ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

マンチェスター・バイ・ザ・シー」観ました。
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2017年米アカデミー賞主演男優賞脚本賞受賞作品。

 

「しみじみと胸に染み渡る」「必ずしも人は無理やりに前進しなくても良いんだと思った」「兎に角素晴らしい」

公開後。一気に溢れた皆さま絶賛の声。何故かなかなかスケジュールが合わなくて。公開から随分経ってからやっと、観る事が出来ました。

 

「これは…心が弱っていたらえぐられるやつか?」なんて、ちょっと構えてしまいましたが。

 

「ああ。これは…凄く静かな作品やな。そして主人公リーの気持ちに痛いほど共感出来る」

観ている者に寄り添う映画…では無く、観ている者が寄り添う映画。

 

ボストンでとある集合住宅の便利屋をしているリー。男やもめ。腕は良いがぶっきらぼう。ひっそり誰とも関わらずに生きていた。

そんなリーに突然舞い込む、兄ジョーの急変。兄は随分前に心臓の持病が発見され、何度も入退院を繰り返していた。急いで故郷のマンチェスターに向かうが、結局ジョーの死に目に会えず。遺体とのご対面。

ジョーは離婚し、一人息子の16歳、パトリックと暮らしていた。

ジョーの遺言から「リーにパトリックの後継人を頼む」との内容があり。全く知らされていなかったそれに、動揺するリー。

パトリックと住むためにはリーはマンチェスターに戻らなければならない。

しかし…リーにはマンチェスターには戻れない理由があった。

 

「家族を失うという事」

当方は父母、妹の4人家族で。悲しいかな、当方も妹も独身貴族なので、もしこのままの家族構成で進んで、4人の家族の内誰かが減っていく…それを考えただけで胸が苦しくなりました。

かつて一緒に暮らしていた白猫。18年の寿命をきっちり生きてくれたのですが、彼を失った時「もう二度と笑えないだろう」というほど打ちのめされた当方。

でも。不思議な事にその白猫に対して「ああしてやれば良かった」という後悔は微塵も無くて。最後に彼が弱った時の対応すらも、今でもたらればは無い。

なので「もう会えない事が寂しい」という一点の悲しみ。でもそれは当方の心を強く強く刺したり締め付けたりした。(今でもそういう気持ちに時々なります)

でも。やっぱり「時が解決してくれる」

悲しくて。やるせなくて。こんなにも思っているのに会えないなんて。そう思っている気持ちは、時の流れがゆっくりと宥めてくれる。また笑える日は来る。

 

ただ。その「時」には個人差がある。

 

確かに脚本賞だなと感心した、細やかで交差した展開。何故今のリーはこんなにも心を閉ざしているのか。それをゆっくりと丁寧に描いていく流れ。

リーにも愛すべき家族が居た。笑い合って。馬鹿な事が出来る仲間。兄ジョーと、その息子パトリックとの船に乗って。そんな楽しい日々。なのに。

「ああ。こんな事が」中盤。リーに起きた事の全貌が明らかになった時。息を呑んで…そして溜息を付いた当方。これは辛い。辛すぎる。

 

「神様いっそ自分を殺してください」

 

でも。リーは死ななかった。その代わり、彼の心の中の何かが死んだ。

辛すぎて。もうマンチェスターには住めない。ボストンに引っ越して。それをずっと後押ししてくれたのがジョー。自分だけじゃない。町の皆からも好かれる人格者。

 

甥のパトリック。「おいおいお前…」と言わんばかりのリア充。彼女?も二人居て。アイスホッケーにバンドとモテる要素満載。友達も多くて。

 

「お前の親父が死んだんじゃないのか」と思わずツッコミそうになる、通常運行の生活を送るパトリック。

でも。彼だって傷ついていない訳じゃ無い。それが分かった時、何だかほっとして。パトリックが愛おしくなった当方。

 

マンチェスターに残って今まで通りの生活をしたい」というパトリックと「とてもじゃないけどマンチェスターには住めない。ボストンに戻りたい」というリー。

ジョーだって、リーが後継人としてやっていける様にと多くの手はずを生前に整えていた。便利屋だってそんなに思い入れのある仕事じゃない。正に「リーの気持ち次第」の状態。

リーだって、パトリックの気持ちを踏みにじりたい訳じゃ無い。甥が可愛くない訳が無い。でも。どうしても辛い。自分の居場所はここ(マンチェスター)には無い。

 

そこで再会する、元妻ランディ。

 

「恐らく、この気持ちを近い所まで共有出来ていた妻が。前に進んでいる」

この孤独感。絶望しかない、孤独。でも。

 

再会から暫く経って。妻とばったり道で会って。実際に話をした時。間違いなくリーは救われた。

(当方の涙腺決壊)

 

悲しみを乗り越える。容易い言葉ですが。「乗り越える」という事は「何もかも忘れる」事では無い。

悲しみを抱えながらも、日常をこれまで暮らしていたレベルに近い所まで持って行く事。その時間や進み方は個人差があるし、一人で立ち上がれる人が居れば、誰かの後押しが要る人も居る。立ち上がれない人も居る。でも。

 

リーは立ち上がれる。これはそのはじまりの話。

 

パトリックが操縦する船に乗って。そこで初めて笑顔を見せたリー。

リーの閉ざされた心が少し開いた、そんな終盤。

 

リーが決断した判断が、確かにベストアンサーであったと思った当方。

 

リーがパトリックに言った。いつかそんな未来が来たらいいなと。

そう願わずにはいられません。

 

映画部活動報告「光」

「光」観ました。


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すっかりカンヌ映画祭の常連。河瀬直美監督最新作。

 

