ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「おじいちゃん、死んじゃったって。」

おじいちゃん、死んじゃったって。」観ました。
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森ガキ雄大監督作品。

彼氏とのセックスの途中に掛かってきた訃報。

父方祖父の唐突な死。とはいえそれなりに高齢。驚くほどでは無いけれど。

ボケボケのお婆ちゃんを残して逝ったお爺ちゃん。

 

「お爺ちゃんが死んだ」それなりに衝撃は受けたけれど。お通夜。お葬式。自分の親も久しぶりに会った親戚もやるべき行事はこなすけれど。あんまり悲しそうじゃない。

でも。自分だってお爺ちゃんが死んだと聞いた時はセックスをしていた。

 

 何だか気になって。でもなかなか鑑賞出来なかった作品。

満を持して。ようやく劇場鑑賞する事が出来ました。

 

 

大人になって。人の生死に関わる職に就いて。だから正直、この作品についても「甘いな」と思った部分はありました。はっきり言って生前関わりが無かった親族こそが色んな事に大騒ぎするといったセオリー。

残されたお婆ちゃん。認知症があって。一人では生きていけないお婆ちゃんに対し、あの父親のスピーディーな対応。それに冷たい、システマチックだというのか。じゃあ、普段関与していない他の兄弟の何も行動していない姿は美談か。およそ一人で生きていけないお婆ちゃんに、一人で死ねというのか。

 

「私はお爺ちゃんが死んだ時セックスをしていた」そこに引け目があって。何を言っても白々しいんじゃないかと、引け目を感じる主人公。

 

何を言っているんだと。兎に角冷たい当方。じゃあ、貴方はお爺ちゃんとお婆ちゃんが生きている時にそこに足しげく通ったのか。貴方は祖父母の家に比較的近くに住んでいるんでしょう?

 

親戚の死に目に会えなかった。でもそれは心から申し訳無いという気持ちじゃない。

「命が終わるときに、自分は快楽に溺れていた」その引け目。誰かが苦しんでいる時。そっと幕を引く時に。こんなの不謹慎じゃないかという気持ち。

 

「でもねえ。それでいいんだと思いますよ」

 

誰に対しても。数多の対象についても悔いの無い日々。明日己が居なくなったとしても、何の悔いも無いと言える人生。そんなの、誰が送っているというのか。

 

お爺ちゃんが死んだ。

 

動揺する親族一同。慌てふためいて。

お爺ちゃんが逝った。その時に。お爺ちゃんに見せられる自分では無かった。

妻子に逃げられた。早期退職させられた。遠くに居た。彼氏とセックスしていた。未来が見えなくて。そんな自身の事で一杯。こんなはずじゃなかったのに。

 

まあ。そんな深刻な感じじゃないんですけれどね。

 

喪主の長男が岩松了次男光石研。これだけでお楽しみなのに。歳の離れた妹に水野美紀って。どんな面白兄妹かよと。

案の定。通夜も葬式も。黒い汗流しながらどこかコミカルで。

でもそんな兄妹のじゃれ合いも。多分最後。コミカルな兄弟げんかに笑っていて。ふっと過る「お終い」の気配。

 

この家族に於いて、お爺ちゃんが死ぬという事は。一族にとって田舎の消滅に値する。

 

「誰が誰か分からない」状態になっているお婆ちゃん。そんなお婆ちゃんをずっと面倒見ていたお爺ちゃん。そのお爺ちゃんが居なくなって。一人になってしまったお婆ちゃん。

 

作中では、お通夜とお葬式を邪魔したり、かと言えば納棺の時に思いがけない声を出したお婆ちゃん。

 

お爺ちゃんとお婆ちゃんは一心同体。

お爺ちゃんが居なくなる時。お婆ちゃんもまた。一族の皆にとって遠い存在になってしまう。そういう選択をしたから。そして。お婆ちゃんにとっても最早繋がりの無い人達だから。

 

ボンクラの長男と次男が取っ組み合いのけんかをしても。何度もそんなシーンはあったのに。ずっと「どこのどなたか分かりませんが」と言ったお婆ちゃん。お爺ちゃんは認識しても。自身の子供も孫も分からなかったお婆ちゃん。

 

切ないなあ…。泣く当方。

 

当方の両親は、どちらも田舎の大家族の末っ子で。祖父母共、当方が産まれる前や子供の時、社会人一年目に他界しましたが。

 

「お婆ちゃん。いっつもくしゃくしゃのお金を小遣いにくれたよな」

 

主人公の弟の話にボロボロ涙があふれた当方。当方の両親の田舎はどちらも遠くて。祖父母とは夏休みにしか会えなかったけれど。お婆ちゃんはいつもお別れの時に泣きながらお小遣いをくれようとした。それを思い出して。

 

