ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「ファイティン!」

「ファイティン!」観ました。
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韓国随一のマッチョ俳優、マ・ドンソク主演映画。

 

マ・ドンソク。アジア人とは思えないムッキムキの体。そしてどこか愛嬌ある顔。どう見ても悪役商会枠なのに。

去年日本でも公開された『新感染 ファイナル・エキスプレス』。高速鉄道内でのパンデミックパニック=ゾンビ映画

 

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「まさかのゾンビに対して腕にガムテープを巻いただけで参戦!」けれど圧倒的な強さと正義感を見せた。本国でもこの作品の大ヒットから注目され。先日公開された『犯罪都市』に続き。今作品が製作されたと。

 

曲がった事が大嫌い。マ~サカリ~担いだ金太郎~。

強面なのに可愛らしいマ・ドンソク。ラブリーと掛けて『マブリー』の愛称。韓国ではそうも呼ばれていると。

 

そんなマブリー兄さんの新作は何と『アームレスリング=腕相撲』映画。

 

いやあ~。まだ2018年夏が始まる前。この作品の存在を知った時の当方がどれだけ沸き立ったか。

「上腕50センチのマッチョ俳優の魅せる、家族の絆の話!」

今振り返るとそのまんまでしたが。何だそれはと。もうワクワク感が半端無くて。

 

「韓国が好きで。しょっちゅう買い物に行きます。」職場で。そう言った、この春入職した新卒にも。「この俳優さん知ってる?」「韓国好きなんでしょ?」「知らないの?韓国きっての上腕俳優を?」と散々画像を見せつけ混乱させ。(当方は韓国に行ったこともありません)そんなパワハラを繰り返してきた日々。

 

満を持して。公開翌日の日曜日。朝の10時から。(やるかたない事情にて初日鑑賞ならず)男だらけの劇場で鑑賞してきました。

 

いやあ~。もう清々しい程の直球映画でした。

 

幼少期の頃。親の経済的理由からアメリカに養子に出されたマーク(マ・ドンソク)。けれど義理の両親も早くに他界。ひょろひょろとしたアジア人体型である事をからかわれ。だから体を鍛え。そしてアームレスリングの世界を知った。次第に大活躍。目指すは世界チャンピョン。

しかし。八百長を疑われ除名。…今やクラブの用心棒。

そこに現れたジンギ(クウォン・ユル)。マークを兄貴と慕う彼は、自称スポーツエージェント。

「韓国に来い。もう一回アームレスリングの世界に返り咲こう。」

夢を捨てきれず。アメリカから韓国に渡るマーク。けれど。なかなかすんなり正式な大会にノミネートされない日々。

というのも、ジンギは多額の報酬金目当てにサラ金やスポーツ賭博を営むチャンス社長にマークを売り込もうとしていたから。

ジンギにカモにされた。そうとは露知らず帰国したばかりの時。ジンギから贈られた『実母の家』までのナビ。マークはそれを基に実母に会いに行く。母はもう亡くなっていたが。そこには『シングルマザーとなって二人の子供を育てる妹スジン(ハン・イェリ)』が居た。

 

マブリーの現実の半生。今回初見でしたが。実際に家族の経済的理由からアメリカに移住した経歴があったと。だからか…マークの時折発する英語、いやに流暢。

 

マーク。

ムキムキマッチョボディ。かつてはアームレスリングの世界レベル選手。トップを目指していた。けれど挫折し、今や燻った日々。と思っていたら光を当てられた。見つけてくれた。そしてジンギは言った。「兄貴はまた輝ける。」

何故俺は燻ったのか。それは「八百長をした」と思われたから。八百長?断じてしていない。でも誰にも信じてもらえなくて。そんな時。声を掛けてくれた。

 

そういう「曲がった~事は大嫌い~」という、分かりやす過ぎるキャラクター、マイク。マブリー兄さんの基本設定は一寸の違いも無く最終まで完走。

 

となると他のキャラクターが一癖も二癖もあるのかと言うと、結局固定されたポジションから逸脱する事は無く。

 

ジンギ。

金に直ぐ目がくらむ。マークの弟分でスポーツエージェント。何処までもクリーンなイメージを死守したいマイクに対し、チャンス社長の言う通り「2回戦では負けてくれ」と頼んではみるけれど。結局真剣勝負をされてしまう。結果「まあいいか」。

けれど。決して薄情な訳じゃ無い。寧ろその反対で。幼くして生き別れたマークとその実母をマッチングさせようとしたり、何かとご飯を食べさせたりしている。

実はきちんとマネージメントする能力があるのに。どうしてジンギは金に心が揺らぐのか…その理由。意外でも何でも無い感じ(当方比)でしたが。

 

チャンス社長。

絵に描いた様な『器のちっさい悪党』。成金臭高く、品が無い。二足歩行可にも関わらず、実用性の無いステッキ(恐らく人間を殴打する用)を所持。

若い金ヅルのお坊ちゃんをスポンサーに組み込んでのサラ金・スポーツ賭博業にも参入中。普段は小売業者からの搾取で生活を成り立たせている。

(大阪人ならご存じ、『船場センタービル』みたいな卸専門ファッションビルのオーナー)

余談ですが。彼が作中で言っていた「幸せだから笑うんじゃない。笑うから幸せなんだ。」あれ。シチュエーションさえ違ったら…結構な名言やと思いましたがね。

 

マークの妹、スジンと子供二人(兄、妹=推定小学生。中~小学年)

夫に先立たれ、今は二人の子供を持つシングルマザー。先述のチャンス社長所有のファッションビルで流行っていない店を構えてる。一緒に暮らしていた母親は去年他界した。

 

この四つ巴。どこのどいつが組み立てようがこうなるであろうという展開。

 

チャンス社長の言いなりになれず。滞在場所を追い出され、居場所を失った所を救ってくれたスジン。そして人懐っこいスジンの子供達とマイクの間に生まれていく友情。始めこそぎこちなかった妹スジンとも築かれていく家族愛。