映画の音声ガイド製作会社で働く主人公、美佐子。

現在もとある映画作品の音声ガイドを製作中。出来上がった試作品を、実際に視覚障害のあるモニター数名に観て(聴いて)もらい、彼らから率直な感想を受けて。そんな作業を繰り返し、映画館で上映出来る段階まで推敲していく。

その過程の中で。主には気難しい弱視のカメラマン中森雅哉との関わりから。単調な日々の中でくすぶっていた美佐子の気持ちが動き始める。

 

「何故当方がこの作品を観ようと思ったのか…水崎綾女さんが出ているからだ!」

 

特撮にはとんと疎い当方ですので。彼女の特撮時代の御活躍は、残念ながら知りません。ですが。

 

「赤×ピンク」あの衝撃。


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 2014年公開。桜庭一樹原作。坂本浩一監督。まあ…キャットファイトに生きる女性たちが舞台の映画。

 
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あの作品自体は…何だかもう観ている最中から恥ずかしさで一杯になりましたが。

兎に角そこで「ミーコ女王様」を演じた水崎綾女さんがもう…目が離せなくて(エロじゃなくて、良い意味で)それ以降も彼女には注目し続けていました。

 

「そして今回の大作ヒロイン。胸熱」これは観に行かんとあかんなと。

 

そして今回鑑賞し。やっぱり安定の演技力だなと感心し。でもこれからは売れっ子になっちゃうんやろうなあ~と何だか寂しくなっている当方ですが。

 

「この作品の持つテーマの多様性」

「障害者と健常者。その関係性」「人として足りないモノとは何なのか」「してやっている。してもらっている。どちらの言葉もすんなり浮かんでしまう心理」そんなややこしい、あんまり皆が踏み込まないようにしているグレーゾーンに目を向けた作品なんだなあと思いました。

 

まあ、こう羅列しても訳が分かりませんので。ちゃんと書けるのか不安ですが。当方が感じたままにつらつら書いていきたいと思います。

(「障害者」「健常者」という言葉に神経を尖らせる人達が居るのは知っています。ですが当方は今回この表記で進めさせて頂きます。この話をすると長いし、それは本意では無い。そして当方はこの言葉に悪意は全く持っていませんので)

 

当方が普段映画上映時間を確認する時。時々「日本語字幕付き上映」と表示されている回があり、それが聴覚障害がある方達にとって利用しやすい回である事は知っていました。

ですが、視覚障害のある方たちについての映画の楽しみ方は、今まで全く知りませんでした。

どうしても映像というものは、特に「視覚」からの情報が多くを占めていて。もし当方が映像が流れている場所で目を閉じていたとしたら。その内容は殆ど分からない。そう思います。

その見えない世界に。何かしらの情景を浮かび上がらせる。それが音声ガイドなのだとしたら。そんなアシストが出来るなら。それは確かに素晴らしい仕事。…でも。

 

「それは観る(これから『観る』で表現を統一します)相手が望んでいるものにフィットしているのか」

 

映画の元々のテンポ。人物達の会話や動作音。環境や物体の発する音。そこに不自然でない間で音声ガイドを入れる。と言ってもそれは「ナレーション」では無い。

ただ映像の中で起きている事象を羅列してはうるさいだけ。しかもその事象はどう表現すれば観る者達に伝わるのか。その匙加減が分からない。それをモニター達に聞いて刷り合わせていって。これなら分かるかなと訂正すれば「余韻が無い」と言われてしまう。これは難しい。

 

しかも「折角の映画から受け取っている感情を、言葉が駄目にしてしまう」(言い回しうろ覚え)これは泣く。音声ガイドを生業としているなら泣いてしまう言葉。でも。

 

「音声ガイドを付けてくれているのは有難いので…思っても言い出しにくかった」というあるモニターの声に「それを口に出してくれるのは絶対に貴重だ」と思ったり。

 

「こんなにも貴方達に寄り添いたいのに!」そんな言葉は作品にはありませんでしたが。こんなに何回も同じ作品の試作を繰り返して。毎度毎度すっきり終わらない。どうすれば皆に受け入れられる表現が出来るのか。こんなに一生懸命そう思っているのに!その無意識で悪意の一切無い「してやっている」という心理。

そして「こんなに頑張ってくれて。そもそも映画を観る機会を作ってくれているだけでも有難いんだから…」という「してもらっている」という心理。

 

でも。どちらもそこで相手を思って言葉を飲み込んだら。もうその両者には分かり合える時等来ない。どちらも傷つくのは必須でも。自分を分かってもらいたいなら、そして相手を理解したいなら。黙ってはいけない。

 

永瀬正敏演じるカメラマンの中森。有名なカメラマンで。でもどんどん視力を失いつつある。彼は「視覚障害者」でもあるし「ぎりぎり健常者」とも言える。そのバランスの均衡は崩れつつあるけれど。そして何より彼は「表現者」である。

 

もがく美佐子に、毎回辛辣な言葉を投げかけて。随分美佐子を苦しめるけれど。彼は意地悪でそういう態度を取っている訳では無い。

 

「ああ。彼は『表現者』だから。だから『この作品がどう受け止められるのか』『表現者の言いたい世界を伝えられてるのか』が気になっているんだな」当方はそう思いました。

 

健常者だとか。障害者だとか。個々のパーソナルに違いはあっても。人として何かが劣っている訳じゃ無い。

元々作品側の伝えたいメッセージ自体は、如何なる対象に対しても変わらない。(受け取る側がどう捉えるのかは自由ですけれども)でも。作品の持つテーマを。世界を伝えるアシストをする仕事だと。そう謳ってやっているのなら。それは最大限の努力が必要じゃないかと。

 

