映画部活動報告「ニワトリ★スター」
「ニワトリ★スター」観ました。
東京。"ギザギザアパートメント″に住む、草太(井浦新)と同居人楽人(成田凌)。
同じアパートの階下に入っている深夜のバーでバイトをする二人。しかし草太は大麻の売人で。草太自身は吸わないけれど。楽人は少し吸って。
同じアパートや近隣に住む変わった住人達。彼らと交わり、笑いながら。特に目標も無くだらだら過ごしていた、お気楽な日々。けれど。
バカ騒ぎ出来る日々はいつまでも続かなくて。ある日大麻を卸していた大元のヤクザに対面。目を付けられて。以降狂っていく歯車。本物のヤクザは恐怖でしかなく。日常は蝕まれていく。
「井浦新が大阪人?それは…観に行かんとな」劇場鑑賞。そして今。
今回の感想文。一応色々考えましたが…同郷の者として『大阪弁』でいくべきかと。そう思って。
当方の心の男女キャラ『昭(男)と和(女)』召還。
ではお願いします。
昭)めっちゃ久しぶりちゃうの。俺ら。
和)『キングスマン/ゴールデン・サークル』以来ちゃうかな。少なくとも今回エロに付いては一切心配無いな。
昭)心配してたんは俺やけどな!いっつもエロい話で俺を追い詰めてたからな!
和)(無視して)今回は井浦新目当ての鑑賞でした。
昭)『ピンポン』2000年代初頭最高の青春映画。松本大洋原作の卓球漫画の映画化。脚本宮藤官九郎。その時主人公ペコを窪塚洋介、ペコの親友スマイルをARATA(井浦新)が演じた。
和)正直、それまでモデルARATAしか知らんかったから。スマイル(月本誠)という陰と陽の陰。正に月のキャラクターを演じたARATA。その佇まい。もう骨抜き。そこからずっと注目し続けていて。そのままお洒落雰囲気俳優に収まるのかと思ったら、意外と熱い所もあって。近年井浦新に改名。結構コンスタントに色んな作品に出ているけれど。
最近は落ち着いた物腰やけれど、どっか壊れた役とかそういうのが多かった。そんな井浦新が今回チャラついた麻薬の売人役と聞いて。
昭)成田凌演じる楽人。その天真爛漫さも、何となく『ピンポン』のペコを思わせたな。『ペコ&スマイル(スマイルは今回大分不良やけれど)』みたいで懐かしくてグッときた。
和)でもまあ。当然そんな面白可笑しい時なんか、いつまでも続かんくて。おっかないヤクザとの交流。あっという間に捉えられる二人。
昭)ホンマに嫌やったわ~。津田寛治を初めとするヤクザ集団。見てて嫌さしかなかった。
和)ホンマにな。そんで。結局震えあがった草太はあっさり足を洗って帰阪。実家のお好み焼き屋を継いで。でも。残った楽人は転落の一途を辿ってしまう。
昭)ちょっと…それまでもそういう気配はしてたんやけれど。此処から一気に『大阪ブルース』に雰囲気が流れてしまうんよな。
和)あの気色悪いアニメーションとか。多分楽人の心の闇とか家族の在り方とかを語っているのは分かるんやけれど…デフォルト過ぎるんよな。
昭)ヤク中のシングルマザー、沙羅マリーも。後から彼女のストーリーもちょっと語られんのやけれど…だから?という…。
和)この作品を通じて『駄目!絶対!』というアンチ薬物のメッセージはひしひしと伝わったけれどな。買って使う方も。売る方も。碌な人生歩まへんっていう。
昭)大切やけれど。そういう主張がメインの話には思えんな…いつも行ってるお好み焼き屋の店主が俺に語ってくれた話、そんな感じ。
和)今は俺こんな汚い店でお好み焼き焼いてんねんけどな。昔は東京に居ったんや。そこでは言われへんけれどちょっとあかん事しとってな。ほんであほなやつと毎日つるんどってんけどな。
昭)そんな感じ。そんな感じ。
和)ホンマ。色々あったんや。けどな。そんなあほな日はやっぱり長くは続かんのや。…そいつか?今はな~もう居らへんのやけどな。
昭)ご飯食べに行って店主がべらべら喋る店。嫌いやけれどな~。そういう大阪のおっちゃんのメモリアル物語に最終なってんのよな。
和)大風呂敷の畳み方、ちょっと雑やったね。
昭)そもそも主人子の草太がヤクザにビビって大阪に帰ってるからな。で、その後東京に残った者は概ね雑な破滅。
和)シングルマザーの彼女と楽人のほのぼのとした関係。切なかったけれど…駆け足過ぎるし、正直全てのエピソードに既視感。そして楽人のあの顛末。あれ急転直下過ぎるやろ。
昭)東京ヤクザも散々好き勝手してあんなん。あんなんあかんやろ。和)鳥肌先輩な!