 

あくまでもフェアでありたい。そして見つけた『家族向け腕相撲イベント』をきっかけに。やっと正式なアームレスリング大会参加にこぎつけた。なのに。

 

『韓国アームレスリングNO1』と。『刑務所上がり、ステロイドドーピング万歳。相手の腕を壊しに掛かる』というヒール。その二大ライバルを相手に。果たしてマークはアームレスリング界への復活なるか⁈

 

『アームレスリング映画』と銘打ってはいるけれど。これは同時に『家族の絆映画』で。

 

「本当の家族とは何か。」「血の繋がりが家族の全てか。」という、まさかの万引き家族要素も若干ぶっこんできていたこの作品。

 

生れて間もなく親に捨てられた。そう思っていたけれど。ルーツである韓国に帰ってきて。初めて知った『誰かを大切だと思い、そして思われる事』。母親は自分に対しどう思っていたのか。そして取返しの付かない日々に思う事…。

 

マブリー兄さんが『マブリー』と呼ばれる所以。強面なビジュアルでありながら、どこかはにかみながら女子供に接している姿。その愛らしさ。今回も炸裂。

 

肝心のアームレスリング大会シーン。流石の迫力も感じましたが、どうしても「結局マブリー兄さんが勝つんでしょう?」という思いも否めず。というかアームレスリング界ってドーピングOKなの?そして明らかに腕と手首を痛めるから、予選と決勝は別日に出来ないものなの?選手生命どう考えているの?

 

曲がった事が大嫌い。圧倒的腕力を持った正義の人。けれど笑顔は可愛くて。そんなマブリー兄さんの全ベクトルを正統派に振り切った。これはこれで気持ちいい作品でしたが。

 

このビジュアルを最大限活用した悪人。感情など一切共有出来ない、憎むべきヒール。モンスター。そういうマブリー兄さんも観てみたい。そう思い始めている当方。

 

「この語学力を以ってするなら、意外と韓国では無く英語圏の国での起用はどうだ。『哭声』の時の國村隼みたいに。」

ではどういう役回りで?…想像力膨らむ当方です。

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映画部活動報告「バーバラと心の巨人」

バーバラと心の巨人」観ました。
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アンダース・ウォルター監督作品。原題『I kill Giants』。ジョー・ケリーの同名小説の映画化。作者が脚本に参加。

主人公バーバラ。ウサギ耳と眼鏡がトレードマーク。けれどそのキュートなファッションとは裏腹に、変わり者でとっつきにくい彼女。

「いつか巨人がこの町を破壊しにやって来る」と、来るべきXデーに向けて研究と対策を講じる日々。当然友達もおらず。

ある日。一人で巨人対策の罠を確認している所をイギリスからやって来た転校生、ソフィアに声を掛けられる。つれない態度を取るバーバラなのに、くっ付いてくるソフィア。

ソフィアに巨人の話をするバーバラ。そして二人は親友になるが。

 

当方の疑問。「『怪獣はささやく』しかり『ルイの9番目の人生』しかり。海外の精神的に追い詰められた少年少女は怪獣とか化け物とか巨人とかを見るもんなんやろうか??」

あんまり日本でこういう話は聞かない。

 

そして。当方も御多分に漏れず思ったのは「邦題のネタバレ感」。そりゃあ『心の巨人』ですけれど。一応「まさかの~本当に進撃の巨人‼」という余地を残しても良かったと思いますよ。(もしそういう話だったとしたら神映画になりますがね)

 

なので。自分の中にある恐怖。受け入れられない現実。けれど時は有限では無い。いつかは必ず現実に飲み込まれる。そんな日が来る。渦巻く混乱した感情を『巨人襲来』に置き換えているのだと。そういう話だろうなという先入観で観ていました。

 

ならば。一体バーバラにとって何が『受け入れられない現実』なのか。

 

最後の最後、勿論明かされるんですが。

正直「それぇ~?」となってしまった当方。いや…分からなくは無いけれど…だとしたらバーバラちょっと幼すぎる。

(ネタバレしないようにすると、ふんわりするしかない。もどかしい。)

 

バーバラちょうど成長期。大人になっていく体に心が付いて行かない。子供でいたい。そして複雑な家庭環境の中でどう甘えたらいいのか、そもそもどうすれば自分の思いを伝えられるのか分からなくて。募り募ったフラストレーション。それが巨人となって…とかいう話じゃない。これは、たけくらべ案件ではない。(『たけくらべ』だってそういう話じゃ無いですけれど。)

 

「町に巨人がやって来る」そう騒いで。クラスでもはみ出し者、けれど構わない。いじめっ子に絡まれるけれど、やられたらやり返す。情緒不安定で。仲良しだと思っていたら直ぐ突き放してくる。結構暴力的。

「もうそんな奴、放っとけば良いのに。」そう思うけれど。スクールカウンセラーのモルもソフィアもバーバラを見放さない。何故?

スクールカウンセラーモルに関しては「まあ…ぶっちゃけた話お仕事やしな」とも思いますが。ソフィアに関しては何故?何故そんなにバーバラに尽くす?