だから。美佐子が放つ「中森さんは他の皆さんと違って、少し見えているから」「どういう言葉なら分かるとかじゃなくて。見える見えないじゃなくて、それは中森さんの想像力の問題なんじゃないですか」という発言の無神経さには衝撃と嫌悪が隠せず。

 

そして。作品の中で音声ガイドを付けていた映画監督の「貴方にとって映画とは何かね」という言葉に「映画には人を明るくする力があります」(肝心なセリフなのにうろ覚え)といった感じから始まる薄っぺらい美佐子の回答に震える当方。案の定監督は何も語らず。

 

「映画って~」って一言で語れる訳が無い。当方だって何者でもありませんがそれは分かる。確かに元気が出る映画や楽しい映画はある。うって変わって悲しくなる映画や腹が立つ映画…そして寄り添う映画。

 

「でも。何かの世界を感じたくて。それがワクワクするから。楽しくて止められなくて映画館に通ってしまう」当方にとって映画とはそういうもので。

 

この作品に一つ当方が不満だった点。それは「そもそも何故美佐子は音声ガイドの仕事を選んで就いたのか」それがよく分からなかった事。(見落としているなら謝ります)

「映画が好きだから」「(嫌味な意味では無く)献身的な性格から」それとも「何となく就職先がここだった」これって結構美佐子のキャラクター背景として重要じゃないかと思いましたが…映画本編からはよく分かりませんでした。

(もう一つ言うと両親との関わりも中途半端かなあ…いや、言いたい事は分かるんですけれど)

 

ふわふわしていた美佐子が。一つの作品を文字通り皆で作っていく中で。きれいごとでは済まない言葉。感情に揉まれ。そして一緒に足掻く人と肩を並べて。一緒の景色を見て。思いを共有した。

永瀬正敏扮する渾身の中森と。水崎綾女扮する美佐子が何とか着地したラスト。

 

そしてその音声ガイドの映画上映会。

 

「ほうらな。映画館でワクワクして座席に座る人々。この表情。映画の楽しみってこういう事なんやで」

 

どんな人であっても。皆が映画を楽しめる。確かにその作業は困難で苦しいものなんだろうけれども。

 

一番最後の言葉。

それはこの映画そのものでもあったと、当方は思いました。

 

映画部活動報告「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」観ました。


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ダークなイタリア映画。

「街のしがないゴロツキが。大切な女性、守りたいものを見つけて。そして心に傷を負って。孤独なヒーローになっていく」

日本が誇る漫画家永井豪の「鋼鉄ジーグ」日本では1975年~1976年のわずか10か月しか放送されていないのに。1979年イタリアに渡り。イタリアで今でも根強い人気を誇る「スーパーロボットアクション」アニメ。

色んな資料を継ぎ合わせた、当方なりの説明…からもお察し下さい。当方はこのアニメを知りません。…そりゃあそうやろう!生れてないし!当方は藤子不二雄系アニメで育ちましたが、こういう系統には触れなかったんで。そりゃあ無知ですよ!(逆ギレ)

たった二人で構成される、当方の属する「映画部」その映画部部長。(中年)もこの作品への期待値が半端なく。「だって鋼鉄ジーグやぞ!」それと共にロボットアニメについての講釈をされては堪らんと一瞬身構えたり…もした当方でしたが。(この下りについては何の広がりも見せませんので以降省略します)

まあでも。そんな「鋼鉄ジーグ」を全く知らない当方が観ても、全然しんどくない。

寧ろ「こういうヒーロー誕生ものは凄く好きやな」と素直に感じる作品でした。

 

「そもそもイタリア映画でヒーローものってあったっけ?」

 

いや。皆無では無いでしょう。当方が知らないだけで。当方は別にイタリア通な訳でも、イタリア映画を語る術も何も持たないのですが。ですが。

 

「イタリア映画って、当方の中では良くも悪くもイメージが固定されているんよな。『超巨匠作品』か『底抜けに明るいやつ』か」

黄色と水色と白色が強くて。出てくる人たちは皆陽気。海を見ながらワイン片手に大皿料理食べて。何故かそんなイメージ。

でも。勿論、そんな明るい奴ばかりじゃない。

 

不景気で。治安の悪い街。テロが多発する世の中。

ずんぐりむっくり。さえない主人公、エンツォ。しがない街のゴロツキ。チンケな窃盗をして、そのささやかな金での楽しみ?はヨーグルトを食べる事とエロDVDを見る事。

冒頭。盗みを働いた後追いかけられていたエンツォ。逃げ場を失い川に飛び込んだ所、放射線廃棄物(不法投棄)に全身浸かってしまう。その後。大層な体調不良の後、突如手に入れてしまった「未知のパワー」

と言っても。超能力云々では無い。体が正に鋼鉄並みの固さを持ち…後はまあ平たく言えば驚異的な力持ちへと変貌。

「そんな力を得たら…なのにその運用が『ATMごと盗む』というエンツォの犯罪者心理。(しかも頭悪いやつ。そんなお金、使える訳が無い。しかも防犯カメラに思いっきり映っているし)」

結局そんな発想しかないエンツォ。普段の犯罪をスケールアップさせる位しか出来なくて。

 

「そこで絡んでくる、ヒロイン『アレッシア』」

エンツォと繋がりのあったゴロツキの娘。悲しくも天涯孤独となってしまった彼女。

 

「何て危ないんだ…」

凄くスタイルが良くて。そして流石イタリア人、顔が凄いバタ臭い。(あくまでも当方の主観)いや、見ようによっては滅茶苦茶美人にも見える。そんな彼女が、非常に無防備な感じ(乳丸出しとか)でエンツォに絡んでくる。これはキツイ。こんなの、己を律するのは無理。

