ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「パペット大騒査線 追憶の紫影」

「パペット大騒査線 追憶の紫影」観ました。
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「人間とパペットが共存する世界。パペットは二級市民として人間達にぞんざいに扱われていた。」

主人公のフィル。元LA市警警察官。しかもパペット初の警察官。しかしある事件から職を失い、現在は私立探偵事務所を構え、細々と暮らしていた。

ある日。事務所に訪れた、サンドラと名乗るパペット。『お前の秘密をばらすぞ』という脅迫状が送られてきた。犯人を見つけて欲しいとの依頼。

恐らくチラシ等からアルファベットを無作為に切って、それを紙に貼りつけて文章にした脅迫状。「この『P』の飾り文字…見た事あるな…。」

街にある、パペット専用のポルノショップ。そこにある作品の綴り文字と同じだと、ショップに訪れるフィル。しかしフィルが店の奥で顧客ファイルを調べている間、店内に何者かが侵入。店員と客が皆殺しに会ってしまう。

殺人(人⁈)現場と化したポルノショップ。駆けつけてきたのは、警官時代にフィルとバディを組んでいたコニー・エドワーズ(メリッサ・マッカーシー)刑事。

「ただの強盗事件だ。」パペットなんかただの綿袋だと馬鹿にするコニーと、ひと悶着するフィル。

しかし、その直後。フィルの兄で俳優のラリーが、何者かが放った犬に噛みちぎられて殺された。

「これは…関連性があるのでは。」

ポルノショップで殺されたパペットとラリーの共通点。それは昔、人間とパペットが共演して人気となったコメディ作品『ハッピータイム』の共演者だった。

かつてのボスから再びバディを組めと言われ。一体これはどういうことかと奔走するフィルとコニー。しかし共演者たちの連続殺害は収まらず…。

 

「大人のセサミストリート。」

 

全くのノーマークでしたが。2月22日公開直前、おもむろに目にしてしまった今作の情報。「セサミストリート…だと…?パペット…。」

中学生当時。「英語を学ぶならセサミストリートがお薦め。」という何処からかの声に。NHK教育番組で何回か見た記憶。正直あまり嵌らなかったので、継続して見続けた訳ではありませんが。ですが、鍵っ子だった当方は幼少期から、NHK教育番組でやっていた数多の人形劇やパペットと人間の寸劇に散々触れてきており。グッチ雄三とパペット仲間がエンタメを繰り広げる『ハッチポッチステーション』なんかも大好物。

「人間とパペットが共存する世界線で映画作品を⁈」ワクワクする気持ちを抑えつつ、映画館に向かったのですが。

 

「全身の力を抜いて。空っぽの頭で楽しめる作品でした。」

 

アメリカ本国ではR指定だったのに。何故か日本ではPG-12。とは言えこれ、中学生が傍に居たら気まずくなりますが…幸いどう見ても周囲はR18以上の観客陣。当方、安堵。というのも。

 

「エロ。グロ。エロ。薬物でのハイテンション。エロ。」パペットならいいのか。まあ、確かにコレ人間でやったら一発退場だと思いますけれど。

 

「ポルノショップでの結構赤裸々なプレイやエログッズ」「綿が飛び散ったり、ずぶ濡れでぐしょぐしょの死体」「あ。パペットにとってはこれが薬物なんだ」「パペット同士のセックスってこういう…」「にしても!それ…白いの!どういう体の仕組みだよ!」「そのチラリズム、結構です」そんな、およそ中学生には説明出来ないシーンの連続。(それでも「どういうこと~?」って無邪気を装って聞いてくるガキんちょには「うるさい!早く寝ろ!」と大人の理不尽ぶつけますよ。当方は。)

 

まあ好き放題。アメリカ本国でラジー賞候補にノミネートされまくった、本家セサミストリートから怒られた、そんなエピソードも納得の人形劇。ですが。

 

監督、ブライアン・ヘンソン。『セサミストリートの人形作家、ジム・ヘンソン』という超一級の父親を持ち。母親、姉、ブライアン本人皆パペット使い。まさにパペット家族。

そんな監督が筆頭なのもあって。「パペットの動きよ!」「すげえええ!」「どうやって動かしているんだ!」「どうやって撮っているんだ!」の連続。(エンディングの最中流れていたメイキング画像に釘付け)

 

お話自体は…おバカを全身に纏いながらも、まま王道なバディもの。

昔腕を慣らした名コンビ。けれどフィルの失敗によって無関係な一般市民を傷つけてしまい。そしてコンビの間にも亀裂が生じ。そのまま月日が流れ…早12年。

しかし。今回新たに勃発した連続殺人(人?)事件。そしてきっかけとなったある依頼。それらは一見なんの関連性も無いと思われたが。実は実は。という。

 

元警官のハードボイルド探偵フィルも良かったですが。相棒の人間刑事コニーがまた最高でしたね。ぱっと見はただの太ったおばちゃん。豪快で。一見パペットを馬鹿にしているけれど、意外と人情深い。そして実は彼女には秘密が…。

探偵事務所の秘書。あのナイスバディ。キュートな人柄。当方も傍に居たら好きになっちゃうタイプ。

そしてフィルの元彼女。『ハッピータイム』に出ていた女優(人間)。今はポールダンサー。そのアバズレ感。(余談ですが。彼女がニンジンを噛みながらポールダンスをしている時、客のウサギが「俺の中のピーター・ラビットが目覚めそうだぜ!(言い回しうろ覚え)」と言った時。声を出して笑ってしまいました)

パペットも人間も軒並みキャラが立っている。しかも…あの世界線マジックなのか、悪者すらも全然嫌いにはなれない。寧ろ好き。

 

「これは…加害者でもあるけれど被害者でもある。」「そもそもの全ては12年前、あんな事にならなければ…。」なあんて真面目に考えるのは野暮。だって作風がドライだから。くよくよすんなって!結果オーライ!(あんなに人(人?)が死んでいるのにな)