滅多に会えない祖父母が亡くなった時。田舎やし、家から葬式を出したけれど。そこで集まった親戚の事。男たちは酒を飲んで騒いで畳の上で寝てしまって。女たちはご飯を作って。だらしない男達にやれやれと溜息を付いて。故人を思ってしんみりして。子供達は何だか分からないけれど騒いで。そして。

 

あれからもう、全員が集まる事は無い。

 

(余談ですが。当方の田舎では夫が亡くなった時、妻は焼き場にはついていかない。家で待つという風習もあったみたいです。)

 

全体としてはどこかコミカルなのに。ふっとどこかを押されて、泣けて仕方ない当方。どうしたもんだか。

 

お爺ちゃんが死んだ時セックスしていた云々については、個人的にはかったるいなあと思っていたので。

お坊さんが当たり前な事を言ってくれて良かった。だって、生きるってそういう事ですから。

 

正直「今終わってもいいんじゃないの」「ちょっとここは要らないんじゃないの」「真夏に獅子舞が来るの」なんて。思ったりもしましたが。

 

思っている以上に…侮れない。気付いたら泣いていて。しみじみとしてしまう作品。見逃してしまわなくてよかったと思うばかりです。

 
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映画部活動報告「笑う故郷」

「笑う故郷」観ました。
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アルゼンチン映画。

ノーベル文学賞作家のダニエル。

しかし受賞後早5年。新作を発表するでもなく、バルセロナの豪邸で引きこもるダニエル。数多の講演依頼、作品の映画化等を軒並み断ってきたが…ふと紛れ込んでいた『故郷アルゼンチンサラスからの招待状』に思わず引き受けてしまう。

40年振りの帰郷。故郷の人たちの反応。そして田舎町ならではのゴタゴタに巻き込まれていって。

 

2016年ヴェネチア国際映画祭主演男優賞受賞も納得。主人公ダニエルを演じたオスカル・マルティネス。圧巻の演技。

理性的で常識人。一見とっつきにくい皮肉屋に見えて、実は情に深い一面もある。そしてアクの強い周囲の連中にもみくちゃにされる可愛らしさ。そんなダニエルというキャラクターを。もうダニエル自身にしか見えないリアリティーで演じた。

 

端的に言うと面白い作品でした。

 

当方は、初期の三谷幸喜作品みたいな(ラヂオの時間の頃)印象を受けました。

こう…「閉鎖的な環境と人間で織りなす、悲喜こもごものコメディ。出てくる役者は皆手練れの曲者で、全くストーリーにも無駄が無い」そういう感じ。

 

ノーベル文学賞を貰ったけれど。それによって自身の書きたいものが分からなくなってしまった。国際派だと持ち上げられても、結局自分の書く小説の舞台は常に故郷のサラスにある。

今回、サラスから『名誉市民』の称号を与えたいとの招待を受け。帰るきっかけを失ったまま40年も経ってしまった故郷に帰る事にしたダニエル。

 

またサラスという町が。えらい田舎なんですよ。

 

空港から迎えに来た車。長時間の移動…と思いきやエンスト。町の職員と過ごす羽目になった一夜。(あの本の使い方…笑いました)

やっと町にたどり着いたけれど。好意的な受け入れ。望んでいない大仰な待遇。でも悲しいかな、田舎故に野暮ったさは否めず。

とはいえ。好意を示してくれる相手に悪い気はせず。愛想よく大人の対応をするダニエル。

かつての街並み。旧友と。そして昔の恋人との再会。秘密のラッキーハプニングもあって。すっかり気を良くしていたけれど。

何故か帰郷に合わせて町の定例行事、絵画コンクールの審査委員まで依頼される。

 

「でも。40年も帰らなかった故郷の人達はこんなに純朴なのか?」

 

案の定。次第に歯車が狂い始め…結果とんでもない窮地に立たされる羽目になるダニエル。

 

余談ですが。当方の脳裏に過るあの人。『カズオ・イシグロ

イムリー過ぎて。今年度のアカデミー文学賞を受賞した氏。長崎県出身ではあるけれど。幼少期にイギリスに渡り。完全に現在の拠点はイギリス。と言うか彼はイギリス人。

「でも。氏の受賞で大騒ぎだった日本。もし氏が日本に来ることがあったら…」

…流石にこういう展開にはならないでしょうが。何だか似たような事をしそうな気がしてならない当方。

 

サラスの人達。こんな田舎に世紀の文豪がやってくる!初めこそ大騒ぎ。好意的に受け入れての大騒ぎ。でも…誰かが言い始める。「彼はよそ者だ」

何故40年も帰らなかった。両親が亡くなった時ですら帰っては来なかった。こいつはそういう薄情な奴なんだ。

ダニエルがこれまで書いてきた小説が、サラスが舞台である事は間違いない。ダニエル自身は否定するけれど、あの本に出てくるあいつは町のあいつだ。この本のこいつは俺の親父だ。そうやって時にはサラスを、そしてサラスに住む者を馬鹿にしてきたんだ。

