ワタナベ星人の独語時間

所詮は戯言です。

映画部活動報告「人生フルーツ」

「人生フルーツ」観ました。

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愛知県春日井市高蔵寺ニュータウンの一隅にある雑木林に囲まれた平屋。そこに住む、ある夫婦のドキュメンタリー。

津端修一さん90歳。妻の英子さん87歳。かつて日本住宅公団のエースであった建築家の修一さん。日本にある幾つもの団地や集合住宅等の都市計画に携わり。高蔵寺ニュータウンも「街と自然が共存する」というコンセプトで計画。でも。

おりしも高度経済成長を見せていた1960年代。そんなのんびりとしたコンセプトは実現せず。結局出来たのは「どこが自分の家か見分けが付かない」様な、画一的な団地達。かつてあった木々は切られ。ただ無機質な街が出来てしまった。

修一さんは一線から離れ。その街に土地を買い。自宅を建て。家族と共に、木や野菜、果物の木を植えた。そして50年。

雑木林に囲まれた。その終の棲家で。コツコツと丁寧に暮らしてきた、その夫婦の姿を描いた。そんな作品。

「これは。究極のスローライフ。そして理想のシニアライフだ」

四季折々。庭で取れる野菜や果物。それらの世話をして。大切に頂いて。慎ましく暮らす二人。もう「自称スノッブ」な連中垂涎の憧れ素敵ライフ。でも。

これは、ただの年寄り二人のほのぼの可愛いお話しでは無い。

(まあ…ある意味、スノッブを突き詰めて毎日積み上げた最終形態とは言えますが)


丁度当方が映画鑑賞する前日の「プロフェッショナル仕事の流儀」でも「住宅をリノベーションする」建築家が、近年都市の再生事業にも携わっている事を取り上げていました。
そこでは、当方も良く知っている近くの街が取り上げられていて。つまりは「高度経済成長。ベビーブーム。そんなイケイケな時代にどんどん生み出された集合住宅や団地の老朽化。空き家問題。都市に人口が流れていく中で、どうやって地方の空洞化を解決していくのか」みたいな案件。
そこで件の建築家は「その土地の元々持つ歴史や、地形。それを踏まえた上で街を作らないといけない」という事を言っていて。

恰好良いデザイナーズマンション。はやりの古民家。建売住宅。勿論数多のニーズと価値観がありますし、どれも否定されるいわれは無い。ただ。

「100年後も住みたい家なのか」家は本来使い捨てではない。
その街で生きていく。家は外でどんなにつらい事があっても帰ったらほっとする場所。
大切な、きらきらした場所であるはずで。


恐らく。修一さんは「高蔵寺」という場所で。自然に囲まれて暮らす家族達を思い描いていた。でも。出来上がった街は、自分の思い描いたモノでは無かった。

だから。自分でそこに住んで。木を植えた。近くの学校なども巻き込んで、山にもどんぐりを植えた。そしてそのどんぐりは今大きくなって山を育てている。

一見穏やかに見える、その人の信念と執念。

(下世話な意見ですが…それって、周りに住む「高蔵寺ニュータウンに惹かれて住んだ人達」にはどう映っていたんですかね?)

また妻の英子さんの「寄り添うってこういう事だな」という姿。

「修一さん」「英子さん」と、幾つになっても互いをそう呼び合って。
造り酒屋の一人娘であった英子さんは「夫にはきちんとしたものを食べさせて、きちんとしたものを着せる。夫がきちんとしているという事は、引いては自分もそうなる」という実家での教え通りに行動している。
結婚当初の貧乏な時代も。修一さんにそうは思わせず。奔走し。
歳を取った今でも、地味かもしれないけれど身なりはこざっぱりと整えて。(結構お洒落)
食べ物には気を使い。殆どが手作り。おやつにはケーキを焼いて。その「昨今SNSで上げてくる、女子力自慢の見栄えの良い食べ物」では無い「素朴なお婆ちゃんのケーキ」でもその味は絶対に無敵なはずで。「修一さんが好きだから」と料理にじゃがいもをよく使う。でも「私が唯一嫌いなのはじゃがいも」とあまり食べない。
朝は絶対ご飯という修一さんの朝ごはんを作るけれど。一緒に食べる自分は絶対にパン。

相手を尊敬し、その信条を大切にする。支える。
でも、自分の意見を押し殺さない。曲げられないものは無理に曲げない。

同じ方向を向いて。気持ちや思いが交わる事が多い。だから一緒に居て楽しくて。一緒に居る。でも。
全てが全部、同じ方向を向いている訳が無い。だけどそういうものだと、どこかであっさりと折り合いをつけて。

「彼女は僕の大切なガールフレンドだから」

まあ。どこまでをスクリーンの前に座る我々に見せるのかは、彼らの自由ですので。ただぼんやりと受け止めて推測しているだけなんですが。

結婚して半世紀以上。スクリーンの前では穏やかな二人の。絶対に簡単な言葉では言い尽くせない色々。それらを越えて今、一見穏やかな姿を見せている。

そして。年齢的に、やっぱりこういう時間は永遠ではないという現実。


津端夫妻の姪っ子。恐らく年齢的には現在もう立派な社会人なのであろう彼女。その姪っ子が幼かった頃に「シルバニアファミリーの家が欲しい」とねだられて。
「プラスチックの家なんて駄目だ」と姪っ子の意見を聞きながら作ったという「シルバニアファミリーの家」その余りの立派さ。丁寧に作られたその大きな家を見た時。何故かどっと涙が出た当方。「これは一生ものやないか」

