映画部活動報告「ビジランテ」
「ビジランテ」観ました。
「この作品を観ずに今年の邦画を語るな!」
そんな声も聞いた、『日本単館系映画の本格ノワール作品』。
ノワール作品=虚無的、悲観的、退廃的な指向性を持つ犯罪映画(ウィキペディア先生より)まあ当方の乱暴な意訳としては暴力映画。
ノワール作品と称される映画は結構好きで。そして映画館でよく見た予告も気になって、随分と期待値を上げて観に行ってきました。
結論から言うと「ちょいちょい引っかかる所もあったけれど、好きな感じやった」
地方都市。土地の名士であった父親の日常的な暴力に、遂に抵抗しようとした幼い三兄弟。
しかしそれは遭えなく失敗。そしてその夜、長男は失踪した。
30年後。市議会議員になった次男の二郎(鈴木浩介)。デリヘル店の雇われ店長三郎(桐谷健太)。別々の環境ではあるけれど、変わらず地元で生活していた二人。しかし。
大嫌いだった父親の死。それをきっかけに30年ぶりに現れた、長男一郎(大森南朋)。
地元で都市開発事業が進む中。その土地の一部を所有していた父親。誰もが二郎が相続出来ると思っていたのに。まさかの相続権利証書(公正証書)を持って。
「絶対にこの土地は売らない」
頑として土地の権利と売却を拒否し続ける一郎。慌てる二郎。巻き込まれていく三郎。
家族の業。土地。政治。肩書き。金。店。ヤクザ。これらの断ち切れないしがらみ。そしてまさかの外国人居住者問題まで絡めて。とんでもない歯車がぎしぎし絡み合っていく。
そういう流れのお話でした。
「こういう生き方しかないんかなあ…」溜息を付く当方。地元で生きていくにしても、次郎も三郎ももっと普通の人生があったんじゃないの。
市議会委員の二郎。妻(篠田麻里子)と息子の3人家族。小心者で、周りにただただ流されてしまう。正義の気持ちはあるけれど「見ざる聞かざる言わざる」という行動を取ってしまう。
しがらみの多い地方市議の中で。「オヤジさんは立派な人だった」「土地の相続しっかりしろよ(そしてすぐ売却するんだぞ)」相続権が危ういとなれば「役立たず」と圧力を掛けられて。おろおろするばかり。
今作非常に高評価の篠田麻里子。『頼りない夫をあらゆる手段を取って支える妻』を好演していて。確かに当方も「おっ」となりました。
(体当たりのカーセックスシーン云々に関しては「いや…他の女優さん達、軒並み乳丸出しでとんでもない事させられてるで」と思ってしまいましたが)
「なんて頼もしいんだ…」コートを脱ぎながら歩く妻の後姿を見てそう思うけれど。それを見送る二郎の心境を想うといたたまれなくなる当方。
ところで。「政治家って…暴力団がらみで違法な風俗業をしている身内の存在ってあかんのとちゃうの?」三郎の存在は二郎の議員生命に影響は無いのかという疑問がぬぐえない当方。
三郎。地元暴力団がバックに付くデリヘル店の雇われ店長という、アウトレイジな世界に身を置きながらも。性根は優しくて面倒見の良い性格。店の女の子達からも愛され。
「この桐谷健太からは、確かに末っ子な印象を受けるな。そして3人の中で一番人情味溢れるキャラクター」
長男が失踪した後。想像でしかありませんが、地獄の日々の中支え合うしかなかった二人の兄弟。互いに選んだ世界は違えども、信頼の絆で結ばれていた二人。そこに現れた、所謂「死んだと思っていた」一郎。
30年ぶりに再会した兄弟。けれどそれは感動する類では全く無く。どう見ても底辺のクズ。なんだこいつ。今更どんな面して俺たちの前に出てこれたんだ。何故今俺たちを苦しめるんだ。一体何様だ。なのに。
「どうしてそういう言葉が掛けられるんだ…」どれだけ優しいんだと。後半の三郎のささやかな提案に地団太踏む当方。「こんな奴、追い出せよ!」
まあ。あの兄弟以外の登場人物は当方と同じ思考回路だったようなので。「こんな奴、追い出せよ!(又は消せ!)」にベクトルは振られていく訳ですが。
一郎。
初めに書いた「ちょいちょい引っかかる所もあったけれど~」その一つが一郎。
東京で。落ちぶれて借金取りに追われる生活。酒と薬に溺れ。女には手を上げて。およそ好きにはなれないキャラクター。(そこにはケチは付けていません)
30年ぶりに弟たちの前に現れたかと思うと、「この土地は俺のもんだ。ここは誰にも売らない」と公正証書を掲げて宣言。
「そもそも何故その土地にそこまで拘るのか?」
一応作中で語ってましたけれど…けれど。「弱くないか。それ」納得出来ない当方。
そして父親から正当に権利を譲られた…って父親と会ったって事ですよね?その下り、ちゃんと語った方が良いんじゃないの。どういう再会をしたのか。どういう流れでその土地云々になったのか。
「30年前の一郎失踪からばっさり現在に話を持ってきているから。そして回想とかも無いから。一郎の行動原理も背景もはっきりしないんよな」
だから。何だか久しぶりに現れた厄介者がひたすらごねて周りを振り回しているようにしか見えない。(それが正解ですが)
「何がしたいの?何が貴方の正義なの?」
『ヴィジランテ:vigilante』もともとはスペイン語で。和訳では『自警団』。そして「(法に依らず)私的制裁を加える人」という意味合いもある。
3兄弟の。誰もが真っ当な者から見たら正しい事なんてしていない。けれど。彼等には各々守りたいモノと正義がある。それがお互いにぶつかり合う時。哀しくも、破滅していくしかなくて。
兎に角寒かったやろうなあ~と震えた、川のシーン。非常に印象深いシーンでしたが…「わざわざ川の中を横切らんくても…迂回路(橋)あるやろう」と冷静に思ってしまった当方。そして後半の三郎よ!頼むから医療機関に掛かってくれ!辛うじて止血できたとしても、あんたその傷口から感染して敗血症とかになって死ぬよ!!