 

「得意分野は変態映画です。」映画部員として聞かれたらそう答えてきた当方。これは立派な変態映画。大好物の、全身を弛緩して観る事が出来る作品。でしたが。

 

「PG-12とは言え。中学生にはお薦めしないし、中学生どころか、おふざけの心が無い人とセサミストリート好きには怒りすら込み上げる危険性がある。」そう忠告。

 

非常に観る人を選ぶ作品。当方は大好きです。

映画部活動報告「女王陛下のお気に入り」

女王陛下のお気に入り」観ました。
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ヨルゴス・ランティモ監督作品。

 

18世紀のイギリス。アン女王(オリヴィア・コールマン)。国を統治する立場でありながら、その身体及び精神は不安定。そんなアン女王を心身ともにサポートしていた、アン女王の幼馴染で親友のマールバラ侯爵夫人=サラ(レイチェル・ワイズ)。

しかし二人の関係は次第に政治的な分野にまで波及し。最早サラの傀儡同然となっていたアン女王。

おりしもフランスと戦争中の時代。微妙な戦局。このまま戦争を続けるのならば、軍資金として国民の税金を上げる決断をしなければならない。けれど実行すれば国民の不満を買うのは必須。一体、女王としてどう振舞うのがベストなのか…。

 

そんな時宮中に現れたアビゲイルエマ・ストーン)。没落貴族。遠い親戚であるサラを頼ってやって来た。移動途中馬車から落ち、泥だらけの姿で。

 

貴族?馬鹿馬鹿しい。父親の借金のカタに15歳で身売りされた、今はただの小汚い若い女。せいぜい女中どまり。そこで骨をうずめる…そう思われたのに。

 

加齢。過剰な食生活。運動不足。…肥満。糖尿病。ある夜、女王が痛風発作で苦しんでおり、その処置に呼ばれた女中に同伴したアビゲイル。しかしそれは患部に冷やした肉を貼りつけ、包帯で巻くというお粗末なもの。(余談ですが。あれ、一体どういう状態なんですか?当方は『痛風』って尿酸が溜りに溜って神経痛を起こす病気だと認識しているんですが。皮膚ボロボロになっていましたけれど…あれって『蜂窩織炎』じゃないんですか?「女王は糖尿病云々」というセリフもありましたし…痛風発作も起こしているんでしょうけれど。何らかの傷をきっかけに炎症が収まらなくてああなっていたんじゃないんですか?)

明らかに炎症を起こしているその皮膚に合う薬を、と女王が寝ている間寝室に忍び込んで自作の薬草軟膏を塗るアビゲイル。捕まって。

不法侵入の罪で鞭打ちの罰を受けている最中。女王に呼ばれたアビゲイル

 

それをきっかけに。女王の寵愛を受け始めるアビゲイル

初めはおどおど。次第に虎視眈々と『お気に入り』の座を仕留めていくが…。

 

「これ。スポ根コメディ作品ですわ。」

 

孤独で不安定な女王。その女王を操る、女王の恋人。そこに乱入してきた没落貴族。

「あの二人…親密だなと思ったら…ヤッテんの!(作中には無い、下品な言い回し)」。アン女王とサラの関係を偶然知ってしまったアビゲイル。けれど「私はもっとエロいことが出来るわよ!」という発想の転換。「あの子。口でしてくれるの。(作中にあった、下品な言い回し)」

「私を愛してくれる?」「貴方は私のもの。私だけのもの。」「何が何でものし上がってやる」そんな三つ巴の攻防戦。

 

こまごまとした手口はすっ飛ばしますが。アン女王の恋人サラと成り上がりアビゲイルのアン女王を取り合う、丁々発止の闘い。

「これでどうだ!」「はっ。甘いな小娘が!」「うぬう…ではこれはどうだ!食らえ!」「うわあ!やりやがったな!」そんなスポーツさながらのやり取り。全然情緒なんて無い。(まあでも。この内容をドロドロにやられたら、ただのメロドラマになってしまって食傷した予感がします)

けれどその中心に居るアン女王ときたら「私を取り合うなんて…(うっとり)」という「喧嘩をやめて~二人を止めて~私の~為に~争わないで~」という、舐めに舐めたまったり声すら出さない塩梅。

 

この三人の女性の中で。当方が好きだったのはサラ。

アン女王の幼馴染(全然見た目年齢が合っていませんでしたけれど)。少女だった時から二人は一緒。女王と侯爵夫人と身分は違うけれど、昔からの付き合い。それ故にずけずけと周囲には言いにくい事も指摘出来る。

「立場こそ女王だけれど。あの子は私が居ないと何にも出来ない甘ったれ。」そんなセリフは無かったけれど。間違いなくそう思っている。そう確信する当方。

アン女王に対して彼氏面で接していたサラ。けれど。

 

アン女王。17人の子供を妊娠したけれど。誰一人として成人まで育たなかった。その代償として17匹のウサギと暮らす女性。…というしんみりエピソードも持ち合わせては居るけれど。

不安定なメンタル。誰かが寄り添っていなければどうしていいのか分からない。だからサラや、ポッと出のアビゲイルに舵を取られてしまう。

「何と言うか。彼女にまともな忠臣がいない事が本当に不幸だと思う。ちゃんと中立で客観的な視点でアドバイス出来る人物(恋愛感情無し)が居たら…意外と職務を全うできそうな気がするのに。女王に寄ってくる奴らが軒並み自己主張したい奴過ぎて。」「後、精神年齢が女子高生(女子ばっかりで仲良しこよし)。」

あかんたれよのう。しっかりせんと。あんたは一国一城の主やのにのう。当方、溜息。

 