人間関係にギブアンドテイクは無い。「私がこれだけの事をやったんだから貴方も返してよ。」は無い。そうは思いますが…にしてもソフィアとバーバラの関係性、ウエイトがおかしい。

(なので。最後の種明かしでソフィアが「だってバーバラは~!」と言った時。当方の脳裏に浮かんだのは『同情』の二文字でした。)

 

「と言うかねえ!この話の中で一番辛かったのはお姉ちゃんやぞ!」

姉カレン。銀行勤めで出世も見込めそうなのに。今は仕事を休みながら実家で歳の離れた妹弟の面倒を見ている。弟はゲームに夢中。妹はあちこちで問題ばかり起こしてくる。顔を合わせれば喧嘩。家事を誰も手伝わない。ご飯を作っても文句ばかり。挙句ぐちゃぐちゃにされ、食べない。しかもしょっちゅう職場からは嫌味な電話が掛かってくる。

第一子の立場である当方の目に涙。これはひどい。しかもこの一家がどういう状態だったのかが明らかになった時。全当方がカレンに再度涙。

(余談ですが。当方の妹は『となりのトトロ』がテレビ放映される度「最後の辺りで泣くよ~」と言うのですが。完全にさつきちゃん(第一子)視点で観てしまう当方からしたら「メイの奴。我儘が過ぎるやろう」「メイを見つけた時、当方なら殴るかもしれん。だって村人総出で池までさらってくれてるんやぞ」等々。泣くどころか、苛々して冷静に観ておれません)

 

そして。弟に対してバーバラが「ゲームばっかりして。」と馬鹿にしてプレイ中のゲーム機の電源を切る(!!)シーンが初めの方にあったんですが。

「いやいやいや。アンタのその巨人のビジュアルとか。それに対する武器とか。設定とか。ゲーム由来プンプンやぞ!」突っ込む当方。「もうついでに言うけどな!それ、そのビジュアル!女の子が思い付くタイプの巨人じゃないから!」

 

本当にやってきたXデー。巨人と対峙する時が来た。けれどそれがどうバーバラの現実にリンクしたのか…。

「時が有限では無い。ましてお別れがはっきり近づいているのなら尚更。そういう態度を取っていた事は後悔に繋がるよ。」

抗えない現実。それを受け入れて。やっと恐怖の向こうにあったものに向き合えたバーバラ。(バーバラの年齢を考えると幼いなあと思ってしまいますが)

 

「取りあえず神様。カレンを。お姉ちゃんを…。」涙声の当方。

協力者が皆無だった状況で。気丈に振舞って。しっかり下の子達の面倒も見ていた。何だか理解が得られない上司と職場な予感もするけれど。

「お姉ちゃんが幸せになりますように。」

正直バーバラよりカレンの。これらからのご多幸をお祈りしたい当方です。

映画部活動報告「アンダー・ザ・シルバーレイク」

アンダー・ザ・シルバーレイク」観ました。
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舞台はLA。無気力な33歳のサム。けれど。同じアパートに住むサラに恋をした。

良い感じに盛り上がった夜。けれど、それもつかの間。邪魔者に依ってお預けになってしまった二人の甘い時間。「また明日来て」そう言われて翌日サラの家を訪れたら家はもぬけの殻。一体サラは何処に行った?

行方不明になったサラを探すうち。サムはこの街に数多転がる不思議に足を踏み入れて行く。

 

『イット・フォローズ』のデヴィット・ロバート・ミッチェル監督作品。主人公サムをアンドリュー・ガーフィールドが演じた。

 

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 結構楽しみにしていた今作。何故なら前作『イット・フォローズ』は当方の中で『シンプルな設定だからこそ勝つ作品』だったから。分かりやすく。そして十分に面白かった。

 

だからこそ…この監督の新作公開と知って。「もう~い~くつね~る~と~」と指折り数えて胸を膨らませていたのですが。

 

「この作品の感想…好みがバッサリ別れる!当方は…否定派!」

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越後製菓は一切関係ありません。念のため)

 

「色んな人が交差する街。LA」「そこで出会った俺たち(同じマンション)=サムの奴。昼間っからやる事無いからって、ベランダで一人くつろぎながら他の住民(女)を双眼鏡で観察。サラの事も当然マークしていた。二人の出会いは実際には偶然でも何でもない。サム変態野郎」「距離を縮め。遂に二人っきり。高まる期待。ビバ!エロ!」「そこで唐突に表れる闖入者。帰らされるサム」「翌日サラの言う通りサラ宅を訪れたら。まさかのもぬけの殻。夜逃げ。」「諦めないサム。暇を持て余しているのもあって。加速するサラストーキング」「すると思いがけず…この街は謎で満ち溢れていた。」

 

都市伝説。オカルト。イルミナティ

「犬殺し云々」「楽曲を逆から再生したら現れる、別のメッセージ」「洞窟シェルター」「失踪した大金持ち」「セレブとマニアックなパーティ」「同人ポストカードの男」「ホームレス」「今まで聴いてきたヒット曲たちは」「ファミコン」エトセトラ。エトセトラ。

 

「サラは何処に行った?」それを探っているだけなのに。気付けばどっぷり不思議世界。不条理で不可思議そして不穏。次々現れる謎。答えのない謎。

 

「しゃらくせええええええええ。」(当方の叫び)

 

いやいやいや。当方もねえ。怪談話は苦手ですが、こういったオカルトや都市伝説、イルミナティ。嫌いでは無いですよ。と言うか寧ろ好き。

ですがねえ。この作品に於いては…バランスが悪かったとしか…。

 

「盛り過ぎ。全ての答えを投げ出しすぎ。そして性質の悪い事に…変にビジュアルはお洒落やから鼻についてしまう。」

 

当方の脳内ジャンルにあるんですが。『オサレなバーで無音で流れている映画』。その仲間入り決定。

薄暗い(大体青が基調の照明)、お高くて少ししか入っていないオリジナルカクテルしかないオサレなバーで。(あくまでも大酒呑みな当方から見た景色)視線を上げたら流れている、無音のオサレ雰囲気映画。

 

「何故そんなにボロクソに言われなければいけないんだ!」オサレバーに集う、この作品肯定派の皆さまは気分を害すると思いますが。

 

「サム自体が幻だからだ!」吠える当方。

 