後ねえ~チャチャ入れるついでに。あのおっかないヤクザ(般若)。あの人物の怪力さと、あんなおっかない連中が騒ぐ焼き肉店で。ずっと焼き肉を食べ続けた親子。(母親と息子)
「あの親子って…あの連中の身内?には見えなかったんですけれど」息子に至っては身をよじって成り行きを見ていましたけれど。どんな鋼のメンタルを持った親子だよと。当方なら間違いなく店を後にしますよ。怖いから。
まあ。そんな「ちょいちょい引っかかる所もあったけれど」こんなに骨のある作品が邦画で観れたなんて、という感動。(ノワール作品は最近は韓国映画に持って行かれているなあ~と思うので)
確かに「この作品を観ずに今年の邦画を語るな!」という作品でした。
映画部活動報告「探偵はBARにいる 3」
「探偵はBARにいる 3」観ました。
舞台は北海道。探偵(大泉洋)と、その相棒兼用心棒高田(松田龍平)。
どこかだらしなくて。ススキノは庭。水商売の者は皆顔なじみ。人情味があって、時代遅れ。そんな愛すべき探偵と、飄々としていながらいざという時には頼りになる。そんな高田とのお馴染みバディシリーズ。
今回は、高田の後輩の「音信不通になってしまった、女子大生の彼女を探して欲しい」という依頼を皮切りに。
「こんなのすぐ終わる簡単な仕事だ」とたかをくくっていたけれど。
彼女がモデルクラブという名の高給デリヘルでバイトしていた事。そこからバックに付く危ない元締めにまでたどり着いてしまって…。
何だかんだ言って、前2作も映画館で観たのですが。いやあもうこのシリーズの安定感。東映だけに『相棒シリーズ』みたいな一定数の顧客が離れない雰囲気。
「結構年配の人が多いんやな…」実は公開翌日には観に行っていたのですが。大き目のスクリーンでお客さんが一杯。でも若者というよりは中高年+年配の客層が目立った感じがしました。
「そりゃあそうだ。だってこれ、全身の力を抜いて観れる作品やもん」(あくまで褒めています)
特に凝った仕掛けや謎解きがある訳でない。エロも気まずくなるような程ではない。
主人公はとぼけた愛嬌のある探偵。そこに厄介な依頼を持ち込む、どこか影のある美女。大層に騒ぎながら、愉快な仲間達と事件の真相に近づいていくけれど…。哀愁を帯びて。苦い気持ちを噛みしめながら迎えるエンディング…。
全くこのセオリーに則った流れで。今回も進んでいました。
今回。前2作から監督が交代したという事でしたが。主役二人のキャラクターも関係性も大きな変更はなく。と言うか、やっぱり大泉洋という役者の力量なんですかね。あの『探偵』というキャラクターにイキイキと血を通わせる、手練れの成せる技。
(それでも1作目と比べたら大分三枚目キャラクターになっているな~とは思いますが)
大根役者スレスレの松田龍平も高田というキャラクターにしっかり嵌っている。
そして。オネエ役の篠井英介。ゲイの新聞記者田口トモロヲ。過剰に迫ってくる喫茶店のメイド安藤玉枝。知り合いのヤクザ松重豊。
これらお馴染みのメンバーも心地よい。安心して全身の力を抜くことが出来る。
今回。高田の後輩の失踪した彼女、麗子(前田敦子)を探すというスタートから。
麗子がバイトしていたモデル事務所にたどり着いて。下手に突っついたばかりに痛い目にあわされる、探偵と高田。でもそれをきっかけに知り合った、モデル事務所の女社長マリ。
「あれ…知ってる…」かつてススキノの風俗街で。どん底にまで落ちていたマリを記憶していた探偵。
そのモデル事務所のバックに付く札幌経済界のホープ北條(リリー・フランキー)。絶対に関わりたくないのに。飛び込んで行く羽目になっていく探偵と高田。
一つの小さな事件が。次第に複合的な案件と絡み合っていく。そんな流れ。
すっかりカメレオン役者のリリーフランキーの真骨頂、ヤクザ!というのはもう置いておいて。
「北川景子が意外と良かった」
失礼ながら…北川景子には何故か危なっかしい演技をする印象があったんですが。
今回のマリという役は非常に合っていたと思いました。
昔辛い目に遭った。もう生きている意味なんて無い。そんな時探偵に言われた「命を燃やすものはあるか?」
時は流れ。ヤクザの元でデリヘルあっせん業を営む自分。けれど。見つけた。「命を燃やせるもの」
薄幸美人。どこか影があって。線も細くて儚げ。非常に雰囲気が合っている…合っている。けれど!!