成り上がり没落貴族、アビゲイル

サラ贔屓の当方なんで。アビゲイルは「この泥棒猫が!叩き出してしまいたい!」の一言。狡猾で図々しい。

初めこそ大人しく。けれどひとたびチャンスを得たと思えば、必死にしがみついてくる。

何故。何故あんたがのし上がる為に私たちの安定の地を提供しないといけないの。私たちは閉ざされた空間でひっそり楽しくやっていた。何故あんたがそこを踏み荒らすの。何故私がここから追い出されるの。

私たちは心で繋がっていた。体も繋がっていたけれど。私たちには共有した時間と経験と、そこから生まれた信頼関係。そして愛があった。だから繋がっていた。

あんたには何もないくせに。あんたはただ自分の欲だけでアンに近寄った癖に。(サラ拝当方)

 

イギリスとフランスの戦争。不安定な情勢と経済。政治家や軍人はここぞと女王に取り入って自分の思うように国を動かしたいと画策するけれど。「私はそういう事には加担しない」ガンと突っぱねるアビゲイル

 

「じゃあ貴方が最終的に手に入れたかったものは一体何だ。」呟く当方。

 

貴族の地位?贅沢な暮らし?

徹底的にやり合って、相手から全てを奪って。貴方は何を手に入れたの?

 

思わず映画館がどよめいた幕切れ。あのぼんやりと瞼を閉じるような不親切なラストに『散々殴り合った後、疲れて眠りに落ちる真っ白なアイツ』を連想してしまった当方。

 

これはスポ根コメディ作品。

散々打ち合って、疲れたらお休みなさいです。

映画部活動報告「赤い雪 Red Snow」

「赤い雪 Red Snow」観ました。
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30年前の雪の日。自宅で鳴った電話。それに出た幼い弟が「今から出かけてくる」と言った。

母親に頼まれて後を追った兄。なのに。

いつの間にか弟を見失った。永遠に。

 

あの日あの時。一体何があった。弟と自分に何が起きた。

 

思い出せない。けれど。恐らく…いや、アイツは絶対に見ている。知っている。自分たち兄弟に何が起きたのか。

 

「みんなお前が悪いんだろ」

 

今作品が長編映画デビューの、甲斐さやか監督作品。

弟を失った傷をずっと抱える、主人公白川一希を永瀬正敏。当時起きた一希の弟失踪を初め、地元の不穏な事件諸々に関与していたと思われた(そして限りなくクロに近い)女容疑者の娘、江藤小百合を菜菜菜。事件の真相を追う記者、木立省吾を井浦新が演じた。

 

こんなにも冬が。雪が。寒々しい日本映画は久しぶりでした。

 

雪の醸し出す白。けれどそれはべしゃべしゃの水気を含んだ灰色から泥色。背景も概ね暗く。その中で映える赤は朱色で。そんな独特のコントラスト。

 

永瀬正敏井浦新。何だかびっくりする位豪勢なキャストの中で。やっぱり圧倒的な存在感を見せた、菜菜菜。」

 

自殺サークルがデビュー作品だったと知って。「なるほどなあ~」と唸った当方。兎に角不穏な雰囲気を終始漂わせた怪物俳優。この作品に於いて最大の要。

 

30年前。小さな田舎町で起きた少年失踪事件。けれど。その前後からたびたび起きていた不審な事故死や火事。それら一連の出来事に関わっていたと思われる、ある女(夏川結衣)。

娘と二人暮らし。手ごろな男を見つけては取り入って。体のいい所で殺してしまう。そういう手口に違いないのに。何故か捜査網を潜り抜けてしまう。警察は何度か彼女を捕まえているのに。ヘラヘラを笑いながら黙秘を貫くばかり。結局逃げられr、現在は消息不明。そうして30年の月日が経った。

 

「居るんですよ。あの女の一人娘が。あの島に住んでいるんですよ。」

 

記者を名乗る木立が見つけ出した『あの女』の娘、江藤小百合。

まさか。自分が未だに住んでいる、この場所のすぐ向かいにある小さな島に。アイツもまた…抜け出せなくなっていた。

 

「一体何があったのか。」

 

母親のネグレクトから学校に行かせてもらえず。ずっと家の隅に押し込まれていた小百合。日々行われていたDV。そんな中、入れ替わり立ち代わり訪れていた男。全てのやり取りを見ていたはずの小百合。

アイツなら知っている。一体あの雪の日に。何が起きたのかを。

 

現在は寂れた旅館で清掃スタッフとして働く早苗。一人で雑に働く最中、客の鞄や財布から金を抜いて。

「何だか怖いんです。」早苗のふてぶてしい態度に他のスタッフは怯え。そんな反面、男性スタッフとの体の関係も匂わせる。自転車通勤の途中、立ち寄る雑貨店(田舎あるある日用品+食料品を置いている個人商店)では手慣れた手つきで万引き。

「碌な大人になっていないな~。」顔をしかめる当方。

小さな島の外れにある、小さな家(小屋)。そこに年上の男性(佐藤浩市)と住む小百合。

 

「こんな汚らしい佐藤浩市はなかなかお目に掛かれないな。」

インテリ崩れを装うけれど。はたから見たらただの酒臭い汚いおっちゃん。働かず早苗にくっ付いて朝から晩までずっと飲んでいる。どうやら彼は早苗の母親の元恋人で、かつては早苗の母親に金目の男を紹介していたらしい。早苗の母親が姿を消した今は早苗の元にずるずる居座っている。

「汚いけれど…佐藤浩市って元々醸し出している雰囲気が『しっかりした小奇麗な人(当方比)』やからなのか。違和感…。いっそ不健康に痩せて髪の毛も散らかしてみたらいいのに…。」勝手な事を思う当方。濡れ場なんかもあるんですが…もっとえげつない感じでもいいのに(本当に勝手)。

 

閉鎖された空間。すたれた生活を送っていた所に。突如現れた、木立省吾と白川一希。二人の男。彼らは昔早苗見たものを吐き出せと言う。

 