こんなに。モノや人を大切にして。そんなお爺ちゃん、お婆ちゃんのありがたみが愛おしくて。でもそれを痛いくらいに感じる時。その人は居なくて。


人生の幕引き。誰もがどうなるかなんて分からない。でも、これは…羨ましい。幸せなんじゃないか。


「人生は、長く生きると美しくなる」素晴らしい。

修一さんの。90歳で仕事として関わった九州の精神科施設。いつか機会があれば見てみたいと思いました。

映画部活動報告「ネオン・デーモン」

「ネオン・デーモン」観ました。

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N.W.レフン監督。

モデルを目指してロサンゼルスにやって来た15歳の少女。有力なカメラマンやデザイナーに見出だされ。トントン拍子にスターへの階段を登りだそうとする彼女を。引きずり下ろそうとする女たち。けれど。
彼女もまた、ただ者では無かった。
彼女の魅力であった純粋さが。次第に邪悪なモノへと変わっていって。

エル・ファニング主演。

「これは…好き嫌いがはっきりしそうな…」映画鑑賞後。歯切れが悪くなる当方。「予告は凄い良かったんやけれど」

当方ですか…嫌いではないけれど…「昔はこういうの、よく見掛けたなあ~。単館マニアック枠で」という…おいちゃんになった当方にはマッチしない感じというか。

目の前の作品をどうこう言う時に、他の作品を持ち出してくるのは…お行儀の良い事ではありませんが…当方の中での蜷川実花映画的な作品。

「センセーショナルな題材で。極彩色でインパクトを付けて。絵的にも音楽もノリノリなんやけれど。薄っぺらい」

エル・ファニング(長いので勝手ながら以降エルと省略させて頂きます)起用が意外と諸刃の刃なのか。

確かに可愛いし、段々擦れていくいくのも様にはなっていたんですけれど。絵的には。
ちょっと、年齢制限なのか彼女サイドの意向なのか…守られすぎていて、説得力が無い。

「彼女は逸材だ」エルを見た、所謂「えらい大人たち」は軒並みそう言うんですがね。「うん。だってエルやからな」としか言いようがない当方。

あくまでも商品を引き立てる為。マネキン的な要素が第一条件で。個性は邪魔でしかない。そうして画一的になっていくモデルたち。それを目にし過ぎて飽きている「えらい大人たち」そこに現れた、モデル体型のファニーフェイス。いかにも純粋そうな子供。

その実力を見せろと。

あの。「新人なんて撮らない」と言われていたカメラマンとの、最高の撮影体験。「服を脱げ。全部脱げ」(あ~ベタやなあ。そうくると思ったよ)ペイントされ、撮影が開始。と思ったら暗転。「最高だったわ!」頬を上気させてはしゃぎながらスタジオを後にするエル。ちょっと待てと。

勿論、当方はエルの裸なんざ見たくありませんよ。ただ。その「最高だった」撮影現場はどうやったんやと。その気難しいけれど天才なカメラマンは。一体彼女の何を見て、どんな可能性を感じてどう表現したんだと。それをはっきり見せないと。観客には彼女の魅力は伝わらんやろう。

話が前後するんですが。序盤に「恐らくSMショー的なモノを、目を輝かせて見る女たち」みたいなシーンもありましたが。あれも実際のショーに関しては初めに縄で縛られた人が映るだけで。あとはただひたすら顔を見合わせて笑ったり喜ぶ女たちが流れたんですが。あの時から当方の中にもやもやがくすぶり出しましたね。「そのショーの全貌は見せなくて良いけれど。そのショーの凄さは全く伝わってきていないよ!」大体、日本の縄師の方とかはどう思うか…実際見た事無いですけれど。ショーレベルとか、芸術的らしいですし。

つまりは、所謂日本映画でアイドルを使う時にありがちな「朝チュン」(ベットシーンなどでそう匂わせて、だんだんぼやけて暗転。朝になっていて鳥の声で目覚める二人。事後っぽい雰囲気)的な演出が多かったように思ったんですね。

観ている方にはいまいち分からん、イノセントな魅力によって「えらい大人」に気に入られて。モデル界の入り口に立ったエル。これからの驀進していくのであろう、彼女のこれから。

成功体験が。エルの中にあった邪悪な心を引き出していく。

「うん。というか調子乗っちゃったんやね」
「私は知っていた。自分が美しいという事を。これで生きていけると」浅はかだな~。若さって恐ろしい。思っていても言ってはいけないで、それ。聞いてる人によっては癇に障るし。

出る杭は打たれる。

案の定。モデルたちが。そしてあの人が。エルを引きずり下ろそうと、牙を剥いて襲ってくる。そりゃそうやろう。彼女たちはある意味、あの山猫なんやから。

この作品の少女に関しては、邪悪というか…性格の悪さが引き出されていったんやなあとしか見えなかった当方。「純粋な少女が無意識に持つ邪悪とか禍々しいとか。それを表現できていたのは『害虫』『好きだ』時代の宮崎あおいぐらいだよ!」

そこからはもう、どんどんアートで禍々しい絵面の連続。まあ、元々がそういう「美しい映像を眺める」作品だと当方は早めに判断したので。中身がなくともそんなもんだと。あれこれ考えず。

理詰めでストーリーを詰めていったら、この作品のビジュアルが崩れる。だからどちらのバランスを取ったのかという結果で。

まあ。あれですわ。当方の言う『オサレなバーで無音で流れていそうな映像映画』オサレバージャンルの最新作。

ただ。映画が終わった後、若いカップルを目にしてしまい。

「どっちが誘ったんだ。そして今日これから、二人は大丈夫か」思わず心配してしまった当方。

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映画部活動報告「人魚姫」

「人魚姫」観ました。

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皆が大好き、チャウ・シンチ―監督最新作。

当方が属する、たった二人の映画部の映画部長も大好きでしてね。
少林サッカー」「西遊記~はじまりのはじまり~」まあまあな熱量で語っておられました。

そして。当方のアンテナの貼り方の老朽化か。(当方的には)唐突に現れた「人魚姫」
当方の居住区からは若干遠い映画館。そこでしか無い上映に。えっちらおっちらと行って参りました。