「何それ」
マリの背景。それには全然納得がいかなかった当方。それを出したらアカン!日本映画で切り札として病気と記憶障害とタイムスリップと動物は出したらアカン!
「一気に動機が安っぽくなるんよな~」
それに輪を掛けて眉をしかめてしまった、「命を燃やせるもの」。
「それは。普通そんな『モノ』を有難く受け取れる訳ないで。」冷たい当方。だって!あんな不気味な『モノ』を渡されたら…当方なら即警察に通報しますよ。
そのマリの行動に説得力を持たせるなら…もっと序盤からマリのエピソードを散りばめないと。ちょっと取って付けた感が否めない。
「まあまあ。そんなやいやい言わんと。皆楽しく観てるやないの」
映画館で。食い入るようにスクリーンの世界に引き込まれて。あちこちから聞こえた鼻水をすする音に、己を抑え込む当方。力むなと。
結局またほろりと苦い気持ちにさせて。でもしっかりと最後は笑わせる。そんなお見事な終わり方。
「THE 邦画」
なのに。エンドロールはちゃんと最後まで観ないと後悔する、というMARVELの手法をしっかり取り入れて。…心憎いばかりです。
映画部活動報告「パーティーで女の子に話しかけるには」
「パーティーで女の子に話しかけるには」観ました。
『ヘドウィッグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェ監督作品。
「1977年。僕は宇宙人の女の子に恋をした」
本当に。本当にその言葉通りの作品。
高校生のエン。友達と3人でつるむ日々。互いにパンクロックに傾倒し。
ある夜。ライブの打ち上げ会場への道が分からなくなって。迷い込んだ売家。そこで行われていた、不思議なパーティー。雰囲気に飲み込まれる3人。
そこで知り合った美しい少女。ザン。彼女は何故か「私にパンクを見せて!」と仲間の元を飛び出してエンに付いてきて。
自称宇宙人。地球には旅行でやってきた。48時間後には地球を立つ。
訳の分からない事ばかりを言う彼女。そして確かに噛み合わない事ばかり。戸惑うけれど。
「アメリカ人のカルト集団に閉じ込められているんだ」そう言い聞かせて。
パンクロックに憧れた少年の。体験した、パンクでロックで切ない恋。
お話自体は凄く荒くて。「はあああ?」という設定。無理やりな展開。正直不格好で不器用な作品。なのに…嫌いになれない。それはJ・K・ミッチェ監督のセンス故か。
「まあ。宇宙人ザンを演じたエル・ファニングのキュートさ。それありき」
今作でトニー賞を受賞した、主人公エンを演じたアレックス・シャープ。この錦織圭そっくりの彼に、観ている側が非常に感情移入しやすい。
つまりは「そりゃあこんな女の子が目の前に現れたら恋に落ちるわ!」
ミス・ファニーフェイス。もう何なの?このエル・ファニングの可愛さ。こんなん、キュン死!!救心では手後れ案件。
不思議でどこか不気味な集団。
そんな連中が一軒家で行っていたパーティ。前衛的な何かかと。訝し気に探検していたら。唐突に現れたエル・ファニング。(以降ザンで統一します)
私はここには居たくないと。着ているスカートをハサミで切って。そんなザンに思わず「パンクだな!」と言ってしまった事から。
「パンクって何?」「見せて!」「教えて!」グイグイと押してきて。そしてエンに付いてきた。
「そんな夢みたいな展開があるかああああ」
パンクロックと絵を描くことが好きで。趣味の合う友達は居るけれど。(おそらく)クラスで人気のモテモテ集団ではない。そんなシャイな自分の前に、唐突に現れた美少女。
ぶっ飛んだ不思議少女だけれど。自分の好きな音楽に興味を示して。そしてそれを聴かせたら。面白がって、表情をくるくるさせて。どんどん吸収する。
文化の違い故か。何だかズレたスキンシップを取るけれど。自分が彼女に惹かれていくのと同じ。彼女からも自分への好意が溢れていくのを感じる。大好き。もう…嬉しい。楽しい。大好き!