この町の中での暗黙の了解。それにケチをつけてくるダニエル。ノーベル賞作家様はそんなに偉いのか?この町を捨てた奴なのに。

出迎えた時はあんなに笑顔だったのに。牙を剥き始め、雪だるま式に肥大する憎悪。手が付けられず。

 

また、こっそりと胸にしまっておいたラッキーハプニングの正体も最悪。しかも一番知られたくなかった相手に露呈。ひどすぎる。

 

「こんな所には居れないよ!早く逃げて逃げて!」焦る当方。そして案の定。

 

『笑う故郷』という邦題。原題は『名誉市民』で、正直当方もそのままで良かったのにと思っているクチですが…。

 

一体最後に笑ったのは誰なんですかね?

 

『笑う~』は単純に故郷に掛かっているんじゃないと思っている当方。(この邦題を付けた人物の意図を知らないので勝手な持論ですが)

 

「最後に笑ったのはダニエルだ」

 

ここまでの事態は予測していなかったでしょうが。故郷サラスを舞台にした作品しか書けなかった作家が、ただの郷愁だけで40年も帰らなかった故郷に帰る訳が無い。作家の武器はペンやぞと。転んでもただでは起きるものか。…けれど。

 

「もうダニエルに帰る故郷は無くなったんやな」

 

悲劇は最大の喜劇。

面白い作品を観ました。

 

映画部活動報告「IT/イット“それ”が見えたら、終わり」

「IT/イット “それ“が見えたら、終わり」観ました。
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スティーブン・キングの小説『IT/イット』。1986年発表。1990年のテレビドラマシリーズが高評価のホラー作品。

 

27年毎に現れる『ペニー・ワイズ』という子供さらいのピエロ。田舎町デリーを襲った連続子供失踪事件。それに立ち向かった13歳、『ルーザーズ(負け犬)・クラブ』の少年少女達7人と、27年後40歳大人になった彼等のお話。

 

テレビシリーズから。現実にも27年後の現在。装いも新たに。

13歳の『ルーザーズ・クラブ』視点。完全に『子供編』で割り切った今作品。

多くの先に観た者達が語る、「大丈夫やって」「そんなに怖くないって」「スタンド・バイ・ミーみたいな爽やかさも感じたって」と励ましの声を受け。

「エネナイッツ!」(当方なりのスタンド・バイ・ミーのあの曲)怖がり故に観るべきかどうか迷っていた当方でしたが…遅ればせながら観に行ってきました。

 

まあ…確かに当方が脳内で難しくし過ぎていた様な(表現しにくいですが)「お母さん、怖いから一緒に寝て」と幼い当方がべそべそ泣きながら言いに行く感じではありませんでしたが。

「何て言うの?音で怖がらせる系ではありましたよ」渋い顔をする当方。

いかにも「でるででるで~」というおどろおどろしい音楽、ちょっとやりすぎでしたよ!(ああいうの、直ぐ反応してしまうんで…構えてしまうんですよ)

ホラーとしての描写はストレート。冒頭からしっかり血とか見せていましたが。別に過剰ではない。途中で出てくる恐怖の象徴とされる『それ』のいくつかのビジュアルなんて寧ろチープで。「これで怖がるのは13歳だな」なんて思ってしまいました。

 

「13歳か…」

 

13歳当時。中学1年生か2年生。当方が怖かったモノは一体何だったんだろうかと。そう思っても、特に何も浮かばず。

「アホか!」中学生当方が顔を真っ赤にしながら立ち上がって来そうですが。

どんどん変わっていく自身の体と環境?それに追いつかない感情。子供じゃないという気持ちと、大人は分かってくれないという反抗心。そういう所ですかね?

 

それに比べると。ある雨の日。弟ジョージを突然失った、吃音を持つ主人公ビル。お調子者の眼鏡リッチー。喘息を始め。何らかの病気を持っている?エディ。神父の息子リッチー。そして途中から仲間に入るデブの転校生ベン。唯一のヒロインベバリー。肉屋の息子マイク。ルーザーズ・クラブの7人の特徴的な悩みと、その恐怖の対象。

 

不潔なモノを。いじめっ子を。気持ち悪い画(モジリア―二)を。肉片や手を。ピエロを。子供だけに見えるペニー・ワイズは彼らの恐怖に付け込んで姿を変えて。彼等に襲い掛かってくる。

 

彼等の中で、当方が嫌だと思った恐怖…やっぱり、ヒロインベバリーの恐怖と主人公ビルの恐怖。

一応ネタバレしないようにしたい…とは思っていますので。ふんわりさせますが。

 

「ベバリーの持つ恐怖に対する嫌悪感」

(ベバリー役の女子がまた凄くキュートなんですよ!)