昭)鳥肌実。2000年代初頭の好きな芸人さんやったけれど…時の流れ…諸行無常を感じたな。そして単純に「この話のまとめ方は雑や」と思ってしまったな。
昭)何やろうな。言いたいことは大体分かるんやけれどな。大阪のおっちゃんの与太話の真相。って感じの。
和)はっきり言うたらな。そんな与太話をするお好み焼き屋のおっちゃんは井浦新のビジュアルやないんや。歯が何でかあれへんとか。そういう…めっちゃ汚くした火野正平みたいなおっちゃんやないと。
昭)それは…言うたらあかんやろ。
大阪弁は文字に起こすと非常にとっちらかりますので。あんまりしたくなかったのですが。
取っ掛かりはお洒落映画~と思いきや。結果むせかえる程のベッタベタな人情作品。ちょっと意外な展開に戸惑いましたが。
ただこれ。目を閉じて…歯の無いおっちゃんの一人語りとして脳内再生したら。非常にしっくりくる。そういう大阪ベイブルース(やしきたかじん調)作品でした。
(あくまでも個人の感想です)
映画部活動報告「サイモン&タダタカシ」
「サイモン&タダタカシ」観ました。
高校生最後の夏休み。同級生。報われない、秘めた恋。
二人で向かった『好きな人の好きな人を探す旅』。
「去年の米アカデミー賞作品賞『ムーンライト』の主人公に教えてあげたい」
公開直前にそんな書き込みも見かけて。「あの…見た目とハートのギャップが凄まじかったあの人に?」引っかかった当方。
そして何より、映画館で見た予告編に「ああこれ。絶対好きなやつ」とピンときて。
男だらけの工業高校。そこに通う三年生、サイモンとタダタカシ(タダちゃん)。
どちらかと言うと大人しいサイモン。入学当初。ニキビ面と馬鹿ばっかりの工業高校に幻滅したサイモンの前に現れたタダちゃん。白馬に乗った王子様さながら。その姿はケンタウロス。一目ぼれ。けれど。
「タダちゃんが好きだ」そんな事言えないと想いを内に秘めながら。二人は行動を共にしてきた。そうして現在三年生。
卒業後は進学予定の受験生サイモンと、卒業後実家の工場を手伝う事になるタダちゃん。
「俺、このままだったら誰とも出会わずに童貞のまま死んでしまう!!」焦るタダちゃん。学年に5人居る女子生徒に片っ端から告白するけれど。遂に最後の一人にまで玉砕してしまった。
公園で。落ち込んだり騒いだりと忙しいタダちゃんに、寄り添うサイモン。しかし直後、公園の公衆トイレで『エロい!やれる女マイコ(言い回しうろ覚え)/電話番号』の落書きを見つけるタダちゃん。さっきまでの落ち込みはどこへやら。早速電話。繋がって。
有頂天。そして暫く経って。すっかり惚れ込んで「マイコさんに会いに行く」と言い出すタダちゃん。気が気じゃなくて勉強なんか手に付かないサイモン。
そして。遂に訪れたXデー。マイコさんに会いに行くべく長距離バスに乗り込もうとするタダちゃんの前に現れたサイモン。そして「タダちゃんの恋、見届けるから」と付いて行くサイモン。
高校最後の夏。二人の旅。一体どうなっていくのか。
せつない片想い。あなたは気づかない(小泉今日子/木枯らしに抱かれて/作詞作曲高見沢俊彦)
何故か…この歌が頭の中をぐるぐる。だって余りにもサイモンの心中を想うと切なくて。
見た目だって『クラスで目立つグループには属していないけれど実はカッコいい』感じ。男だらけの工業高校(ところで、何でサイモンは工業高校を選択したんですか?)ではぱっとしなくても。共学の大学に行けば、間違いなく女子が黙っちゃいない。でも。そんなサイモンはタダちゃんが大好き。けれどそれは絶対に誰にも言えない。
(どういう好きなのか。10代の女子が一時疑似的に同性に恋をしてしまう、そういう類なのか。性愛を含むものなのか。サイモンの今後の恋愛対象にまで影響していくものなのか。それは全く追及されないし…ってしてしまったらこの作品のテイストは全く違ってしまいますので。そこは回避)
万が一タダちゃんにこの想いを知られてしまったら?そうすれば、今の関係は間違いなく破たんする。だから絶対に知られてはいけない。
またねえ。タダちゃんが…本当に愛すべき馬鹿なんですよ(全力で褒めています)。
実家の家内工場を継ぐ人生。それが俺の人生だと思っている。別に不満にも思わない。それよりも‼
高校生活最後の夏‼大学進学するサイモンはまだまだ出会いのチャンスがある。けれど‼俺には一体何処でそんなチャンスがある?どこで恋に出会う?
恋がしたい恋がしたい恋がしたい。と言うか正直やりたい。やりたくてやりたくて。
だから女子に片っ端から告白したのに。振られて。でも。そんな時に見つけた『マイコさん』すぐさま飛びついて。
「そういう人なんじゃないの」サイモンはマイコさんをビッチみたいに言うけれど。俺には分かる。マイコさんは素敵な人だって。
告白する時。「貴方を想って曲を作りました」ギター片手に。そんな純度の高い馬鹿なタダちゃんと、その横でハーモニカ伴奏させられる、純度の高い想い人サイモン。