一緒に居たら楽しくて。嬉しくて。彼女と居たら何もかもの色が輝く。音楽で溢れる。世界が変わる。
「ギブミー!ギブミー!ブランケット!!」ラブラブな二人に当てられて。瀕死の当方。
でも。彼女はトラベラー。48時間後には居なくなってしまう。
宇宙人なんて。彼女が属しているのは『カルト集団』だ。そう信じたいけれど。
ザンや仲間達の属するコロニー。その理解しがたいルール。
「カルト集団をぶっ潰せ!」とばかりに。エンと友人の先導に依って殴りこみをかけた事で、コロニー内部の意見の相違も露わになって。
事前に。急に体に変調をきたしたザンが内部の重要な判断ポイントになるけれど。
「本当に。その下りが荒いんですな」溜息を付く当方。「でも憎めない…」
少年よ。これがパンクロックだ。本気で誰かを好きになって。その相手の為になりふり構わず取る行為。それは時には世界も変える。そういうメッセージ。
設定も展開もハチャメチャではあるけれど。お話の核は『ボーイ・ミッツ・ガール』。ある日目の前に現れた女の子に恋をして。そして不器用に悶える恋の話。そういうの…凄く好きなんですよ。
互いに思いは通じていて。一緒に居たら楽しい。これからも一緒に居たい。その気持ちは一緒なのに。一緒に居れない。
「おいおいおい。ずっと斜め上の事ばっかりしていて。なのに何だか最後には胸が熱くなって…薄っすら涙が出るなんて。卑怯やぞ!」顔を赤くして叫ぶ当方。
まあ。もし当方がこんな可愛い女の子と恋に落ちたら。確かにそれを一生しがんで(噛んで)生きていきますよ。
余談ですが。ザン以外の他のコロニーメンバー。ザンのPT、黄色のざっくりニットの絶妙な腹立たしい表情。おちょぼ口。本当に絶妙でした。そして…あのオレンジメンバー。
「途中からああなる事を事前に教えて貰ったら、あそこまで驚かないと思うんで…」お会いしてみたいし、体験してみたい。…当方はエロには貪欲なタイプなんで。(何言ってんだか)
当方がもっと若かったら。とんだカルト映画としてワクワクしたのかもしれない。けれど。
歳を取った当方には、何だか懐かしくておかしくて切ない。でも決して馬鹿になんてしない。もう二度と出来ない。そんな淡い恋の話に見えました。
映画部活動報告「悪魔祓い、聖なる儀式」
「悪魔祓い、聖なる儀式」観ました。
カトリックの総本山。ヴァチカン。イタリア。
そこで古代より行われてきた『悪魔祓い』。
2014年。正式に認められた『国際エクソシスト協会』。
悪魔祓いをする神父=エクソシスト。近年需要が高まる事からも急増を余儀なくされており。その数は30カ国約300人。(日本には実在しない)
医学や化学では説明出来ない奇怪な力に侵され。日常生活もままならなくなった人たちが日々押し寄せる。そんなある教会とそこで悪魔祓いを行うエクソシスト(以降簡単に神父で表記を統一します)を撮ったドキュメンタリー。
「何てレアな場所に…」興味津々で観に行きましたが。
八百万の神に日々の感謝を唱える。おはよう。いただきます。ご馳走さま。ありがとう。今日も一日お疲れ様。おやすみなさい。そうやってお天道様に挨拶して。
日本人の御多分に漏れず。当方も特に熱心に何かの神を崇めている訳ではありません。
やれ正月だ。盆だ。秋祭りだ。クリスマスだと。そういうのも、イベントとして楽しむだけ。
親族同様。親兄弟が無くなったら寺にお経を上げてもらうのでしょうが。だからといって普段から、寺に手を合わせに行く訳ではない。
THE無宗教。そんな当方は…彼等の姿にただただ無言になってしまうだけでした。
教会に集まる人々。ミサ。そこで神父より「ここには悪魔に憑かれている者も居ます。決して驚かないように」と事前に断られ。
そして祈りが始まると。唐突に呻き出し、のたうち回る人が現れる。神父の助手やスタッフに依って、そういった人物は皆から少し離れた場所に連れていかれ。そして聖水などを掛けられ…。
「ほんまに??」猜疑心の強い当方の。疑いのまなざし。
基本的にはそういうシーンの繰り返し。
「悪魔に憑かれた」と悩む本人や家族。本人が悩むならまだしも。もう何が何だか手の付けられない状態になった、錯乱状態の身内を引っ張ってくる家族。
彼らの話を聞いて。かと思えば(当方的には)唐突に発せられる聖書の一文。それに過剰に反応する、憑かれている者。
本人とは思えない様な野太い声を上げ。のたうち回り。掛けられた聖水に悲鳴を上げる。
「ほんまに??それはほんまに??」
そうして生還した者も描かれる。けれど。彼らは永遠に悪魔と縁が切れた訳では無い。
「この子に悪魔が付いたのは家族の信仰心が薄いからだ」はっきりと家族に告げた神父。今悪魔は去った。けれど心が弱ったら、この子はまた悪魔に憑かれるぞと。家族で乗り越えなければと。自宅に帰った後も子供に聖水を掛ける親。
そして。暫くの月日が経って。家族総出で協会にお礼参りに行ったけれど。かつて憑かれていた少女の言った「ここ(教会)にはまだ来たくない」その言葉の意味。
「ほんまに??何が見えるの??ここで」
かつて悪魔祓いをしてもらったけれど。それからも足しげく教会に通う者達。また毎日が上手くいかなくなった。これは悪魔のせいだ。前は神父は話を聞いてくれたじゃないか。また話を聞いて。私の中の悪魔を祓って。