子供だけに見えるピエロも嫌ですがね…彼女を取り巻く現実が堪らなく不快で。

 

余談ですが。子供時代、それなりに本を読んだ当方。高校生の時にスティーブン・キングも一作だけ読んだんですよ。『キャリー』を。

何故それを選んだのかは覚えていませんでしたが。多感な高校生には、あの血塗られた女子高生の話はきつくて…(また、キングのダラダラした文脈にも耐えられず)以降クリスティー読破!とか赤川次郎に舵を切ってしまった当方。

(何故なんでしょう。それなのに大人になった当方は定期的に『キャリー』を欲してしまうんですよ)

 

ベバリーの境遇。親からの仕打ち。学校での立ち位置。キャリーを彷彿とさせてしまって…今の当方なら観れますが。やっぱり眉を顰めてしまう。やるせなくて。

 

そして。主人公ビルの恐怖。「僕が怖いのは自分の家だ」

そりゃあ、あんなモノを見てしまうんなら。当方がビルなら一人では居れませんよ。

 

7人が各々持つ背景と抱える恐怖。そこに付け込んでくるピエロとの対峙を描きながらも。

 

7人が知り合っていく様。次第に生まれるチームワーク。俺たちは仲間だという連帯感。そして女子が一人居る事で生まれるドキドキ感。

恋した女子に絵葉書に詩をしたためて贈る。絵葉書の画だって出会った時の…でも…自分だとは思われなくて。目の前でいちゃつかれれる刹那。胸が苦しくて…。青春は残酷よのう!!(誰だよ)

 

そういう甘酸っぱい青春エピソードが差し込まれて。物語の緩急が見事。

 

最終決戦が何だか…駆け足感がするなと当方は感じてしまいましたが。

 

「こんなピエロが目の前に現れたら、多分ショック死。絶対にトラウマやわ」

ペニー・ワイズを演じたビル・スカルスガルド。素顔はイケメン俳優らしいですが。あんな動き、表情。

当方があの子役達なら一生のトラウマ案件。

(あのガレージのシーンは途中までリアルにやったらしいと何かで読みました。そりゃあ…ああなるわ!)

 

「少年少女達よ!多少は大人(特に警察とか)に頼りなさい!」「て言うかデリー警察は何をしているの?」「ああいう廃屋は防犯上でも問題やから行政に掛け合って潰してもらって!」「自転車はちゃんと道の隅に止めようぜ!」おいちゃん当方はやいやいと煩い事を言いますが。

 

「まあ…ピエロがしっかり怖いんやから。黙っとこうか」口を閉じる当方。

 

ところで。この作品で一番怖かった事『現実の映画館』

何故やったんでしょうか?当方が鑑賞している回の、トイレに立つ人の多さ。

暗い映画館で。おっかない音楽が「でるででるで~」と煽る中。ふっと視界を過る、リアルな人影。声を上げそうな位怖かったですよ。(しかも数人)

 

絶対に後編ありき。ルーザーズ・クラブの面々が27年後の『40歳編』

待ちきれん…大人になった当方なら…キャリー以来のキング小説を読もうか迷う当方です。

 

映画部活動報告「南瓜とマヨネーズ」

南瓜とマヨネーズ」観ました。
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富永昌敬監督作品。魚喃キリコの同名漫画の映画化。

主人公ツチダを臼田あさ美。恋人のセイイチ(セイちゃん)を太賀。ツチダの元彼ハギオをオダギリジョーが演じた。

 

ライブハウスで働くツチダ。27歳。同い年の恋人、セイちゃんと同棲中。セイちゃんはミュージシャンの卵だけれど、今は絶賛スランプ中。働かず。かと言って曲作りにも精を出さないセイちゃんにモヤモヤしながらも。

このままでは生活がままならないと、セイちゃんには内緒でキャバクラで働き始めるツチダ。

 

「あかんわ…」

生真面目に労働してきたおいちゃん当方、溜息。これはあかん。これは絶対上手くいかない恋。

 

「大体、男が働かんと夢だのを語って良いのは25歳まで」

何故か昔からそう言っていた当方。…まあ、老いたる現在の当方からしたら25歳だって十分子供ですが。

 

「私が稼いでくるから。セイちゃんは曲を作ってくれていたら良いから」

この典型的な、ヒモを養う女気質。愛する男を想う気持ちがおかしな所に行ってしまって。…そうして男は腐っていく。

案の定。毎日を無駄に過ごすセイちゃん。

遂には小遣い欲しさに愛人まで始めたツチダ。でも直ぐにセイちゃんに知られてしまって。それをきっかけに働きだしたセイちゃん。

そんな時。ツチダは自身が働くライブハウスで、元彼のハギオと再会するが。

 

「何でもない様な事が 幸せだったと思う」

 