でも。そんな成熟しまくった悩ましボディとは全く不均衡な、彼女の精神世界。

「父さんを。皆をすくわなきゃ、ヒロ」

鋼鉄ジーグ」のDVDをコンプリートし。すっかりその世界の中にいる彼女にとって、超人的なパワーを持つエンツォは「鋼鉄ジーグの主人公、司馬宙」

「何でだよ!」「皆って誰だよ!」「って言うか俺に付きまとうなよ!」

初めこそは邪険に扱っていたけれど。段々彼女に惹かれていくエンツォ。

いつもはエロDVDを再生していたけれど。ふと彼女の持っていた「鋼鉄ジーグ」を見て。その世界感を理解したエンツォ。でも…ですがね…。

「こんなの、耐えられんわ!!」(当方心の叫び)
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二人並んでソファーに座って。一緒に共有出来る世界(アニメ)があって。

けれど隣の彼女は悩ましボディ。無邪気なのか誘っているのか分からん「自分の食べているヨーグルトに手を突っ込んで食べてくる」リアクション。そりゃあ目の前の共有していた世界(アニメ)なんてどうだってよくなってしまいますよ。

なのに「そういうのは嫌!!」って。どういう半殺しだよと。

(なので、あの試着室のシーンは確かに必要でしたね。「店員よ!」とは思いましたが)

でも。だからこそ。

「彼女を大切にするとはどういうことか」

もう、恐らくまともな精神世界には戻って来ないのであろう彼女。彼女とは自分の求める性的なスキンシップは共有出来ない。普通のカップルにはなれない。それどころか彼女の言ってる事はしばしば理解を超える。訳が分からない。でも。彼女と居たら楽しい。「今は生きていて楽しい」

治安が悪い街で。気づけば底辺。ゴロツキ。家族も仲間も死んで。自分だっていつか簡単に死ぬ。でも特に悔いは無い。生きている意味なんて無い。そう思っていたけれど。

つまんなかった人生に光をくれた彼女。

自分の欲より、相手の幸せ。彼女が笑顔で居てくれたら。自分と一緒に居てくれたら。それが一番楽しくて幸せ。

その時。エンツォはヒーローとして目覚めていく。
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悪役の話を一切しませんでしたが。

この作品のまた堪らん所。「悪役が小者」

こいつもまた街のゴロツキ。といっても、エンツォよりは各が上?ではあるけれど。

そこそこのイケメン(狩野英孝風)

かつてはアイドル風な活動もしていたけれど、今やすっかりゴロツキの元締め。

しかもかなりの臆病者な上に卑怯者。人望も金も尽きて。ビクビクしながらも何とか起死回生を狙っている。

「いやあ。もう清々しいまでに当方の嫌いなタイプ」

どうしようもない小者が。どこまでもしぶとく食らい付いてくる。

小さく小さく幸せになろうとしていたエンツォとアレッシアの世界が。こんな奴によって脅かされてしまう。

 

もう、最終ネタバレ直前まで来てしまいますので。ここいらで止めますが。

「この作品のラストは。これは当方のヒーローモノの中でもかなり上位に残る」

 

加えて。ふと今、あの寂れた遊園地。観覧者で笑う二人のシーンを思い出して。何だか泣きそうになっている当方です。
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映画部活動報告「バッド・バディ! 私とカレの暗殺デート」

「バッド・バディ! 私とカレの暗殺デート」観ました。
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失恋した女子。いつだってそう。駄目な男に引っかかって、結局は馬鹿みたいな終わりを迎える。そんな女子マーサ。

失恋して。盛大に落ち込んで。でもそんな舌の根も乾かない内に出会ったイカレた男性。

出会ってすぐにとんとん拍子に二人の気持ちは盛り上がって。
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「来た!運命の人!」けれど。

その男性は泣く子も黙る、「凄腕のヒットマン」だった。

 

けれど。彼と付き合う事で、次第にマーサの暗殺能力も覚醒していく。

 

マーサ役にアナ・ケンドリックヒットマンことフランシスをサム・ロックウェルが演じ。

「クロニクル」「エージェント・ウルトラ」の脚本家マックス・ランディス及びスタッフがお届けする。痛快覚醒アクション映画。

 

「ああ。こういう作品は定期的に映画部活動に挟んでいきたい。こういう全身の力を抜いて観る事の出来る作品は」

 

少し前で言うならば「ナイスガイズ!」こういったB級痛快娯楽映画って、本当に必要枠だと当方は思うんですね。

「映画に対して何を求めるのか」勿論千差万別。すかっとするメジャーヒーロ映画だって。マニアックなエログロだって。大きなお兄さん案件だって。どこまでも心に染みてくる映画だって。何をどう求めようが個人の自由。

そんな数多のジャンルに対し、興味の赴くまま。雑食的に食らい付いている当方ですが。でも。疲れている時だってある。

 

「こういう何も考えなくて。ヘラヘラ笑っていられる映画が。どれだけ現実世界で摩耗した心を救う時があるか」「こういう丁度良い映画を待っていた」

(何だか凄く持ってまわった言い方をしてしまいましたが。決して茶化した訳ではありません。寧ろ褒めています)

 

「駄目男に引っかかって騒ぐアナケン…何だか凄くしっくりくるな」「そしてアナケンは一体どうやって生計を立てているのかね?」当方の琴線に全く触れないのですが…どうやら巷では「可愛い」扱いのアナケン。彼女の猫耳姿。チャーミングな振舞いが見れただけでもおつりがくる作品だと。

 

「そうかなあ。寧ろカワイ子ちゃんはサム・ロックウェルやろう」

 

何かと比較してしまう「ナイスガイズ!」あの時のライアン・ゴズリングしかり。

 

「こうやっておちゃらけながらも。しっかりやるべき仕事はやる。冗談ばっかり言って、軽快に見せて。でも出来る男」チャーミングな振舞いとは寧ろ彼の方。

 