二人を見て。切な過ぎて…胸が締められ過ぎて苦しくなってくる当方。
(またねえ。芸歴20年のベテラン須賀健太が天真爛漫なタダちゃんを達者に演じているのに対して、どこかぎこちなさもあった映画初出演+初主演という坂本一樹。彼のぎこちなさが逆にサイモンという役に合っていた。絶妙な配役。そしてバランス)
けれど。終始そういう胸キュンテイストでお話は進まない。
「何やねんこの漫画に切り替える感じ」「そして終盤のジオラマ!あれ確かに実写でやったら時間食う上に滑りそうやけれど…もうチープさが却って清々しいな!!」「先生の応援するってこういう事か⁈」
あ、あほや…全身の力が抜けんばかりのおふざけ演出満載。加えて出てくる脇の面々も癖のある者ばかり。
男子高校生二人のひと夏のロードムービー…そんな淡い話には落とし込まない。
長距離バスから二人が降り立った、超田舎の町。そんな超田舎あるあるの暴走族カップル。そしてマイコさんの正体。まさかの未確認飛行物体。
(当方が好きなのはタダちゃんのお父さんです)
「何それ」そう思うけれど。意外とそれらは最後にはしっかりお話を完成させるピースとなっている。
そして。始めはただ底抜けに明るいおバカに見えたタダちゃんが。だんだん「サイモンが好きやと思うのも分からんくは無いな」と思えてくる。
「一緒に居て楽しい」「相手が好きだ」という二人の気持ち。その意味合いの相違。
いつも一緒に居て。大切だと思っていた親友の本当の想い。
最後。マイコさんに告白するタダちゃんの姿に。そして一緒にハーモニカを吹くサイモンに。涙もろい当方は案の定泣いて。
「タダちゃんの出した答え。態度。ベストアンサー。」
親友の想いに戸惑うけれど。自分が受け入れられない事は正直に伝える。けれど。決して距離を取ったり突き放したりしない。
これが「『ムーンライト』のあの人に教えたいってやつやな」そう思う当方。(去年繋がりでは当方はどちらかと言えば『ハートストーン』を連想しました)
二人がこれからどうなって行くのか分からない。けれど。今はこれがベストアンサー。
「好きな人が、絶対に自分を好きになってくれなかったらどうする?」
そうやってもがいた日々を。大人になってからサイモンはどう見るのだろうかと。そう思うと甘酸っぱくて。
予告編からの第一印象に外れ無し。非常に好きなタイプの作品でした。
映画部活動報告「ピンカートンに会いにいく」
「ピンカートンに会いにいく」観ました。
10代の女の子。どこにでも居そうな。クラスの気になる女の子。そんな5人を集めたアイドルユニット『ピンカートン』。
メジャーじゃない、危なっかしいジュニアアイドル。周りでも応援しているのは僕だけ。でも。
少しずつ人気が出てきて。段々世間に彼女達の存在が知られていく。もしかして…もうすぐ彼女達は僕だけのものでは無くなってしまう?皆が彼女達を知ってしまう?
そうすれば。彼女達は…。僕は。
そんな心配をよそに。あっさり仲間割れして解散。日の目を見ずに終わってしまったピンカートン。伝説は知る人のみぞ知る。所詮はマニアックジュニアアイドル。そして20年の月日が流れ。
すっかりアラフォーとなってしまった、元ピンカートンのリーダー、優子。
普段は派遣OLとして働きながら、細々と芸能活動を続けてきたけれど。所属事務所からも戦力外通告を受けて。すっかり崖っぷち。
そんな彼女に突如掛かってきた電話。それは某レコード会社の松本という男からの『ピンカートン再結成』の誘いだった。
「主人公優子が内田慈‼」「主演内田慈‼」
これは絶対に観に行かなければと。勢い勇んで。観に行きました。
部長と当方たった二人の映画部で。大好きで大好きで。絶対に彼女(彼)が出るのならば‼押さえなければいけない!!そんな大好きな俳優の一人。内田慈さん。
(安定安心な手練れ俳優。数多の作品でいつの間にか存在している…脇役俳優さん。綺麗だけれど、どこかはすっぱな印象もある。当方の、今は遠くで暮らしている職場同期の元ヤンキーにそっくり。頭の回転が速くて。賢くて。ちゃきちゃきして、ずけずけ言って。その実とても繊細な。そんな彼女を思い出す女優さん)
「後。こういう痛々しくももがくやつとか、そういうの、大好きなんで」案の定。
「ちくしょう!こういうの!あかんねん!」涙もろい当方は後半タオルを顔に押し当て続け。
主人公優子。元売れないアイドル。けれど。そもそもアイドルも真似事でしかなかった。ちゃんと世間に認知される所まで行かなかった。そんな恰好悪い過去は封印しながらもずるずると夢は忘れられず。けれど、芸能活動からは足を洗えなくて。じゃあなりふり構わずドサ周りをすれば良いのかと言うと、それはプライドが許さなくて。
「プロデユ―スの仕方が悪い」「事務所の怠慢」そうやって所属事務所に対していきがるけれど…どこかで分かってもいる。「もう私は賞味期限」。認めたくなくて。
どうしてこうなった?どうしたら上手くいった?私はもう終わっている?