上映1時間前にして残3席。立ち見も出ていたその劇場で。鑑賞し。

「結論から言うと、最高でした」

映画部部長に報告。動揺する部長。
(映画部部長は、現実での社会的地位が向上した事によって、自由に映画を鑑賞する時間を失いました)
「俺は周星馳が大好きなんだ!」映画部部長からの悲痛な叫びを…まあ。にやにやと受けていた当方ですが。


「我々は、元々は同じ種族のものであった。それが片方は人魚族に。片方は人間となった」
「今もなお。互いに共存できたはずであったのに。人間は進歩と共に邪悪な存在となり、人魚族を迫害するようになった」

なんと。魚類と人類のルーツは一緒であったと。ミトコンドリアレベルならまだしも、もっと近い所まで同じ進化を辿ったとする、人魚と人間。

でも。互いに干渉しなければ…特に関わる事も無い。はずなのに。

自然保護区域にされてきた星羅湾。そこを買収した青年実業家リウ。イルカが居るとされてきたその海の。イルカさえいなければリゾート開拓できると、イルカを除去する特殊な機械を使用。その機械によって傷付いた人魚族はハニートラップを仕掛け。若くて可愛いシャンシャンを使い「リウ暗殺計画」を企てるが。

「ベタベタのギャグ。そして中盤の甘々なラブコメ。でも、環境問題に食い込んだ作品。馬鹿馬鹿しい事が山盛りなのに、何も可笑しくない。最後はまさかの涙が…」

冒頭の秘宝館。あれれ。これいるかな~。という掴み。「もしかして館長、心臓手術してないかね?もう一回体見せて」なのに確認出来ず一転。


「宮迫です」と頬っぺたを叩いていた頃の。若き宮迫に似たリウ。元々は貧しい出で成り上がり。対する、人魚のシャンシャン。その「時間が経つにつれ可愛く見えてくる」一見貧相なヒロイン。

話の序盤。リウはただの怒りっぽい嫌な奴でしかなかった。

でも。投資家ルオランへの当てつけでシャンシャンとデートするリウ。

「あのチキンを食べるデートは、当方の映画キュンデートでも5本の指に入ります」

(500)日のサマーのイケヤデート」「はじまりのうたのWイヤホンデート」に匹敵する『うれしい!たのしい!だいすき!』デート。

チャチな遊園地の。出店されていたチキンの店。「美味しいから一緒に食べよう」と誘うシャンシャンを馬鹿にしていたリウ。でも食べたら止まらなくて。一緒に山ほど食べて。「俺は昔貧しかった。これは俺がその時食べた味だ」と涙し。腹の底から一緒に歌う「無敵の歌」。吐くまで遊園地のアトラクションに乗って。笑って。

これは確かに恋に落ちる。

どんなにお金を持っても。そのお金では買えない。共通の価値観。一緒に居て楽しいという気持ち。

俗っぽい敵でしかなかったリウの。思いがけない純粋さ。「俺、シャンシャンが好きだ」同じく惹かれていくシャンシャン。

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でも。そこで簡単に幸せにはなれない二人。

文字通り、命を脅かされている人魚族。リウは憎むべき存在で、まさか刺客であるシャンシャンが寝返る(恋してしまう)なんて思わない。

シャンシャンが人魚だなんて思いもしないリウ。

「ああ。確かに人魚姫だ」

でも。人魚姫って最後「海の泡となって消えてしまいました」なんですよね。それはちょっと悲しすぎると思いながら。

そこで暗くならないのが、チャウ・シンチー監督。

登場人物で嫌いな者が無かったこの作品で。当方が一番好きであったキャラクター「タコ兄」

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「上半身が人で下半身が魚」という仲間の中で一人下半身がタコという、主人公と親族であるはずの無いキャラクター。そこは無粋やし、触れませんが。
「キスした事が無いのか。キスしたら何か感じるはずだ」とシャンシャンの初チュウを奪い。人魚族を先導。シャンシャンのあとを付けたりもして、己が傷ついたり…でも最終的にシャンシャンを救おうとする。

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太った勝地涼みたいなタコ兄の。「面白くて一生懸命で優しい姿」当方は大好きでしたし、彼が出てくるシーンは概ね笑いで溢れていました。

(当方がもう一つ思いっきり笑ったのは警察のシーンでした。ちょっと「魚人間」を思わせるところもありましたが。ああいうベタなコントシーンは大好物です)

人魚族がどこかほのぼのとした中で。一切の緩さも見せなかった、人間側。ルオラン。

「好きなタイプ?中国人女性かな」



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映画部長のかつての言葉。どういう意味でかと真意を聞けず。勝手に推測している当方ですが…このルオランは映画部部長的にたまらんかったやろうなと思った当方。

この高慢な態度。加えてボディ。そしてボディコン衣装。

代表的なアジア女性共通の、貧相な体では駄目。でも居る。時々居る。この、ある程度しっかりとしたメリハリボディで無いと着こなせない、胸元強調衣装。これが着こなせるアジア女性の。その強引な強さ。ゆるぎない自信。その美貌。

気が強い。自分は安っぽい女じゃないという自負。(当方はこういう輩に対しては「散々弱弱しくいう事を聞いて見みせて…最終的にはねじ伏せる」スタンスで脳内進行しています。余談ですが。)

「日本人で言ったらかたせ梨乃ですか」

何だかおかしな方向に話が行きかけましたが。


主役二人が。ピュアな恋に落ちて。不器用ながらも互いの壁を乗り越えようとするなか。「何甘い事言ってんだ。金だ金」と清々しいまでのブレなさで突っ込んでくる彼女。金の価値は自分の価値。高価なものが価値のあるもので、自分はハイスペック。だから明らかに粗末なものに負けるのは自分の価値を落としてしまう。それは認められない。

また。環境破壊案件を説明する白人男性。日本人。都合の悪い事は外国人に説明させ。表面的な悪役ポジションからは逃げながら。結局自分にとって害となるものは自分で駆遂しようと躍起になる彼女。でもその姿は。皮肉にも、美しく滑稽で。