『オタク青年のサム。33歳』その肩書きに似合わぬビジュアル、生活、行動力。謎の財力。そしてセックスライフ。

「そりゃあアンタ。アンドリュー・ガーフィールドやで。」「スパイダーマンやってた奴やぞ。」って違う違う。その役者元々のスペックの話じゃ無い。

主人公のサム。確かに凄く野暮ったい感じにビジュアルにはしていたけれど。全然当方の思う『オタク』じゃない。

別に『オタク』=二次元の異性にしか興味が持てない性癖とかそう括っている訳じゃない…何て言うか…日本人の「一つの事に異常に興味を持っている己に対する恥じらい。人様に見つかったら馬鹿にされたり気持ち悪がられたりするんじゃないかという恐怖からコソコソ追及する」というオタク文化(そこから共通の仲間を見つけてはじけ飛ぶパターンもありますが)がデフォルト過ぎて。そうなるとサムに『オタク』と言う言葉はしっくりこない。

 

「ていうか、サムリアル充実してるやん。どういう相手なんか分からんけれど、昼間ランチ片手にセックスする為に衣装のままやって来る劇団員の彼女とか。トントン拍子に良い感じになるサラとか。最終の人とか。結構サムのセックスライフ有意義やで。」

 

「そして最大の謎。サムは一体何で生計を立てているんだ。」

 

LAで一人暮らし。どれほどの財力がいるのか。全くのハウマッチですが。けれどこれだけは言える。「サムの家。素敵すぎる。」

ああいう集合住宅、何て言うんでしょう?ゆったりとした2LDKが集まって構成される住宅街。その真ん中には共有プール。

職について聞かれると「仕事は今上手くいってない」とか言ってはぐらかし。そして労働実態を見せなかったサム。でもあんな生活、33歳無職では不可能。

自室で任天堂のマリオやって。ゲーム雑誌をコンプリートして。レコード大量に所有して逆再生して一日中遊んでる。何なんですか?サムは大富豪の末裔か何かですか?

「家賃を滞納している」「数日以内には出ていけ」大家から再三の退去命令が出されていたけれど。のらりくらり逃げ回るサム。なのに、LAの街を自由に闊歩。パーティにも潜入。途中まではマイカーまで所持していた。貧乏には見えず。食材も山ほど購入していたし。

 

「サムの肩書を『オカルト作家』とか『街の噂ライター』にすれば万事が収まったのに。」そう思う当方。(いかにもそんな仕事をしてそうでもありましたが)サラ捜索はあくまでも職業病。作家ならではの好奇心から。その方がしっくりくる。

サムは『オタク』ではない。せいぜい『サブカル野郎』。そこ止まり。

 

「主人公サムこそが一番フワフワとしていてとらえどころがない。」「唐突な主張も薄っぺらい。」「観ていて落ち着かない。」

 

「後。真面目に言うと、やっぱり何故そこまでサムがサラに固執したのかが良く分からんかった。」その一言に尽きるかと。

 

サラに惹かれた部分…というより、結局「不思議なあの子の謎を知りたい」「そうすれば全ての謎が解ける」の連鎖。となるとやっぱり…いくら何でも殆どのなぞなぞの答えを投げっぱなしにしたのはどうかと…。

 

「まあ~。出来ればこの作品を先に出してから『イット・フォローズ』が出ていたら。順番が逆なだけにハードルが上がっちゃっていたからなあ~。」

 

こうなると。「デヴィット・ロバート・ミッチェル監督の次回作に期待!」としか言えなくなる当方です。

映画部活動報告「クワイエット・プレイス」

クワイエット・プレイス」観ました。
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「音を立てたら、即死。」

 

訳の分からない奴らに平穏を乗っ取られた世界。新たな世界開始から約80日。そこから物語は始まる。

とある一家。夫、妻。子供三人。変わり果てた世界を何とかサバイバルしていたのに。思いがけない失態から末っ子を奴らに殺された。そしてまた一年後。

 

「シンプル・イズ・ベスト」

 

単純な設定であるが故に勝つ作品がある。

直近で思い出すのはやはり、「それはゆっくり。けれど確実に殺しに来る。」「回避するにはセックスするしかない。」「セックスしたら相手に被害者の役回りが感染する。」という『イット・フォローズ』。

この作品もその類。「なんだかよく分からない生命体に捕食される人類。」「相手方が圧倒的有利。」「奴らはほぼ盲目で。けれど聴力が著しく発達しており、それで獲物を発見する。」「音を立てたら終わり。」そのトントン拍子のレギュレーションが観ている者に直ぐ様入ってくる。

 

冒頭。ゴーストタウンと化した街から音のなるおもちゃを持ち出してしまった末っ子(未就学児童)。抜いたはずの電池を入れ、スイッチを入れてしまった事によって奴らに捕食されてしまった悲劇。その一部始終を目の当たりにした事で、観ている側もどういう世界観なのか理解。

 

「さあ一体どうやってこの一家は奴らから逃げられるのか。そして奴らと対峙できるのか?」そう構える訳ですが。

 

まあ…結構ツッコミ所はあるんですね。

 

まず最大の案件。もうこの作品を観た全ての人が口にだしたであろう発言。「何でこの有事に妊娠?」

愛のあるセックスの末妊娠。ましてや夫婦。全然おかしくないんですが。ですが。やっぱりこの「音を立てたら」のレギュレーション世界で赤ちゃんは厳しすぎる。あの末っ子の悲劇があったのに。大人なら。そして子供でも意思疎通の取れて言う事がきける相手なら。「音を立てるな」は伝わる。けれど。赤ちゃんは無理。

「声を出すんじゃないぞ。」プレイですか?末っ子を失った悲しみから寄り添う二人…分かるけれどさあ。ちょっとご両親よ…。

(身も蓋も無い言い方をすると『無音であるべき世界での出産シーン』を撮りたい故であるという事は分かっていますよ。)

まあ、昨今の『子育て支援不足故云々』以上の不安な世界。出生率ダダ下がりの中で妊娠、出産するって相当の覚悟が要ったでしょうけれど。そしてあの妻、専業主婦として描かれていましたが一体元々は何者?医療従事者?背後の棚に注射シリンジとか並んでいましたし。酸素ボンベは何処から調達した?経産婦の知恵?そんな…。