そうやって焦るけれど。それはみっともなくて。そしてみっともない自分なんて受け止められなくて。何てことないと虚勢を張るけれど。どうしていいのか分からない。
そんな時。掛かってきた電話。「ピンカートン再結成のお誘い」。思わずすがりついてしまったけれど。そんな必死な風には見せたくなくて。「私は嫌々なんだけど。この人(松本)が言うもんだから」
かつての5人仲間の内、3人は直ぐに見つかった。けれど彼女達は主婦になり。すっかりお母さんで。もう自分とは違うステージに居る。そして。
「何言ってんの」「今更無理」「そもそもピンカートン解散はあんたのせいでしょうが」「どの口が言ってんの」「少なくとも葵を連れてきなさいよ」「5人で話し合わないと」誰も彼もが乗り気ではない。
葵。ピンカートンの中で一番人気のあった美少女。けれど。20年前、優子と葵の決定的な決裂がピンカートン解散にまで至ってしまった。そしてその後葵とは誰も連絡が取れていない。
葵捜索は難航を極め…。そして今更葵に会ったとして、何と言って良いのか分からない優子。一体20年前彼女達に何があったのか。
本当にねえ。優子。素直じゃないんですよ。20年前も、今も。
20年前。各々がどういう意識で芸能事務所に所属していたのか知りませんが。結局5人で束ねられて『アイドル』という形で売り出される事になった。でも。それは『売れないアイドル』からのスタート。
「バカみたい」「(他の売れているアイドルを見て)アイドルなんて皆死んじゃえば良いのに」「あんなブス」「下積みなんていらない」二人は直ぐに意気投合。ちょっとでも輝いている奴が居たら一緒に悪口を言って。
他の3人がどう思っているのかは分からない。けれど。優子と葵はそうやって他をけなすことで、自分を守ってきた。
「じゃあ、あの子達と私はどう違うの」「どうして私は選ばれないの」考えたくない。けれど。
葵はピンカートンの中で目立っていた。可愛いから。グループ内格差。なにそれ。
葵、もしかして私達から離れるの?向こう側に行ってしまうの?置いていくの?許せない。そんなの絶対許さない。
そうして起こった悲劇。
そのいきさつを知るのは優子と葵だけ。だから今回の『ピンカートン再結成』の話に乗らなければ、この話は蒸し返されない。葵が音信不通ならばそこで諦めればいい。他の3人だって完全な受け身スタンスであれこれ言っているだけで。実質松本と優子で葵を探している。葵に今更何て言うの?再結成?そんなの、やめればいい。
「でも。やめなかった」
「あのねえ。この歳ではそれ、謝罪っていうんですよ!!」40手前の優子は10代の自分自身にそんなことは出来るかと息巻いて。けれど。
本当はずっとこの機会を待っていたはずだと思った当方。
結局。葵との一件にケリを付けなければ。前にも後ろにも進めない。
やっと会えた葵。その時。やっぱり素直になれなくて。けれど…素直になれなかったのは葵だって同じ。似た者同士だから。
そんな二人の『加湿器』トーク。涙が出て。
この作品に於いて。最も重要であったのは、実は松本という人物であったと思った当方。
20年前の少年時代。ピンカートンの大ファンだった。ピンカートンが大好きで。あの日ピンカートンに会いにコンサート会場に行った。なのに。コンサートは開かれなかった。
メンバーの急病(と言う名の仲間割れ)で急きょコンサートは中止。そのままピンカートンは解散した。
時が流れ。芸能に携わる仕事に就いた彼が起こした行動。
『ピンカートンに会いにいく』。
実際のピンカートンのメンバーは思っていた感じでは無かったかもしれない。そりゃあ人間やし。時も経っている。彼女達は一筋縄に歳を取っていない。けれど。
僕は知っている。彼女達を。彼女達をずっと待っていた。
あの。最後のコンサートシーンで。痛々しいと感じる人も居たのかもしれない。けれど。
唇を強く噛みながら。しきりに涙を拭いた当方。
あの会場にに来てくれた人。人数こそ少なくても。皆「会いにきてくれた」人じゃないかと。
20年の時を経て。いきなりわだかまりは解けなくても。時が、柔らかい目で違った角度から物事を見せてくれる事もある。
笑えなかった事も。笑えて。愛おしく思える時もある。
一足飛びに分かり合えなくても。もう…時間は沢山ある。
小さな規模での公開ですが…非常に大好きな感じの作品。胸が一杯になりました。
映画部活動報告「素敵なダイナマイトスキャンダル」
「素敵なダイナマイトスキャンダル」観ました。
昭和のサブカル(カルト?アンダーグランド?)界を牽引し続けた、数々のエロ雑誌。その編集長末井昭氏。
末井氏の自伝的同名エッセイを。『ローリング』『南瓜とマヨネーズ』の記憶も新しい、富永晶敬監督が映画化。
主人公末井昭を柄本拓。妻牧子を前田敦子。末井の愛人笛子を三浦透子。そして末井の母富子を尾野真千子が演じた。
監督、役者、そして劇場で見た予告編。何だか気になって。観に行ってきました。
『NEW Self』『ウイークエンド』『写真時代』当方は全く世代が違う…下手したら当方の親ないしは親より少し下世代が分かるのであろう雑誌達。
「サブカルなんて可愛い言い方は当てはまらない。猥雑で。下品で。でも必死さが伝わってくる。どうしても皆知りたかった。女の体が。女の生態が。」
今は…ありきたりな言い方ですが。本当に「ネットが何でも教えてくれる」時代ですから。そんなじたばたしなくても、知りたい情報は見ず知らずの誰かが教えてくれる。しかも無料で。
当方もそこまで現代人ではありませんが。まあ、少なくともエロい何かを赤面しながら本屋で自己購入した青春はありませんでした。まあそんな話はいいとして。
岡山のド田舎で生まれ育った主人公末井。彼の岡山での記憶。それは『肺病(結核)を患っていた母親が隣家の若い息子と奔走し、挙句ダイナマイト心中した』というインパクトのあるもの。
ぱっとしなかった学生時代。高校を卒業し、大阪を経て東京へ上京。始めは工場で働いていたが嫌気がさして。デザインの学校に通い、就職。その頃下宿していた所で、後に妻となる牧子と出会って。
順を追って説明するのもあれなんですが。兎に角末井氏の半生を淡々と追っていく内容。
小さな看板広告会社に就職。そこで出来た友達近松。彼の影響から目覚めたアンダーグラウンド。そしてエロ雑誌編集へとたどり着いて。そこからはもう。イケイケの時代到来。
「少しでもこういう時代を。そして末井氏の事を知っていたらなあ~。」
歯切れが悪く…あらすじを追ってお茶を濁してきましたが。
「余りにも淡々としすぎていて。氏の半生エッセイのダイジェスト感が半端ない。一つ一つのエピソードは驚く事ばかりやけれど…さらっとしすぎてどこに気持ちを置いたらいいのか…」
良い時代だったんだろうなと思う当方。あけすけなエロ。それはひたすら『女のパンツの中はどうなっているのか』という、幾つになっても男子たる男達のあくなき好奇心。そして夢。
「まあでも。そこに参加してくる女の子達もノリノリ」それに答えた女子達の突き抜けた明るさ。そりゃあ男女共ウインウインな関係なんやから。グラビア撮影も楽しかったやろう。
「ちょっとこれ。良くないんじゃないの~」なんて。警察にも呼び出されるけれど。どこか雰囲気はほのぼの。(ほのぼので済まされない。発禁も食らっていましたが。そうすると直ぐにまた新しい雑誌を創刊して~のイタチごっこ)
初めての彼女がそのまま妻に。売れない時も(お話の後半。売れた後も)こつこつ自宅で作業を手伝ってくれた妻。牧子。けれど。
飛ぶ鳥も落としていた雑誌編集長時代。雑誌社に入ってきた新人笛子に一目ぼれ。入れ込んでいた日々。
「三浦透子の体当たりっぷり。こんなにしっかり脱いでくれるなんて。」彼女の乳を目に焼き付けた当方。
一目ぼれ。なりふり構わず誘ってくる末井に、笛子は初めこそつれない素振りを見せていたけれど。
「あの…。何で笛子はあんな事になってしまったの?そして何で末井氏は笛子への気持ちが冷めていったの?」
単純に飽きたのか。それとも他に彼女が出来たから?どうして二人の気持ちはすれ違った。それ、きちんと描くべきじゃないの?