そういうの。たまりませんね。

 

兎に角、喋る喋る。一見人懐っこくて。毎回ウィットの効いたジョークを飛ばしてくる。でもそれは殺人をしながら。さながら、ダンスをしている様に軽やかに舞いながら。

 

FBI捜査官ホッパーの言葉「あいつは元々FBIに居たんだ。そこで俺が徹底的に殺しのスキルを叩きこんだ」それから紆余曲折あって、今はフリーのヒットマン。でもその信条は一風変わっている。

 

数年前のとある事件までは冷徹であった彼。しかし「人殺しは悪だ」と「人殺しを依頼した相手を殺すヒットマン」へと変貌。その仕事振りは相変わらず正確で。

結果FBIを始めとした国家権力から世界中の殺し屋から狙われる今日。

 

かと言って彼を仕留めるとなると大勢の犠牲者が出てしまう。誰も彼を捕まえる事など出来ない。

 

「冷徹であった…?」どこが?

飄々とした佇まい。何をどう見たって、愛すべきちゃらんぽらんあんちゃん。

 

アナケンと、とある雑貨店で出会って一目ぼれ。直ぐ様ナンパ。結局尻軽でほいほい付いていくアナケン。一緒にデートをして。すっかり意気投合。

 

「まあ。そういうスピーディーな流れ。羨ましいとも思いますよ」割と正直に答える当方。

 

デートの途中。さっくり人を殺した所をアナケンに見られて。引かれた事から「俺。人殺し辞めるよ」とヒットマンにあるまじき信条に変更。けれど。

 

「いや。別にいいよ。ヒットマンのままで」

初めこそ驚いて戸惑っていたけれど。「彼を好きなんだから。何だっていいじゃない」

寧ろ彼と付きあっていくにつれて、ヒットマンとしての才能が開化していくアナケン。

 

「俺は人を殺さない」けれど。周囲はそれを認めず。

とある殺し屋グループに連れ去られるアナケン。彼女を救うべく駆けつけるフランシス。彼を追ういわくつきのFBI捜査官ホッパー。

 

わちゃわちゃしたラストに突入。でもねえ、これがまたほのぼのしてるんですよ。

殺人グループ。ネットで集まった、寄せ合集めの雑魚キャラ。その末端。「スティーブ」との緊迫感の無い会話。

敵の本部に乗り込む前のフランシス。施設前で休憩しているスティーブに遭遇して。「グミ食べてるの?俺にもちょっとくれよ」「いいよ」「俺、緑が好きなんだ」「奇遇だな。俺は緑が嫌いなんだ」(ちょっと二人でグミを食べて)「じゃあ、また後で」なにこの会話。好きすぎる。

他の雑魚キャラが。戦いの中で、思わず近くにあった手榴弾を手に取ってピンを抜いてしまい。投げ付けようとした…その時。

「こんな狭い部屋でそれを投げたら、お前も終わりだぞ」相手に声を掛けるフランシス。動揺し「俺…なんでこれを持ってしまったのか…どうしよう」震える相手にピンを片手に「震えるな。落ち着いて。このピンを戻してみるから」寄り添うフランシス。無事手榴弾の爆発を防いだ後、ぐったりと憔悴する相手に「大丈夫か。ここの椅子に座って。ゆっくり深呼吸しろ」と背中をさするフランシス。「おい。丁度良かった。スティーブ。こいつの面倒見てやってくれ」なにこの流れ。好きすぎる。

 

まあ。終始こういう感じなんで。

「何だかんだまあまあの命が失われているがな」を始めとする、多少の粗だって優しい気持ちで観れてしまいました。

 

ただ…これ。明らかに宣伝もあまり見なかった(気がする)し、初めから上映館も上映回数も少なすぎたと思うんですよね。

当方の居住地域では初めからレイトショー。そしておそらく当方が観た日が最終日。

早い。早すぎる。

 

「確かに。完全なるB級単館系映画やからな。でも」

 

こういう「ちょうどいい作品」って、意外と少ないので。

この公開期間はちょっと寂しい感じがしました。


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映画部活動報告「メッセージ」

「メッセージ」観ました。
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「ある日それは突然現れた。世界のうち12の場所に。12の巨大なばかうけが」

 

ばかうけには見えませんよ」真顔の当方。そんなおふざけは金輪際いいとして。

 

アメリカ。言語学者のルイーズ。大学講師でもある彼女。ある日突然現れた未確認飛行物体に世界中が大混乱。そんな中「貴方は優秀な言語学者らしいな」とアメリカ軍から対策本部に招聘される。そこに一緒に搬送された数学者イアン。

 

「って言われても…」これまでの仕事の対象はあくまでも地球人。例え人種が違えども、何とか意思疎通は図れたし、それが言語的コミュニケーションのきっかけになった。しかし相手は宇宙人。一体どんな風にコミュニケーションが取れるというのか。

 

「貴方は何をしにここ(地球)に来たんですか?」

 

それを聞き出すため。その会話をするために。あの手この手で意思疎通を取ろうとするルイーズ。

「一体どうやって時空を越えて来たんだ」数学者イアンはそこに興味津々。

 

果たして。宇宙人は何故。どうやって。そしてどういう目的で地球に来たのか。

 

デッド・チャン著。1998年発表の短編小説「あなたの人生の物語」を基にして。

 

「凄く『星新一感』のあるSF作品…」多感な中高生の頃。兎に角星新一を読み漁った当方がポツリ。テーマはシンプルで。でも非常に計算しつくされている、コンパクトな世界観。

 

この作品は途中までは「ほうほう」と素直に話に付いていくのですが。如何せん、後半どういう時間軸で話が展開されていたのかが明かされた途端「おおお」と衝撃を受けて…そうなるともう切なさで一杯になってしまう…。