(かなり淡々とカメラを回す感じのドキュメンタリーでしたし、ともすればさらさらと流れていきそうになったくらいに多すぎたキャスト。なのでここに書いた者たちの事を当方が勝手に解釈した可能性が多分にあります)
「精神疾患との境界が難しそうな…」
医学や化学では説明出来ない…でもどっぷりそこに浸かった当方の脳は、目の前のスクリーンで映し出される状況が納得出来ない。理解ではない。納得できない。
『神』という概念の違い故か。日本ではあまり馴染みの無い『悪魔憑き』。(同義語としては『狐憑き』なんでしょうが)
オカルトに造詣は無く。ましてや「宗教と神について」なんて。「絶対に足を踏み入れてはならぬ!!」と脳内リスクマネージャー当方が警鐘を鳴らしていますので。まあ…言われなくても語りませんが。
全てを見た訳じゃ無いので…浅瀬からの私見ですが。
「のたうち回る者達の行動が余りにも型に嵌りすぎてやしないか」「自己暗示との境界は」「上手くいかない日常が悪魔のせいは甘えじゃないか」「そうやって上手くいかないからと言ってドラックに手を出すのは悪魔の仕業と言うのか?」「家族の誰かがおかしくなった時。その理由が信心故って。本質から目を背けていないか」
どうしても。モヤモヤとしてしまう。それは当方が無宗教だからか。ですが。
「信じる者は救われる」
その言葉が。圧倒的な説得力を持って当方を黙らせる。
確かに彼らは宗教に依って、神の力に依って救われている。
医学や化学。これらは目の前の事象について、系統立てて分類してから、対応を導き出す。
数多の経験とそこからの分析をデータ化して。そうやって問題に対して合理的に、かつ納得のいく答えを叩き出す。けれど。
医学も化学も手に負えない。そんな事態を彼らは「悪魔の仕業だ」と言って。
科学の子当方は「ナヌ!」と言ってしまうけれど。彼等の声に寄り添って。そしてきっちり落とし前を付けてくれる。それが『悪魔祓い』の仕事。
(今回少し『国際エクソシスト協会』『悪魔祓い』について調べましたので補足。一応どんな者でも教会に駆け込んでいるという訳じゃなくて。事前にきちんと医師の診察なども受けて精神疾患の有無をスクリーニング。悪魔祓いには医師も同席する、といったレギュレーションがある様でした)
「何だか。大変なお仕事やなあ~」
神父だって人の子。健康に気を使いながら。そんな人間味溢れるシーンもありました。
(そういう姿もあってか。どうにでも解釈できそうなテーマを扱いながらも、どこかコミカルな印象も受けた作品でした)
社会が複雑化する中で。需要に伴って近年増加傾向にある、エクソシスト牧師。
最後に国際エクソシスト協会の研修風景が映されていましたが。
しみじみとえらい時代になったもんやなあと思った当方。
映画部活動報告「光」
「光」観ました。
大森立嗣監督作品。三浦しをんの同名小説の映画化。
東京の離島。夏。中学生カップルの信之と美花。狭い島の中で。人目に付かぬよう逢瀬を重ねる二人。信之を「ユキ兄」と慕い、いつも後を付いてくる輔。
輔は父親から虐待を受けていて。それは島の中では周知の事実であったけれど。誰も輔を助ける者は居なかった。
ある夜。美花と会う約束をしていた場所で、男に犯される美花を見てしまった信之。
男を殺す信之。呆然とする信之と美花。全てを見てしまった輔。その時。
天災に依って。島の殆どと。彼らの秘密は押し流された。
25年後。とある団地。
妻と娘の3人暮らし。家庭を築き。平穏に暮らしていた信之。
きらびやかな芸能界で。過去を捨てて活躍していた美花。
しかし。
輔が現れた。そして二人の過去の罪が。
今の彼等を脅かしていく。
人間の業。と言ったら良いのか。兎に角どんよりとした、息の詰まる作品。
冒頭。湿度の高そうな、鬱蒼とした木々が映されて。そこに流れる爆音の不穏な音楽。
田舎の離島。一見朴訥とした島民達がのんびり暮らしていそうな。でも。そんな綺麗事などどこにも無い。子供達にとっては。特に輔にとっては。ここはただの檻。
島から出られない。どんなに苦しい状況にあっても、ここからは出られない。誰も助けてくれない。
そんな鬱屈した、閉塞された島で起きた子供達だけの秘密。
そしてそれを飲み込んだ、もっと大きな有事。
25年後。
公務員。安定した生活を送る信之。専業主婦の南海子(橋本マナミ)は「団地は息が詰まる」と折に触れて引っ越したいと訴えてくるけれど。いつものらりくらりとかわして。幼稚園に通う娘は可愛いけれど。特に積極的に関わる訳でも無い。
淡々と日々を送る信之。そんな夫を溜息で見送った後。娘も居なくなった昼下がり。
電車に乗って。南海子がおもむろに向かう先は、汚いアパート。
そこに住む若い男と散々情事に耽る南海子。
その男こそが。信之と美花の罪を唯一知る人物、輔だった。
「しっかし汚い部屋よ!」「そして瑛太の服の汚い事よ!」
当方は別に潔癖症ではありませんが。でもあかん。あんな部屋でセックスなんて出来ない。片づけて掃除してからじゃないと。
「アタック!」とか「ホ~ルド!」のCMの人たちが卒倒しそうな、瑛太の着ている衣類の汚さ。何汚れ?それ。汗や皮脂、加えて油?それをあんた…洗剤入れずに洗ってんの?という汚さ。
「普通の専業主婦が。どうやったらこの男に入れ込んでしまうのかね?」