「被害者と加害者。はたから見た立場ははっきり分かれているけれど。全体像が見えた時。その境界線は余りにも紙一重。」

 

記者木立の要求は「真相を知りたい」。けれど。一希の「知りたい」は違う。「言って欲しい」。

 

弟の失踪に対しあやふやな記憶しかない一希。あの時弟は「~ちゃん(友達)のお家に行ってくる」と言って自宅を飛び出した。後を追った自分は、何故弟に追いつけなかったのか。弟の姿を見失った時、当時早苗親子が住んでいたアパートの前に居た。けれどそこから自分がどうしたのか思い出せない。

何故「弟は川に行った」と言ったのか。分からない。どうして。どうして。

母親は弟を探し回り。終いには発狂し。結局家族は崩壊した。

自分のせいか。あの時弟を見失った。真実を思い出せない自分のせいか。

 

「真実は一つな訳じゃないですか。」作中、とある人物が発した名探偵コナン風発言。

教えろ。お前は全部見ていたじゃないか。母親と同じだんまりか。何でも良いから言え。逃げ惑う早苗に畳みかける一希。

 

「みんなお前が悪いんだろ。」

 

弟に実際に手を下した人間が居る。けれど。じゃあお前はなんだ。

分かっていたじゃないか。あの女の存在も。こんな場所で居なくなった弟は何をしているのかも。お前は日ごろ弟に対してどう思っていたのか。これはお前が望んだことじゃないのか。

 

確かに真実は一つ。けれど。そこにどういう意味付けをするのかは個々に依って違う。

一希が望んだ、彼の答え。それは「お前が悪い」。

自分でそう導きだすのは怖い。だから『見ていたはず』の早苗にそう言って欲しかった。

 

~と。そう解釈した当方。けれど。

では『見ていたはず』の早苗はどう解釈しているのか。

 

正直、最後の二人が佇むシーン。「一蓮托生。ってやつですか…。」散々持ってまわった丁々発止を繰り広げてきた割に、風呂敷を畳まずに投げて来た感じが否めず。すっきりしない当方ですが。

 

「早苗は過去のいろんな事件現場を見てはいるけれど。恐らく彼女は初めからはまともに語らないだろう。彼女に真相を求める者は、常に己にとってに欲しい言葉を要求するから。事件が起きた当時ならまだしも、年月が経った今。『~だからこうなったんだろう』の確認作業をしたいだけだから。」「ただ。時間を掛けて互いの話をすり合わせて行けば、真相はシンプルな方向に収束するのかもしれない。」

 

霧の中。同じ泥船に乗った二人は。一体どうなるのか。

 

モヤモヤとすっきりしない。歪で不穏で…印象的な作品でした。

映画部活動報告「バーニング 劇場版」

「バーニング 劇場版」観ました。
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1983年に発表された村上春樹の短編小説『納屋を焼く』の映画化。イ・チャンドン監督作品。第71回カンヌ国際映画祭にて『万引き家族』と共にパルムドールを争った(らしい)。

村上春樹かあ…何だかんだまともに読んだのは『ノルウェイの森』くらい。」それも当方の感想としては「ワタナベの奴、入れ食い状態やな!数多の女がアンタに抱かれたがっているぞ!」という茶化したもの。今回の原作も未読。映画も意識していませんでしたが。

 

「何だか…とても高評価の嵐。何だ何だ。このうねりは。」劇場公開後。どこかしらからか聞こえてくる声。声。そうなるとうずうずしてしまって。

 

「なんともまあ。映画らしい映画であったことよ。」

 

アカデミー賞関連やらの大型映画が次々封切られる中、下手したらいつの間にか公開終了してしまいそうでしたが。何とか鑑賞。結果溜息。これは映画館で観る映画案件。

 

「一体どういう照明や器具を使えばこんな夕暮れや闇が撮れるんだ…。」

 

大学文芸創作学科卒のイ・ジョンス。小説家志望。現在は運送配達のバイトの傍ら、文章をしたためる日々。

ある日。店先で呼び込みをしていた女性に声を掛けられたジョンス。彼女はジョンスと同郷のジン・ヘミと名乗る。整形し、こうやってイベントコンパニオンを生業にしていると。「今夜一緒に飲みに行かない?」一風変わったヘミにグイグイ引き寄せられるジョンス。

「アフリカ旅行に行くの。その間飼っている猫に餌をあげて欲しい。」後日ヘミのアパートに訪問。流れるようにセックスする二人。(THE春樹イズム:当方の造語)

ヘミが旅立った後も実家から彼女のアパートに通い、一向に姿を見せない猫に餌をやるジョンス。

北朝鮮との国境直ぐの村。常に北朝鮮のスピーカーからの放送が響く、ぽつんと立った田舎の一軒家。そこに一人で住むジョンス。

というのも、実家に一人で住んでいた父親が公執行妨害で逮捕され拘留、裁判中だから。母親はとっくの昔に家族を捨てて不在。父親が細々と酪農を営んでいた実家にはまだ牛が居て。放ってはおけない。

うらぶれた田舎でくすぶる日々。書きたいものも特になくて。折角ヘミと出会ったのに。もんもんと己を持て余すジョンス。そこに掛かってきた、ヘミからの帰国の一報。

翌日喜び勇んで空港に向かったけれど。そこにはヘミと親し気に笑い合うハイソな男性、ベンが居た。

 

何だか随分丁寧にここまでの話をなぞってしまった。これではあらすじを書くだけで終わってしまう…という事で軌道修正しますが。

 

当方だって文筆業じゃないし…何様だと言われればそれまでですが。これだけは言える。「ジョンスは小説家にはなれない。少なくとも今の彼では。」

 

自分以外の人間に対する視野の狭さ。想像力の無さ。それは若さだけではない…様に見えた。育ってきた環境や…貧しさ故の卑屈感なのか。

 