 

この映画感想文は、超個人的な備忘録駄文なんですが…ですが…いっぱしに一応ネタバレは極力避けたいといういう思いもありますので…歯切れ悪く、ネタバレ展開は回避。

 

「当方は『この作品に於ける、ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神について」に集中して書いていきたいと思います。

(初めに断っておきますが。このフレーズからおりこうさんぽい印象を受けたとしたら…大間違いですよ。当方はただの酔いどれですからね)

 

「『ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神』複数の人が相互に影響し合う状況の中で、ある1人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないこと。またはその状況を言う」Wikipedia先生は相変わらずとっつきにくい言葉で人を煙に巻いてきますが。

元々はゲーム用語。難しい事は当方は言えませんし、もし間違っていたとしても「お前違うぞ!」という声はどうか飲み込んで胸に収めて頂いて。

 

「あの…この手が有効ですわ」

複数人で同じ相手に戦いを挑む様なゲームがあったとして。相手の弱点を誰かが見つける。そしてそれを戦う仲間全員で共有し、相手に挑む。

それが必ずしも勝つとは限らない。仲間全員で総倒れする事もある。でも。そうやって全員で運命共同体になる事。それが『ノン・ゼロ・サム・ゲーム/非ゼロ和精神』

(当方の苦しい解釈)

 

この作品の中で。ふっと現れるこのフレーズ。それ自体は「あれ?このフレーズが分かる相手って」と観ている者の心に過らせるワードとして、一見扱われているのですが。

 

話の中盤以降。「何故。世界の12か所もの場所に、この未確認飛行物体は現れたのか」その対象となってしまった諸外国。その連携の危うさにやきもきしながらも。結局世界は「ノン・ゼロ・サム・ゲーム」を強いられているのだと思いを馳せる展開。

 

ならば。一体12カ所は一体どういった運命共同体なのか。一緒にこの事象にどう立ち向かうべきなのか。そもそも「立ち向かう」案件なのか。誰に?何に対して?

 

そういった、スケールの大きな世界観と対になるのが、イチ言語学者であるルイーズという女性の人物像。その背景。

宇宙人とコンタクトを取る最中。何度も記憶がフラッシュバック。どうやら彼女には一人娘が居たらしい。

夫と別れ。一人で娘を育てきた。甘くて楽しい日々。時は流れ。生意気で反抗してくる娘。悲しすぎる、病に倒れた娘。そして…永遠に失った娘。

 

どうして?どうしてこんな記憶が付きまとう。今は目の前の事に集中したいのに。なのに胸を締め付ける。愛してやまなかった、たった一人の娘。

 

「時系列の崩壊」この話に駒を進めたが最後、絶対にネタバレ地獄に陥りますので。何とか回避。ここいらで当方の大風呂敷を畳み始めますが。

 

先程の『ノン・ゼロ・サム・ゲーム』ゲーム用語なら尚更。(当方は全くゲームに疎いのですが)「そんなゲームはほとんどない」のが現状。

「誰かが勝つ時、必ず誰かが負ける」全員が一緒の運命共同体なんて滅多にない。

 

ルイーズがここに呼ばれて。宇宙人がルイーズを、事態を動かすキーパーソンだと認識した時。

ルイーズはそのゲームの駒になった。言語学者であるルイーズが宇宙人と共鳴し、彼らのメッセージを伝える能力を持った時。彼女は世界が運命共同体になる為の駒になった。でも。

その能力を得た事で。宇宙人と共鳴し、同じ能力を得た事で、ルイーズ個人は『ノン・ゼロ・サム・ゲーム』から外された。

 

何故なら、彼女は運命共同体を成立させる為の「メッセンジャー」になったから。

 

ある意味救われた地球。運命共同体になった時。ルイーズだけがそこから弾き出された。後はもう…怒涛の切なさスパイラル。

 

「何だかとっても悲しくなっちゃう映画やったわあ」映画部長のお言葉。全くですよ。

まあ。どうしてもうがった見方をしがちなんで。「流石に言語を理解し始める流れ。ちょっと唐突じゃないかな」「エイミー・アダムスの年齢不詳さにも流石に限界が」「中国よりヤバそうな国ありそうやし…中国にはもうちょっと日本もお話し出来そうですよ」なんて茶々を入れてしまいましたが。

難しいようですんなり入ってくる。兎に角切なくてやるせなくて。でもそれだけじゃない。あの神楽みたいな音楽と振動。スケール。

 

「ベタですが。映画館で観るべき作品かなあと」ばかうけ片手に。手が汚れそうですが。大き目のスクリーンでやっている間に鑑賞する事をお薦めする作品でした。

 

映画部活動報告「トンネル 闇に鎖された男」


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「トンネル 闇に鎖された男」観ました。

 

韓国。主人公のジョンス。車で走行中。

トンネルに入ってしばらく経った時、まさかのトンネル崩落事故に遭遇。車ごと生き埋めになってしまう。

スマートフォンは無事。電波も繋がった為、自力で救助を要請。しかしかなりの規模で崩落していた事、元々の崩落した原因も「手抜き工事」であり、地図もずさんであった事から、ジョンスの所在地すらも割り出せず。作業は困難を極める。

ジョンスの持ち物はバッテリー残量78%のスマートフォン。娘の誕生日だからと買ったホールのケーキ。そして500mlペットボトル2本。

果たして彼は無事愛する家族の元に帰る事が出来るのか。

先日の韓国映画祭り『お嬢さん』での「藤原伯爵」の記憶も新しいハ・ジョンウ主演。そして彼の妻セヒョン役に、皆が大好きぺ・ドゥナ。キム救助隊長にオ・ダルスを於いて。

「一人で真っ暗なトンネルに閉じ込められて。いつ崩れてくるかも分からない密閉状態。食料だって知れてるし。唯一外部と繋がっているスマートフォンだって、いつかは充電が切れる…ってこれ。当方なら発狂の後、絶望死するな」