正にこれ。どうして他愛もない日々が永遠に続くと思っていたのか。

恋愛の、楽しくて嬉しくて。一緒に居るだけで自然と笑顔になれた。そんな時はいつまでもは続かなくて。

相手を想うと苦しくて。好きだけれど、自分と居る事で輝けなくなっていく相手を見るのは苦しくて。

 

そんな時に再会する、かつての恋人。

 

「しっかしまあ。カッコいいだけで薄っぺらい男よ。でも実際にこういう男は女にモテるんよな」

 

現状の閉塞感に鬱屈としていたツチダ。ハギオと再会した事で思い出す、ハギオを想っていた気持ち。燃え上がって。

 

「ツチダよ…。あんたのそういう所が歴代の彼氏達との別れに繋がっているんやと思うよ」

勝手な人生相談員当方の、溜息交じりの診断。

 

作中、ハギオも言ってましたがね。「お前の好きっていう気持ちの押しつけが鬱陶しかったんだよ(言い回しうろ覚え)」そういう事ですよ。

どうせ数多の女の間を漂流するハギオはいいとして。現在の彼氏のセイちゃんだって「だってセイちゃんはミュージシャンなんでしょう」「私が働くから、セイちゃんは曲作りに専念して」「セイちゃんは今日一日何をしたの!!」「曲も作ってない!!」こんなの、しんどすぎる。

自身が属していたバンドがレコード会社と契約。しかも自分の居たボーカルの席にはグラビアアイドル。かつての仲間達の音楽性がブレブレになっていくのを目の当たりにして。彼等を馬鹿にしながらも、じゃあ俺はどうするんだと、どうしたいんだともがくセイちゃん。そうやって苦しんでいる所に追い打ちを掛けてくる恋人。

 

「じゃあ。そんな状態の恋人にどう寄り添うのがベストなんですか?」「知るか!!」

ハイと手を上げての質問に即答する、人生相談員当方。そんな経験無いし。こちとら恋愛マスターじゃないんだ。

 

勿論セイちゃんが大好き。でも「こういうセイちゃんが好き」とグイグイと『私が好きなセイちゃん像』を押し付けてくる。…そりゃあ駄目になってしまうよ。

 

「でも。恋って器用に出来るもんじゃないからな」ぽつりと呟く当方。

 

もう終わりかけていた。でも。実際に終わるとなると二人で過ごした時の、楽しかった所ばかりが頭の中を駆け巡って。キラキラが止まらなくて。

 

最後のセイちゃんの歌。その優しい歌声に涙が出た当方。

 

当方の大好き女優の一人である、臼田あさ美。これは現時点での彼女のベストなんじゃないかと思った作品。そして太賀。オダギリジョーも。もうキャスティングが完璧すぎて。

 

映画を観てから暫くの日にち。ぐずぐずと感想を送れずにいたら、映画部部長から「南瓜とマヨネーズ良かった」「臼田あさ美のお尻」「太賀君注目」「オダギリジョーの卑怯さ」等の映画部活動報告メールが到着。

「知っとるわ!!」と即返事してしまった当方。


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映画部活動報告「ノクターナル・アニマルズ」

ノクターナル・アニマルズ」観ました。
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トム・フォード監督作品。

アートディーラーのスーザン。夫、一人娘の家族構成。とはいえ娘は独立。夫の事業はジリ貧で末期状態。夫婦仲は冷めきっていて。

そんな中。かつて学生結婚し、直ぐ様離婚した前夫(小説家志望)から20年振りに届いた小包み。中身は小説。

「スーザンに捧ぐ小説。是非とも読んで欲しい」

思いがけず暴力的な内容。スーザンはその小説にぐいぐいと引き込まれていって…。

 

主人公スーザンにエイミー・アダムス。元夫エドワードにジェイク・ギレンホールを於いて。

 

「一体エドワードはスーザンに何を伝えたいのか。愛か?それとも…」

 

トム・フォード作品と言えば『シングルマン』。エレガントの代名詞と言っても過言ではないコリン・ファースを終始愛でる作品。
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(勿論当方のiPad内にも入っています)

 

美しい。でも。決してそれだけでは無い、そんな前作から。期待を込めて観に行きました。行きましたが。

 

冒頭。アートディーラースーザンの扱う『アート』の披露。…当方は露悪的に感じました。

身も蓋も無い言い方をすると「こういう醜い人たちがこんな動き云々」ですか?…確かに彼女達は美しくないけれど。かと言って笑われるいわれも無い。

(作中で見せられるスーザンの扱うアート作品の幼さに違和感を感じた当方…特に目新しくも無いし)

 

まま成功したお金持ち。自身の事業は安定。ハンサムな夫と娘。インテリジェンスの高い、一見満たされた生活。でも。

 

蓋を開けてみれば。経済的にも精神的にも破綻しかけている夫婦関係。危なっかしい経営状況。

 