退屈な毎日に突然現れたヘミ。「可愛くて我儘で強引。一回セックスしたくらいで好きになってんじゃないよ!童貞か!:当方の声。」って、多分童貞か似た様なもんだったんでしょうけれど。しかも出会って盛り上がった直後(物理的に)会えない日々が続いた事でマックスまで募る恋心。なのに。

待望の再会なのに。新しい男を連れて来た。しかも年上のイケメン、高収入。生活レベル故の余裕なのか、落ち着いた佇まいのベンに押されるジョンス。

案の定、ベンにヘミを持っていかれるジョンス。恋人同士な二人は楽しそうだけれど…何だかへミが道化に見える時もあって。そしてある日。突然へミは姿を消した。

 

「年老いた当方からジョンスに告ぐ。へミはやめておけ。手に負えん。」

 

デートで突然ジョンスの家に遊びに来たヘミとベン。庭先で三人で始まる酒盛り。そして訪れたマジックアワー。

 

若い。けれどそれがいつまでも続かないと知っている。自分は確実に老いて朽ちていく。子供の時。この景色の中をジョンスと走り回った。でももうここに居場所はない。もう子供ではいられない。何処にも居場所はない。なのに。

 

何故この夕暮れはこんなに美しいのだろう。

 

ヘミの親が語っていた絶縁状態や、他のコンパニオンの言葉なんかも合わせると、「恐らくへミは深刻な金銭トラブルに陥っていて。身から出た錆で失踪又は拉致されたのだろう」と考察する当方。それが彼女が消えた真相ではないかと。

 

 

そうなると、一番割を食ったのが、無邪気で無神経なベン。

「決して悪意は無いんよな~。ただ育ちが良くて薄っぺらいだけで。」それだけなのに。

金も時間も持て余しているベンにとって、ヘミは新しいおもちゃ。可愛くて、くるくる動いて。これまでもこういうおもちゃは常に手元に置いてきた。けれどヘミにはジョンスという付録が付いてくる。それが違う。

 

「僕の趣味はビニールハウスを焼く事です。」「今日も下見に来たんです。」「二か月に一回くらい…丁度今ぐらいかな。君の住むこの家の近くで。いいのを見つけました。」

 

ジョンスとヘミとベン。三人か交差した、奇跡みたいな夕暮れ。踊りつかれたヘミが眠ってしまった所で、おもむろにベンがジョンスに語ったサイコパス趣味。

直後、ヘミが姿を消した。

 

「ミカンがあるかないかじゃなくて。ミカンが無い事を忘れればいい。」

 

ジョンスとヘミが出会った日。二人で行った居酒屋で。「最近パントマイムを習っているの。」とミカンを剥いて食べる仕草をしてみせたヘミ。「上手いもんだな。ミカンがあるみたいだ。」と関心したジョンスに、ヘミが返した言葉。

 

何があって、何が無いのか。目の前に見えているもの。誰かが発した意味深な言葉。金銭的なステータス。自分の目の前にあるものだけで判断しては、相手の本質を見失ってしまう。

 

ビニールハウスを焼くとはどういうことなのか。

 

ストレートに受け取って。そこからは「ベンがヘミについて何かを知っている」と破滅に向かうジョンス。そうなると途端に雪だるま式に加速。「ちょっと待て。ちょっと待て。」「何かジョンス…上手くいかない全ての憤りをぶつけていないか?⁉」痛々しい位に驀進するジョンスに心の中で声を掛けるけれど。当然届くはずもなく。

 

それは…かつて「父はかっとなると何も見えなくなるんです。」と語っていた貴方の父親と同じ事をしているとはいえないのか?ジョンスよ…。

 

けれど。この判断で救われた者もいた。あの最後の表情で。そう思った当方。

(もう随分分かりにくい書き方をしていて辛い。ネタバレ回避を死守すると、ポエムにしかなりません。)

 

「なんともまあ。映画らしい映画であったことよ。」

 

一体ジョンスはこれからどうなるのか?そう思うのに。目を閉じると、あの奇跡の様な夕暮れのシーンが浮かんで。何かが込み上げてくる当方です。

映画部活動報告「ゴッズ・オウン・カントリー」

「ゴッズ・オウン・カントリー」観ました。
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 イギリス。『神の恵みの地/ゴッズ・オウン・カントリー』と呼ばれる、ヨークシャー地方。

「ここは美しい。けれど寂しい。」そんな田舎で。祖母と病気の父親に代わって、一人で牧場を切り盛りしているジョニー。

「こんな所。クソ溜めだ。」孤独で。未来に希望なんて持てなくて。気持ちを持て余し、夜な夜な酔い潰れるまで酒を飲み。衝動を行きずりのセックスで紛らわせるジョニー。

ある日。「羊の出産ラッシュで大変だから」と父親が雇った短期労働者ゲオルゲ。彼を初めて見た時「マジかよ」とつぶやいたジョニー。

ルーマニアからやって来た移民労働者ゲオルゲを『ジプシー』と呼び。憎たらしい態度を取っていたジョニーだったが。

二人で過ごす山小屋生活。そこでの羊たちへの接し方等を見ていくうちに、ゲオルゲに惹かれていくジョニー。そして二人は恋に落ちる。

 

「ありふれた出来事が こんなにも 愛しくなってる」(8月のクリスマス 山崎まさよし

 

2018年末。シネマートイベント『のむコレ』にて期間限定上映。当方の様な地方勢には数日しか上映期間が無く。結局仕事の関係で観に行けなかった事が悔しかった作品。けれど。改めて今回、再上映されると知って。慌てて映画館に向かった当方。

 

「誰かを好きになると世界はこんなにも美しくなる。」

 