悲しいかな。最後は人間による人魚族への攻撃が始まる。

結構な勢い。
「お婆ちゃん。最高スペックを持つ貴方はもっと早く覚醒してくださいよ!」巨大海洋生物恐怖症の当方鳥肌のシーンでしたし、何だか色んな意味で泣けましたが。

穏やかなラスト。「なるほどあの秘宝館も無意味では無いんだな」と呟く当方。


後ね…この作品に対しての大きな不満なんですが。

「何故パンフレットを作っていない!!!」

巨大海洋生物に対する不安はありながらも。一応はチェック…したくても「この作品のパンフレットは作られておりません」

映画館が香港映画を幾つか上映していましたのでね。「3本観たらプレスシートプレゼント」とかやっていたんですが。如何せん、遠いのもあっておいそれと3本観れないんですよ。(そして後日で日程調整していたらプレゼントが終了したんですよ)

公開記念Tシャツとか。シールとか。そんなのは勿論要りませんが…パンフレットからの製作秘話とか知りたかったです。


兎も角。悶える映画部部長だけではなく。

「単純に面白いし、すっきりするし。ラブ的にも満足するから」遠くても観に行って欲しい。

当方からの。しれっとした、重要な案内でした。

映画部活動報告「NERVE /ナーヴ 世界で一番危険なゲーム」

「NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム」観ました。

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裏オンラインゲーム。試されるのは度胸(NERVE)。
入会したらまず選ぶのは、自分は「挑戦者」か「視聴者」か。
「挑戦者」にミッションを課せるのは、無責任な見ず知らずの「視聴者」。その無茶なミッションを無事クリアしたら賞金が発生し、オンラインバンキングを介して実際のお金が口座に入金される。
ただし条件が。「挑戦者は自身のデヴァイスでそのミッションを撮影すること」「失敗か棄権の場合、それまでの賞金は没収される」「NERVEの事は警察に言ってはならない」

主人公のヴィ―。地味で引っ込み思案な女子高生。イケイケの友達シドニーのお節介と挑発に乗って、教えられた度胸試しサイト「NERVE」に登録する。しかも挑戦者で。たった一回のつもりでチャレンジした「見知らぬ相手と5秒キス」好きな小説を読んでいた青年イアンにチュウしたヴィー。これで終わるはずだったが。相手のイアンも同じく「挑戦者」で。
加速する二人。二人でチャレンジするミッションの数々。一気に恋に落ちていく二人。

そんな中。度を越したミッションに破たんしていく「挑戦者」達…。

エマ・ロバーツか。あの『なんちゃって家族』の」

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「なんちゃって家族」は思わず購入してしまった当方お気に入りのおバカなコメディー映画。あのエマ・ロバーツは凄くキュートでした。そりゃあ、観るしかないなと。


「昨今の調子に乗ったユーチューバー」

当方のYouTube運用は、専らこの映画感想文を書く時等に「作業用BGM」という音楽を流しているのが大半。後は映画予告等を時々見る位ですか。まあ殆ど映像を見る為には使用していないのですが。

ですが。時々ニュースで取り上げられる「行き過ぎた画像を上げようとする輩」
定期的に見掛ける所をみると「無茶な事にトライする姿」というのはどこかで需要のあるコンテンツなんですかね?

素面の時はあくまでも無害な小市民を演じる当方ですので。「人様に迷惑や心配を掛けてまでやる無茶が芸術だという輩」に何言ってんだと思っているんですが。例えば「ダム建設に反対だから、ダムに夜中忍び込んで切り取り線を描く」「高層ビルを命綱なしで上る。又は降りる。渡る」それを実際に自慢する者が目の前にいたらフンと鼻をならしてしまうと思います。
ーまあ、それはスケールが大きすぎるので。ここでの話とは比較できませんが。


ニュースで取り上げられる「おバカな奴」大半が「営業妨害系」
売り物の食べ物を粗末にする。真面目に働く人の邪魔をする。
そして「犯罪系」
明らかに法を犯すような事態なのに「面白いと思った」「すっきりした」と自らの犯罪をインターネットに晒す馬鹿。しかも顔や、時には実名も込みで。


「NERVE」でのチャレンジ。何かもう…ピンキリすぎて。

ヴィーとイアン。あの二人に課せられた、初めの頃のミッション。そのベタベタな甘い「未来日記
出会いは突然のキス。二人でバイクに乗って街へ繰り出す。高級店で高価な服を試着する。(そして服が盗まれる)下着姿で店から飛び出す。ご褒美にその高価な服がプレゼントされる。

何これ。一体誰が操作してるの。

かと思えば。ヴィーの友達シドニーに対する、下品なミッション。「チアダンス中、皆に生尻を見せる」「人前でおならする」何この差。

「挑戦者」がステージを進めるにつれ増えていく「視聴者数」
そして課せられるミッションは無謀なものへと加速していく。

お話しがピークに盛り上がったのはあれですかね。ヴィーとイアンに課せられた「目隠しして、バイクで二人乗り96キロ」

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目隠ししてバイクに乗るなんて事自体が無謀すぎるのに…。そして最高潮に盛り上がる二人とお話…でも。


何これ。一体誰が操作してるの。


初めから。もやもやと湧き出していたその疑問が。どんどん膨らんでいく当方。

「視聴者」は高額な課金をさせられる。その資金で「挑戦者」に賞金が支払われ、このサイトは運営されている。
ネット上に流出している個人情報を吸収し。ネットバンキングという事は個人の銀行口座まで把握して。
相当なπのある利用者のそれらを管理。
そして「~をしたら~ドル」というミッションのピンポイントさ。タイミング。「挑戦者」はいつでも「視聴者」からの指示待ちだとして、人気が出れば出る程そのリクエストは増えて煩雑になっていくはず。でもその中から一つを選び出しているのだとしたら…一体誰が?