そして妻牧子よ。出番が少なすぎる。そしてあっちゃん、歳取らなさすぎる。(当方は女優前田敦子は結構高評価していますけれど…って一体何様だ)
ダイナマイト心中という「何かもう…激しいなあ。」情念の人、富子。
妻であり、母親であり、そして女だった。
そんな母を持つ末井氏。作品の中でもよく「お前にもお母さんがいるだろうが」と怒られたり諭されては「いや、うちの母親は~」と返していた末井氏。
「末井氏にとって、母親はどういう存在だったのだろう」当然、思う訳ですが。
「いやいやそれはこの映画を観た皆さんが感じて下さいよ~」と言わんばかり。けっして氏の見解ははっきりとはさせない。
妻であり、母親であり、そして女であり…やはり母親であった。んでしょうが。
実在の人であるし「彼にとって母親は」という決めつけは出来ないのも当然ではありますが…何だかすっきりしない。淡々としたエピソードの一つとして埋もれてしまっている感じがして。
「余りにも淡々としすぎていて。氏の半生エッセイのダイジェスト感が半端ない。一つ一つのエピソードは驚く事ばかりやけれど…さらっとしすぎてどこに気持ちを置いたらいいのか…」もう一度もごもご呟いて。溜息を付く当方。纏まらない。
一つ一つのエピソードを丁寧に追って。破天荒で。時代にもまれながら自身でも時代を作り続けた。そして今も尚、新しい事を続けている末井昭氏。
「失礼ながらこれは…連続ドラマとかで作った方がメリハリが出たんじゃ…」あるまじき言葉が脳内に浮かんでしまった当方。
ですが。
当時のファッションやセンス。そして役者陣。勢い。それは非常に良かった。そして。
「出てくる眼鏡が軒並み汚い」そこには毎度笑ってしまいました。
映画部活動報告「ちはやふる 結び」
「ちはやふる 結び」観ました。
2016年。少女漫画の。アイドル起用に依る映画化の波の中。(未だその波は収束する事はありませんが)現れた『ちはやふる 上の句 下の句』
10代~20代前半の俳優達を揃えて。「どうせまたアイドル映画だろう」と高をくくって。スルー案件であった当方。しかし…周囲の、かつて『耳をすませば』に胸を撃ち抜かれた中年男性達が騒ぎ出し。
「これは違う」「これは少女漫画の枠に収まらない」
まあ…冷やかしで観に行った訳ですよ。そして案の定。ミイラ取りがミイラになって。
「スポ根青春映画ジャンル」「まさか競技かるたがこんなに熱いとは‼」
結局未だに原作は未読なんですが。少女漫画にありがちな「互いに報われない三角関係」という王道もしっかり踏まえながらも、あくまでもメインは『瑞沢高校競技かるた部』。
奇跡としか思えなかった『上の句』。
「また幼なじみ三人でかるたを取りたい!」そんな主人公千早の思いから立ち上がった瑞沢高校かるた部。けれど。千早の情熱とは裏腹に、皆はそんなに乗り気じゃない。実力だってピンキリ。なんだかちぐはぐな立ち上げメンバー。けれど。
次第に結束していく上手さ。段々かるた部の面々が好きになっていく当方。そして…「机くん‼」。
「初めてだったんだ…誰かに必要だって言われたの」全当方が…本当に喉の奥から声が出そうになったほど涙が溢れた瞬間。
正直、『上の句』と比べたら失速した感じが否めなかった『下の句』。
完全にスポ根青春モノというカテゴリーで見ていたので…上の句では大人し目であったラブ要素が強くなってしまった事。そして「あくまでも団体戦。チームワーク」に拘っていたはずなのに、主人公千早が個人で強くなることに視点が変わってしまった事
結局は「一人は皆のために。皆は一人のために」という結論を導きだしていましたが…正直不完全燃焼感がありました。そして続編決定の告知。
「もうここでやめておいたら…」その時は思いましたし『‐結び‐』の情報が開示される度に「キャラクター増えるのかあ~おっかねええ」なんて眉を顰めていましたが。
「完璧な完結編だった」
『‐結び‐』のタイトルに偽りなし。心配していたキャラクター増員も、寧ろ次世代の予感を感じさせる扱いで、出だしこそ「おいおいおい」と思いましたが…次第に可愛く思えてくる。
初期メンバーからの肉まんくん。明るいムードメーカー。はんなりしたカナちゃんの包容力。そして…(涙声)すっかり良い奴の机くん。
高校三年生、つまりは受験生。そして高校最後のかるた部の夏。
皆で過ごす日々が余りにもキラキラしていたから。そこに終わりが来るなんて思わなかった…思わなかった。思わなかった?そんなはずは無い。
学年トップの秀才、太一の学業と部活の両立に対する悩み。肝心な大会を前にかるた部を去ってしまう太一。
「何でよ!バカ太一!皆で一緒に全国行くって!日本一になろうって言ったじゃない!」そう千早は泣き叫ぶけれど。