二日酔いでゲロゲロ吐いているジョニーの画からスタート。暫くは荒んだジョニーの日常が描かれる。牛や羊の世話。セリに出かけて、そこで引っ掛けた男とただただ性欲処理的なセックス。夜は地元のバーでひたすら飲んで…という思いっきりやさぐれたジョニーの姿。「あんたも学生の時は面白い奴だったのに」大学に進学した能天気な同級生は無神経にもそう言ってくる。けれど。

 

脳神経疾患の後遺症で体に麻痺の残る父親。母親はとっくの昔に不在で、父方の祖母と三人暮らし。父親が管理していた牧場を一人で細々と続ける日々。機械化されていない牧場での作業は重労働。父親は口ばかり挟んでくるけれど、実際には何の手助けにもなれない。

 

「よくやっているよ。ジョニーは凄くよく頑張っているよ。」

 

もう早いうちから、胸が一杯になる当方。同級生が大学に行っているって事はせいぜいハタチかそこらなんでしょう?馬鹿な事をして。笑い合って。恋をして。そんな年頃なのに。逃げ出さずに。その若さで、こんな娯楽もないど田舎で一家の大黒柱をやってるなんて。

 

「そりゃあ酒も飲みたくなるし。ゲイセクシャルならますます出会いが少なそうやし。」

 

けれど。出会った。出会ってしまった。運命の相手に。

 

父親がたまたま短期雇用として雇ったゲオルゲルーマニア人で移民労働者。あくまでも短期でしか関わらない相手のはずだったのに。

 

「スパダリ…って奴ですか。」(震え声)

 

腐った女人の皆さまが騒ぐせいで。図らずもその言葉を知ってしまった当方。

『スパダリ/高身長・高収入・高学歴でイケメン。行動まで非の打ちどころがない男性。理想の彼氏・パートナー:スーパーダーリンの略』

「そんな奴いねえよ!UMA(未確認動物)か‼」そう(心の中で)吠えていた当方…でしたが。

 

ゲオルゲ。完璧すぎる…。」

 

高収入では無いし、高学歴なのかは知りませんが。(とは言え。「親が英語教師でしたから。」と英語が話せて、あれだけ家畜の世話が出来たら、イギリス牧場業界では十分でしょうよ)家畜たちへの滋味深い接し方。黙々寡黙で真面目な働きぶり。

かと思うと「何だよ。ジプシーが。」調子に乗って悪態付いてくる年下のジョニーを押し倒して「いい加減にしないとどうするか分からないぞ。」と叱りつけ。

「何なんだよ。もう…好き。」ジョニーと共にすっかりゲオルゲが好きになってしまう当方。

そして。最もハードルが高そうなセクシャリティの部分が一致していた二人。瞬く間に恋に落ちるジョニーとゲオルゲ

果てしない包容力の持ち主、ゲオルゲと身も心も繋がった事で、どんどん柔らかくなっていくジョニーの表情と態度。それが観ているこちらにも伝わり過ぎて。眉を下げて頷く当方。

 

確かにこれは同性愛者の男性二人の恋を描いた作品ではあるけれど。

孤独で夢も希望も見いだせなかった若者が、恋をしたことで今いる場所の美しさを知った。決して彼は一人では無かった。そしてこの場所で自分は誰とどう生きていくのかという決断をした、これはそういう作品だ。そう思う当方。

極端な話、この話のカップルが同性なだけで、異性であろうが。恋をするとはそういう事なのだと。

 

またねえ。ジョニーの父親も、祖母も。悪い人なんていない世界なんですよね。

危なっかしい息子を見るにつけ、思わず文句を言ってしまう。まだまだ息子は若い。本当は自分が色んな事を教えてやりたかった。けれど体がままならなくて。

分かっている。息子が投げ出さずに自分の跡を継いでくれようとしている事。なにもかもよくやってくれている事を。

孫のジョニーとゲオルゲの関係を察して。思わず涙が出たけれど。決して否定などしなかった祖母。

その父親と祖母の姿に涙が出た当方。

 

最終。「何でそんな事になっちまうんだよおお。」と当方の心の中の藤原竜也が叫ぶ展開。「ジョニーお前…全てを失うぞ!」思わず涙目で震えましたが。

 

「で。ジョニーはどうしたいの?」

 

言葉足らずで不器用故。不本意な顛末に陥りそうなジョニーに。きちんと言いたい言葉が出てくるまで待ってくれたゲオルゲ。「お前どこまでも…スパダリだな!」高まる当方。

 

「皆が幸せになってください。『神の恵みの地/ゴッズ・オウン・カントリー』で。」

 

閉鎖的で寂しい。あの美しい場所で。ジョニーとゲオルゲだけでなく。父親も祖母も。ささやかだけれど満たされた日々が送れますように。そう祈り続けた作品でした。
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映画部活動報告「天才作家の妻 ―40年目の真実―」

「天才作家の妻 ―40年目の真実―」観ました。
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アメリ現代文学の父。そう称された小説家ジョゼフ。

ジョゼフの元に届いた、ノーベル文学賞受賞の知らせ。盛り上がる周囲とジョゼフ。

その隣に寄り添う、妻のジョーン。

「天才作家の小説は、実は妻ジョーンが書いていた。」

 

昭:はい。お久しぶりです。当方の心の男女キャラクター『昭と和』がやって参りました。この挨拶の下りも段々手慣れてきました。なのでサクサクと本編へ。我々二人が観て感じた事を好き勝手に話していきたいと思います

和:2019年米アカデミー賞主演女優賞ノミネート、ジョーン役グレン・クローズ。ほんま上手い役者さんやなあ。ああいう『何を考えているのか分からんけれど、腹に一物抱えている人』という表情。堪らん。

昭:怖いよな~。一見天才大先生の妻でひたすら彼をサポートしてきた、という呈で実は彼女こそがその天才大先生そのものやった。けれど周囲にはそんな雰囲気を微塵も出さずに内助の功を装っていた。