まず心を強く持てない。救助を待つのだって、せいぜい2日が限界。なので…彼が結果待った日にちを考えると、ぞくぞくと寒気がしました。

 

手抜きの突貫工事で出来たトンネル。開通してせいぜい一か月程度で起きた大事故。なのに、現在進行形の第二トンネル工事を進めたいとか抜かす、ふざけた施行業者。(しかも第二トンネルは事故の起きたトンネルの直ぐ近くで。「後は発破実験だけなのでやらせて欲しい」とか言い出す始末。その実験をしたら、衝撃でジョンスの埋まっているトンネルが更なる崩落を起こしかねないのに)

悲劇の人物として、散々煽る報道各所。大切な充電を使ってしまうのに、ぬけぬけとジョンスに電話。その模様を生中継。

そして。救助活動が長期に渡るにつれて「もう生きていないんじゃないか」「いつまで続けるつもりか」と世論を扇動。そんな時に、最悪な現場事故も発生。「死体回収にこれ以上犠牲が払えるか」始めこそ好意的であった国民の、悲しく冷たい手のひら返し。

国のお偉いさんも、兎に角好感度を上げたいが故の風見鶏な対応。

 

「ありそう~。申し訳ないけれど…いや、この国に限らず…ありそうやなあ」

 

誰もが勝手な事を言う中で。最後まで一貫して「救助隊長」であり続けた「キム隊長」

「絶対に諦めるな!彼は生きている」スマートフォンでまだやり取り出来ていた時から。音信普通以降も必死でジョンスの生存を信じ続けた、救助の鑑。

 

そして。完全に抑えの演技で終始したぺ・ドゥナ。終始あの大きな目をウルウルさせながら。夫の帰還を信じ。でも世論に押し流されそうになった、悲劇の妻。

 

冒頭からトンネル崩落シーンまでのテンポは非常に早く。その後もずっと緊迫した流れでありながら。意外とコミカルなシーンも多くて、ずっと息をひそめて全身を力ませ続ける様な事はありませんでした。

 

パグ犬とのやり取り。キム隊長の告白。あの女性の…悲しいけれど「俺の水が!!」という心の声とか。何だかおかしい。状況は全然おかしくないのに。何だかおかしい。

 

「主人公ジョンスの人間味溢れる感じ。よく分かる」

 

この手の作品にありがちな、悲劇の主人公の完璧な人間性

可哀想な彼は、真面目で曲がった所なんて一つも無い。いつだって正直で真っ当に生きてきた。なのに…というステレオタイプではなさそうな、主人公ジョンス。

 

なかなか来ない救助に苛立って。状況を共有する事になりそうな相手に「俺の貴重な水が」「スマートフォンが」とヤキモキして。でも。

本当は喚き散らしたい。何をちんたらしているんだと。早く助けに来い。休む間も無く助けに来い。俺の水だぞ。俺のスマートフォンだぞ。飲ませられるか。貸せるか。そう言ってやりたい。でも。彼は言わなかった。結局きちんとやるべき事をやった。

不安なのは自分なのに。電話越しの妻を、子供を労わった。

 

迷う感じも。でも結局は正しい事を選択した事も。その彼の心情は凄く良く分かる。

 

「ごくごく平凡な。大人の男性」彼は聖人君子でも、かと言って悪者でも無い。

普通の、家庭を持つ成人男性。それが非常にリアル。

 

ちょっとうがった見方をしがちな当方としては「スマートフォンGPSとか…携帯会社なら所在地が早くに割り出せるんじゃないの」「そのクラクションはもっと早くから使おうぜ」「車のバッテリーってそんなに持つの?」「そういう傷は破傷風とか敗血症とかを招くな。エコノミー症候群、バッククラッシュ症候群も危ない」「そして多分そんなに動けないぜ」なんてぼんやり思ったりもしていましたが。

初めのトンネル崩落事故から最後まで。ノンストップのパニック映画。でも意外と明るいシーンも挟み込んで。かと思えば辛辣な社会風刺映画でもある。

「また新しい韓国映画が出た」

なかなか見ごたえのある127分。

そして。今後何らかの交通機関を使って移動する時には、水分とモバイルバッテリーをきちんと常備しておきたいなあと。そう思った作品でした。

 

映画部活動報告「スプリット」

「スプリット」観ました。
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誕生日会の帰り。

誘拐された3人の女子高生。犯人の男は、何と23人格を持つ多重人格者だった。

M・ナイト・シャマラン監督最新作。

「シャマラン完全復活」当方がこの作品鑑賞後、映画部部長に送ったメール。高まる映画部長。

「シャマランと言えば『シックス・センス』」長らくそう言われ続けたシャマラン。確かに、当方も全く伴走していませんでした。ですが。

 

2015年公開「ヴィジット」

あの「お爺ちゃんとお婆ちゃん、ボケてるの?それとも…ヤバいの?」という非常にアンビバレンスな作品。面白すぎて。案の定引き込まれた当方。
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そうなるともう。今回も観るしかないなと。

 

同級生の誕生日パーティー、の帰り。誘拐された3人の女子高生。相手はスキンヘッドの男。クスリで眠らせれて、起きたらどこかの密室。

勿論怖い。でも、どうにか相手を出し抜いて逃げ出したい。なのに。

ちょこちょこ顔を見せる、犯人の男。全く同じ人物なのに、来るたびにその性質が違う。

ある時は神経質なインテリ男。ある時は女性。かと思えば、あどけない9歳の少年。

犯人の男は多重人格。その数23人。

 