教えて欲しい…。輔が信之に近づきたくて妻の南海子に接触する下りは理解出来るけれど。南海子は何で輔と寝る仲になるんだ。南海子の心の隙間を埋める優しさも無さそうやし。南海子の話聞かない感じやし。若さ?ええ~。
そして。信之の前にニヤニヤしながら姿を現す輔。
25年前の犯罪。そんなもの、何とでも言い逃れ出来る。そう思ったけれど。
輔が持ち出した『証拠写真』の存在。しかもそれを美花に送ったという。
二人を強請ってくる輔。
25年ぶりに再会する信之と美花。復活する二人の関係。愛では無い。あの時も二人にあった力関係。無意識に美花に支配されていた。より多く愛している者が負ける。美花はただ強欲なだけ。
「輔は死にたかったんやろうな」そう思った当方。
25年前のあの島で。あの檻の島で。
暴力を振るう父親。自分を捨てて母親は逃げ出した。島の者は誰も助けてくれない。自分の状況を知っている癖に。臭い物に蓋をしたくて、無視されていた。
そんな中で、唯一無視しなかったユキ兄。温かい感じでは無かったけれど。後を付いて行っても振り切られる事は無かった。だから。25年後もまた。後ろから付けてきた。
「でも。25年前も今も。輔が求めていたのは抱きしめて貰う事じゃない」
(これは当方の勝手な解釈なんで。とんだぶっ飛び内容になっていくと思います。悪しからず)
生きていく事が辛くて。誰からも愛されなかった。父親からはお前なんかと暴力を振るわれ。皆からは無視された。そんな中で生きていくのは辛くて。
ユキ兄に付いて行った理由は「いつか殺してくれる」という希望。
鬱陶しい。付いてくるな。自分が疎ましくて苛々するユキ兄。自分が存在する事から唯一目を逸らさなかったのはユキ兄。いっそその勢いで殺してくれたらいいのに。でも。
当然ながら、そんな事で危害を加えてくるはずなど無い。それでも何だか気になって。
あの夜起きた事。
ユキ兄の中にある暴力性が。はっきりと浮かび上がった夜。それを発動させたのは美花。やっとあいつらが獰猛な姿を見せた。なのに。
それよりももっと大きな有事が。二人の野生を覆いかぶせた。また隠してしまった。
何故そこから25年もの月日が必要だったのか。その間輔はどう生きてきたのか。
二人を強請り始めたと同時に輔の前に現れた父親。結局今でも父親に怯える輔。
散々二人を追い詰めようとしているのに。父親に歯向かえない輔。
「どうやってこの父親は輔の居場所を知ったんだ。と言うか、この親子は25年前の有事以降どういう経過を過ごしたんだ」
何だか…所々話の繋がりが荒くて。そしてそういうのをフィーリングでは乗り越えられなかった当方。ただ。
「暴力には暴力で返すしかないんだ」
死んだ目をして。当たり障りのない、まともな人物として溶け込んできたはずの、信之の隠してきた野性的な本能が。剥き出しになってしまって。止まられなくて。
「井浦新の。あの死んだ目と淡々とした口調。そしてあの行動力。」
井浦新は本当にこういう役が似合う。
常に暴力に虐げられてきた者が。必死に暴力らしいモノを振るって。そうして強い相手にやっと楽にしてもらった。当方にはそう見えて。
「ひょっとしたら。それは暴力と言う名の愛情かもしれない。」
ただ。そうやって本能を剥き出しにしてしまった信之は。二度と光の当たる場所には戻れない。
『光』と必ず対になる『闇』。
一体このタイトルの『光』とは何を指すのか。
あの木から差し込まれる光は。何時のどういう状況を示していたのか。
どんよりとした閉塞的な。息の詰まる作品でした。
映画部活動報告「火花」
「火花」観ました。
若手お笑い漫才コンビ。スパークス。ボケ担当徳永。とあるイケてない熱海営業で知り合った先輩漫才コンビあほんだら。ボケ担当神谷。その人柄に惚れ込んで弟子入り。
それからの10年。
互いに売れない芸人。もがいて。毎日語り合って。そうして過ごした10年。
徳永を菅田将暉。神谷を桐谷健太。神谷の彼女真樹を木村文乃が演じた。
言わずと知れた芥川賞受賞作品。既にドラマ化もされて。とは言え。何となく食指が動かなくて。テレビも動画も最近はあまり見ませんので。スルーしてしまっていましたが。
「イッツジーが好きだから」『板尾日記』も発売日に買っていた。板尾映画もきちんと追ってきた当方としては。見逃がす訳にはいかず。鑑賞してきました。
「まあ確かに。菅田将暉と桐谷健太を置いた事による安定感」
近年の活躍が目覚ましい菅田将暉。(勿論見えない努力ありきでしょうが)天才肌としか言いようの無い演技。センス。
若手芸人徳永。大阪から一緒に組んだ、相方と上京。鳴かず飛ばずでくすぶっていた。
そんな時。小さな祭りのチンピラ相手。もう演る意味すら分からない営業で。魅せられた先輩芸人。
神谷を演じた桐谷健太。
本人のリアルな人柄は存じ上げませんが。何故だか今回の神谷の様な印象のある役者。器が大きくて大らかな印象。
「芸人の間ではおもろいと思われているんやけれどな」
そういう一般受けしない芸人。間違いなく何らかの才能はある。でもそれは一般受けはしない。
縦社会の芸人社会で。後輩には貧しくてもカッコつけてしまう。そういう先輩を。時にはカッコよく。時にはみっともなく。演じていました。
出会って10年。
初めは互いに売れない芸人で。暇を持て余しているから毎日「笑いとは」を語り合って。