和:ノーベル文学賞受賞の一報で幕開け。そして舞台は授賞式が執り行われるストックホルムへ。そこで過ごす授賞式までの日々とその当日。夫妻に付きまとう記者サニエルの存在も相まって。二人の出会いから結婚、そして現代文学の父誕生秘話というヒストリーが紐解かれていく。

昭:もともと大学講師と教え子の関係なんよな。文学部かなんかの。大学生活経験が無いんでよく分からんかったけれど…女子大?なのか女子ばっかりの狭い部屋でイケメン講師がひたすら講釈垂れてんの。それをうっとり眺める女子達。

和:片手でクルミを二個持って、ニギニギ手遊びしながら持論の文学論披露。今の自分なら逆に楽しんでお話聞けそうやけれど…まあハタチそこそこの小娘なんて見た目が良ければ容易く恋しちゃうよね。

昭:当時ジョゼフには妻子があったにも関わらず、二人は恋に落ちて。結果大学講師の職を失ったジョゼフ。その頃、出版社でOLとして働きだしたジョーンは「どこかに新しい才能は居ないのか。」という社内の声を聞いて、夫となったジョゼフを売り込もうとする。

和:なのに。大学で散々文学を語っていたくせに、いざ小説を書かせたらポンコツ。思わず「こういう風にしたら?」とジョーンが手直しをしたら…生き生きと生まれ変わった作品になった。そしてその作品は一気に世間の日の目を見た。

昭:「女の書いた本なんて売れない。」そう言われた1950年台。小説家になるのが夢だったジョーン。大学時代に書いていた小説。評判は良かったけれど、結局世間には認められなかった。もう夢は夢だと諦めていたけれど。夫のゴーストライターとしてその才能は開化した。

 

和:野暮な事を言うけれど。『現代文学の父』には担当編集者とかいないの?マネージメントは全てジョーンがやってるの?

昭:やめろやめろやめろ…。

和:打ち合わせとか、編集者からのコメントとか手直しとか校正とか。ジョーンはお茶菓子でも持って少し同席して。後から夫婦だけになって作戦会議するの?作家生活40年もそんなハリボテでやってきたの?

昭:こらこらこら。

和:今更、どこぞのルポライター風情が「本当は奥さんが書いているんじゃないですか?だって、あなたが大学生の時に書いた唯一の作品とダンナの本、作風が一緒じゃないですか。」なんて。これまでに気付く人幾らでもいるでしょうが。

昭:それはまあ…皆性善説で生きているでしょうし。まさか「大先生には実がゴーストライターが居る」なんて発想、思い付きませんやんか。

 

和:あとねえ。余りにもジョゼフが天真爛漫な子供過ぎる。

昭:子供と称していいいのか。ポジティブ…見栄っ張りと言うか…兎に角、面の皮の厚い人間だなあと思ったな。

和:ちょっとした新人賞とか。せいぜいそんなもんじゃない?自分が書いた事にした、他人の手が入りまくった作品が評価されても受け取れるの。それがノーベル賞って!世界最高峰と言っても過言ではない。よくそんな賞を堂々と貰いに行けるよ。

昭:あくまでも自分の作品だと思っているからやろう。作中でもジョーンに言ってたやん。「お前には発想力が足りない」って。原案は俺、それを仕上げるのがジョーン。そういう家内工業が当たり前で、40年もそうしてやってきた。けれど世間への作品名義は俺。だから表彰されるのも俺。

和:腹立つう!その考え方!

 

昭:二人の関係が夫婦じゃ無かったら。現代文学の父も誕生もしなかったやろうし、したとしても早くに破たんしたやろうな。

和:いつまでたっても大きな子供。実の子供以上に手のかかる夫。浮気も散々されたし、憎たらしい所だって一杯ある。なのに結局断ち切れない。

昭:好きだから。だけじゃないよなあ。夫婦としての絆。共に歩んだ日々があるから…小説だって、初めの作品は「この作品をどうしたら面白く出来るか」を考えた結果の共作。それ以降に書かれた作品については、夫婦間におけるアイデアの比率が分からないけれど…いうなればあの夫婦は共犯で、二人だけの秘密。

和:二人で作った初めての作品が出版社に認められた時。若い二人は手を取り合ってベットの上でぴょんぴょんとんだ。それから40年。ノーベル文学賞受賞の知らせを受けた老いた二人もまた、手を取り合ってベットの上で跳ねていた。…そういう二人なんよな。

 

昭:どうやらハリボテ大先生の正体をつかんだらしいルポライター、駆けだしたばかりでくすぶっている新人小説家の息子。彼らに詰め寄られ。挙句好き勝手な事ばかり言って苛々させてくるジョゼフに「ジョーンいっそすべてぶちまけちまえYo!」という気持ちが観ている側にどんどん募ってくる。

和:彼女が結局どうするのか。ジョーンのあの表情。そこは良い終わり方だなあと思ったな。

 

昭:この作品は一見「天才作家の妻が実はゴーストライターだった」一体いつ彼女のフラストレーションが爆発してとんだ修羅場になるのか、というハラハラ感を感じさせる作りだけれど。40年という夫婦の絆は決してそんな単純なものではない、という。

和:大嫌い大嫌い大嫌い大嫌い…大好き。

昭:おっとまさかのそのフレーズで。…〆ていきたいと思います。
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映画部活動報告「ジュリアン」

「ジュリアン」観ました。
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「フランスでは三日に一人、女性がDV(配偶者や恋人など親密な関係にある、又はそういった関係であった者から受ける暴力)で亡くなっている。」

 

人権問題では、少なくとも日本よりは先進国である印象のフランス。けれどそういったDV問題はかの国でも後を絶たず。

この作品は、そんなDV問題をテーマにある家族の姿を描いた物語。

 

