありませんでしたが。家でも母親であり姉であろうと常に気を抜かない。

 

「何でかなあ。もっと頼ってくれたら良いのに。」

却って危なっかしい。そう思えて仕方なかった。そして…おそらくララの父親もそう思っているだろうと察した当方。

物語の前に起きた事。それは推測しか出来ないけれど。

息子から娘になった。それをきちんと飲み込んだ。そして医療チームと連携を取り、どうすれば娘が幸せになれるのかを一緒に模索してくれている。父親。凄い。

 

「お前は完全に女性だよ。」「貴方は女性だわ。」

父親も医療メンバーもそう言ってくれる。ララの立ち居振る舞い。一見した見た目。ララは女性。そう言ってくれるけれど。

「女性ならこんなもの付いていない。」

 

何だかとっても…自身の性器に固執するんだなあと思ってしまいましたが。まあ…確かに…男女の体の違いの中で最も違うと言えばそうだからか…。

ホルモン療法を受けている。けれど思っていた感じじゃない。女性らしい体つききは得られない。

確かに見た目は女性。けれど、それはあくまでも服を着た状態。裸になれば…体は男。女性じゃない。自分は絶対に女性じゃない。

早く性転換手術を受けたい。けれど後二年は手術を受けられない。

 

憧れていたバレエ学校に入学出来た。幼い時からここに通うクラスメイトと比べたら、随分遅れをとっている。けれど、努力をすれば。そういうストイックな姿も認められたのか、初めて舞台公演のメンバーに選ばれた。

もっともっと。もっと上手くなりたい。美しく踊れるバレリーナになりたい。そう思うのに。

 

ある日クラスメイトの誕生日会に呼ばれた。そこであった、嫉妬したクラスメイトからの、反吐が出そうな発言。(本当に…いたたまれなかった。)

ああ違う。バレリーナを目指してこの学校に居るのに。結局自分はイロモノでしか無い。見た目を取り繕って女の振りをした化け物でしか無い。

 

「焦るなよ。父さんだって男になるのに随分時間が掛かったんだ。」「思春期を楽しめ。」

中年の当方には、ララにこう言った父親の気持ちがとてもよく分かる。

 

思春期なんてとうに通り過ぎて。すっかり凪いだ大人という立場からはそう声を掛けるしかない。時間が解決するしかない事がある、今性急に物事の答えを出すなよ。

肝心な事をきちんと話してくれない娘。本当は揺さぶってでも聞き出したい。今何を思っているのか。苦しんでいる事はなにか。何でもしてあげたい。けれど…『言わない』という選択をしている娘の意思を尊重…ここはぐっとこらえて大人の余裕を見せないと。でも。俺はお前が吐き出したい時にいつでもそばに居るからな。

 

『青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの』『青春時代の真ん中は 胸にとげさすことばかり』(『青春時代』 歌:森田公一とトップギャラン 歌詞:阿久悠 作曲:森田公一

 

なのに。

今が全て。今ここで全ての元凶を断ち切らなければ。溜めに溜めたありとあらゆるフラストレーションに対し、そう結論を出してしまったララ。痛い。痛すぎる。

「あいたたたたた~!!」心中で悲鳴を上げる当方。それはあかん。

 

結局ララの出した結論の…具体的な結果は分かりませんでしたが。当方は…「アレは切れなかったけれど、ため込んだ気持ちなんかは断ち切れた…。」と思っているのですが。

まあ…確かにララが胸に押し込んでいた問題は、一番声に出して言いにくい事ではありますが。ララの奴…それをぶちまける方法が危険すぎる。

 

最後。すっぱりとした表情で闊歩するララの姿。明らかに悩んでいた時期から新しい段階へ歩んでいる様子に見えましたが。

 

「忘れたらいかんよ。貴方にはずっとそばで支えてくれている人が居る事を。」「もう二度と、勝手に一人になってはいけないよ。」そう声を掛け。彼女を見送った当方。

ララが彼女らしく。生きられるよう。祈るばかり。

 

そして。ララを最後まで表現しきったビクトール・ポルスターにスタンディングオーベーション。兎に角素晴らしかった。それに尽きました。