 

「意外と音を出してもOK」

奴らは一体何処に普段潜んでいるのか。「この辺りには三体居る様だ」なんて言ってましたが。あんなだだっ広い荒野で。終始風は吹き草を仰ぎ、轟々と鳴る滝もある。奴らだって、普段屋外待機やったら家の中で立てた音なんて聞こえない気がするのに。郊外ベットタウンの真夜中の方がよっぽどシンと静まり返っているから音は響くのに。なのに奴らはちょっとした生活音で直ぐにすっ飛んでくる。けれど。

そうかと思うと「大きな音の傍では大丈夫だ。」

滝の直ぐ傍なら大声を出しても大丈夫。赤ん坊が大泣きしようが、結構な水の音にはかき消される。注目の出産シーンだって、何だかいつの間にか終わっていた。

こうなったらもう『奴らは人類の立てる、吐息以上の物音には必ず反応する。』位の厳しいラインを引いていたら。なのに結構そのボーダーはあやふや。

 

「家族間コミュニケーション」

夫婦は繋がっている。何だかんだラブラブ。なのに。どうも父親が子供達と上手くいってない。

長女。聴覚障害があり無音の世界に住む。(実際に聴覚障害のある少女を配役したという妙)聡明で、行動力と決断力を備える彼女だけれど。冒頭の末っ子の悲劇。件のおもちゃを弟に渡してしまった引け目。そのことから父親から避けられている、愛されていないと感じている長女。

臆病な長男。狩りに行こうと父親に誘われても、出来れば行きたくないとゴネ。物語が盛り上がる中も「そんな音を立てて走るな!」「騒ぐな!」と観ている側をハラハラさせて。

 

「あのさあ。普段以上に『明日はどうなっているか分からん世界』やんか。気持ちこじらせていないで、言いたいことはちゃんと相手と話し合いな。後悔先に立たんよ。」

渋い顔をして呟く当方。

 

父親が長女を愛していないはずがない。狩りに長男を誘うのは「男として家族を守っていく事。」を教えたかったからで…って、分かるけれど…言わんと伝わらんよ。

 

そして聴覚障害がある長女に補聴器を作り続ける父親。でもそれは長女にフィットする完成度では無く…苛立ち、父親に突き返す長女。

「補聴器をハンドメイド⁈あの母親といい。この父親は何者なんですか?エンジニア?そういや家の内外のあれこれも作っていたし、秘密基地みたいな通信基地も作っていたし。」

しかもただ耳に引っ掛けるだけじゃない。何やらハイスペックな補聴器を作成。でも…元々音が無い世界に住んで、そこに違和感がない、しかも子供に補聴器って。そして父親作補聴器、多分パワーが強過ぎるんですよ。これは確かに辛そう。

 

まあ。結局「いやいやいや。もっと上手いやり方あったやろうし、アンタたちの報連相の仕方によっては誰も傷付かなかったと思うぞ!」という悲しい顛末を以って、親子愛は完結。

 

「奴らの弱点と長女」

「ああ。こういう弱点できたか。」「聴覚障害という設定が生きてきた。」そう思う反面「まだ人類が沢山居た時に、誰かかしこい人が気づきそうなのに。だって年寄りはこのアイテム所持率高いぞ。」そう思う当方。そして長女よ。あんた聡明な設定じゃなかったの。一度や二度では無く起きたその現象、点と線で繋がらなかったの。

 

なんて。散々ツッコんでしまいましたが。基本的には「来~る。きっと来るゥ~。きっと来るゥ~」なので。終始ドキドキして鑑賞した当方。

御多分に漏れず。当方も「隣のカップルの男よ!たかだか90分台の作品で途中でトイレに立つ位ならそんなでっかいドリンク買うなよ!あとバケツサイズのホップコーンも煩い!そして暗いのを良い事にいちゃつくな!お前らは直ぐ様捕食されろ!万死に値する!」なんて憤ったりもしましたが。

 

後。最後に一つ。「お母さん。その釘は今日中に危なくないように処理しときな。じゃないといつか誰かが破傷風で死ぬで。」抗生剤が無い、大した栄養も摂取出来なさそうな世界で。奴ら以外の要因で死に至る訳にはいかんやろうと思うと。心配です。

映画部活動報告「教誨師」

教誨師」観ました。
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大杉漣、最初のプロデュース作にして最後の主演作』

 

教誨:教え諭す事。受刑者に対して徳性(道徳をわきまえた正しい品性。道徳心。道義心)の育成を目的として教育する事。

教誨師:受刑者に対して教誨を行う者。

一般教誨:道徳や倫理の講話。刑務官・法務教官などが行う。

宗教教誨:宗教的な講話や宗教行事で、各宗教団体に属する宗教者に依って行われる。

宗教教誨日本国憲法に定める信仰の自由から自由参加である。

教誨師の宗教別割合:多い方から順に、仏教。キリスト教神道。その他新宗教諸派等が続く。

Wikipedia教誨』から抜粋ー

 

主人公の佐伯(大杉漣)。半年前から教誨師に着任したばかりのキリスト教牧師。

彼が担当するのは六人の死刑囚。無言で心を閉ざす鈴木(古館寛治)。人懐っこいヤクザの親分吉田(光石研)。お人好しなホームレス進藤(五頭岳夫)。おしゃべりな関西のおばちゃん野口(烏丸せつこ)。気弱で子供思いの小川(小川登)。自己中心的で屁理屈ばかりを言う高宮(玉置玲央)。

誰も彼もが癖のある人物。途中佐伯自身の背景も語られるが、舞台の大半は『教誨室』。佐伯と六人の彼らとの対話で構成。

 

「凄いシンプルな作品やな…。」

 

それがまず第一印象。だって、114分に渡ってほぼ延々同じ部屋での対話って。これはよっぽどの手練れ俳優を連れてこないと間が持たないですよ。けれど。

この六人の俳優陣、化け物。誰一人遜色無く、己に与えられた人物になりきっていた。

 