「あいつは色んな期待を背負っているんだ」「今が大切な時なんだ」机くんはそう言って千早を諭すけれど。
かるた命。そうやって真っすぐ驀進する千早という主人公に対して。幼馴染の太一というキャラクターの不安定さ。上の句からずっと引っかかっていました。
確かに子供の時はかるたを取っていた。幼馴染の千早の事がずっと好きで。だから千早と同じ高校に進学した。そうしたら。入学早々千早から俺に接触してきた。「一緒にかるた部やろう!!」かるた⁈…流され。
俺は千早ほどかるたに思い入れがある訳じゃ無い。部長ではあるけれど、強い訳でも無い。そして遠くに行って、脱落したと思っていた恋のライバル、新の復活。
俺は知っている。千早は「新たに会いたいから。新が好きだから」かるたを続けている事を。
かるた部の仲間は大切だけれど…俺はかるたそのものには向き合っていない。ここに居て良いのか。
そして。新が千早に告白。どうなったのか分からないけれど、二人は両想い…辛い。辛すぎる。
確かに学業との両立だって苦しい。けれど…太一は迷うことから逃げたのだと思った当方。
「社会人の当方から太一に告ぐ。お前に大切な事は『報連相(報告・連絡・相談)』だ。」
一人で悩むなよ~。三年も掛けて、内に秘めて恋い焦がれて自爆撤退するって…アカン‼
けれど。当然そうは問屋が卸さない(古い言い回し)。新キャラクター、絶対王者の諏訪。
「お前…その演技の絶妙さよ」という飄々とした言い回し。東大7回生の諏訪は太一に「君のかるたには迷いがあっていいね」と核心を突いてくる。
「かるたが大好きな人とやるのは疲れるんだ」「君、そんなに好きじゃないでしょう」
高校のかるた部は辞めたのに。結局かるたから足を洗えない。諏訪に付いて行く太一。そして太一が導きだした答え。
「青春全てを賭けてから言いなさい」
当方の脳内に過る。『上の句』で太一が先生に言われた言葉。
大会シーンも非常に緊迫感があって。ルールがイマイチ分からない当方でも分かるような試合の流れ。けれど決して全て言葉では語らない。「上手いなあ~」
新が春に立ち上げたばかりのかるた部との頂上決戦。
(ところで。かるた部って、そんなニューウェーブが突然トップ取ったりするような世界なんですか?いや、確か『上の句』でもそう思いましたけれど。まあ…漫画ですからって事ですかね。そして新の福井弁、福井の方達はどう思っているんでしょうか?…え?クイーンの京都弁?当方は京都の人間ではありませんが「あんな喋り方をする女子高生は居らん」と思っています)
「千年前に詠まれた歌。それが現代の私たちに届くって素敵じゃない」
同じ意味合いのある、二つの歌。昔も今も甲乙は付けられなかった。けれど。それでも昔敢えて選ばれた歌は。そして今選ばれた歌は。
ここにメインキャラクターの関係性を持ってくるなんて。何だかもう上手すぎてぐうぐう唸るばかり。
そして。今を生きすぎていた千早が選んだ未来。
「いやあこれ。完璧な完結編」
アイドル映画だとスルーしたら。後悔する所でした。
(とは言え。当方のアイドル映画に対する警戒心は緩んでいませんが…)
映画部活動報告「リメンバー・ミー」
「リメンバー・ミー」観ました。
「近年のピクサー作品の中では飛びぬけた傑作。これは必見。」
死者。舞台はメキシコ。可愛く見えないキャラクター。元々あんまりアニメを見ない当方はディズニーも気が向いたら時々観る程度。
予告時点では正直、あんまり…でしたが。公開直前の第90回米アカデミー賞授賞式。
アニメ部門受賞。そしてそこから聞こえてきた先程の言葉。引っかかって。
結果。何だか散々な感じで終わった金曜日の夜。公開初日。仕事終わりに観に行ってきました。そして。
「これ…子供を連れて行ったお父さんこそが。声を押し殺して泣くやつやないか‼」
ただでさえ涙脆い当方。案の定終いにはぼろぼろ泣いて。かすれた声で「パンフレット一部下さい」と購入に至った次第。(因みにディズニー作品でパンフレットを購入したのは初めてでした。これ、フルカラーな上に、めっちゃ良い紙使ってますね!)
公開して大した日にちも経っていませんし、これから大勢の人が観るのでしょうし…ネタバレしない、浅瀬を駆け抜ける感想で行こうと思います。…が。
文句が2点。
同時上映。『アナと雪の女王/家族の思い出』
22分。長い。
こちらはメキシコ少年の家族の話を観に来ているのに。もう…兎に角前座が長い。
しかもねえ…内容も…なんて言うか「歯科医院とかの待合室に置いてある子供向けの絵本」みたいな。(「エルサが風邪をひいちゃった:前回の続編」「アレンデールのクリスマス:今回の続編」いらんいらん)
クリストフ。キャラクター崩壊がひどすぎて。「お前!何かキメているのか?それとも…」と不安になる程。あんた仮にもヒーローポジションやろう?