次第に…少しだけ売れてくるスパークス。かと言え本人たちにもそれは一過性のものであると分かる程度。
そして。少しずつ崩れてくる人間関係。
あくまでも焦点は主人公徳永と先輩神谷に当てられていて。そこに旬の役者がはめ込まれているのもあるので。見ていて面白い。
同郷のよしみもあってか。菅田将暉と桐谷健太の掛け合いも合面白いし息もっぴったり。
最後。売れてきたスパークスと、どうしようもなくなってしまったあほんだらの対比。
尊敬し続けてきた先輩が…何だか子供みたいになっていく様の切なさもじんと噛みしめて。(とは言え。あの乳の下りは引きました)
そういう二人の過ごしてきた日々。そういうのがメインの話であるとは思うのですが。
歳を取った当方は。どうしてもそこには意識を集中させる事は出来ませんでした。
「あの二人が過ごした10年。それを一緒に過ごした人は他にも居る」
例えば。木村文乃が演じた神谷の彼女。真樹。
大阪から上京してきた時。同棲していた彼女。売れない芸人の神谷には勿論金なんて無くて。そんな神谷を。風俗嬢をしながら養ってきた。
「え?彼女ちゃうで。同居人」「良い奴おったらそっちいったらええねん」徳永にはカッコつけて。結局は真樹を大切に出来なかった神谷。
いつかはきっと。一緒に幸せになれる。ちゃんとしてくれる。真樹はそう思って待っていたんやろうと思うと。悲しくて。
中盤。真樹の取った選択は正しかったと思うし、そこで女々しかった神谷に「覆水盆に返らず」「因果応報」としか言えなかった当方。ほんまあほやなあ。
そして。徳永と神谷の相方。
ピン芸人では無い二人。どちらもコンビを組んで、どちらも相方が存在する。
当方はお笑いの世界に足を踏み入れた事はありませんし。コンビというものがどういう関係性を築いていくものなのか分かりませんけれども。
「スパークスの相方。山下の目線に立った時の10年」
こいつと一緒に居ったら面白い。天下を取れるとコンビを組んで。一緒に上京。自分の彼女も自分を信じて一緒に上京。
ネタを作るのは相方で。ネタを作る才能は無いから相方の世界観でやるしかない。意見は言うけれど、お前はネタを作れるのかと言われたら作れないし、あんまり大きな事は言えない。でも。段々不安になってくる。俺たちは本当に面白いんか。
彼女との付き合いが長くなっていく中で。どうしても意識していく『結婚』でも。自分は家庭を築ける人間か。
自分からしたら。無駄に重ねていく芸歴。売れていく後輩。お笑いで売れるのは一握り。そうは分かっているけれど…。分かっているけれど。
相方が心酔する先輩芸人。自分の居ない所で二人でとことん話込まれるお笑い精神論。馬鹿にされ、置いていかれる自分。コンビを組んでるのは俺なのに。「じゃあお前らがコンビ組めよ」
相方山下が。そんな事を言い出すシーンはありませんでしたが。唯一あった台詞「神谷さんに入れ込みすぎやろ」山下が絶対に思ったはずの流れ。
そして。あほんだらの相方。大林の懐の深さ。
何で売れないんだとくすぶる徳永と神谷を。きちんと支え続けた人達。その人たちが余りにもさりげなさ過ぎたから。だからこそ徳永と神谷はとことん好き勝手言えた。
でも。そんな時間はいつまでも続かない。
スパークス最後の漫才。あの圧倒感。それは流れを畳みかけ続けた徳永もさることながら。ずっと支え続けた山下あってこそ。
菅田将暉の演技力もさることながら。現役の芸人2丁拳銃川谷の。役者としては朴訥とした雰囲気で重ねてきた、山下というキャラクターの足がきちんとついていたと思った瞬間。
一瞬。明るく燃え滾った。そしてその光は消えていこうとしているけれど。
俺たちの光は続いていくんやと。出会った熱海の居酒屋で。10年後の神谷がまた熱く語っている姿を見ていると。どんなに堕ちようともやっぱり憎めなくて。
そうか。これはこういう話やったのかと。
何だか胸が熱くて。切なくて。
じんと切なくなりながら。幕は降りて。そんな二人を見届けた当方。
映画部活動報告「ジャスティス・リーグ」
「ジャスティス・リーグ」観ました。
DCのスーパースター集結。
手前味噌ですが。2016年ワタナベアカデミ賞。ラズベリー賞受賞作品。
「こんなバットマンは嫌だ!!」
折につれくどくど語ってしまう、当方のバットマン愛。
両親が共働きであった為、鍵っ子だった当方と妹。学校から帰宅。親が帰るまでの夕刻。地方テレビでやっていたバットマンテレビシリーズ再放送。(その他のラインナップとしては『奥様は魔女』『ポパイ』等)二人で貪るように見た、バットマン:アダム・ウエストとロビン:バート・ウォードの1960年代テレビシリーズ。
「バットマンと言えば、全身タイツでバットマンとロビンがドタバタしてたやつ」「あの『BOMB』とか画面に出てくるやつな」それが当方のバットマンの原点。そして。
ティム・バートン監督の。バットマンとペンギン。キャットウーマン。ジョーカー。ゴッサムシティーのアウトロー感も含め。最後は何だか悲しくなる。テレビ版よりは少し大人になった当方と妹が、テープが擦り切れそうなくらいに何度もビデオ再生した作品。
それからも何回もバットマンは映画化され。ノーラン監督版の『ダークナイト』