六人の死刑囚達。彼らの犯した罪…具体的な罪状は最後まで提示されない。何をして死刑囚になったのか。それは彼らが話す上で、次第に明らかになっていく。「こういう事をしたんやろうな~。」という推測。それがはっきり分かる者も居るけれど。正直よく分からなかった者も居た。

現実社会で起きたあんな事件やこんな事件になぞらえたんだろうなと。自己中心的なアイツ。関西のおばちゃんでリンチと言えば。ストーカー殺人。けれど。ヤクザの親分は何をしたの?布団屋のおっちゃんは何でそこまでの刑になったの?ホームレスのおっちゃんは死刑になるような何をしたの?ーけれど。

 

もしも彼らが初めに画面に映し出された時、『氏名と罪状』がテロップとかで出てしまったら。観ている側はその先入観で彼らを見てしまう。

「ああ。こいつはこういう犯罪を犯したから。だからこんなモノの見方をするんだ。こういう考え方をして、こういう言い方をするんだ。」

そうではなく。あくまでも『教誨師佐伯との対話』を通して「どいう人物なのか」を知って。「その先には犯した罪がある」という広がりを見せたかったんだろうなと思った当方。

 

「どうして六人の死刑囚は教誨師との対話を希望したんやろう。」

 

この作品を観ていて早くから感じていた疑問。後から調べてもやっぱり。『宗教教誨は自由参加である。』

刑務所のあれこれ。受刑者と教誨師の関わり。死刑囚が皆教誨を求めるのか。心理カウンセラー的な役割を最終的に担うのは宗教家なのか。当方には全く門外漢ですし、ピンと来ない。なので頓珍漢な発言かもしれませんが。

教誨師との対話は強制ではないはず。なのに彼らが教誨師と会いたいと思うのは何故やろう?」

人懐っこく佐伯に会う吉田や野口。ただただ後悔を語る小川。彼らは分かる。けれど。

無口でただ座っているだけの鈴木。会えば自己中心的で気分の悪い屁理屈をぶつけてくる高宮。彼らは一体何故、律義に教誨室にやってきて佐伯と向かい合って座る?

死刑囚には強制労働が無いから?ぶっちゃけた話…暇だから?

 

「結局佐伯を求めているから。だろうな。」

 

教誨師というお仕事。これもまた当方には『頭が下がるばかりでよく分からない』のですが。

この作品で定義されていた『受刑者に対して道徳心の育成、心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く人』というのならば。佐伯という牧師は確かに六人の死刑囚にとっての『心の救済』という役目を果たしているんだなと思った当方。

 

分かりやすく佐伯に懐く者と同じくらい、佐伯に盾突き煽る者もまた、佐伯を求めている。「怖い。何故自分がこんな所に居る。自分にはいつ死が訪れる。」死刑囚である彼らが共通して持つ感情。それを受け止めてくれる教誨師佐伯。この思いを、どう表して。どうぶつけて。どう甘えるのか。どうしたら救われるのか。会いたい。

 

朴訥としていたホームレスの進藤。彼が前半に語った「言葉っていうのは難しいなあ。」(言い回しうろ覚え)

例えば「いい匂い」「あたたかい」。それは『言葉』としてあるけれど。何に対してどういうシチュエーションで放ったのかに依って意味は大きく違う。しかも同じ場所に居ても、個人個人で思い浮かべるイメージは違う。

「仕方ない。所詮他人だもの。」そうやって諦めてしまえば。面倒も無い。けれど。

 

敢えてそういう面倒な事を、皆多かれ少なかれやっている。自分の思っている事、感じた事。それを分かって欲しい。相手の思っている事、感じた事も知りたい。そこに共通点があればうれしい。けれど違っていても面白く感じたり。それが視野が広がるという事だから。「言葉は難しい」けれど諦めてはいけない。

 

六人の死刑囚は一体佐伯に何を語りたかったのか。彼らの発していた言葉の意味は何なのか。最後の時。それはどう突きつけられるのか。

 

他にも。死刑制度の是非とか。選民思想とか。再審制度とか。一見シンプルな設定でありながら実は盛りに盛っていた作品。思い返すと頭が痺れますが。

 

最後。『言葉を持つことにした者』を知って。無言で振り返った佐伯=大杉漣

なんだか奇跡的な表情に見えて。

俳優大杉漣。プロデュース作品。もっともっと観たかったけれど。先ずはこの作品をみせてくれてありがとうございました。そう思います。

映画部活動報告「運命は踊る」

運命は踊る」観ました。
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イスラエル

どう見ても富裕層。ミハエル・ダフナ夫妻にある日もたらされた訃報。それは軍人である息子、ヨナタンの死。

妻ダフナは失神。気丈に振舞おうと必死ながらも、動揺が隠せない夫ミハエル。

ヨナタンの死体にも会えぬまま。着々と機械的に進む、ヨナタンのお別れの儀式への段取り。苛立ちと不信感が募るミハエル。そんな時。改めて軍の役人が夫婦の元へやって来る。

「戦死したのは同名兵士でした。息子さんは生きています。」

 

『人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う。』~ラ・フォンティーヌ。

 

この掴みは予告編で観ていた当方。息子の戦死が誤報?そこからどう話が転ぶのか。

そう思って。何となく観に行った作品でしたが。

 

「三部構成の。三部はもう…何故だか涙が出て。何やろう。当方の心のやらかい所を締め付け続けたとしか。」タオルで顔を抑えた当方。

 

第一部。ほぼ父ミハエルのアップで語られる。舞台はミハエルとダフナが住む家。

唐突にもたらされた、息子の死。硬質な役人が不意に現れそれを告げた。

全く受け入れられない。ピンと来ない。だってそんな言葉一つで。せめて何か見せろ。息子の死体は?息子が生きた証は?なのに何故皆すんなり受け入れる?