「NERVE」の事は警察に言ってはいけない。

作中。余りにも過激化していくそのミッションに。警察に助けを求めるシーンがあったのですが。(すみません。ネタバレです)


国家権力をも押さえつける、その組織って一体何なんだ。
顔出しで。堂々とネットに溢れる犯罪映像。そんなの、通報しなくても普通は警察から嗅ぎつけてくるし…一斉摘発やろうに。


お話の中盤まではノリノリで話は展開していたのですが…どうも大風呂敷を広げた割に回収出来ていない。

当方もおおざっぱな人間なんで。がんじがらめなレギュレーションの説明までは望みませんけれど…ちょっと…放り出しすぎかなあと…。

「というか『決勝戦』ってなんだ。そんな話あったっけ?」

広げすぎた風呂敷を畳む為の。唐突な頂上決戦。そしてまさかの青すぎるヴィーのメッセージ。

「散々そのルールに則って遊んだあんたが。どの口が言うかね。そんなJUSTICE(正義)存在しないよ!」立ち上がる当方(心の中で)

まあ…強引…確かにああするしか無かったのかとも思いますが…。

途中までは勢いで連れてきたんやけれどな…もうちょっと理詰めで話を詰められる人間が居たら…。

若干肩透かし。不完全燃焼で帰宅した当方…。

映画部活動報告「14の夜」

「14の夜」観ました。


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足立紳監督作品。
1987年夏。14歳。中学三年生。
田舎に住む、何の変哲もない14歳が。
誰もが通った、愛すべき…でも絶対に戻りたくないその時の。たった一日の出来事。
胸を痛め。そして顔を覆って。笑った…馬鹿らしくていとおしい作品。

さあ、それを。当方の心の中の男女昭和キャラ、昭(男)と和(女)に存分に語って貰いたいと思います。

(昭)あかんあかん。断らせて貰う!
(和)えええ?なんやの。
(昭)俺はこの映画感想文に於ける男女キャラコントの、クールで知的なポジションやから。この作品で何も語れる事が無いよ!だからあかん。
(和)よく自分で自分の事、そんな風に言えるな。この作品に付いては、あんたの男子視点が無いとどうにもならへんやん。
(昭)俺は…。1980年代のノスタルジーとか、どうしようもない中学生時代とかは熱く語れるんやけれどな‼如何せん、ピュアな世界に居たから…エロい案件に関しては…。
(和)はい。つまりは非常に共感が出来たという事ですね。ぐだぐだうるさいから、昭さんは黙っておいて結構。和が淡々と進めます。
ただ。一つだけ取り決めを。我々の居住地域では「おっぱい」は口に出すのが恥ずかしい言語なんで、以降「乳」に統一させて頂きます。
(昭)意義なし。

(和)1987年。主人公を含む、田舎のボンクラ中学生4人組。その中のタカシを軸に。タカシのある夏の一日を追った作品。
(昭)俺らはこの年代より一つくらい後の世代なんで…ドンピシャとはいかなかったけれど。まあ。あの年頃のどんづまり感はよく分かったな。
(和)結局喋るんやね。…後ねえ。今のこの年頃と1980年代のタカシたちが絶対的に違うのは「携帯電話やインターネットが無かった」という事やと思う。
(昭)全くだよ。例えば、主人公が「俺らは何の目的も無い。人間としても中の下なんじゃないか」みたいな事を序盤で言ってたけれど。あれって所謂あの年頃のモラトリアムというか。「同じ年頃でもっと活躍している者」や「目的を持っている者」が輝かしくて。自分も何か優れた点や他人から一目置かれる何かを持っているはずなんやけれども「それ」が何か分からない。勝手に光る何かがピンポイントに見つかると思ってる。それさえ手に入れたら一気に「輝ける何かを持つ者」の仲間になれると思ってる。違うんよな。本当は何でも手当たり次第にやってみたら良いのに、それは怖くて。結局何もしていない自分がもどかしくて。自分の矛盾にイライラして。しかも自分の気持ちだけでも持て余してイライラしてるのに、そんな時に限って親は何かと絡んでくるし。その親を改めて見たらまた…何か冴えない、ぱっとしない大人なんよな。もしかしたら…結局自分もこうなるんじゃないかという不安。でまたイラついて。爆発しそうで。でもそういう気持ちを、多くの同じ年頃の奴が共有してるって今なら分かるし。「そう思っているのは自分だけじゃない!」という安心感。兎に角何に於いても情報量のπが昔とは全く違う。

(和)何をだらだらとまとまりのない…自分に酔っているな。私が言いたいのは「エロに対するピュアさと馬鹿馬鹿しさ」ですよ。だって今なら例え中学生でもインターネットを介してエロ情報は幾らでも入手出来るやん。あの鉄板の「道端に落ちている湿ったエロ本」からの。「よくしまる今日子」「おかしな都市伝説」そういうの。ああいうのって、今でもあるのかな?
(昭)俺を知のステージから引きずり下ろすなよ!知らないよ!今現在中学生じゃないし、道とかパトロールしていないし!

(和)(無視)道端に落ちてるエロ本って、つまりは燃やそうとした残骸って事?(昭)それは違う。(和)早。食い気味での即答。

(昭)数多のケースを知っている訳じゃ無いけれどな…あれはエロ本を買う事の出来る大人から、少年達へのプレゼントなんやと思う。そしてその少年が大人になった時、自分もプレゼントを道端に捨てる…。
(和)「捨てる」って言ってしまってるやん。大体、濡れてる紙ってくっ付いて破れたりしてめくられないんちゃうの
(昭)それが大人からのメッセージなんだよ!「エロは容易く手に入らないぞ」っていう。しかも道端とかに捨ててあるって事は綺麗じゃないやん。そんな気持ち悪い物体を。でも己のリビドーに負けて触ってしまう敗北感。しかも誰かに見られるリスクもある。そういうのがごたまぜになって、異常にドキドキするんよ。後あれな。「よくしまる~」さんは当時でもそういう人とかは居たみたいやけれど。そういう有名人とかアイドルのパロディって、いつの世もあるもんなの。ただ「よくしまる~」は呼ぶ時絶対に「薬師丸ひろ子」のイントネーションな。
(和)おいおい知のステージどこ行った。