そんな時。送られてきた、元夫からの『スーザンに捧ぐ』小説。

 

 夫、妻、娘の三人で。休暇を楽しむため夜間走らせていたハイウェイ。

夜中。暗い道で。遭遇してしまった、最悪の煽り運転。かわせなくて。最悪の結果に導かれた夫。亡き者になってしまった、愛する妻と娘。

あの夜の事を。決して泣き寝入りしないぞと。地元警察官とタッグを組んで犯人を追い詰める夫。

 

そんな主人公の視点で進む小説。その世界に何故か激嵌りするスーザン。

 

「でも。どこまでその小説世界に自身がフィットするのかというと…別にスーザンとエドワードにそういう思い出がある訳では無いんよな」

 

さくさく話を進めますが。

 

「つまりはスーザンの虚栄心、傲慢さへの元夫からの復讐ですよね」

 

実際は驚くほど惨め。一見成功している事業のワンマン振り。(実際、スーザンが扱っているのは当方には中二的であからさまな作品に見える)冷え切った夫婦関係。疎遠な娘。

そんな中で。『今思えば素朴で誠実であった元夫』からの小説。

 

一緒に居た時にも青臭い小説を書いていたけれど。現在のすっかり成熟した彼に依って描かれた小説は、あの頃とは違う。読み進めるにつれて『こちらを選んでいたとしたら~』という、たらればがどんどん押し寄せてくる。

 

「しかもエドワードは今度会って感想を聞きたいとまでメッセージを送ってくる。これってあれなの?まだ私を想っていてくれているって事?あんなに酷い事をした私を?」

 

スーザンふざけるなと。冷たい当方。

 

「近年のギレンホールに外れ無し」
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元夫。尚且つ小説の主人公である彼の演技は流石でしたが。

 

「あれやな。小説世界のチンピラを演じた『アーロン・テイラー・ジョンソン』。あの憎たらしさよ!…最高やった!」
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 もう何もかもが憎たらしい。飄々としていて、尚且つ狡猾。

 

「あの夜のハイウェイのシーンの怖さ。一本道とは言え、そもそも外灯一つ無いあんな道を夜に走ろうっていうのが怖いわ」案の定。あんな輩に遭遇したら…終わりですよ。
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小説の世界は荒々しい展開を見せるけれど。それを追うスーザンの住む現実の薄っぺらい事。ハイソな生活。綺麗なモノに囲まれて。けれどそこには生活感は無い。人間関係にも血が通わない。およそ楽しみを見出せない、そんな環境。でも。

それを築き上げたのはスーザン自身。

 

「後ねえ。エイミー・アダムスってナチュラルでこそ映える女優さんやなって確認したな。はっきり言って、厚化粧も服装も全然似合わない。老けて見える。」
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観も蓋も無い意見なんですが。正直、当方がこの作品に嵌れなかった最大の理由。

エイミー・アダムスが綺麗に見えない』

回想シーンでの彼女は良かったですけれど。如何せん、全体からは彼女の魅力は伝わらず。

 

「まあ。そうやって変わっていったスーザンを。虚栄心の塊で醜いモンスターになった彼女を表しているのだとするなら…確かにあの冒頭にも繋がるんやけれど。」

 

最後は非常に納得のいく着地。そりゃあそうだろうなと。この結末ありきで書かれた小説なんだから。…随分と手間の掛かる事をするなあと、となるとエドワードも大概な奴だなあと思ってしまいましたが。ともあれ。

 

「別れた相手から送付けられた何かなんて碌なモノじゃないよ。絶対に目を通すな!」

 

その教訓だけは、しっかりと受け取りました。
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映画部活動報告「ブレードランナー2049」

ブレードランナー2049」観ました。
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「1982年公開。ブレードランナーの。35年振りの続編。」

2049年。LA。環境破壊が一層進み。今や地球は貧困と病気に溢れたディストピア

世代交代を繰り返したレプリカント達。かつてレプリカントを製造していたタイレル社の倒産後を引き継いだウォレル社。「あくまでも人間に従順な」レプリカントを造る事をモットーとし。

ある事件を追っていた、LA市警のブレードランナー『K』。

そこで次第に明らかになっていく「30年前に起きた出来事」「そこから産まれた奇跡」「ウォレル社の企み」。

 

Kをライアン・ゴズリング。そして30年前に姿を消した、元ブレードランナーデッカードを前作と同様ハリソン・フォードが演じた。

 

35年振りの‼…とは言え、前の週に『ブレードランナー ファイナル・カット』を観たばかりの当方の記憶は鮮明で。

 

確かに続編。世界観の下地は同じ。同じだけれど…。(小声)正直、当方は1982年版の方が好きです。

 

思えば遠くに来たもんだ。随分と綺麗で高尚な所に連れて行ってくれたもんだなと。

 