そして改めて当方が思った事。一体この王国は一体どうやって生計を立てているのか。
まあ…無から氷の建造物を作る魔術を持つ女王が居るのならば…観光でやっていけるのかもしれないけれど…ただ、彼女精神的に不安定なんよな。
~なんて。兎に角蛇足な前座。これは「リメンバー・ミーが面白かったからもう一回観たい」と思っても、腰が引けてしまいかねない。
そしてもう一点。タイトル問題。
先述の『アナと雪の女王』だって。原題通り『FROZEN』で良いやんと思っている当方。『リメンバー・ミー』だって。分からなくはないけれど『COCO』で良い。寧ろ『COCO』が良い。
国。思想。死生観。家族の絆。記憶の中で生き続けるという事。そういう広大な世界を扱っているのに…最後は一人の女性に落とし込まれる。短いけれど。良いタイトルなのに。
まあ。だらだらとした文句はいいとして。
メキシコの文化。死生観。全く知りませんでしたが。
12歳。ミゲル。この辺りでは知らない者が居ない、靴職人一家。一家の大黒柱エレナお婆ちゃんが取り仕切る大家族の一員。
ミゲルはギターと歌が大好きな少年だけれど。昔音楽に依って悲しい思いをした一族は、代々音楽と触れ合う事を禁じてきた。
この町が生んだ、伝説の歌手。エルネスト。彼に憧れて。日々家族に隠れてエルネストのベストビデオを流しながら歌うミゲル。
メキシコで年に一度のお祭り。『死者の日』。普段から自宅に逝ってしまった先祖の写真を飾る風習のあるこの国では、その日になるとマリーゴールドの花やキャンドルを至る所に飾って先祖が帰って来るのを迎える。
そんな大切な日。広場で行われる歌のコンテストに出たいと切望するミゲル。けれど…家族の理解は得られず。落ち込むミゲル。不注意で写真立てを割ってしまったミゲルが改めてまじまじと見たその写真…点と線が重なって。
「僕のひいひいお爺ちゃんはエルネストだ!」そう思い至るミゲル。「だから僕はこんなに音楽が好きなんだ!」
テンションマックスのミゲル。勢い付いて音楽に付いての情熱を家族にぶちまけるミゲル。当然家族は戸惑い。そしてお婆ちゃんはブチ切れ。
飛び出すミゲル。「何が死者の日だ!バカみたい」「今日こそは。今日こそは音楽を。僕の音楽を皆に聞いてもらうんだ」歌のコンテスト会場に向かって全力疾走。けれど。
「自分のギターじゃないと駄目だ」と断られるミゲル。…諦められなくて。
「ひいひいお爺ちゃんなのなら。このギターを貸してください」
エルネストの墓に忍び込んで。死者のギターを掴んで鳴らした途端…ミゲルは死者の世界に飛んでしまった。
起承転結の起~承の下りを描いただけでこんなに長くなるなんて。まあ。これ以上具体的なあらすじには触れませんが。
日本にもある『お盆』(『お彼岸』というのもありますが)という文化。
けれど日本が真夏にひっそり先祖を偲ぶのとは違う。メキシコの『死者の日』は何だか陽気で華やか。力強い。というのも。
当方の推測ですが。それは「例えこの世界に実体が無くなっても。死者の国でまた家族に会える。そして幸せに暮らせる」という思想があるから。家族の繋がりが強いこの国では、死は必ずも悲しさ一辺倒では無い。
けれど。そんなポジティブな世界観にドスンと横たわる硬質なレギュレーション。「それは生きている人間が死者を覚えている間だけ」
「人は二度死ぬ。初めは実体を失った時。二度目は誰の記憶からも失われた時だ」
聞いた事のある言葉。それは死者の国に住む者達にとって唯一で最大の恐怖。
家族に愛され。そして毎年自分の事を語り継いでくれる。写真を祭壇に飾って。死者の日には道に迷わないように花と灯りで帰る家を照らしてくれる。
「そんな家族が居ない者は?」
誰もが自分を忘れた時。本当の死が訪れる。魂の消滅。 THE END。
死者の国へ行ってしまったミゲル。そこで出会ったヘクター。
「誰も貴方の写真を飾っていません」と。死者の国を出る事が出来なくて。けれど必死。「どうしても今年は出たいんだ」
どうしてヘクターがそんなに必死にこの世に行きたいのか。話が進む内に「まあ…こういう事だろうな」と推測は付きましたが。それが…あの人にたどり着いた時。当方の涙腺決壊。
そもそもどうしてミゲルの一族は音楽を禁じたのか。発端となった人物と出来事。
音楽は悪ではない。音楽を愛していた。けれど。音楽は家族を壊してしまった。だから音楽は封印した。
ミゲルの家族。先祖たち。彼等は決してミゲルが憎い訳でも意地悪をしたかった訳でも無い。寧ろ逆で。ミゲルが大好きで。大切で。だから音楽で壊れてしまった自分の様にはしたくなかった。
「でも仕方が無い。だって音楽が大好きだから」
また。流石天下のディズニー。音楽も映像も美しく。邦題になった、『リメンバー・ミー』どのバージョンも良かったですが…やっぱり最後のあれが…(涙目)。
そういえば序盤にけちょんけちょんに言ってしまった、同時上映の『アナと雪の女王~』。あれと本編との共通点。『鐘』ですか。
後、エルネストというキャラクター。彼の登場の仕方とその展開。ずっと「『アナと雪の女王』のハンス王子みたいだな」と思っていました。
見た事も触れた事も無い、メキシコ文化。強くて華やかで。陽気で大らかに見えるけれどどこか儚くもある。何事も家族の絆ありき。
異国の死生観が驚くほどすんなり飲み込める。