当方もあれは久しぶりに高まったバットマン映画でした。禍々しいけれど何だか薄っぺらかったジョーカーが。あんなに狂気に満ちたキャラクターに昇華出来るなんてと。
律義に説明しまくるノーラン監督の生真面目さと。何だかんだ陽気なマーベルと比較されて『陰気だ』と言われがちなDC。その社風?とも見事にマッチング。
(とは言え。『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト・ライジング』のかったるさは半端なくて。やっぱり『ダークナイト』だけが突出したという印象は否めない)
まあでも。どちらかと言うと好意的な意見が多かったノーラン監督版バットマンでしたが。
新しいシリーズ。ザック・スナイダー監督版。(今回途中降板)…正直、評判はいまいち。オールドシリーズ愛が溢れすぎて元々から辛口な当方ですが。でもやっぱり…どれだけ贔屓目に見ても…溜息を付き過ぎてしまう今回のシリーズ。
911以降の価値観。巨大で未知な敵と戦うスーパーマンに手放しで感謝を感じれなくなっていく民衆。どこからか現れる敵と。それに立ち向かうスーパーマン。派手な立ち回り。自分たちの住む町を破壊して。彼は本当に正義の味方か。自分たちの生活の場を破壊するという意味では、彼は『敵』と大差ないではないか。
自社ビルを含め。街を壊されたバットマンがスーパーマンに宣戦布告。まあ、ざっくり言うとそういう掴みの前作。…そして映画を最後まで観た当方の感想。
「こんなバットマンは嫌だ!」
そして今作。
スーパーマンを失った世界。
人類は覇気を失い。世界はまた混沌とし始める。そこで現れる、新しい敵ヴィラン。
そこに立ち向かわんとするバットマン。
スーパースターのスーパーマンは死んだ。あらゆる怪人や未知な勢力に対応出来たスーパーマン亡き後。地球を守れるのは誰か。人間の自分では最早太刀打ち出来ない。そこで集める、超人達。
バットマンを始め。ワンダーウーマン。フラッシュ。アクアマン。サイボーグ。4人のジャスティス達は。新しく現れた敵。ヴィランに立ち向かう。
「あかん…どこから書き出しても文句しか出ない…」良い所を見つけたいし、ネタバレも避けたい。そう思うのですが…。ですが。
「何かさあ。このヴィランがどうのこうのっていうレギュレーションが唐突やねんな。そしてDCらしさが無い。もういかにもマーベルが連れて来そうな、チープで魅力の無い悪役」
どうして地球を征服したいんですか?結構環境破壊も進んできたこの地球のどこに魅力が?あなたのバックボーンは?
アマゾン。海。そして人間。3か所に隠された箱。それらがヴィランの手に渡った時。世界は崩壊する。
「だから。人間と超人達が協力しなければいけないと。そうやって集まった仲間達」
バランス悪う~。本当にこのチームのバランスが悪いんですよ。
アクアマンの存在感の薄さ。今の所、嫌事を言うだけみたいなでっかいフォーク持ったおっちゃん。メカニカルな体を持ってしまった、根暗なサイボーグ。
「何故か皆が大好き」ワンダーウーマン。当方ですか?…「お前何か羽織れ!」
集中出来ないんですよ。周りのムキムキな男達が皆全身ピッチピチのボディスーツ着ている中で。何て恰好しているんだ。露出過多なんだよと。
偉そうな事言って。常に眉間に皺寄せて文句言ってきますけれど。煩い。
そんな中で唯一の癒しキャラ。フラッシュ。
ダンケルクを生き残ったあいつが。ダンケルクでは苦しさしか見せなかったあいつが。(あくまで別作品)表情豊かに皆を和ませて。でもしっかり働いて。愛嬌たっぷり。
そしてあのキャラ。(ネタバレはしませんので、ふんわりと表記)
そうなる展開は分かっていましたが。いましたが…「じゃあ前作って何やったの?」
声を荒げる当方。
「一人は皆のために 皆は一人のために」
三銃士の有名な言葉。意味合いは全く違いますが、この言葉の表面だけを取ったら、今回の作品に当てはまるなと思った当方。
明らかにパワーバランスが違うキャラクター群。4人が一括りになったとしても、たった一人のキャラクターとは力が違う。そんなの。なにが『チーム』だ。
「そしてバットマンよ…」
思えば遠くに来たもんだ。どうしてこんな事になった。貴方はイチ会社の社長で、正義感の強いコスプレ野郎。でも自分の住んでいるゴッサムシティを守っている、そういうキャラクターじゃなかったのか。いつの間に超人スカウトマンになったんだ。
しかも。皆で戦う時も、あからさまな老いぼれ感を見せるバットマン。痛々しい。
「馬鹿にされすぎなんだよ…」静かな当方の怒り。
「彼は20年以上も一人で戦ってきたんだから…」
何を知っているんだ露出過多姉ちゃんよ!!一人?!ロビンが居たやないか!!ロビンとはどうなったんだ!!
「ペンギンと戦っていた時が懐かしいですね」「まったくだよ!!」声に出して答えそうになった当方。
もうキリがないので閉めますが。まあ、案の定文句一杯で終わってしまった当方。
「そりゃあそうやろう。あのバットマンが忘れられへんねんから」遠い目で答える妹。
その通り。でも。でも。
それでも。バットマンが出てくる映画は観に行く。結局当方はバットマンが好きやから。
歪んだバットマン愛。次回も絶対文句を言いながら。観に行くだろうと思う当方です。
(余談ですが。バットマンに於いてのヒロインは彼女一択です)