玄関を開けたらそこに役人が立っていた。それだけで全てを察した妻。どうして?

連絡をしたら飛んできてくれた兄。有難いけれど…何故そんなにテキパキとやるべきことをこなしてくれる?役人たちは何故葬儀の段取りに慣れている?

精神的に不安定な母親ですら。ヨナタンの死を理解した。何故?まだ俺の頭には落ちてきていないのに。

どうして皆ヨナタンの死を理解できる?受け入れられる?そして事務的にコトを進められる?俺は。俺は一体どのタイミングで誰と泣けばいい?

そんな時。訃報を告げた時と同じ面持ちで現れた役人。彼等の言葉。「人違いでした。」

ふざけるなと暴れるミハエルと、覚醒し喜びを露わにするダフナ。激高した後「ヨマタンを今すぐ返せ。」と役人達に要求するミハエル。そこで第一部終了。

 

第二部。とある検問所に駐在するヨナタンと。一緒に過ごす若き仲間達の様子が描かれる。

 

第一部はほぼ予告編で観ていた内容でしたし、第二部がヨナタン編だというのも想像の範疇。『非戦闘地域の検問所に配置されたヨナタン』そのまったりしたようで非日常の世界。

だだっ広い荒野にポツンと置かれた検問所。その脇にある、傾いたコンテナで寝泊まりする数名の兵士達。テクテク歩くラクダに遮断棒を上げ通してあげて。

時には人も通過する。彼らが提示する身分証明書と、実際の風貌が一致するのか。それをじっくり判断してから通行許可を出す。この作業には時間が掛かる。だから時にはお金持ちのご婦人に雨に打たれながら待ってもらわなければいけない。

 

「俺たちは一体何と戦っているんだろう?」

 

非戦闘地域。こんな僻地で。兵士とは名ばかりの仕事。誰を誰から守っている?何の為に?

ホロコーストを生き延びた祖母の。父親の。自分に繋がる話。

そんな話を仲間に思わず語った夜。けれど。

 

雨の夜。皆が苛立ち。疲れていた。そんな時にやって来た、一台の車。そして取り返しのつかない出来事。

こんな僻地で。ここは非戦闘地域だと。何も起きないはずだと。そう思っていたのに。

 

第三部。再び家族の家。

『フォックストロット』。当方は邦題の『運命は踊る』も、邦題にしては珍しくセンスが良いと思いましたが。このステップがこの作品に本国で付けられた題名。

「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ。」ダンスの中でもシンプルで基本的なステップ。四角に動いて、結局同じところに戻ってくる。

「運命が一体どう回るのか」がここでは「同じところに戻ってくる」という事ならば。

そして「同じところ」とは何処なのかが提示された第三部。「ああ。此処を起点にしてしまうのか。」とタオルを握ってしまった当方。

ヨナタンが死んだ」そんな誤報にどこまでも踊らされた。その家族の顛末。

 

ここからは…「どうしたん?疲れてんの?」そう言って誰かに肩を抱いて欲しい。当方にとっては、そんなギブミーブランケット。ギブミーブランケット案件。

ネタバレしないようにしようとすると…もうこれ以上具体的な事は書けないんですが。何だかもう堪らなくて。何故か涙が止まらなくなった当方。

「畜生!誰かのせいに出来るのならばしたいよ。」「弱い事は責められる事じゃない。」「一見冷めてしまったと思っても。二人で過ごした年月から二人にしか分からん事があって。その強みで二人はこれからも生きていくんやろうな。」

そして。夫婦の元に帰ってきたヨナタンの妹、アルマの表情とその姿に。もう止められなくなった当方の涙腺。

「ハッピーバースデー、ヨナタン。」

 

四角に動いて、また同じところに戻る。一見同じところに着地した話。けれど。

掴み所が無かった、インテリ家族。その家族の歴史。背景。繋がり。日常の中に非日常が潜むイスラエルという国。戦争なんて関係ない。いつ誰にだって起こりうる『死ぬ』という不条理さ。緊張感の中に同居するほのぼの感。

 

ぐるっと一周回る時。見える景色は肉付けされて少しづつ変わる。

 

第一部のミハエルの母親達が踊るシーン。第二部のヨナタンが踊るシーン。そして第三部の夫婦が踊るシーン。同じステップなのに。全く違う。

 

鑑賞後。話を反芻してはぐるぐる回って。一周どころでは済まない。そんな当方です。

映画部活動報告「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」観ました。
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タイ。小学生の時からずっと成績オールA。これまで数多の天才子供コンテストを総なめしてきた、女子高生リン。

父親が教鞭を取る高校に在籍していたけれど。「留学の機会もあるから」と進学校に特待奨学生として転入。そこで知り合ったクラスメイトのグレース。

「夢は女優」確かに顔は可愛いけれど。頭は空っぽ。そんな親友グレースを救うため、ついテストでカンニングさせてしまったリン。これはリンとグレースだけの秘密のはずだったのに…。

グレースの彼氏、パット。お金持ちだけれど…似た者カップル、おバカなパット。グレースのカンニングを知って。パットがリンに持ち掛ける。

カンニングさせてくれたら大金を支払う奴は沢山居る。」「これは親たちが学校に払っている賄賂と同じだ。」「特待生?リンの親だって、学校に賄賂を払っているんだぜ。」

 

「これはビジネスだ。」

 

割と直ぐ気持ちを切り替えるリン。これはビジネス。そうして高度な手口を使ってカンニングビジネスを開始するリン。瞬く間に噂になり、群がる同級生達。

 

リンと同じく特待生として学んでいたバンク。母親と二人暮らし。貧しい洗濯屋の息子として苦労を重ねてきた生真面目な彼は、学校で横行する集団カンニングを知って妨害。

そうしてリンと仲間達のビジネスは一旦とん挫した。そしてフェードアウトするはずだった…のに。

 