「近年のピクサー作品の中では飛びぬけた傑作。これは必見。」全部を網羅している訳では無い癖に…ぽつぽつ周りにそう言ってしまっている当方です。
映画部活動報告「ナチュラルウーマン」
「ナチュラルウーマン」観ました。
第90回米アカデミー賞外国映画賞受賞作品。
トランスジェンダーの主人公を、実際にトランスジェンダーである女優が演じた。
チリ。昼間はウエイトレス、夜はナイトバーで歌うマリーナ。年上の彼氏、オルランドと二人暮らし。
マリーナの誕生日の夜。中華料理屋で誕生日を祝い、帰宅。満たされ、幸せな一日のはずが…。
突然、オルランドに何らかの発作が発生。慌てて病院に搬送したけれど…甲斐なくオルランドは急死してしまう。
余りの出来事に衝撃。戸惑い。悲しみ。
そんなマリーナに追い打ちを掛けてくる『オルランドの家族』
アカデミー賞で部門賞を取った事。主人公をトランスジェンダーの女性が演じた事。
その2点以外はほぼ事前情報を見ませんでしたので。「こういう話だったのか…」と。
腹立たしくなり、切なくなり…そして、何だか清々しい気持ちになった作品でした。
近年LGBT問題に関する映画作品の増加。性別や思想が違っても。如何なるペアリングも、人と人が愛し合う事は決して異常ではない。大体はそういう主張。
「当方は異性愛しか経験はないけれども。好きになった人なら性別は関係ないと思う」特別大声で叫んでいる訳ではありませんが。当方はずっとそういうスタンスを持ってきました。けれど。
バイセクシャルな人物に対し、影で「可哀想」と言った友人。全く違う時。「ああいう人達、気持ち悪い」と言った人。当方の先述した意見に「何言ってんの」。そういう考え方の人たちが居る事も現実で。
差別や偏見の無い世界。理想ではありますが…個人個人に思想や倫理観、生理的なボーダー等の相違がある限り、皆が統一した価値観を持つ事は不可能に近い。
若い時は。「そんなのおかしい!」「気持ち悪くない!」と不快感を露わにした当方でしたが…今は「理解できないものを否定してはいけませんよ」と勤めて穏やかに発するばかり。
最愛のパートナー、オルランドの急死。打ちのめされるマリーナ。
けれど。彼には妻子が居て。つまりはマリーナ、不倫相手。
つまりはこれ、もうベタ中のベタな不倫女性メロドラマなんですよ。
オルランドが亡くなった途端。二人で住んでいたアパートに乗り込んでくる、彼の息子。「今すぐ出ていけ!」
彼の妻。「彼の車を返して。そしてあのアパートも早く引き払って」
そして。「絶対に葬式に出るな!!」
(これって…国の違いなんですかね?日本なら絶対に言われるし、不倫相手側はあれこれ主張せずにひっそり身を引くイメージがある)
ただ。この作品がメロドラマで終わらない所以。それはマリーナがトランスジェンダーだという事。
そりゃあ家族からしたら、「夫が。父親が。外にパートナーと作っていた」となると、どんなに覚めた家族関係だとしても腹が立ちますよ。しかも相手は『オカマ野郎』(ひどい)。
何それ。私という妻が居て。子供も儲けたのに。何だよ親父。こんな「化け物」と。
オルランドの家族がマリーナに対して取った言動や行動。見ていてムカムカしましたし「地獄に墜ちろ!」と思わず心の中で悪態をついてしまいましたが。
彼らが本来とことん話すべき相手だったのは、夫であり父親であったオルランドなはずで。
(正直、これはオルランドと家族の問題であって。マリーナはとばっちりなんやなあ~と思わなくもない当方)
平常時。マリーナという女性が居なかったとして、彼らはトランスジェンダーという存在に対してどういう感情を持っていたのか。それはやっぱり刺々しいモノなのかもしれないけれど。けれど。
怒りに任せて。目の前の女性に対して、どういう言葉を投げつければ相手は傷付くのだろうかと。偏見の気持ちを倍増してぶつけて。そうやって己の溜飲を下げようとしても、自分が惨めになるばかり。
元々は男性の体で生まれて。けれど自分は女性だと。そうやって自身の不一致を合わせようとしてきた、そういったこれまでの人生で。
当方の推測ですが…マリーナに対してこういう言葉を投げつけてきた人はいくらでも居ただろう。何度も不愉快な目にあって。傷付いて。そして残念ながら、それは終わる事は無い。けれど。
彼女には理解してくれる人も居た。同じ店で働く仲間。歌の先生。そしてオルランドの弟。そしてオルランド。最愛にして。突然逝ってしまった恋人。
マリーナは決して一人ぼっちでは無い。
下らない事を言ってくる人。世間の目。そんな逆境。暴風が吹き荒れようとも(実際に吹き荒れていましたが)「前に進みたい。」
作中。何度もマリーナが口に出していた言葉。どんなに強い風の中に居ようとも、前進したい。愛するオルランドを失った悲しみ。彼は何者にも代えがたいけれど。ちゃんとお別れをしたい。
私たちの事を何にも知らない奴らが。どんなに下らない事を言って騒いだとして。まともに取り合っている暇なんてない。私はただ。オルランドの実体がこの世から亡くなる前に、彼にさよならを言いたい。
ただそれだけ。
「男だとか女だとか。関係ないのにな。これは…ベタ中のベタな不倫女性メロドラマなんやから。」
オルランドが残した、ロッカーの中身。
一体何だったんでしょうね。
当方は、マリーナが前進するための追い風であったと。そう思いますよ。