(昭)「よくしまる今日子」というAV女優が、町に一つしかないビデオ屋にサイン会に来る。しかも日付を越えたら乳を吸わせてくれる。そんなの、絶対に無いのに…でも、ありそうな中学生のガセネタやし。でも「じゃあ行ってみようぜ」という話の持って生き方は、本当に絶妙やと思ったな。だって、そんな噂に結局は振り回されるって。まさに「道端のエロ本」の延長やもん。

(和)またあのビデオ屋。あの色あせたVHSが並ぶ様。痺れたわあ~あれ、今なら一日居たい。というかあそこで働いて、あの小さなTVで延々ビデオ見ていたい。
(昭)ビデオ1本借りるのにそんな値段がしたのか。とか。正直蔦屋のお膝元やから、今も昔もああいうビデオ屋では借りた事が無かったな。
(和)そこで4人で1本借りて。仲間の家で見るって。良いなあ。まあ彼らはエロ寄りの作品やったけれど。ビデオ屋から仲間の家に向かう途中でばったり会う同級生のヤンキーも。別に大人から見たら可愛いもんやけれど。
(昭)1980年台のヤンキーって、最早ブームやったんやなあ。ビーバップとかの影響もあったけれど。あの当時のヤンキー伝説って無茶がありすぎて半分以上の武勇伝は都市伝説かと思っているよ。
(和)人を殴る為に鞄に鉄板を入れていた話とか、盗んだバイクで走り出した話とか。根性焼きとか。実際にやっていた人から話を聞いた時も笑いが止まらんかったよな。
(昭)本当に笑いすぎて、最後ちょっとキレてたやんか。まあでもあの最後に現れたバイク集団が所謂「ヤンキー」なら、チャリンコで走り回ってる中学生なんて普通の奴らと大差無いよな。

(和)あの、主人公タカシの隣に住んでいて。ヤンキーとつるんでる彼女。可愛かったね。

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(昭)あの幼馴染は良すぎるやろう~。あの乳も最高。そりゃあ毎日あんな恰好で近くをウロチョロされたら乳を触れせろと思うし。中学でこそぐれてるけれど。まあ何だかんだ結局地元に居座ったりするんよな。まあ…主人公とどうこうっていうのはこの先も無いと思うけれどな。
(和)まあでも。中学生って、所詮「乳触らせろ」程度なんやね。

(昭)あのボンクラ中学生4人組。良いバランスやったなあ。
(和)ジャルジャル顔の主人公タカシは勿論良かったけれど。ミツルがもう…たまらんかったよ。
(昭)あいつ…一体あの夜の後、どうなってしまうんやろうな。あれ真面目に考えたら…もう少なくともあのメンバーとは一緒には居れんよ。
(和)彼が受けた、彼の父親からのダメージが…タカシとは比較にならない。そしてあの歳でああいう性癖を見せてしまった辛さ。でも。なんでやろう。ミツルの不幸が映画中では一々おかしすぎて。公園のシーンなんて笑いが実際に起きていたからね。
(昭)いつか笑えたらいいけどな。あいつ…多分相当面倒くさい人生を送る事になるよ。

(和)タカシの父親と言えば。今回の光石研は「恰好悪い」に完全に振り切っていたね。
(昭)「紀子の食卓」みたいな飛び方もしてくれたり。ベタベタにいい人やったり。何をやらせてもきっちり仕上げてきはる。今回はもう…あの「姉が彼氏を連れてくる」という父親の中でもビックイベントを盛大にぶち壊して。あの流れは痛々しいけれど最高やった。
(和)あそこまでのタカシは、何に対してもすっきりしなくて。でも言いたい事が言葉にならなくて。モヤモヤして。だから話も停滞気味やったけれど。でもあそこでブチ切れて飛び出して。そこからの疾走感。でもその根底にあるのは「突き抜けた馬鹿馬鹿しさ」
(昭)結局そうなんよな。うじうじ動かなくても、もやは晴れない。どうせあの年頃の沸き起こる色んな感情なんて、スマートに整理出来る訳が無いんやから。うわああって叫んで走り出したらいいんやと思う。おっかないヤンキーだって、衝動原理は一緒。で、転んだり泣いたり。恰好悪い事なんて山ほど経験して。
(和)そうして大人になるんやね。

(昭)この作品の舞台が。1980年台で。田舎で。中学生男子という愛すべき馬鹿で。とがったヒロインも一応存在して…プールのシーンとか、畑の道を歩くところとか。何か「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」も連想してしまって。最後には凄くノスタルジックな気持ちになったな。
(和)「14歳」を過ぎてしまった我々にしたら。痛い事もみっともない事も一杯あった。そんな時代の記憶を。その恰好悪い様を思い出させてくれて…なのに。それもひっくるめて愛おしいと思った作品やったな。
(昭)全くだよ…まあ、大体語れたんじゃないの。という事で俺はまた知のステージに戻らせて貰うよ。


お疲れ様でした。

と言っても。「昭」も「和」も当方の心の中のキャラクターですから。またいつか出てきてもらいますよ。

どんな人が観ても何かしらの引っ掛かりを。記憶の中をふっと何かがかすめるんじゃないかと思った作品。

後は…リアルな14歳に観てみて欲しいと思う当方です。

映画部活動報告「幸せなひとりぼっち」

「幸せなひとりぼっち」観ました。


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スウェーデン映画。「スウェーデン本国では、2015年のクリスマスに公開されるやいなや『スターウォーズ/フォースの覚醒』の動員を越えた」「国民的映画」「圧倒的支持率」何だか大変な鳴り物を抱えて。しかも日本で公開された昨年末から。地味に当方の耳に届く好評の波。治まらず。