アメリカの大学に留学する為、世界各国で行われる大学統一入試『STIC』。

そこを舞台にリンに再びカンニングを持ち掛けてきた、グレース&パットのバカップル。そして懲りずに乗っかるリン。

けれど。この難関には流石のリンも一人では太刀打ちできない。

そこでバンクを仲間に引き入れようとするが。

 

「この作品は中国で実際に起きた集団不正入試事件を基に作られた。」「高校生版『オーシャンズ11』だ。」「カンニングをテーマに作られた、スタイリッシュかつスリリングな作品。」

 

カンニング・エンターテイメント映画…カンニング大作戦ですか。」

(正確には『That's カンニング史上最大の作戦?』/主演:安室奈美恵 山口達也他 1996年製作)

1990年代のあれこれ。最近引退した安室奈美恵にとって恐らく消したい黒歴史。皆様にとっては恰好良い安室ちゃんで居れば良い…ですが当方はこういうの、キッチリ覚えて居ますよ。『ポンキッキーズ』のウサギちゃんだって、『スーパーモンキーズ』時代だって。

 

閑話休題。早くも完全に話がズレましたので。軌道修正しますが。

 

カンニングって。そうやって下駄履かせて上の学校や社会に行ったって、結局は自分に跳ね返ってくるやん。実力伴っていないんやから。」「と言うか罪悪感は?」

 

そういう倫理観は取りあえず棚に上げといて。「だってしょうがないじゃない。馬鹿なんだから。」「なのに下手に金持ちの家に生まれたからさ。親に期待されちゃうの。」

努力を金で買うボンクラ達。そしてそこに乗っかってしまう、哀しきリン。高校で唯一出来た親友の頼みだし。そしてお金にも目がくらんでしまう。

 

そして。どこかゲーム性も感じてワクワクしてしまう…所詮は高校生。

『リン先生のピアノ教室』。テストの回答はマークシート方式。選択肢は四つ。四曲のピアノ演奏の指の動きに準じて回答を表すと。

 

「それ。難しいな…。」

 

グレースに初めてカンニングさせた時。手段は『消しゴムに答えを書いて渡す』と至極単純だった。けれど。金を取って、一斉にカンニングさせる時。リン先生の手段は何段も高度なモノにグレードアップした。

 

テスト中に離れた席に座るクラスメイトの指の動きを見る?視力に難がある(眼鏡)当方はまず見えない。(当方は名前の性質上、テストでは教室の中でも最後列の角に座席を置かれる事が大半だった)それならまだリズムを聞く方がまし…。ただ。監督教師だってテスト中盤からやたらリズム取る生徒が居たらマークすると思うけれど。

 

口では強気。けれど。実際のテストでは緊張が隠せないリンと仲間達。(結構毎回スリリングに仕上げていました)いつだって汗だく。けれど結局はリンは金持ちのボンクラ達を救ってきた。自身の信用を失ってまで。

 

中盤。バンクの告発に依って、学校と父親に同級生にカンニングをさせていた事がバレて。期待の特待生から『留学資格失格』まで降格したリン。

しかも学校から留学生を出せる枠は一つしかなく。最も近い所に居るのはバンクのみとなった。

 

「曲がった~事が~大嫌い」(この原田泰造ネタは一体どこまでの方が分かるのか)そんなバンク。「何がカンニングだ」そう眉をしかめていた彼が。どうやったら終盤のSTICカンニングチームに加入してしまうのか。まあ…ネタバレしませんが。

 

「おいおいおい。リンよ。一回懲りたんじゃなかったの。」

学校と父親にばれて足を洗ったはずなのに。結局は博打打ちな性分なのか(お話も進みませんしね)結構ノリノリでSTICカンニングプランを立案するリン。

 

「はああ~。金持ちが金に糸目を付けなかったらこんな事が出来るのか~。」そんな町工場と合体した、さながらS町ロケット作戦。

 

『クライマックスは28分に及ぶ手に汗握るカンニング・シーン!』

 

確かに半端ない緊張感でしたけれど。そんなにあったのか…海外でのSTIC会場、リンとバンクの終始汗だくの緊張感。(よくよく考えれば、あれ結構ずさんなで綱渡りな計画。そもそも会場でずっとぶつぶつ言って、休憩時間になった途端トイレに入りびたるって。分かりやす過ぎる)そして二人から答えが送られてくるのを今か今かとタイの工場で待ち構える、グレースとパットのバカップル。

 

「そこまでするくらいなら、勉強して普通に試験を受ければ良いのに。」思わずつぶやく当方、THE正論。

当方も学生の時は指折りの馬鹿でしたがね。人様の答えを写そうだなんて、そんな不埒な考えは無かったですよ。…だって、意味ないもの。

 

どんなに頭が良くたって。その使い道がこんな事ならば。それは無駄遣いでしかない。

勉強が出来て。学生自分なら。可能性は無限にあったのに。

「まあ。どんなにお勉強が出来たって。社会に出たら使う所、そこじゃないしな。」そう呟く、くたびれ切った中年当方。

当方の近しい教育者も言ってましたがね。「学校で最低限学ぶべき学問は今でも読み書きそろばん。人間関係や社会性やマナーを知る事が最も重要なんだ。」それは社会に出たら嫌でも学ぶだろう?そう思いますか?そういう新人が毎年春に組織をかき回していませんか?

 

「結局、金持ちの彼らが得たモノは何やったんやろう。」

リンやバンクに危ない橋を渡らせて。そうして得た点数。けれど彼らは『友達』を失った。リンとグレースは元々親友だった。親友だから、彼女を助けたかった。なのに。彼女達の関係性は途中から『友達』では無くなった。

 

そして最後。リンとバンクの導き出した答え。

 

「ああ。こういう決断をするのか。」

それで良かった。良かったんだとリンに言い聞かせながらも。

 

二人…それどころかこの四人にはもっと違う青春だってあったんだろうにと思うと、苦い気持ちで閉じた幕引きでした。


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