「ビリー・ミリガン案件ですな」

(1977年にオハイオ州で起きた3人の女性に対する強姦、強盗事件。そこから分かった「23人の人格を持つ男」の正体「ビリー・ミリガン」ダニエル・キイスの小説も随分話題になりました)

犯人の男を。どう出し抜けばいいのか分からない。全く次の行動も思考回路も読めない。

 

最悪の状況に置かれた女子高生たち。一体どうやってここを抜け出せばいいのか。

 

「驚きのラスト!!」一体シャマランはいつまで「シックス・センス」を引きずればいいのか。正直、この作品に於いては設定こそが一番の衝撃でしたので「ラスト云々」の衝撃を当方が感じる事はありませんでした。

 

「と言うか。手練れの俳優『ジェームズ・マカヴォイ』安定の演技よ!!」
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この作品を成功に導く最大の鍵である「23人の人格を持つ男:ケヴィン(ビリー・ミリガンに於いて『ケヴィン』という名前の重大さ…)」それを演じたマカヴォイ。
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ある時はインテリ男性。ある時はフランクなデザイナー。でもある時は女性であり、9歳の男子であり…危険な24人目の人格でもある。

 

「23人?正味確認出来たのは6人位ですよ」

 

十分ですよ。あんなスキンヘッドの男性で、ちょっとした衣装の変化程度しか無くて、あそこまで誰が誰か演じ分けられたのはとんだベテランのなせる技。それが見れただけでも大分成功している作品。
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とは言え。それだけでは勿論済みませんので。女子高生達にもスポットは向けないといけないのですが。

 

3人の女子高生。と言っても、彼女たちは仲良し3人組では無い。

主人公のケイシー。斜に構えて。クラスでも浮きがち。そんな彼女を「仲間外れにしていると思われたら、自分が嫌な奴だと思われる」から誕生日会に誘ったクレアとアルシアの二人組。帰る家の方向が一緒だからケイシーをパパの車に乗せた。そしたら不幸にも誘拐された。(とは言え、3人の誰のせいでもありませんが)

 

「クレア!あんた!…『スウィート17モンスター』のクリスタやんか!やっぱりあんた何だかんだ言ってリア充やね!」超ミニスカ巨乳アピールセーター着用。そんなクレアに思わず声を上げる当方。
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(写真は『スウィート17モンスター』のクリスタ:右 です)

 

まあ…逃げ惑う女子高生の中で、結構勇気を持った行動に出たリア充二人。

結果はともあれ、彼女達はとても頑張っていたし。そもそも「クラスで浮いていたケイシー」についても、誕生日パーティーに呼ばなかった訳じゃないし、呼んだとして嫌がらせをした訳じゃ無いし。一応は「一緒に帰ろう」とケイシーを誘って送ろうとしたんやし。誘拐されてからも「一緒に考えてよ!」という姿勢は見せていたし…別に嫌な奴らでは無かったと当方は思っているんですが。
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何しろケイシーが「狩人」なんですよ。
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幼少期。父親と、叔父とで狩りをした。そのシーンが何度もフラッシュバック。

得体の知れない目の前の人物の。一体どこで出し抜けるのか。じっと観察し続けるケイシー。相手はかつて狙った獣と一緒。

頭が軽いだけで。別に悪い子じゃない。そんな二人の同胞は、結局慌てふためいて自滅した。

でも。私はじっと待つ。こいつの正体が見える瞬間を。私は確実に仕留めてやる。

 

被害者であるはずのケイシーが。決してただ者では無い。それがシャマランの手法。

 

23人の人格を持つケヴィンのちょっとした変化を何となく感じていながら。結局は打ちのめされてしまう、女性精神科医

 

「おお。この構造は『ハッピー・キラー・ボイス』だ」
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当方のお好みサイコパス映画。ジェイミーの明るい「みんな!殺してごめんね!」

(思い出したが最後、エンドレスにあの楽しすぎるエンドロールミュージカルが脳内で流れる当方。どんな内容かですか?お手持ちのデヴァイスで調べたらいいんですよ!)

 

「解離性人格障害の可能性云々」みたいなことを第一人者みたいな顔して言いながら。

その対象者が「一通りの進化を終えた」様に扱っていたら「まだ進化の途中であった」

その獣を野放しにしてしまった、悲しき有識者。悲しいカウンセラー。

 

全く同じ流れ。

 

かと言って。あくまでもエンターテイメントサスペンス映画なんで。「結局ケヴィン対女子高生ケイシーはどうなるの?」に集約される訳ですが。

 

ケイシーの闇。彼女は目の前の23人の獣を倒したとしても、決して解放されない。彼女の持つ元々の闇の深さ。そしてそれは、悲しいかな目の前の獣と同じ問題でもある。

 

「他の女子高生二人。何かとケヴィンに服をもぎ取られた二人。でもそれ以前からやたらとムチムチさを強調していた服を着ていた二人。対して、すっぽり体を覆うセーターとジーパンを着ていケイシー。そのケイシーが肌を見せた時」

(ところで。あのムチムチボディに対しエロ的に無関心な24人のケヴィンに「おい!」と当方の全人格がツッコミ…これもシャマラン故か)

ケヴィンとケイシーは、加害者と被害者。なのに同じ傷を共有できる同士でもある。

 

ケヴィンを前にして。「狩人」として開花してしまった「ケイシー」はこれからどうなるのか。

 

一応ラストに掛けてのネタバレは回避しようと思いますので。あのエンドロールの数もメッセージも。まあベタながら分かりましたとだけ言っておいて。

今後も。息を吹き返したシャマランを。追っていきたいと思う当方です。
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