これは観に行かなければと。
2017年初めの映画部活動作品として、鑑賞しに行きました。

結果「これは幸先の良いスタートを切れました」ホクホク顔で映画館を後にした当方。


主人公の中年…というか老年期に差し掛かったオーヴェ。集合住宅にて独居生活。
冒頭。ホームセンターで切り花の値段に納得できないとごねるオーヴェ。売り場の若い店員に散々文句を言った挙句「責任者を呼べ」(でもねえ。あれ、どう考えてもオーヴェの言い分の方が駄目ですよ)
全く好きになれない老害という印象を植え付けるのにはこれ以上無い取っ掛かり。

でも。そもそも孤独な男やもめが何で花なんて買っているのかというと…亡き妻の墓に供えるため。

気難しくて頑固。付き合いにくい。そう見えるオーヴェ。でも妻の事はとても愛していた。

毎朝の集合住宅内の自主パトロール。かつて自治会長も務めたオーヴェ。敷地内のゴミ、施錠。車は然るべき所に停めているか。標識、看板の点検など。特に誰に頼まれている訳でも無いのに、未だに日課として続けるオーヴェ。そして違反者には激しい怒号。まさに雷親父。

愛する妻を失って。抜け殻になりながらも己の規律に沿って過ごしていたオーヴェ。しかし、43年も務めた鉄道局からあっけなく解雇されてしまう。

「もう生きていく気力が無い。愛する妻の元に旅立とう…。」

きちんとしたスーツに身を包み。いざ自殺しようとしたオーヴェ。


勿論、そのまま自殺してしまう訳も無く。

オーヴェが自殺をしようとする、まさにその時。それを阻むアクシデント。
賑やかな隣人、お騒がせの入居。

そこからはもう、オーヴェの自殺未遂=過去のオーヴェ半生エピソードの追憶=邪魔。その構図の繰り返しで基本的には進んでいくんですが。

「初めは嫌な年寄りという印象でしかなかったオーヴェの。その半生。別れの繰り返し。幼くして母親を亡くし。育ててくれた父親からは「男ってこういうものさ」という全てを学んだ。無口で。でも熱くて。誠実で。正義感に溢れていて。幸せな時代。

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でも。父親も失って。

そして出会った、後に妻となる「ソーニャ」

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「こりゃあ好きになっちゃうよ」

笑顔が素敵。大きな口を開けて笑うソーニャ。表情もくるくる変わって。明るくて。情熱的。
不器用で。どうしていいのかぎこちないオーヴェを。決して馬鹿にしたり軽んじたりしない。

「と言うか。初めて会ったあの列車で。明らかにお互いに運命を感じていた」

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出会って。また再会して。付き合って。結婚して…そして二人で暮らし始めた。この家で。今は一人。


元々容易く他人に心を開く性質では無い。自分のやっている事を説明なんてしない。だから「悪い人では無いんやけど…とっつきにくい」と思われがちなキャラクター。でも。オーヴェの半生を知っていくにつれて、オーヴェの取っている行動が父親譲りの誠実さであり、正義感であると理解出来てくる。

そして、グイグイオーヴェのテリトリーに立ち入ってくる隣人のパルヴァネ。

ペルシャからの移民で。子供が二人居て、今もお腹に新しい命を宿している彼女は随分と逞しくて。


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オーヴェとパルヴァネ。全然すんなりといかないながらも徐々に生まれていく信頼関係。


そして肩の力をふっと抜いてみたら…見えてくるのは暖かい世界。
それはオーヴェがこれまで気築き上げてきた世界。


このイメージがフィットするのかは分からないけれども。当方がこの作品を観て思ったのは「木の中の仏像」
冒頭。ただの丸太でしかなかったそれが。丁寧に。時には大胆に削っていったら…最終的に一体の美しい仏像が現れる。


街で。近所で。ただの雷親父だと億劫に感じる年寄り。でも。一体今この現代で。他人に間違っている事は間違っているとはっきり叱れる人物などどれくらいいるものか。
鬱陶しいようで。誰も頼んでいないけれど。でも、この地域にとって何らかの貢献をしている人物が。そんなの、もう滅多にいない。

オーヴェは直ぐに怒鳴りちらし。面倒くさい。でも結局誰彼ともなくオーヴェに頼ってしまう。始めはすげなく断られるけれど…結局オーヴェはきちんと力を貸してくれるから。しかも相当なクオリティーで。

またオーヴェのDIY精神と手先の器用さ。オーヴェに掛かれば壁一面の本棚、階段のスロープ、リフォーム、電気機器の取り付けや修理、ベビーベット作成等。何でも出来ますからね。

そして、意外とお茶目な一面もある。

国産車サーブをこよなく愛し。
集合住宅で折角できた気の合う友達なのに「あいつはボルボに乗ってるから」と張り合い。パルヴァネに運転を教える時も「ボルボなんてぶつけたっていいんだ」とのたまい。本気半分、冗談半分のサーブ愛。

直ぐに怒鳴るし、言葉数が少ないから一見キツイ事を言っているようにも聞こえるけれど…オーヴェには意外と凝り固まった偏見は無い。
「あれか?ゲイってやつか?」ある若者に確かめるけれど。そこからゲイ否定等の言葉は続かない。移民であるバルヴァネにも「大変な事態を沢山乗り越えてきたんだろう!」と相手の境遇と背景を尊重し。かつて張り合った…闘病中の友人夫婦に何かが出来ないか奔走する。

「そういうの。ちゃんと相手は見ているんだよな」

勿論怖がって避ける人も居た。でも。たとえ怒鳴られても、疎まれても、オーヴェに声を掛けて、付いてくる人も居た。

後半。もう自殺なんて考えもしなかったオーヴェの。まさに「幸せなひとりぼっち」な生活。泣けて仕方無い当方。
そして教会のシーン。タオルを顔に押し付けて泣く当方。



毎日が。同じような日々の繰り返し。いつまで経っても楽にならない仕事と人間関係。エトセトラ。エトセトラ。
良い事ばかりじゃ無い。寧ろ嫌な気持ちになる事の方が印象に残ってしまって。余裕が無くなると心がささくれて。
頑張っても報われない。誰が見ている訳じゃ無いし。ああ嫌だ。知らん顔したい。もう投げ出したい。そう思う事は沢山ある。