前作の監督リドリー・スコットが今回製作総指揮。監督は『メッセージ』の記憶も新しいドゥ二・ヴィルヌーブ。

語れる程ドゥ二監督作品を知っている訳ではありませんので。何となく「こういう抒情的な作風なのかな」と思っているのですが。

 

ところで。前作でも思ったんですが。

 

「何故こういうレプリカントを造ったんやろう」

 

環境破壊が進んで。人類は新たに宇宙開拓に目を向ける。その開拓に携わったのは遺伝子工学に基づいて造られた人造人間『レプリカント』。

 

「そもそも何故宇宙開拓の為に『人型ロボット』を造ったんやろう?もっと効率よく作業できるロボットでいいやん。」

 

しかも。驚異的な事に、レプリカントには一定の期間を経ると『感情』が出てくると。オズの魔法使いでブリキの木こりが切望した『心』があるロボット。

「感情があるなんてそんなの…そんなの造れるって、神の領域やないの」

何故作業効率を挙げる事を目的としたデヴァイスに感情を植え付ける?…ましてや植え付けていなくて自然発生するのなら、それは最早生物であってロボットでは無い。そりゃあ「俺たちは奴隷か」と反乱しますよ。

 

前作で。「兎に角長生きをしたい」と願ったレプリカント。そして30年の時を経たレプリカントの願いは…「それをやったら人間とレプリカントの境界は無くなる」という壮大で絶対に越えてはいけないもの。けれど。

 

どうやら奇跡が30年前に起きていた。それを探るKと、Kの行動を注視し続けるウォレル社。

 

人類にとっては末梢したいタブー。けれどレプリカント側にとっては希望。

 

日常生活がレプリカントに依って支えられている事は自覚しているけれど。レプリカントに対して『人間もどき』と悪態をついて嫌悪感を見せる人類と。一見従順であるけれど、人間との境界を無くしたいと願うレプリカント

 

「でも。俯瞰の立場で考えてみたら。今も昔もレプリカントの願いって自然の摂理なんよな。昔の『長生きしたい』だって。今回のやつも『人類の繁栄と叡智』と同じ。そりゃあ感情があって姿形が同じなら考える事も似てくるよ」

 

「1982年版もそうやねんけれど。寧ろ人類の視点は殆ど無いからな…」

ウォレル社の『ラブ』とんだ天使。

今回に至ってはホログラムキャラクターまで登場しますからね。(また可愛いんですよ)

前作に続いて、またもレプリカントに肩入れしてしまう当方。

(ところで。『レイチェル』の別格さ!やっぱり滅茶苦茶綺麗)

 

「まあ。デッカードが邪魔なのは昔も今も変わらん」

 

ハリソン・フォードが出てくるまで。延々引っ張っていましたけれど。「またあんたの所為でややこしい事になってるやないの!」冷たい当方。

人類にもレプリカントにも。いつだってデッカードは皆を引っ掻き回すジョーカー。(あくまでも当方視点です)

 

話が進むにつれて、散々(心身ともに)傷つけられていくK。「もう今年で何回ライアン・ゴズリングの踏みにじられた表情を見た事だろうか」たれ目の犬顔ゴズリングに心を痛める当方。そして思い出す、1982年版のロイの言葉。

「俺たちは雨の日に流す涙だ」切ない…。

 

1982年版の偉大さ。それはやっぱり「1980年代にあれだけの近未来を見せた」独特な世界観。発想と技術そして表現。そのトライアングルがバシッと決まっていた。その面白さ。

 

「そう思うと今回の作品には目新しいモノは無い。前作のわちゃわちゃした猥雑さも無い。寂寥感は増していたけれど…全体的に小奇麗、スマート過ぎる」

 

「ふたつで充分ですよ!」今回もあるかと期待したんですけれどね。

 

正当な続編。映像技術が進化した現代の澄んだ映像。豪華な役者陣。118分の前作からぐんと伸びた163分。それらの世界を見届けて…改めて1982年版を愛おしく思った当方。

 

きっと頭の中で思い描いていたモノとは違うモノが出たからですかね。これはこれで見た目が素敵で美味しいけれど、当方が食べたかったモノとは違う。

当方が食べたかったモノ。もっと歪で不格好で。でもとびきり美味しい奴。

 

とは言え。これ以上の続編は蛇足。此処で終わるのが綺麗な幕引き。

 

「ふたつで充分ですよ!」

 

 

映画部活動報告「ゲット・アウト」

「ゲット・アウト」観ました。
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NY在住のアフリカ系アメリカ人、クリス。付き合って約半年の彼女ローズは白人女性。

ある週末。ローズの実家に泊りがけで遊びに行く事になったクリス。「家族に彼氏は黒人だって言ってないの?」不安を抱きながら向かう道中。追い打ちをかけるような気の滅入る事故にもあって。でも。