11歳のジュリアン。両親は離婚し、姉と一緒に母親ミリアムに引き取られた。けれど。離婚調停の結果、自分だけが両親の共同親権となってしまった。

「僕はあの男と一緒に居たくない」両親と各々の弁護士を前に、調停の席で提出したテープ音声もむなしく。あの男=父親アントワーヌと隔週終末を過ごさなければならなくなったジュリアン。

どんよりと沈んだ表情で、アントワーヌと週末を過ごすジュリアン。

アントワーヌは復縁したい一心でミリアムと会う手段を模索するが、ミリアムは頑なに会おうとはしない。次第にフラストレーションが募り、ジュリアンに対し暴力的になっていくアントワーヌ。

しかし、このアントワーヌの暴力こそが家族が崩壊した原因であり…。

ミリアムを守る為、自分たちの安心して暮らせる日々を守る為。必死で口を閉ざすジュリアン。けれど。

一触即発が弾けた時。家族は最悪の展開を迎える。

 

悲しいかな。暴力は常ににこの世に存在していて。

 

昼休憩で付けているテレビのニュースでもよく見る、「~ちゃんを殺害したのは父親の~容疑者。これは躾けだと供述しており…。」「共犯の母親は、自分も暴力を受けていて。怖くて何も言えなかったと…。」ああ嫌だ嫌だ。どうしてこんな事が起きてしまう。

誰の親でもない当方が何を知ったような、と言われればもう黙るしかありません。聞いた事のある、「思わず我が子を殴りそうになってしまいそうな時がある。」分からなくはない。当方も人様を殴った事はありませんが、他人に対して後ろから飛び蹴り食らわせたくなる程腹が立つ事は時々あります。やらないけれど。やらないけれど。

 

つまりはこの『やらないけれど』のハードルを超えない事が大切で。どんなに腹立たしい事があっても、暴力を振るった時点で非は完全にこちらに回ってしまう。あくまでも紳士的に、落ち着いて話合いをしなければ、物事は解決には向かわない。ひょっとしたら間違っているのはこちらなのかもしれないし。

『落ち着いて』と言うのも難しいけれど重要で。激高した状態に任せて放った言葉は大抵支離滅裂だし、その己のテンションでますます感情が高ぶってしまう。

加えて男性の恫喝した声も、女性のキイキイ張り上げる声もまた十分な暴力。そんな輩、相手にする気力も奪われてしまう。

「元々は他人なんやし。価値観が違うのは当たり前なんやから。そこで激高したり、自分の意見を力ずくで押し付けたり。そんな事を繰り返したら、そりゃあ貴方は独りぼっちになってしまうよ。」溜息を付く当方。(誰?何だこのキャラクター…。)

 

「分かっている!分かっているんだ!だから俺は変わったんだ!だから会って話がしたいんだ!」

 

かつて家族にDVを働いていた父親、アントワーヌ。離婚して家族は皆自分の元から離れて行った。けれど。俺が家族を愛していた事は間違いない。ただやり方が間違っていただけ。だから俺はやり方を変える。俺がそう思えるなんて。ほら、俺は変わった。

会いたい。会って話をしたら。そうしたら分かってくれる。だって俺たちは家族じゃないか。

 

悲しいかな。その家族がもう終了してしまった事、しかもその原因はアントワーヌ自身だという事。アントワーヌ不在の新しい家族の形態に皆進んでいて、誰も復活を望んでいない事。子供達に「顔も見たくない」と思われている事。それら現実を全く直視出来ていない。その痛ましさ。

 

この作品はタイトル通り、11歳の長男ジュリアンが主人公で彼の視点で描かれた世界。

完全に『家族と繋がる為のダシ』に使われ。変わった変わったと言いながらも結局は何ら変わって等いないアントワーヌ。両親が離婚し、恐怖から開放されたはずなのに、自分だけがまた暴力に怯えて過ごす事になった。確かに彼は不憫。

 

「お母さん。夫が怖い、けれど会ったら許してしまいそうで、押し切られそうで。だから合わないようにしているのは分かるけれど。ジュリアンの為を思ったらもうちょっと貴方動いてもええんちゃうの?」

 

フランスのDVに対する、行政の方針や保護団体の有無。全く存じ上げませんが…人権問題で先進国なんじゃなかったっけ?こういうDV 被害者を守る制度無いの?

最後「うわ。」という最悪の展開。あそこまでいく前に。どこかに相談窓口無いの?

自宅を『警察官立ち寄り所』ってやつに出来ないの?

お母さん…言いたくないけれど…貴方は立ち上がって家族を守らないといけないんじゃないの?

 

「そして。フランスにはアントワーヌをフォローする手立ては無いのか?」

 

終始ヒリヒリした状態といたたまれなさに包まれるこの作品の中で。当方が特に痛ましいと思ったのは『DV加害者のアントワーヌ』。

自分が悪かったと思っている。変わりたい。けれど。そう伝えたい相手の心はすっかり冷えていて。でも信じたくない。だってかつては誰よりも心が通じていた。話せばわかるはず。

諦められない。けれど皮肉にもその気持ちが、結局消えていない暴力性に加速を付けてしまう。

 

「家族が離れていって。実の両親からも見放されたアントワーヌは一体これからどうなるんやろう…。」彼こそ専門家の長期カウンセリングが必要やと思うのにな。溜息。

 

後…余談ですがどうしても。お姉ちゃんの描写。中途半端過ぎた。

 

最後。ああいう幕引きの仕方は「やっと外部に開かれた扉=家族という閉鎖空間で起きていた事が明るみになった」というメッセージだと勝手ながら感じましたが。

 

あの家族各々の立ち位置から上がる悲鳴。一体誰にどういう手助けが必要で、どうすれは家族皆が幸せになれる?平和な気持ちで過ごせる?

 

「それはやっぱり行政や保護団体、カウンセリングの介入なんちゃうかなあ。」やっと外に開かれた、ボロボロになったあの家族の姿。「これで終わった。」そうは思わない。

扉越しにあの家族を見た当方には、その選択しか考えられないです。