聖人じゃないし。ベストな選択が常に出来る訳じゃ無い。後悔していることだってあるけれど。

「こうやって、真面目に。己に嘘が無いように。コツコツ毎日を積み重ねていく。その姿の偉大さよ」

万人に見て貰わなくて結構。でも、時々誰かが「頑張っているな」「やってるな」と思ってくれたらすこぶる嬉しい。

そして当方自身が、その時立っている場所からふと振りかえって…またニヤッと笑って前に進めたら。そういう日々を重ねなければと。

オーヴェからそう学ぶ当方。

「素晴らしい映画部活動初めでした」

では。今年も始めたいと思います。

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2016年 映画部ワタナベアカデミー賞

今年もあっと言う間に年の瀬。先ほど映画部長から「そういえば」なんて白々しい連絡が来ていましたが。(お忙しいですから。仕方ないですよ…⦅嫌味⦆)

例年執り行われていた「映画部年間総括」はすっ飛ばして。「ワタナベアカデミー賞」を発表したいと思います。

年間映画館鑑賞作品92本。

うち午前十時の映画賞作品3本。その他旧作2本から。

 

ワタナベアカデミー大賞

シング・ストリート 未来へのうた

 

次点賞(公開順)

イット・フォローズ ハッピーアワー ディーパンの闘い ロブスター 帰ってきたヒトラー

 

誰にでもお薦め出来る映画賞(公開順)

ズートピア PK この世界の片隅に

 

メンヘラ賞

蒼井優:田村聡 オーバー・フェンス

 

狂人賞

竹内結子:高倉康子 クリーピー 偽りの隣人

 

ドキュメンタリー賞

FAKE:森達也監督 佐村河内夫妻

 

変態部門賞

エヴォリューション

 

音楽賞

シング・ストリート 未来へのうた 

シークレット・オブ・モンスター

 

パニック賞

アイアムアヒーロー:Zの事態が発覚するまでの下り

 

当方の心をぐっと押した少年達賞

森永悠希:駒野勉 ちはやふる上の句 机くん

佐々木宝:知念辰哉 怒り 広瀬すずの同級生

 

ルー大柴

石原さとみ:カヨコ・アンダー・パターソン シン・ゴジラ

 

当方の午前十時の映画賞

いまを生きる

 

助演男優賞

綾野剛:安室行舛 リップヴァンリンクルの花嫁

 

助演女優賞

菊池葉月:桜子 ハッピーアワー

 

主演男優賞

森田剛:森田正一  ヒメアノ~ル

 

主演女優賞

黒木華:皆川七海 リップヴァンリンクルの花嫁

ラズベリー

バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生

 

今年は、独居生活開始。瀕死の夏バテ。そして一年に渡った耳の不調と年末の手術など。個人的な要因が邪魔をして。何年振りかの年間鑑賞100本を割る事態となりました。

しかし。今こうして年間総括で振り返ってみると、そんなに「畜生!これを見逃した!」が無いなと、不思議と落ち着いている当方です。

 

 何しろ。「桐島、部活やめるってよ」以来の大賞が出たという快挙。

まあ、あくまでも私的なランキングですから。大げさではありますが。

 「大好きな女の子を振り向かせる為にバンドを組む」根底にあるそのシンプルさ。最高の仲間。そしてお兄ちゃん。

今思い出しても涙が出る。最高ランクの青春映画。

 

映画部部長との年間総括が無かったのは痛恨の極みでしたが…部長は常に忙しく。当方は夏に会った時にベロベロに酔っていたので気恥ずかしくて誘えなくて。そして何だか忙しくて、今回は都合が付きませんでした。(そして部長は通年年末年始は仕事で忙しいか、ご自宅の沢山ある窓を拭くのに忙しいらしいですから)ですがこの結果は報告し…また後日、笑って話せるでしょう。

 

 今回、選定に際し年間の映画感想文を概ね読み返し。

 

「大抵が酒を片手に一気に書いているとはいえ」という、後から読み返したら訳が分からないものや、勢いで突っ走っているものも沢山あるなと思いました。

 

(「レヴェナント」はぶっちぎり過ぎて、我ながら笑いましたが)

 

やっぱり『観た作品を全て書く』『観た順番は入れ替えない』という己に課したレギュレーションはネックなのかと思いましたが。

 かと言って。そこを緩めたら、もうこの健忘禄を書かなくなる当方の姿も想像出来て。

まあ。このスタイルで行くのなら。せめて後から読み返しても分かるような明朗な文章を書くべきだと自戒しながら。精進しろよと言い聞かせて。

次年度の改善点として胸に収め。

 

こんな個人的な駄文に。少しでも触れて下さった方々。有難うございました。

 

社会人としての生活が長くなるにつれて。現実世界で過ごす事が強制的に増えて。

そうして失っていく「非現実の世界」

 

「映画をもう一週間も観れていない!」おかしくなりそうで。でも何でも良い訳じゃ無い。

自身の息抜きで手当たり次第に映画を観る時代は終わった。映画なら何でもいい訳じゃ無い。

 

そして、今の現実と折り合いを付ける時「年間何本」と本数を伸ばす事はもう自身にフィットしない。

 

そんな自由時間は無くなってきているから。今当方の観たい映画。当方が必要とする映画は何かという選別を強いられる。そんな世代に。入っていくと実感する当方。

 

「改めて一つ一つを大切に観ていこう」と思った当方。

 

まあ。その為には。まずは資本である、健康と資金安定(仕事)から。それが無くては安心して映画も観れませんから。

 

最後にもう一度。2016年。下らない駄文にお付き合い頂いて本当に有難う御座いました。

 

来年も。どちら様もお元気で。

良い映画に出会えますように。

 
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