不安とは裏腹に。実際には、ローズの家族に大歓迎を受けたクリス。拍子抜け。

でも何だか落ち着かない。過剰なまでのローズの家族の受け入れっぷりと、使用人の黒人二人の不気味な表情と動作。落ち着かない。何だか気持ち悪い。

翌日。ローズの亡くなった祖父を偲ぶ会が行われる。集まる、スノッブな白人たち。

彼等もまた、一応にクリスを受け入れ好意的ではあるけれど…。

そんな時。客人の中に唯一黒人男性を見つけたクリス。思わずスマートフォンで写真を撮ったところ。それまで温厚であった彼は鼻血を流し、クリスに殴りかかってきて…。

 

『ヴィジット』系映画。

 

2015年。M・ナイト・シャマラン監督作品『ヴィジット』。
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「初めて会うけれど。お爺ちゃんとお婆ちゃん。ボケてるの?それとも…ヤバいの?」

「シャマラン復活」と言われたスリラー映画。当方も大好きお婆ちゃん。怖ええええ。

…という感じの流れ。

 

「初めて会う彼女の両親と弟。しかも白人一家。…そんな事あって欲しくないけれど、黒人である自分に偏見や嫌悪を抱かれたらどうしよう。そんな家族だったらどうしよう」彼らが白人至上主義だったらどうしようと。不安で。多民族国家に属さない当方にはピンときませんが…そういう無意識の差別に心を痛めた事があった主人公クリスの。憂鬱な彼女宅訪問。

 

オバマを支持していた。彼に三期目があったらまた入れていたよ。」笑顔で。そういって握手を求めてくる。ローズの父親を初め。翌日集まった白人連中もこぞってクリスに近寄って興味津々。「凄い筋肉!!」「やっぱり…あっちの方も強いの?」何だか…馬鹿にされているのかと、うんざりしてくるクリス。

 

しかも。ローズの家の使用人が黒人という「典型的な古い白人家庭」という構図。一応の説明はなされるけれど。彼らの待遇をどうこう思う以前に、彼等は不気味で気持ち悪い。

(あのメイドの顔芸は秀逸)

 

「また。ローズの家族そのものも何だか気持ち悪いんよな。」

脳神経外科医の父親精神科医の母親。そして医大生の弟。一見インテリな家族だけれど。

「禁煙したいなら彼女(母親)に催眠術を掛けて貰ったらいい。もうタバコを見ただけで吐きそうになるよ」

別に希望はしていなかったけれど。夜眠れなくて。何となく受ける羽目になった催眠術。そこで見た、果てしない闇の世界。

 

「彼女の家族も、使用人の黒人たちも。ここに集まった連中も。何もかも気持ち悪い!居心地悪い!帰る!」そうして立ち上がって出ていこうとした途端…暗転。

 

「持つべきものは、頭の切れる友達だよ…」呟く当方。

 

中盤以降。これまで積み重ねた『不気味な引っかかり』が。四隅を取られたオセロのごとくパタパタとひっくり返されて。一気に見せた『闇の世界』。

 

ああ~。でも。こういう風になるよなあ~。そう思う当方。ですが。

 

あの運輸保安局勤務の、クリスの友人。
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(黒人で肥満男性)あの、ウィットの効いた友人のナイスキャラに随分と救われたこの作品。

 

「ところであの手術何なんですか」

それ以上はネタバレになりますんで。それ以上には説明しませんが…しませんが。

「ところであの手術何なんですか」

 

当方の隣に座っていた、見知らぬ女性が「わっ」と言いながら身をよじっていましたが。「あんな手術は無いぞ」と彼女に言ってやりたい当方。「ここは笑う所だ」と。

 

「自宅に手術室。どういう設備環境?そして誰が麻酔を?そして手洗いをして清潔になってからマスクを引っ張り上げるあの人。一気に不潔。そしてあのシャンプーハットみたいなやつ、何?…ああ。血よけか。実際そんなの無いけれどな。そして。」

そしてそして爆弾炸裂。それまではまだ大人しく観ていたのに。突如はじける当方。

 

「医療的に可能と謳った『ムカデ人間』を見習え!やるならきちんとやれ!(まあ、絶対にあそこだけは移植行為はありませんけれど。死にますから)」

 

黒人男性の主人公の。「彼女の白人一家にご挨拶」そんな気の重い案件を。どう転がすのかと思ったら思いがけない方向に話は転がって。とんでもない方向に着地。もう笑うしか無くて。

…こういう書き方は誤解を招きますが。あくまでも当方は好きなタイプのお話でした。

 

まあ。音楽も「いかにも脅かす感じの」やつがふんだんに盛り込まれていますので。きっちり驚くべき所にはびくっとさせられて。

 

「ともあれ。あのメイドの顔芸。それは観て損はしないかと」
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 今でも。思い出したらニヤニヤが止まらない、そんな当方です。